7. 古代人と富士山 Relations between the ancient people and Mt. Fuji  
 

(1). 旧石器時代 The Old Stone Age

 人類は古い方から猿人(400万〜100万年前 アウストラロピテクス等)、原人(150万〜20万年前 北京原人等)、旧人(20万〜4万年前 ネアンデルタール人等)、新人 ホモ・サピエンス(4万年〜1万年前 クロマニヨン人、現生人)と進化してきた。

 富士山のテフラ分布地域の箱根山麓や愛鷹山麓では古期富士テフラ層の間から、後期旧石器時代の石器が多数出土する。富士山の一回の噴火は短期間で終わり、その後、静かな時代が続き、古代人の生活を不可能にするようなものではなかった。.

箱根山西麓の初音ケ原遺跡(三島市谷田) Mt. Hakone's Remains of Old Stone Age.
 初音ケ原遺跡は箱根火山の火砕流(軽石流堆積物)によってできた緩傾斜な丘陵地(標高約90m)に位置する。後期旧石器時代の遺跡で、その面積は約30,000m²に及ぶ広範なものである。近くには、山田川が流れていて、水も簡単に得ることができる。

a. 土坑 Pit
 初音ケ原遺跡には多くの土坑がある。これまで遺跡全体で総数60個に及び、丘陵地を弧状に分布している。土抗はA.T(姶良・丹沢火山灰30009年前)に覆われているので、約30260年前につくられたと推定されている。※福井県 水月湖の年縞調査から姶良・丹沢火山灰(AT)は30009年という正確な年代が分った。
 土坑と土坑の間に垣根を巡らし、ウサギ、狐、鹿、猪など動物を追い込んで、土坑に落として捕獲した落とし穴と考えられている。
20〜30人で集団を作り、見晴らしの良い高原で獣の群を追いながら短期間の遊動生活をしていたと思われる。しかし、残念ながら酸性が強い火山灰層の土壌のため、動物の骨や植物など有機物は融けて発見されず、何を食べていたか確かなことは分からない。
 その後の調査で、土坑内外の土壌から高等動物に属する脂肪酸およびステロールが抽出された。土坑墓の可能性もある。This is the pit for ancient people to catch an animals..

初音ケ原遺跡の土坑の写真 土坑pitの説明図
初音ケ原遺跡の発掘の様子、土坑が見える。 土坑の大きさと配列

b. 礫群 Gravel rock
赤く焼けた礫の写真  初音ケ原遺跡からは赤く焼けた、こぶし大の礫が多数出土する。その数は数百個に及び、大部分は箱根火山の古期外輪山溶岩の安山岩(80%)と玄武岩(14%)である。いずれも近くを流れる山田川から採集した河川礫である。
 土器がなく煮る文化がない当時、赤く焼けた礫は石蒸し料理に使われたようである。住居跡は見つかっておらず、遊動生活では革製のテントを使ったと考えられる。赤く焼けていない大きな礫も幾つか出土しているが、テントの周囲は木の杭で止め、焼けていない礫は入口のテントを押さえるのに使われたものではなかろうか。私のキャンプの経験から、そんな光景が想像されるのである。Ancient people cooked with the burned stone.
                                                             

c .石器 Stone implement of the Old Stone Age
 初音ケ原遺跡からは石器も数百点見つかっている。ナイフ型石器、掻器、剥片、石刃などである。
 石器の石材の90%は霧ヶ峰や和田峠の黒曜石であり、当時の交流、交易の広さに驚かされる。その他、石材として、ガラス質黒色安山岩、珪質頁岩などがある。
 ガラス質黒色安山岩は山田川で河川礫として採集できる。、また、ガラス質黒色安山岩から石器を作製した跡がある。
 珪質頁岩は黒色またはあずき色で板状に割れやすく、石器を作りやすい岩石である。この珪質頁岩は山梨県北都留郡に広く分布する小仏層群(白亜紀)に由来する。本層群は珪質頁岩、粘板岩、硬砂岩、チャート、石灰岩などからなる。甲府市の東を流れる笛吹川支流の日川、重川を中心に富士川で採集できる。珪質頁岩、粘板岩、硬砂岩、チャートは、縄文時代にも石器の石材として良く使われている。
 これらの石器の石材は現代の鉄に相当する重要な資源であった。90% of stone implements are made of the obsidian but 10% of rest is made of glassy andesite and siliceous shale.

旧石器時代の石器(尖頭器、ナイフ型石器など 石器を作る石材(ガラス質黒色安山岩)
旧石器時代の石器(初音ケ原遺跡) Stone implement
 of the Old Stone Age,
石器を作る石材 This is the glassy andesite which made
a stone implement.

