しょにょにじゅー。
「な? おらたち農民が安心して暮らせる世の中を作ってくれ、頼むだ。」
「わたくしからもおねがいいたします。すでによのながれはかわっております。ここでてをくみあたらしいたいへいなよをつくるいしずえとなるにはあなたさまのごけつだんがかなめ。どうかよきおへんじを。」
いたいけな少女の熱心な訴えと、聖将と称される人物の静かな訴えに、うう、と唸る。
申し出を受け入れるのは簡単だ。だがその簡単さゆえ今後家臣からどう噂される事か。その事を思うとなかなか首を縦に振る事が出来ない。彼等二人に挟まれて、上杉軍に降ってくれと頼んだ少年はその後黙ったままで静かに返事を待っている。再度時間稼ぎに唸ると少女がにじり寄って来た。
「ジィちゃん頼むだ。おら……もう戦はいやだべ。な?」
うるうると瞳を潤ませる少女の姿に、最後まで抵抗すべきと言う心の声がぱたりと止んだ。気付いた時には既に申し出を受け入れて、上杉軍に降る事になっていた。
「随分と簡単に丸め込まれただな、あのジィちゃんは。」
小田原城を振り返りつつ帰路につくいつきは、隣に並ぶ
に話しかける。先程まで涙ながらに訴えていた弱々しく健気な雰囲気は全く無く、屈託の無い朗らかな様子だ。その反対側では謙信も苦笑しつつ同意する。
「きこつこそありますがさきのごとうしゅどのにくらぶべきもない。あんくんではありませぬがめいくんともいいがたいかこのえいこうにとらわれているかなしいおかた。…なぜわたくしとこのおさなきたのものをつれていこうとおもわれたのですか。」
「困った時には女・子供と動物を使えって言う諺がありましてね。それを実践したまででーす。」
ここに
がいれば「それはCM業界の話だ。」と突っ込みが入った所だが、生憎今回は本拠地にて待機しているので突っ込み役はいない。素直に信じる謙信といつきのみ。
それでも説明不足と思ったのだろう、
は馬に揺られつつ説明を始めた。
「ご隠居様くらいの年齢の人って自分の息子・娘には厳しくても孫には甘いじゃないですかさ。まぁ丁度いっちゃんが適任じゃないかと思いまして。可愛い孫娘に涙ながらに訴えられて断る爺さんもそうそういないでしょ。」
「わるいかたですね。」
謙信がくすりと笑って言うと
も肩を竦める。
「上杉に降って貰ったのはその方が都合が良いからかな。今川と北条は同盟を組んでも先々合戦に協力してもらうって事も無さそうなんで、どっかの領国に帰属して貰った方が『
が』楽なんですよ。」
「おらは伊達軍に帰属してる事になってるんだべ?」
「うん、そう。伊達軍の後ろ盾があって一揆の真似事をしたって事にしてあるからね。」
再確認の様にいつきが問うので、謙信への説明も兼ねて簡単だが答える。短い答えでも今までの状況から謙信は正しく状況を掴むだろう。事実謙信は
の言葉に合点がいったとばかりいつきを見る。
「ご隠居様はさ、タモちゃんも言ってたけど過去の栄光に囚われて、現実が見えていない。遅かれ速かれ何処かの国にとり込まれるのなら良い条件を出す国の方が良いに決まってるでしょう。ただ問題はその『良い条件を出す国』を何処にするかって事でね。」
「なぜわたくしをおえらびに?」
「ご隠居様の自尊心を壊さないでいられる人だから。独眼竜は言っちゃなんですが彼のご老体からすればヒヨコ同然。伊達に降れって言った所で小童が何を生意気な、って事になります。虎さんはその逆で風格があり過ぎるのが問題。ご隠居様が虎さん畏れて降ったと取られたら、ご隠居様だって良い気はしないしそう思われるの厭さに断固として降るのを拒むでしょう。そしたら無駄に戦う事になりますしね。」
その点謙信の場合、軍神との名声は高いがぱっと見ただけではその強さまでは量れない。その上義を慮り聖将・義将とも謳われるほどの人物だ。恐れをなしたと言うより和平の為に降ったととられる確率の方が高い。
がそう説明するといつきが感心したように言う。
「へえぇっ、この綺麗なおさむらいはそんなに強いんだべか? …でも聞いた事があるだな。越後に毘沙門天様の生まれ変わりがいるって。このお人がそうなのか?」
目を丸くして謙信を見るが、静かな微笑を湛えた謙信の強さまでは判らない。首を捻りつつも
が言うならそうなのだろう、と納得していつきは
