6. 富士山の浸食や崩壊

1.はじめに
 浸食の輪廻からすると、富士山は幼年期の地形で、その山腹は原地表面に覆われている。しかし、詳細に見れば富士山斜面には、多くの浸食谷が発達しはじめている。集中豪雨や台風の流水、、雪崩などが生じると下方浸食、側浸食が行われている。また、大沢崩れや御殿場岩屑なだれのように、噴火や地震の振動が原因で発生する大きな崩壊もある。

2.大沢崩れ
 大沢崩れは富士山の西側にある最も発達した谷である。大沢崩れの土石流堆積物に含まれた木片の放射性炭素年代の測定から、約950年前、大きな崩壊があり、それを引金として、大沢崩れの崩壊は始まったようである。大沢崩れの谷頭は中央火口の近くまで迫っている。大沢崩れの斜面の傾斜は、多くの侵食谷のなかで、最も大きく、崩壊も激しい。崩壊した砂礫は豪雨によって上井出北東の大沢扇状地に運ばれる。今後、数千年にわたって浸食作用のみ働くならば、中央火口は切り開かれ、山体には吉田大沢をはじめ、多くのV字谷が発達するに違いない。しかし、富士山は活火山であり、宝永の噴火が大きかったためか、今は静かだが,やがてまた噴火し、富士山がどのような形になるか予想出来ない。

  

大沢崩のようすを示す図 富士山(大沢崩を撮す)
図1. 大沢崩れと扇状地の説明図
Valley and alluvial fan of the Osawakuzure
富士山
中央右の深い谷が大沢崩, 1999年11月21日朝霧高原付近より撮す。

3.御殿場岩屑なだれ
 御殿場岩屑なだれは富士山の東麓に発生した大崩壊である。崩壊した堆積物は御殿場市を中心に扇状に分布している(図2)。御殿場岩屑なだれによる堆積物の大部分は古富士火山の噴出物で新富士火山の中期溶岩の礫が含まれているそうである(宮地直道2007年)。崩壊があった時代は岩屑なだれの堆積物から採取されたモミの木片の放射性炭素年代測定から、約2900年前(縄文時代末)とされている。
 この崩壊による傷跡の凹地は、その後の富士山頂火口からの新富士火山の溶岩流やテフラによって埋められ、傷跡は残っていない。若い富士山は、浸食や崩壊と噴出する溶岩やテフラによる修復が繰り返していることになる。
 この扇状地には、直径が数十m、高さが数m程の岩屑なだれの岩塊が点々と分布している。この小さい丘は「流れ山」と呼ばれ、地名の竈(かまど)、塚原など地形からつけられたかも知れない。
 岩屑なだれの堆積物は、御殿場泥流と呼ばれている。酒匂川に流入した御殿場泥流は、足柄平野へ運ばれる。黄瀬川へ流入した御殿場泥流は三島市まで運ばれ、三島市街地のある扇状地を構成している。

 
図2.御殿場岩屑なだれ
御殿場岩屑なだれの堆積物は扇状に分布する。中心付近の水土野、滝ヶ原では堆積物の厚さが約30mある。
細い実線は現地形を示す等高線、太い破線は堆積前の推定等高線である。等高線の細い実線と太い破線は標高約1150m付近で一致する。約1150mより高いところでは、崩壊があり、低いところでは、堆積があったと考えられる。
黒い点は「流れ山」である。               町田/白尾 「火山の自然史」より    


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