(2).縄文時代 The New Stone Age

  箱根山西麓や愛鷹山南麓には縄文草創期の遺跡が多く分布している。多量の溶岩が噴出された三島溶岩(約11000年前、草創期)に代表されるように、富士山の活動が盛んな時代を縄文人はどのように生活していただろうか。
 富士山東麓の富士黒土層(約8000〜5000年前)は腐植質の火山灰土で活動が静かな時期に形成されたもので、縄文早期から前期の土器文化を包含することが知られている。小山町の沼子遺跡から早期の土器が、御殿場市の山の神遺跡、神山イザロ遺跡から縄文早期末の土器が出土している。
 小山町の奥の沢遺跡、御殿場市東山の馬の背遺跡では、富士黒土層のすぐ上の縄文中期から晩期の地層から土器が出土している。

箱根山西麓の源平山遺跡(三島市夏梅木) Mt. Hakone's Remains of New Stone Age

 源平山遺跡は初音ケ原遺跡のある丘陵から、夏梅木川をはさんで南隣の丘陵に位置する。石鏃、石匙、石錘、石棒、石皿、磨石、凹石等多数出土する。また竪穴住居や柄鏡形敷石住居跡が見つかっている。

a. 柄鏡形敷石住居 The residence paved with the stone.
石棒の写真 柄鏡形敷石住居は源平山遺跡に2基、愛鷹山麓の大谷津遺跡に1基あり、、いずれも縄文時代後期のものである。
 これらの柄鏡形敷石住居は半径約2mのほぼ円形をし、板状節理で割れた安山岩が同一平面に敷き詰められている。縁辺には板状の礫を立て住居の壁としている。また中央には15個ほどの礫を組んだ炉がある。炉の大きさは約70cmX50cmで、長方形をしている。炉を構築している礫は3基とも富士火山の玄武岩溶岩である。炉石として、近くで簡単に採石できる安山岩を使わず、富士火山の溶岩を約2km運んで、わざわざ使うのはなぜだろうか。
 柄鏡形敷石住居の入口は3基とも共通して丘陵地の谷側になっている。入口の柄の部分は足の土落としと考えられる。
 また、きれいに研磨された紡錘状の石棒が各柄鏡形敷石住居から1〜3点発見されている。大きさは約30cmx15cmX15cmで、先端部を割って立てて使用したようである。これは御神体のようなものではないか。源平山遺跡と大谷津遺跡は水平距離で5km離れているが、同じ文化圏にあり、柄鏡形敷石住居は約束のもとに作られた特別な場所、即ち祭祀場跡ではなかろうか。 A fireplace is in the center of the residence

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柄鏡形敷石住居の炉の写真 柄鏡形敷石住居の説明図

b. 石器 Stone implement of the New Stone Age

 源平山遺跡の出土石器は石鏃が262点、石匙61点、石錘65点、石棒32点、石皿27点、磨石103点、打斧143点、敲石71点、凹石68点である。これらの石器の石材は黒曜石、ガラス質黒色安山岩、硬砂岩、珪質頁岩、玄武岩(富士火山の溶岩)などである。
  ガラス質黒色安山岩は黒色、石基質な岩石である。蛍光X線分析で調べると玄武岩質から安山岩質まであるが、安山岩の讃岐岩(sanukite)に似ており石器の研究者の間では一括してガラス質黒色安山岩と呼ばれている。既に旧石器時代の項でも取り上げたが、黒曜石とともによく使われた石材である。
 石鏃については黒曜石が96%、ガラス質黒色安山岩が3%、石匙についてはガラス質黒色安山岩が42%、硬砂岩、珪質頁岩等が39%、黒曜石が7%である。
 黒曜石の刃は切れ味に勝れているがもろさがある。ガラス質黒色安山岩は切れ味は劣るが粘りのある強さを持っている。石器の使用目的によって、使い分けた様である。
 石匙は剥片の縁に刃部を作り出した石器で、つまみが付いている。つまみに紐を巻き、アスファルトで固めたものが宮城県の遺跡から発掘されている。男の墓にも女の墓にも、1点副葬されていることがあり、男女とも腰につけた携帯用の万能ナイフと考えられている。 遺跡の北を流れる山田川〔大場川の支流)の下流域には箱根火山の古期外輪山溶岩「玄武岩溶岩及び凝灰集塊岩」(久野 久1950)の露頭がある。この凝灰集塊岩の中にガラス質黒色安山岩が礫として含まれている。

縄文時代の石器(石匙、石鏃など 石皿、磨石の写真
縄文時代の石器(源平山遺跡) Stone implement of
New Stone Age
石皿と磨石富士山の溶岩で作られている。

 写真の石皿と磨石は源平山遺跡から出土した縄文時代の石器である。石皿は出土した27個のうち19個が富士山の溶岩である。富士山の溶岩には気孔が多く、クルミやドングリなど植物性の物を粉にする磨石台として最適な岩石であった。
 磨石は出土した103個のうち約20%が富士山の溶岩である。このように富士山の溶岩を古代人がよく使ったことが分かる。

謝辞
遺跡の調査、岩石の蛍光X線分析等には鈴木敏中氏(三島市教育委員会)、望月昭彦氏(国立沼津工業高等専門学校)の多大な協力を頂いた。

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