にこれからどうするのか質問をした。
「本拠地に戻るよ。今川、北条を降したら後は小競り合いする小国以外はそう動きが無いと思うんで……暫くのんびり休もうかな。」
「えいきをやしなうのもよいでしょう。ところでこんかいどくがんりゅうがどうこうしておりませぬがかれになにかたのみごとでもありましたか。」
初め北条を攻略する為に付いてきてくれ、と言われた謙信は同行する人間が政宗で無い事に驚いた。政宗が
をどう思っているか既に正確に把握していた謙信は、政宗は付いて行きたがった筈だと考えた。その事を洩らした時
は笑いながら言ったのだ。
「伊達軍と武田軍の人間ばっかり使ってちゃ、贔屓してるって思われますからねぇ。」
その後ろで残念そうな真田幸村と不機嫌そうな伊達政宗、そして得意満面の笑みを浮かべたいつきが並んでいて、三者三様の表情に笑ってはいけないと思いつつ微笑んでしまった事を思い出す。
「独眼竜? 頼みって言えば頼みかな〜。本拠地で
のお願い事を実行してる筈ですけど……上手くいってるのかなー。」
後半は独り言に近かったが、
はそう呟くと突然笑い出した。
「小田原評定は長引かなかったし、さっさと戻ろう! 美味しいものが待ってる……かもしれない。」
拠点では常駐している幸村と良直が
の留守を任されているが、同盟を組む国が増えるにつれ滞在する人間が多くなる。殊に行き来しやすい場所の為か伊達軍と武田軍は入れ代わり立ち代りで、
に言わせれば『居ついてる』状態だ。さらに来た早々『
が好きだ』と(本人以外に)ぶちかましてくれた元親が、殆どとんぼ返りの状態で一旦戻った土佐から舞い戻って来た。流石にその早さに
が『自国を優先しろって言っただろー!』と怒鳴りつけて追い返したが、その自国も落ち着いたらしく最近頻繁に訪ねる様になった。そんないつになく大所帯になった屋敷の中で、
は政宗と厨に居た。
「…で、丸めて寝かせたらまた伸ばして……。」
「また伸ばすんだったら、寝かす必要は無ェんじゃないか?」
「……と言われたら、寝かした方が生地が落ち着いて美味しくなると言う様に、って書いてありますね。」
の言葉に政宗が舌打ちする。何故か行動パターンが読まれていて癪に障る。
から渡されたレシピを元に、二人はクッキーを作っていた。突然食べたくなったらしい。
「と言う訳で、
ちゃん監修の下独眼竜が作って下さい。あ、あと姫親さんとわんこちゃんも手伝ってあげてね。」
「何で俺がMainで作るんだ。
が知ってるなら
で良いだろう。」
政宗が文句を言うと、
は人差し指を左右に振りつつウインクして答える。
「ダメですよ。
ちゃんに作らせたら『美味しいクッキー』じゃ無くなるじゃないですかさ。
が食べたいのは『美味しいクッキー』であって、そうじゃないのは要らにゃーい。」
「…アンタも大概信用が無いな。」
横目で
にそういうと、「良いの、本当の事だから。」と淡々と返された。
「でも
ちゃんは作り方は知ってるからね。手は出さないで口だけ出して美味しいクッキー作ってね。」
はそう言って
にレシピを渡すと、北条攻略に出かけて行った。
に言われたとおりに生地を作って寝かせた所で、表から元親が厨に顔を覗かせた。
「なぁ、こんなもんで良いのか?」
「有難うございます元親さん。これだったら大丈夫だと思います。…あ、やっぱりピッタリ。」
元親から渡された鉄の板を竈に合わせてサイズを確認する。彼にはオーブンに欠かせない天板を作らせていた。しっかりレシピの冒頭に誰が何を担当するか書かれていて、元親は文句を言いつつ手頃な大きさの鉄板を探して加工していた。仕組みが単純なので作るのは楽だろうと思っていたが、竈のサイズに合わせると言うのがなかなか難しかった。
早速竈を温め始めて待つ間に天板にバターを塗る。因みにバター担当は幸村だ。彼は単純作業ながらバターを作るのに熱中しすぎてダウンしている。
が天板にバターを塗り始めると胡散臭そうに見ていた政宗が
からその二つを取り上げる。
「…俺がやる。」
「この位だったら大丈夫ですよ、多分。」
「その多分ってのが怪しいんだ。ただ塗りゃ良いんだろう。」
「均一に薄くですよ。」
