『AHAHA』3号リレーコラム

『東京VS大阪』

鳥崗 シヱテ

Vol.1 のインタビューで相羽秋夫先生も憂えてらっしゃったように、概して“大阪”の人は“東京”のお笑 い芸人に冷たいですよね。かくいう関東人の私も、かつて大学に通うために移住した関西で、日夜メディア から流れてくる“大阪”のお笑いに当初どうしても馴染むことができず、夜中に蒲団をかぶって涙したりし たものです(実話)。
東京と大阪のお笑い・・・・決定的に違うのはもちろん言葉なのでしょうけれど、その他にも異なっている ファクターってあるのでしょうか?お互い『これは受け入れられない』って部分ありますか?
『壁』があるとしたらどんな?・・・・はたして“慣れ”以外に分かり合える術はあるのでしょうか?

太田雅文

私が東京に住んでいた時には全くお笑いについては違和感がなかったんですが、それはやはり東京とはいえ 関西の笑いが溢れていたからでしょうね。けど、私は東京落語が大好きですし、『壁』なんてあるのかなあ と思います。
“慣れ”っていうのはなんにでもあるもんで、近所に外国の人が住んで、その人と近所付き合いすることも 慣れですし、ビデオの予約ができるようになることも慣れ。慣れてわかるものには『壁』なんてないのでは ?
とはいうもんの、私は四国と九州出身のウンナンはいいけどとんねるずはどうしても受け入れられない。
『壁』というより関東芸人の持つ何かが関西人と相容れないところがあるような気がするんですが・・・

杉久 彰子

相容れないと思ってしまうところって関西人関東人とかいう違いじゃなくって、単純に「人種」の違いかな、 と思う。意識してなくても、笑うときってみんな「納得」して笑ってると思う。「共感」して。「分かる」 から笑う。自分が生きくうえで納得できない理屈を言ってるのを見て笑う人はいないと思う。つぶやきシロ ーが万人に受けてるのなんてもろにいい例だと思うんだけど。
とんねるずとウンナンの違いも体育界系とそうでない人・っていう、やっぱり「人種」の違いじゃないかと 思うんですよ

桜恵 歌織

私が思うに、お笑いでいう『人種』とは、「どれだけ厚かましいか?」だと思う。「厚かましい」とは、ど れだけ人の心の中にズケズケと入り込んでくるかということ。
大阪の芸人さんで例えると、海原やすよともこなどは典型な例でしょう。彼女らは遠慮なしにお客さんの心 に歩み寄ってきますものね。「大阪人だからなせる技」でもあるんでしょうが、客席にいる私たちは、漫才 をみているというよりも、とても仲のよい友達の話しを聞いている気分。だから『共感』もできるし、演者 と自分の間に『壁』も感じない。
逆に、舞台の上で遠くに感じる芸人さんはやっぱり苦手かな。関東の芸人さんはそういう傾向がちょっと強 いような気もしますが?

宮下 きぬ子

日本全国おのおのの場所で食べ物や生活習慣に違いがあるように、何が面白いと思うかが違うのは致し方な いと思う。それは関東・関西だけのことではなく、一人一人の好き嫌いの違いもあるだろうし。
ただ、慣れ親しんできた言葉を話す人のほうがとっつきやすいだろうし、見る者に柔らかい印象をあたえる (様な気がする)関西の言葉に慣れている人からしたら、東京の言葉に冷たい印象があるのは仕方ないと思 う。それと、ご当地ネタというのともまた違う、生活形態が近い人じゃないとわかりづらいこと、と言うの もありそうだし。
という訳で、言葉の問題は非常に大きくて避けられないことではあるけれど、その他に関東・関西というだ けではない、個人レベルの地域性の違いというのもあるように思うんですが。

太田 雅文

それでは最後にもう一つクイズです。
酒井くにお・とおる、大木こだま・ひびき、あしたひろし・順子、この3組に共通するフレーズは?
答えは「舞台の実力は若手も認める漫才コンビ」です。
テレビでトップをとる芸人さんって、ほぼ例外なく舞台でも2時間位持たせられるってことはあまり気に留 められない。けど、結局は生の観客の反応をどこにでも応用できる人が、結果的に「売れる」芸人さんなの かも知れません。

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