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真夜中の脳みそ

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AIBO日記(Update:2003.11. 3.)

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2003. 1.21.〜 1.25. 思い付きベトナム紀行


 いろいろと煮詰まってしまった日常の中で、どこかに逃避したいという欲求に駆られた(2002年12月初旬のこと)。もう、これは「南」が必要だ、と(どこがどう必要なのかは不明)。

 また例によって沖縄行くのも芸がないし、ちょっと変わったところに行ってみよう、ということで、東南アジア方面に大雑把に目的地を決めた。で、具体的にどこにしよう、と思ってふと頭に浮かんだのがベトナムだった。とりあえず現地に付いての情報はあまり持っていないが、まぁ、なんとかなるだろう、ということで、思いついてそのままH.I.S.へ。ツアーも、ビザの発行もその場で申し込んで、帰り道に「地球の歩き方」(ダイヤモンド社)を買った。

 やはり現地に付いての情報を著しく持っていない事が判明したが、行くまでに予習すればなんとかなるだろう、ということで旅の準備をする。

 準備不足は否めないが、出発日がきてしまったので、不安は多少あるものの後は野となれ山となれで出発した。

 成田空港出発ロビー。雪が降った影響でけっこう混雑していた。

 そういえば、私の初めての海外旅行も成田空港は雪だった。どうやら成田の雪に縁があるらしい。これは幸先がよい。

 窓のキズが写ってしまって非常に残念だが、高度1万メートル飛行中。

 成田からホー・チ・ミン市までは飛行機で約6時間だ。

 ホー・チ・ミン市の空の玄関、タンソンニャット国際空港。

 人口数百万人を抱える大都市の玄関とは思えないローカルな雰囲気。

 雪の成田空港とは違い、タラップを降りてすぐむっとする暑さを感じた。さすが南国。

 豊穣の大河、メコン河をクルーズしたかった。実際にクルーズしたのは支流のうちのひとつだったのだが、充分に広い、広すぎる。

 ちなみに右側に写っているのは対岸ではなく中州。川幅は1kmにもなるのだそうだ。

 ミトーから渡る最大の中州の島、タイソン島で小船に乗り換え、ジャングルの中を進む。

 中洲の島といっても人口3,000人ほど住んでおり、島には縦横に水路がめぐらされてある。

 ミトーはホー・チ・ミン市より車で90分だが、思ったより早く帰ってきてしまったので、市内に繰り出してみることにする。

 ここは市内でも中心部のドンコイ通り。

 ベトナム戦争時に掘られたという地下トンネルを見学。塹壕とそのトンネルの入り口。

 見学できるトンネルはベンズオックとベンディンがあるが、今回はベンディンに行った。

 入り口は無数にあり、しかもダミーのものまであるので、米軍は最後までこのトンネルを攻略できなかった。

 トンネルは大きく3層になっており、あちこちでつながっているので迷路。しかも狭い。迷子になったことはなかったのだろうか。
 統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)屋上からホー・チ・ミン市を臨む。
 ホー・チ・ミン市を南北に縦断するサイゴン川(メコン河の支流)をディナークルーズした。

 これはその船、ベンゲー号。お魚の格好をしている。多分イメージはメコン河で採れる(養殖している)エレファントフィッシュだろう(味は鯉だった)。

 ホー・チ・ミン市一番の市場、ベンタイン市場。どこか沖縄県那覇市の公設牧志市場を髣髴とさせる。その辺は「アジア」だからだろうか。

 食材から機械部品まで何でもそろう。

 丁度旧正月(テト)を控えて(2003年は2月1日)大賑わいだった。

 フランス統治時代にフランスからわざわざ輸入されたという赤レンガで作られたサイゴン大教会。

 市内にこの教会を始め、仏教寺院、モスクなどがあり、社会主義国でありながら信仰深いベトナム人、という感じがある。

 夜になってライトアップされる市民劇場。フランス統治時代をしのばせる。

 昼間はここで結婚式が執り行われていた。

 結局ホー・チ・ミン市近郊だけにしか行かず、4泊5日だけで終わってしまったので、見ていないところはたくさんある。ハノイやフエ、ホイアン、ハロン湾などなど。

 ホー・チ・ミン市は2020年に向けて大規模な再開発の真っ最中。年6%の経済成長とも合わせてまだまだ伸びる、という感じを受けた。非常にエネルギッシュでギラギラしていて逞しい。閉塞観漂う東京とは大違い。

 東京に戻ってきてあまり違和感を感じないことに気が付いた。多分ホー・チ・ミン市が昭和30年代の東京のような感じだからだろうか。再開発が一段落した頃、そこにあるのはどんな街なのだろうか。

 伝統、先端、秩序、無秩序、豊かさ、貧困などなどありとあらゆるものを大陸的おおらかさで包み込んだベトナム。料理はおいしいし、また来るぞ、と強く思った。

(2003. 1.31.)


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