brain_title.gif (13527 バイト)

 

真夜中の脳みそ

詩集「半熟卵」(Update:2001. 9.16.)

コラム「午前3時の天気予報」(Update:2004. 8.21.)

AIBO日記(Update:2003.11. 3.)

アルバム(Update:2003.1.31.)

「紺野」とは?(Update:2004. 8.21.)

Links(Update:2002.10.20.)

更新ログ(Update:2004. 8.21.)

Mail Me !


1999.11.14.〜11.21. COMDEX視察研修


 はじまりは1999年9月上旬のことだった。課長から「11月って仕事に余裕ある?」この言葉で私は今回のCOMDEX(PC関連の世界最大の国際トレーディングショー)行きを直感した。当社では毎年数人若手社員から選抜し、COMDEXに連れて行ってくれるという恒例行事があった。話の内容もそうだった。「ラッキー、ただでラスベガスに行けるんじゃん」と私は思った。1も2もない。当然仕事が多少きつくても「行きます」と答える以外ないではないか!

 と、いうことで、11月14日(日)、旅立つことになった。当初はなかなか旅行代理店から行程が届かず、怒りのメールを担当者に出したが、なんとか1週間前になってやっと泊まるホテルと便が確定した、という顛末があった。しかし当日成田空港に着いてもそれ以上の情報がなかった。どういうことだ、これは!

 成田に着いていきなり、出発時刻変更。18時55分発のポートランド経由アトランタ行きデルタ航空DL52便(でも我々はポートランドで乗り換え)なはずが、どうも折り返しの飛行機がまだ着いていないらしく、20時に。なかなか幸先がよい。しかし、新しい出発時刻の20時を過ぎても一向に乗客を乗せようとする気配がない。結局成田の離陸は20時56分。

 さてさて、前置きはこれくらいにしよう(会社のお金で行っているはずなのに、仕事しないで観光ばっかしてました。すみません)。

11月14日、最初の機内食。チキンの照り焼き風をご飯に乗せてあるものなのだが、まずい。さらにパンも付く。謎。さらに茶そばまで付く。謎。まずい。ま、機内食なんてこんなものか、という感じ。

11月15日、コンベンションセンターに掲げられたCOMDEX Fall'99の看板。証拠物件COMDEXは3つの会場で開催されている。それぞれはバスで移動。移動が面倒くさかったので、メイン会場だけを見ることにする。

COMDEX Fall'99の会場のひとつ、コンベンションセンターのサウスホール(南半分)の様子を写したもの。

ラスベガスのホテルはみな巨大で、ホテル自体がアトラクションとなっているところもある。これはトレジャー・アイランドホテルの目玉である海賊ショーに使われる海賊船。

ミラージュホテルのボルケーノショー。実際に噴火しているわけではなくて、池や噴水の中に仕組まれたガスバーナーが火を噴いている。溶岩が流れ出す演出はなかった。残念。

パリを模したというパリスホテルを臨む。ラスベガスのホテルはすべて場末の田舎のブティックホテルのようなものしかない。エッフェル塔に凱旋門。アメリカ人の考えることはよくわからない。

日付け変わって16日、そういう我々の宿泊したホテルルクソールもピラミッドを模している。このピラミッドの最上部には世界一明るいサーチライトが設置してあり、夜は空に向かって光の柱が立っている。やっぱりアメリカ人の考えることはよくわからない。

ストラトスフィアタワーの屋上展望台(324m)からのラスベガスの夜景。

ストラトスフィアタワーの屋上に約40mの打ち上げ型フリーフォール、ビッグショットがある。これに乗った。マジ怖かった。しばらく体のふるえが止まらなかった。

17日、デスバレーに観光に行く。これはデスバレー国立公園内の「ダンテスビュー」と呼ばれる地点から下を臨む。写っている白いものは全部「塩」である。この地点はだいたい海抜1,600mくらい。

デスバレー内、「アーティストパレット(絵描きのパレットのような色彩多彩の岩があることより)」と呼ばれる地点でのショット。多種多様な金属を含んだ岩石で構成されているのだろう。

デスバレーで最も海抜が低い地点、-282feet(約-86m)にある「バッドウォーター」。この場所では回りの山から流れ出た塩分濃度の高い水が沸いていて、その表面は乾燥するため、塩が風に吹かれて波のようになっている。年間平均降水量100mm程度だというのに、この水は枯れることはないらしい。

18日、朝3時にたたき起こされ、サンフランシスコに向かう。が、なぜかこの行程は徹頭徹尾デルタ航空を使わされたため、デルタ航空にはラスベガス−サンフランシスコ直行便がないことにより一旦ロサンゼルスを経由する。「拷問」だ。で、サンフランシスコといえばゴールデンゲートブリッジ。
フィッシャーマンズワーフ、ピア39でお昼寝アザラシ。

19日。朝。元全日空ホテルのアージェントホテル27階から見えた虹。海(サンフランシスコ湾)も見える。この日は雨が降ったりやんだり。カリフォルニアは地中海性気候なので、冬は雨が降る。

サンフランシスコのダウンタウンの夜景。これが見納め?窓ガラスの汚れが写っているのはご容赦願いたい。

明けて20日。この日もやはり3時起き。この日は起きる自信がなかったので、徹夜した。どうしてサンフランシスコから成田へ直行しないんだ、という怒りを込めてロサンゼルス空港を写す(デルタ航空にはサンフランシスコ−成田便はない)。珍しくこの日も雨が降っていた。

恒例の機内食撮影(11時05分発の成田行きデルタ航空DL79便)。このあとナイフとフォークのセット(未使用)をゲット。延々と12時間も「昼」を航行する。外は凄くまぶしい。

日付け変更線を越えたので、11月21日の16時20分(日)、着陸の瞬間。エアブレーキ全開で減速。当然、「すべての電子機器は使用をお止めください」のアナウンスあり。デジカメも使っちゃいけないのだが、ま、無事日本にたどり着いた。窓への写りこみはご容赦願いたい。

 思い直してみると、我々のこの無理のある行程、なかなか行程が決まらなかった原因は、旅行代理店の不手際ではなく、コーディネータの都合ではないかとかんぐっている。理由その1。当初サンフランシスコで視察企業(当然出張で行ってるんだから仕事らしいことしないとね)として予定していた会社から、突然当日になってこのコーディネータの好みで選定されたとしか思えない会社に変更されたこと(それでいながらこの人物は技術的なことに関しての知識はほとんどないに等しい。通訳も割といい加減)。かなり胡散臭い。理由その2。現在この胡散臭い人物はロサンゼルスの郊外に居住(我々の行程の帰りが無理やりロサンゼルス経由になっている)。理由その3。この人物はデルタ航空のマイルがかなり貯まっていると言っていた(マイルが貯まると席に余裕があれば米国国内線に限りエコノミーで予約してもビジネスクラスに座れるらしい。実際勝手に席を変更していた。その都合もあり、無理にデルタ航空にする必要があった)。そう考えると、このかなり胡散臭い親父、とてつもなく自己中心だ。おめーの都合で勝手にこっちの予定を決めんじゃねぇ。おかげでこっちは2回も朝3時起きをさせられたんだ。ばか者めが。腹が立つ。さらに自分「だけ」が米国通だと勝手に思い込んでいる言動が許せない。おだてられて天狗になっている。そのことにまったく気がついていない。

この研修で得たこと:米国は2億7千万人味覚障害で胡散臭い人間の巣窟だ。


BackWB01343_.gif (599 バイト)