言われたとおりにバターを塗っていると、幸村が現れて手伝いを再開した。そのうち寝かせておいた生地も良い具合になったので、あらためて伸して適当な大きさに形を整えてから竈に入れて焼き始める。
「どの位待てば良いのであろうか?」
「焦げない程度を見計らって焼き上げる事、って書いてあるから……適当みたいですね。」
オーブンと竈では比較にならないのでそんな書き方をしたんだろう、と
は推測する。
「焦がしちゃ何なんで、政宗さん火の番お願いします。多分この中で一番適任だと思うんで。」
「何で俺が……。」
ぶつぶつ言いながらも確かにその通りだと認めざるを得ない。料理下手と太鼓判を捺されている
の他は料理など殆ど経験の無い幸村と元親で、しかもこの二人は焼き加減を気にし過ぎて火加減を考えない恐れがある。生焼け(または黒焦げ)の菓子など御免だと、仕方なく火の番をする事にした。
やや暫く待つと竈から香ばしい匂いが立ち籠める。匂いに釣られて何人か覗きに来たが、竈の前に居るのが政宗だと気付くと慌てて回れ右をする。
「…そんなに怖いか、俺は。」
「……一国の主が竈の前で火の番してれば別の意味で怖いんじゃ無いですか?」
「違いねェ。」
政宗のぼやきに
と元親が笑いを滲ませながら答える。ムッとしつつもそろそろ頃合だと天板を竈から出し、用意してあった笊にあける。
「えーと、笊にあけて粗熱を取ったら出来上がり、ですね。」
「直ぐには食べられないのでござるか?」
香ばしい匂いに鼻をひくひくさせつつ幸村が訊ねる。
「熱くて火傷するかも知れないから、冷めてからの方が良いですよ。それに粗熱を取れば、って書いてありますけど本当は一日置いた位のほうが美味しいんですよね。」
「それも寝かせて味を馴染ませるって奴か。」
「そういう事です。でも食べられない事も無いですから、味見してみます?」
はそう言うと未だ熱の残るクッキーを三人に差し出した。恐る恐る手に取り口に運ぶと、三者三様に反応する。
猫舌なのか元親は口に入れた瞬間「あちちっ!」と叫ぶ。
幸村が一番素直な反応で「美味しゅうござりますな!」と満面の笑み。
政宗は眉を寄せつつ「Biscuitに似てるな……。」と味の分析をしていた。
其々性格が出るなぁと思いつつ、
も一つ口に運ぶ。殆ど関わらなかったお陰か政宗の料理のセンスが良いのか、予想以上に上手く出来ていた。これなら
も満足するだろうと、残った生地も同様に天板に並べて竈に入れる。かなり大量に出来たのは、
のレシピが通常より多かったのかそれとも計量が間違っていたのか判らないが、多いに越した事は無いと
は思う。恐らくこれだけ大量にあっても食べる人数も多いし、大喰らいの
があっという間に食べ尽くすだろう。
最後の生地が焼きあがる頃に佐助がひょっこり現れた。
「な〜にやってるのさお揃いで。また
サン関連?」
言いながら笊に盛られたクッキーを食べる。
「うわっ、なにコレ、メチャうまっ!」
「ずるいぞ佐助! 何もせず食すとは! …お館様がどうかされたのか?」
二つ、三つと手を伸ばす佐助から笊を遠ざけつつ幸村が訊ねた。甲斐で信玄に仕えている筈の佐助が何の前触れも無く訪ねて来た事に不安を覚える。
「あ、大将はぜ〜んぜん。大事は無いから安心してよ、真田の旦那。…それよりも、こっちに客が来なかった?」
「客? どんな?」
「いや、俺様も任務で留守だったから詳しくは知らないんだけどね。何でも甲斐の武田の屋敷に、
サンを訪ねて来た人がいるとかで。」
「
?」「
殿を?」「Who?」「何だァ?」
笊を抱えてクッキーを食べつつ、口々に疑問を投げる。
「んー、対応したのは門兵なんだけど
サンがこっちの屋敷にいる事は知ってたから、教えちゃったらしいんだよね。新人でうっかりしてたってのも有るんだけど、な〜んか涙ながらに訊かれてつい絆されちゃったらしいよ。」
「教育がなってねェな。」
「言わないでよ、竜の旦那〜。ホラ
ちゃんの件も有ったしさ。若しかして弟も行方不明で探してるのかもって思ったらしいよ。」
佐助の言葉に
は目を丸くした。他の者も同様で、未だ巻き込まれた人間がいるのかと
に尋ねる。
「いえ、
の部屋から一緒に落ちたのは私だけの筈ですよ。…兄が巻き込まれたとも思えませんし。」
「兄? 初耳だな。」
「何で断言出来ちゃうの?
