『AHAHA』4号リレーコラム 『もう、ホモネタやめませんか?』
太田 雅文
漫才やコントで演者が遠くに見えてしまう瞬間、俗に「引く」瞬間のネタって、私にとっていわゆる「ホモ ネタ」であることが多いんです。いや、酒井くにお・とおるさんがやるんならいいんですよ。そこまでの覚 悟のない、多くの場合若手の芸人が安易な受け狙いの“道具”としてホモネタを多用する、そんな時はその 演者に殺意にも似た怒りが湧いてきます。
使っていけない「言葉」というものはない、あるのは使っていけない「言葉使い」だと言った人がいますが、 ホモネタというのは放送に使えて笑いが取れるギリギリの言葉使いの顕著な例だと思います。
笑いの言葉って今やそこまでストライクゾーンが狭いのか、桜恵さん、どう思います?
桜恵 歌織
実は私、あんまり「ホモネタ」は気にならないんです。と言うよりも、「小さな笑いのツボ、よくぞ突いて くださいました。」と大口開けて笑っているくらい。全く同じネタで快く思っていない人がいる反面、どう して笑えてしまうのだろう。
差別しようなんて気持ちはない。現実味がないから笑えるのかも。けど、私でもやっぱり気にさわるネタと いうのがあって、「ボケ老人ネタ」とか「自殺ネタ」とか「イジメネタ」とか、「絶対に冗談でもそんなこ と扱っちゃダメ!」って、体が拒絶反応を示してしまいます。
けど、こういうネタを好む人もいるわけで。限定したお客さんを笑わせるネタというのは、どこかでキョー レツに傷つく人もいるってことなの?
飯野 形而
ホモにも色々ありにけり。男が男として男を愛するゲイ(男同志)。男が女として男を愛するオカマ/ニュ ーハーフ(酒井くにお)。女が女として女を愛するレズ。女が男として女を愛するオナベ(華ばら)。さら にホモを想起させる周辺領域。マッチョ、ドラッグクイーン(梅垣義明)、宝塚(悶絶小町)、女子プロレ ス…。
ネタにする場合の「斬り口」は様々。ネタをかける「場」もNHKからシアターDまで多様。一概にホモネ タの賛否を問われても…。
そこで、わが愛しのホモネタ3題。
(1)さぶブラザーズ/平成モンド兄弟:雑誌さぶの文通欄で知り合った兄貴とたくやが育む愛の世界。 「愛のミッドナイト・ショー」は圧巻。
(2)??(愛人)/旧ビシバシステム:「大事な話」をなかなか切り出さない男。「実は…毎月のお金上 げてほしいんだ…」。
(3)男同志:持ちネタの半分はホモネタですから…。
宮下 きぬ子
いわゆる「やおい」というジャンルのマンガを、ファーストフード店で平気で読んでしまう私には、ホモネ タはもう思いっきりツボということが多いです。ただそれは、芸人さんを、そして芸を見るというよりは、 マンガを読むように男の子達がジャレあっている姿を見て楽しんでいるという状態。この瞬間だけは「笑芸 を見ている」という気持ちになっていない。だからホモネタうんぬんということは私には言えないかもしれ ない。
でもそんなミーハー女子の視点から見たホモネタに対する思いを一つだけ。以上のような理由があるので、 ルックスはできるだけチャーミングな方が望ましいです(笑)
誉の電話ボックスネタは私にはハマリネタです。
鳥崗 シヱテ
私も、明らかに悪意に満ちた“ホモネタ”は大嫌いですが、最近のネタはだいたい楽しく見ています。
近ごろ、同性愛に対する世間の知識・理解が深まってきたことに比例してか、芸人さんのネタづくりの意識 も変化してきたみたいですね。以前よりもネタに『愛』(この場合、同情とかシンパシーとか前向きな理解 とか)が感じられるようになりました。
――で、結局、見て笑えるか不快になるかは、その芸人さんの人間性にかかっているんじゃないかと思いま す。心が豊かで、常識をわきまえた、『愛』のある芸人さんのつくったネタは楽しいし、知性・教養のない (もしくは学ぼうとしない)人間にはロクなネタが作れない、ということではないでしょうか。
杉久 彰子
しばらくまえまでは私もそれを見て喜んでたクチなのですが、大概の芸人さんが「女の子がうける」と知っ てやっているということに気付いてからというもの、ある種の「ホモネタ」には笑えなくなってしまいまし た。
「ホモネタ」に限らず(「シモネタ」とか「差別ネタ」とかでも)知性や教養に基づく「価値観」とそれを 反映する「言葉使い」。芸人が客の価値観を「こんなもんだろう」と思い図って、自分の価値観を偽り、客 に媚びてそれをやっているのが見えたとき、私はその芸人に対して嫌悪感を感じないではいられません。
プライドの高すぎる観客は芸人に手玉に取られるのを嫌悪するのです。誘導してくれるのを望んでいるくせに。
贅沢な話ではありますけれど。