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 『歌行燈』 従吾所好

「按摩だ、が其の按摩が、旧は然る大名に仕へた士族の果で、聞きねえ。私等が流儀と、同じ其の道の芸の上手。江戸の宗家も、本山も、当国古市に於て、一人で兼ねたり、と言ふ勢で、自から宗山〈さうざん〉と名告る天狗。高慢も高慢だが、また出来る事も出来る。……東京の本場から、誰も来て怯かされた。某も参つて拉がれた。あれで一眼でも有らうなら、三重県に居る代物ではない。今度名古屋へ来た連中も然うぢや、贋物ではなからうから、何も宗山に稽古をして貰へとは言はぬけれど、鰻の他に、鯛がある、味を知つて帰れば可いに。――と才発〈さいはじ〉けた商人風のと、でつぷりした金の入歯の、土地の物持とも思はれる奴の話したのが、風説の中でも耳に付いた。
 叔父はこく/\坐睡をして居たつけ。私あ若気だ、襟巻で顔を隠して、睨むやうに二人を見たのよ、ね。
 宿の藤屋へ着いてからも、故と、叔父を一人で湯へ遣り……女中にも一寸聞く。……挨拶に出た番頭にも、按摩の惣市、宗山と云ふ、これ/\した芸人が居るか、と聞くと、誰の返事も同じ事。思つたよりは高名で、現に、此の頃も藤屋に泊つた、何某侯の御隠居の御召に因つて、上下〈かみしも〉で座敷を勤〈し〉た時、(さてもな、鼓ヶ岳が近い所為〈せい〉か、これほどの松風は、東京でも聞けぬ、)と御賞美。

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