ちゃんたちのお兄さんなら若しかして結構童顔で弟と間違われたりしない?」
「確かに童顔ですけど、185……六尺以上あるんで弟には流石に間違われません。…
は良く弟に間違われますけど。」
腕組みをして考え込む
だが、やはり誰か他の人間が巻き込まれたとは考えにくい。
が
を探して歩いている間に知り合った人間が逆に
を訪ねた、と考えた方が良さそうだ。ただ問題は何故武田を訪ねたか、だ。
その疑問には元親があっさりと答えた。
「そりゃアイツは姉さんを探すにあたって先ず甲斐か奥州、越後に行くって言ってたからな。戦が起きそうな場所に先に行って見つかればよし見つからなければ当分戦は起こさないでくれって頼むつもりだったんだろ。それを聞いてりゃ、やっぱり甲斐を訪ねるんじゃねぇか?」
「そうか、確か越後の手前でいつきたちが一揆を起こしちまって、それの処理を先にするみてぇな事を言ってたしな。それから俺達とやり合って
と再会したから……。」
「元親さんたちと別れてから知り合った人、って事ですね。」
そうだとしても訪ねて来たのが誰なのか皆目見当がつかない。
は放浪していた時の事は余り話した事は無い。訊いてもはぐらかすか「ヒミツ。」と答えるばかりで、時折話のついでに何処で何をしていたか明かされて聞いた方が驚く、と言うパターンだ。
越後の手前で出会う人間と考えて
が真っ先に思い浮かんだのは前田利家だ。だが幾らなんでも彼がわざわざ甲斐まで
を訪ねるとは思えない。それにまかり間違っても『弟』には見えないだろう。
候補として二人ほど頭に浮かんだが、その二人が涙ながらに訴える姿、と言うのがどうしても想像できない。
子供の姿と言う事で青龍の可能性も考えたがそれは直ぐに却下した。青龍ならば武田の屋敷を訪ねる等という回りくどい事はせず、直接此方の屋敷を訪ねる筈だ。
「弟に見えるように芝居してたって事だろ。とするとかなりの策士じゃねぇか?」
「んー……案外通りすがりの村とか町で知り合った子って事も……。」
可能性は低いがそう言う事もあるかも知れない、と
が思って居る所へ良直が現れた。
「政宗様、
殿。実は表に
様を訪ねて参ったと……。」
「Good timingだ、左月。どんな奴だ?」
良直に詳しく風貌を訊ね様とした所に、更にかすがが現れた。
「もうじき謙信様がお戻りになられる。…何故こんな場所に集まっているのだ?」
名立たる武将が厨に勢揃いしているのに戸惑いつつ、
の姿を見つけにこりと笑う。彼女は
を気に入っており、何くれと無く世話をやくが
の方は苦手の様だ。嫌いでは無いが、どうも調子が狂う。
「おお、上杉殿がお戻りになられるのなら
殿もご一緒だな。では客人を待たせる事もあるまい。」
「真田……敵かも知れねぇのに呑気だな。まぁ良い。左月、客は何処に居るって?」
政宗が再度良直に問いかけると同時に、表から元気な声が響く。
「なんだよー! 何時まで待たせるんだよっ。
に会わせろって言ってるだろー!!」
余りの元気の良さに驚いて一同顔を見合せる。佐助から聞いた話と大分違うと思いつつ声のする方に歩いて行くと、そこには待ち草臥れたのか不貞腐れている子供が一人。その顔に
は見覚えがあった。そして政宗たちにも。
背筋に緊張が走り、誰とも無しに呟きが漏れる。
「魔王の子……。」
その呟きに気がついたのか、森蘭丸が政宗たちに気がついて叫ぶ。
「あっ、
さまー! 蘭丸が参りました! お元気そうで何よりですっ!」
ぱあっと表情を輝かせて蘭丸が『
』に駆け寄った。だが数歩手前でピタリと止まる。
「なんだぁ? お前……
じゃないな?! 何だよ、偽者で蘭丸を騙そうって言うのか!?」
いや、勝手に勘違いしたのはそっちだし。と喉下まで出かかったが何とかこらえる。随分と感情の浮き沈みが激しいな、と
