僕は新人 営業マン?

職活動を始めて、早2ヶ月。
マルチメディア関係の制作会社では、実務経験があるためか、ポツリと、受かり始めます。
前にいた○○○○会社、様様です。
本当に感謝いたします。
ペコ、ペコ。

さて、1年前なら、受かっただけですぐに飛び込んで入社した訳ですが、今回は、就職探しは2度目のため、慎重になります。
こちらが面接されるなら、こちらも会社の応対の仕方で、会社をチェックします。
例えば、
「面接の時など、面接する人の専門はなんなのか?」
「マシン環境は?」
「デザイナー、プログラマー等の社員構成?」
「会社の社風は?」
「給料は?」
など、などです。

1年と、かなり短かったですが、制作会社の本音と建前、嘘と誠、表と裏、などは、○○○○会社の御陰で、しっかりと身についていますから、どうしても目に付いてしまいます。

試験に落ちることもありますが、こちらから辞退させて頂く会社もありました。
(本当に、ごめんなさい。ペコ、ペコ。m(..)m)
でも、また経営不振で、リストラされるのは、いやですから。

そんな、殿様就職活動をしているためか、なかなか これだーといった、会社に巡り合えません。
やはり、一番のネックは、給料です。
勤務時間、場所、仕事内容など、かなりの面で目をつぶっているのですが、給料だけは譲れません。
30才のおじさんは、月195000円は、さすがに目をつぶれません。

給料が安い業界ということは100も承知ですが、ここまで安いとは。
トホホ。
うかる所は、こんな所ばっか。

この時期から、
「マルチメディアの就職は、駄目かなー?」
と、思い始めていました。

んな中、一般職で受けていた会社がうかり始めます。
金に目がくらんで、営業を受けていました。
営業になると、とたんに月の給料が、跳ね上がります。
マルチメディアクリエイターの月20万前後が、営業は月30万前後になります。

現在のこの不況でも、求人があるのが営業です。
いや、逆に、不況だからこそ、求人が多いのでしょう。
とにかく、この未経験でも取ってくれる可能性があるため、マルチメディアと平行して受けていました。

さて、この営業募集での電話がかかってきました。
「一次試験に受かりましたので、二次試験に来てください。」
断わる理由はありません。
「はい、お伺い致します。」
と、受けの一手です。

二次試験をうけます。
技術者みたいに、細かいことはあまり聴いてきません。
「君、どんな営業マンをめざすの?」
「今後、どういった風に、営業する?」
などと、あっけないくらいに、一般的なことばかり聴かれて終わりです。
実際につかってみなくては、面接しても、その人が営業に向くか向かないか、分からないのでしょうけれど。

そんな、こんなで、二次試験も無事終わります。
後は、結果待ちです。

業で順調にいっている一方、マルチメディアは、苦戦を強いられています。
相変わらず、
「年収250万でどうですか?」
の世界です。
「なめるなー!」
などとは、いいません。
「もう少し、上げて頂けませんか?」
といっても、 「じゃ、結構です。」
と、撃沈。
ブクブク。.。o○

マルチメディアの道は厳しいです。
1年の実務経験の値打ちじゃ、こんなもんなのでしょうか?
ああ、かなしい。

金銭的にも、苦しくなってきましたし、マルチメディアは決まりそうにないし、
「いよいよ俺も営業マンか。」
と、空を見上げてつぶやきます。

んな折り、リーン、リーンと、電話が鳴ります。
電話と取ります。
営業をうけたところからです。
「この間は、ありがとうございました、最後に給料についての、お話しをしたいのですけれど。」
と、いってきます。

内定です。
決まりました。
「新人営業マン」 が今まさに誕生しようとしています。

一方、マルチメディアクリエイターの看板を、外す瞬間です。
今までの記憶が、走馬灯のように駆け巡ります。

マルチメディアクリエイターを目指し始めた、3年前。
そう、もう、3年も経ったんですね。
外国まで行って、リサーチして、選んだこの道が、今、終わりを告げようとしています。

3年前の情熱
学校
仲間
仕事
創った作品達
辛かったこと
楽しかったこと
思い出のあの場所
思い出のあの人
思い出のあの本
思い出のあの景色
などなど。

今までの自分は一体何だったのでしょう?
費やした時間は、お金は、経験は?
マルチメディアクリエイターだけ見つめていた、3年間は?

そして、今までやってきた、ものは、何処へ........。

次回は 番外編 最終回 「新たなる旅立ち」です。