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 『眉かくしの霊』 泉鏡花を読む

 お髪が何うやら、お召ものが何やら、一目見ました、其の時の凄さ、可恐さと言つてはございません。唯今思出しましても御酒が氷に成つて胸へ沁みます。慄然します。……それで居てそのお美しさが忘れられません。勿体ないやうでございますけれども、家のないものゝお仏壇に、うつしたお姿と存じまして、一日でも、此の池の水を眺めまして、その面影を思はずには居られませんのでございます。――さあ、その時は、前後も存ぜず、翼の折れた鳥が、たゞ空から落ちるやうな思で、森を飛抜けて、一目散に、高い石段を駈下りました。私がその顔の色と、怯えた様子とてはなかつたさうでございましてな。……お社前の火事見物が、一雪崩に成つて遁下りました。森の奥から火を消すばかり冷い風で、大蛇が颯と追つたやうで、遁げた私は、野兎の飛んで落ちるやうに見えたと言ふ事でございまして。
 と此の趣を――お艶様、その御婦人に申しますと、――然うしたお方を、何うして、女神様とも、お姫様とも言はないで、奥様と言ふんでせう。さ、其でございます。私は唯目が暗んで了ひましたが、前々より、ふとお見上げ申したものゝ言ふのでは、桔梗の池のお姿は、眉をおとして在らつしやりまするさうで……」

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