は思ったが一応間違いは訂正しないといけないだろう。とは言え勝手に一人で怒ったり喚いたりしている人間をどう扱っていいものやら迷う。
それでも少し腰を落として目線を近づけると、それに気付いたのか蘭丸が身構えた。
「な、何だよ。
そっくりの顔で蘭丸を騙そうとしても騙されないぞ!」
「えーとね、蘭丸くん? 私は
の姉の
と言うのだけど。聞いた事はない?」
年下の少年にどう接して良いのか判らないが、取り敢えず事実だけを伝えると蘭丸は目を丸くして口をパクパク動かした。何か言おうとしたが言葉にならなかったようだ。
目の前の
そっくりの人間が姉だと聞かされて蘭丸は背筋を伸ばして閊えながら挨拶をする。
「
様の姉君でしたかっ! 失礼しました! 話は
様から聞いてます、お会いできてこ、光栄ですっ。」
「はぁ……。」
どうも
に対する態度とその他の人間に対しての態度のギャップに戸惑いつつ間抜けな相槌を打つと、政宗が険しい顔をして
の前に立った。
「御託は良い。何しに来やがった魔王の子。」
「な、何だよ。そんな顔して凄んだって蘭丸は怖くないよーだ。」
言いながらも腰が引けている蘭丸に政宗は鼻を鳴らす。
「Ha! 腰が引けてるぜBratが。
だったら此処には居ねェ、大人しく帰んな、坊や。」
が居なくて良かったと思いつつ政宗は蘭丸を追い返そうとした。何の用かは知らないが魔王の息のかかった者を近付けたくは無い。
にも
にも。
だが恨めしそうな蘭丸の背後から馬の蹄の音が聞こえ、政宗は軽く舌打ちした。
「Bad timingだ……何でもっとゆっくりして来ねぇんだアイツは……。」
その呟きに蘭丸が降り返ると、ちょうど
がいつきと謙信を両脇に伴い――
に言わせれば侍らせて、だが――屋敷に向かってくる所だった。その姿に今度こそ本物の
だと思ったのだろう、蘭丸が再度叫んだ。
「
さまー!」
「おや、五月雨丸くん? 元気?」「まおうのこ!」「誰だべ?」
三者三様に言葉を発する中、蘭丸が
に向かって駆け出した。その素早さに政宗も止められず、あっと言う間に
に近寄ると、
の方もさっさと馬から下りて蘭丸を迎える。
「
さまー! お元気でしたかー!!」
「はいはい、
は元気ですよ〜……っとぉっ!」
勢い良く
に近付き飛び付いた蘭丸を、
は受けとめつつそのままの勢いで投げ飛ばして地面に叩きつけた。「いってぇ〜!」と叫ぶ蘭丸の腕を取って押さえこむ。
「これこれ、久し振りの挨拶代わりに人の首を縊ろうとするのは止めてくれる?」
にっこり笑いながら言う台詞ではない、と誰もが思う中押さえ込まれた蘭丸は必死になって謝り始める。
「ごめんなさい、ごめんなさいぃ! 信長様が『一応挨拶代わりに』って……。」
「挨拶代わりに縊り殺されるのは御免ですよ。やるなら挨拶してからにして。」
良く見れば
の首には蘭丸の武器である弓が掛かっていた。丁度弦が首を一回転していて、そのまま締め上げれば確かに縊り殺せるかもしれない。
殺されそうになったと言うのに案外
は平気な顔をして、蘭丸を立たせた。が、その蘭丸の首に刀が突きつけられたのを見て眉を上げる。
「…タモちゃん、ソレ仕舞って?」
「いいえ、このものはあなたさまにがいをなそうとしました。そのしょぎょうゆるすわけにはまいりませぬ。」
謙信はそう言い放つと蘭丸を冷たく見据えて言った。
「まおうのこ。なにがもくてきでまいったか。このかたにあだなすというのならばこのけんしんがあいてをいたしましょう。」
「な、何だよお前。ち、ちょっと強いからって蘭丸に命令するなよ。」
自分に刀をつき付けているのが軍神・上杉謙信と知って、蘭丸はしり込みながらも強がりを言う。だが強がりを言っても謙信には通じない。無言で尚も刃を向ける謙信に、
は仕方無さそうに言った。
「謙信サマ? 刀は仕舞って貰えませんかね。」
「あなたさまがそうおっしゃられるのならば……。」
ストンと軽く刀が鞘に収められる。それを見て蘭丸はホッと一息つき
も苦笑する。改めて蘭丸が
に挨拶しようとした所へ、政宗が蘭丸の襟首を掴んで
に近付けない様にした。
「手前ェ……
に手を出そうとするとは良い度胸じゃねェか。覚悟は出来てるんだろうなァ?」
思い切り凄んで言うと流石の蘭丸も強がりを言う事が出来ず、反論するにも事実は事実なので何も言えない。しきりに足をバタつかせて政宗から逃れようとする蘭丸を無視して、政宗は
に言った。
「おい、何で赦すんだ。自分が狙われたんだぞ?」
「赦すも何も、五月雨丸くんにしろ魔王殿にしろ予め言ってあるもの。命を狙うなら何時でもどうぞって。…但し一日一回ね、とは言っておいたけどさ。」
約束どおりの事をされただけで怒る事も無いでしょ、と
が言うと全員から呆れたような反応が返ってきた。
「
〜、何莫迦な事約束してるの? それで本当に死んじゃったらどうするの?」
「
ちゃんダメだべ! そんな事約束したら!」
「いつき殿の言うとおりでござる! 何故そのような約束を?」
「俺も大概莫迦な真似はしてるがお前さんはそれ以上じゃねぇか。」
「
サン過信は禁物だよ〜?」
「じょうしゃひっすい……おごれるものはひさしからずともうしますよ。」
口々に
を心配して非難する中、政宗が一同が一番疑問に思っていた事を訊いてみた。
「で、一体何時織田軍と知り合ったんだ。」
「
ちゃん探しついでに姉川で花見してた時かな。運良くっつーか運悪くっつーか、万年新婚夫婦の主催の花見の日にぶつかっちゃいまして。」
「万年……前田家か。それでその花見に魔王が居たって事か?」
「Yes、That's right!」
茶化すような口ぶりに政宗が苛立ち気味に舌打ちすると、
も真面目に説明しようと思ったのか肩を竦めつつ「此処じゃ何だから。」と屋敷の中に入るよう促した。
ぞろぞろと移動する中、蘭丸は政宗に襟首を?まれたままで不安そうにしていたが
と目が合い微笑まれると照れ臭そうに笑った。
「美味しい! いや〜、やっぱり独眼竜に任せて正解だったね。旨美味〜。」
部屋に着くなり、そう言えば、と
がクッキーの存在を思い出す。どうせだったらそれをお茶請けに、と用意させて一つ口にするなり幸せそうに
が言った。
褒められて嬉しくない訳では無いが、説明が先、と焦れる政宗たちに気付かないのか
は蘭丸にもクッキーを勧める。周りの視線を気にしつつ、蘭丸が受け取り恐る恐る口に運ぶと、ぱあっと表情が明るくなる。気に入ったらしい。
「餌付けしてる……。」
ポソリ、と
が呟くが蘭丸は気付かない。夢中で勧められた分だけ食べていて、
も先程少しだけ力を使ったからか、物凄い勢いでクッキーを食べている。かなり大量に作ってあるので無くなる心配は無いと思っていたが、この勢いでは明日まで保たないのではと心配になる。
「おい。食うのも良いが説明はどうした。」
「あ、そうか。しとかないとねぇ。」
苛立ち混じりに政宗に言われて
が漸く食べるのを中断した。
さて、それじゃ説明ね、と話し出した
の説明によれば織田信長との出会いは本当に偶然だったらしいと判る。彼女の事だからまた何か画策する為にわざわざ姉川に立ち寄ったかと思ったが、どうやら本当に花見に行っただけらしく、前田夫妻に声を掛けられるまでは其処が姉川だと言う事も気付かなかったと言う。
元親もそう言えば、と前置きして織田軍領国にはなるべく立ち寄らないように素通りしたいと言っていた事を思い出した。結果的には素通りどころか丸きり寄り道していたのだが、それを指摘するほど大人気無い訳ではない。
何にせよ出会ってしまったものは仕方ないと、
はそこで一つの賭けをした。
「天下布武に乗り出そうとしている魔王殿には悪いけど、
ちゃんが見つからない内に天下統一されても困るからね。幸い乗ってくれたんで助かったけどさ。そうじゃなければひょっとかすると魔王軍所属で
ちゃん探す事になったかもね。」
を探すにあたりPS2の神様が多少の加護を与えたと知った時、
が考えたのはそれなら恐らく何処の誰とも判らない様な人間ではなく、メインキャラクターかそれに近い存在に世話になっているだろう、と言う事だった。だとすれば織田軍が侵攻する先にいないとも限らない。
の無事については自分が願った事もあり、然程心配はしていなかったが、魔王の侵攻先にいて合戦に巻き込まれた場合はどうなるか判らない。
に出来るのはゲームの進行を遅らせる事か、又は合戦に巻き込まれるかもしれない
を素早く回収する事だ。前者はともかく後者の場合手っ取り早いのは織田軍について回って合戦が始まる前に敵方に
がいるか確認するだけだ。
しかしどの国の味方もするつもりはなかった
としては、織田軍に協力するつもりも無かったので知り合ったついでに『お願い』した。
が姉を見つけるまでは、他国への侵攻は止めて下さい。
通りすがりの取るに足りない人間のそんな願いを簡単に聞く織田信長ではない。が、花見をする間に
の特殊な力や知識等を知り『取るに足る』人間だと判断した信長は、
からの賭けの申し出を受けた。
「賭けって何をしたんだ。」
説明を始めて間もなく、何やら蘭丸から渡された紙にしきりに書き込みを入れる
に政宗が訊ねる。
「オセロ。リバーシって言うのかな? 囲碁でも将棋でも良かったんだけど、それだとちょっと
が不利だしルールが違う場合も有るし。ちょっと簡単に説明して出来るものって事で。」
「表と裏で色違いの駒を並べていって、同じ色に挟まれた違う色の駒がひっくり返されて同じ色の駒になるんです。自分の持っている駒の色が多い方が勝ちって言うゲームです。」
の答えを
が補足説明する。オセロの場合は
の方が有利の筈だがルール自体は至ってシンプルな為、囲碁や将棋に通じていれば然程難しいゲームではない。事実信長は直ぐにルールを理解し、3回戦と言われたゲームを受けてたった。
「で、アンタが勝ったのか。」
「Of course、って言っても2勝1敗ですが。」
その答えに政宗は眉を上げた。幾ら簡単なゲームとは言え初心者が直ぐに勝てるようなゲームなのだろうか。そう思った政宗に
が「A problem of his pride。」と小声で続けた。その言葉に納得する。
例えば信長が3勝した場合、それは
にとって拙い事。だが
が3勝した場合は信長にとって沽券に関わる事だろう。たとえほんのお遊び程度とは言え勝負は勝負。負ける訳にはいかないと息巻くだろう。
しかし
が2勝、信長が1勝で有れば
にとっては勝負に勝って約束が成立し、信長にとっては1勝でも『初めてのゲーム』に勝った事で体面は保てる。
恐らく
は信長の名前を呼んで願いを確実にしたのだろう。そして信長の方も本人にその自覚が無くても従った。彼自身は単なる気紛れだと思っているかも知れないが、それこそ
の思惑通りなのだろう。漸く納得した政宗は
が先程から何をしているのか気になった。
「アンタ先刻から何をしてるんだ?」
「答え合わせ。」
顔を上げずに答える
の手元を覗き込む。
も政宗の質問が気になったのか同じ様に覗き込み、何をしているか判ると呆れたように言った。
「暇人……。」
「何とでも。さて、答え合わせ終わり。残念でした、間違ってます。」
「えぇ〜? 信長様は絶対それで大丈夫だって……。」
から添削した紙を渡された蘭丸は、指を折って数えながら事実を確認する。
一体何をしているのか、と政宗は質問の先を
に替えて説明を求める。
「私たちの世界のパズル……謎解きです。これはナンクロとか数独って言われるものなんですけど。」
9つのマスに数字を当て嵌め、更にそのマスを3×3にして同じ数字が同列に並ばないようにする数字合わせです、と
が説明するが聞いただけではさっぱり判らない。蘭丸から紙を取り上げしげしげと見ると確かにマスが並んでその中に数字が入れられている。
「賭けの他にもそれを渡しておいてね、もし我慢出来なくて天下統一に着手しようとするなら先ずその問題を全部解いてからにしてね、って言っておいたですよ。10問渡しておいたけど正解は3問だったね。」
「難しいのか。」
「コツさえ掴めばそれほど。でもあんまり書き込み過ぎると、元の数字が判らなくなって大変になるよ。」
信長の敗因は書き込みすぎだ、と政宗はパズルの書かれた紙を見て思う。マスの殆どに数字が書き込まれ、判読できない字もある。
「ルール自体は単純だからさ、結構はまるんだよね。いい時間稼ぎになるかと思って、魔王殿とか奥方とかにやり方教えてあげたんだよ。
ちゃんが見つかるまでに全部出来ちゃうかなー、どうかなーと思ってたんだけどねー。意外と時間かかったね。」
「
様に渡された紙に書き込みしてたら、真っ黒になっちゃって、書き直して木版も作ったんです。それで時間がかかった……。」
「おや、そうですか。それはまめな事で。まぁそのお陰でこっちは助かったかな。」
信長の興味が天下統一では無い方向に暫く向いていたお陰で
を探す時間に余裕が出来た。まぁ余り余裕が出来すぎて自分が天下統一を目指す事になるとは思ってもみなかったが、それもまた一興と
は思う。
政宗たちが作ったクッキーを再度食べつつ
はこれからどうしようかと考えた。
蘭丸は出会い頭に
の命を狙ったせいで、他の人間から警戒して見られている。いつきなどは蘭丸を睨んだまま、一言も発しない。蘭丸の存在を疎ましく思う人間の方が殆どで、このまま彼を引き止めても可哀想なだけだな、と思い
は大量にあるクッキーを小分けにして蘭丸に渡した。
「それじゃこれは魔王殿と奥方に。…居ればミッチーにも分けて下さい。拗ねて恨まれても困る。」
「うわぁ、こんなに沢山?」
「何かえらく大量にあるからねぇ。…レシピ間違ってたかな。」
確か10人分くらいの予定だった筈、と思いつつ嬉しそうに包みを受け取る蘭丸に告げる。
「日持ちはそこそこだけど、早めに食べた方が良いって言っておいて。ああ、あと約束を守ってくれて有難うって。お陰で無事姉と再会出来ましたってね。」
「はい、判りました。」
に対して敬意を払う蘭丸だが、どうしてそうなったのかは
の説明だけでは判らない。もっと詳しく経緯を知りたいと思いつつもさっさと尾張に戻って欲しい。そんな苦い思いを噛み締めつつ蘭丸が名残惜しそうに
に挨拶するのを聞いている時に、ふと不思議な音に気付く。
「何だ……?」
聞いたことの無い音が遠くから響く。無意識に誰か呟くと、気付かなかった者も耳を欹てて音の正体を確認しようとする。
その音が何であるかは判らないが、何処かで聞いた事がある、と思ったのは
だった。
元親も正体は判らないし聞いたことの無い音では有ったが、何故か聞き覚えが有る様な気がする、そんな事を考えている内にも音はどんどん大きくなる。
音が大きくなるにつれどの方角から聞こえてくるか、も判ってきた。西の方角からだ。
は西の空の一点を見つめて呟いた。
「おや、千客万来?」
閑話と少々絡み合った話です。
因みに小田原評定は長引くものと相場が決まってます。
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織田軍との遣り取りはそのうち。…書きかけで放置中。
政宗たちが作ったのはバタークッキー。バターは幸村が瓶に入れた牛乳を振って振って振りまくって作りました。天板と書いてはありますが、実際作ったのはオーブンかな。竃に直接箱型の鉄板を入れてそれに天板が引っかかるように……。まぁこれは余談ですが。