「アキレスと亀」と「不動の矢」


両者の着目点と矛盾の原点

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作成日 2015/3/5

ゼノンのパラドックスである「アキレスと亀」と「不動の矢」は、その矛盾が根源的には同じであると考えがちだが、厳密に言うと実は違う。

「アキレスと亀」の方の矛盾は、点と点との間には間隔があって無限小の隙間がある。点が線分上に無限個どんなにどんなに並んでも必ず隙間があること。

「不動の矢」の方の矛盾は、点が無限個どんなにどんなに並んでも、それは線分にはならないこと。

どちらも同じ「点は線分にはならない」と言うのは共通しているが、着目しているのは「アキレスと亀」の方が、「点と点の間には必ず無限小の隙間がある」こと、 そして、一方「不動の矢」は、まさに「点が無限個たくさんたくさんどんなに並んでも、それは線分にはならない」ことそのものだ。

共通している部分もあるが、厳密に言うと両者はその着目点が違うのである。


仮に点が無限小の長さを有していたとしよう。そうすれば、点が無限個隣接して並べば線分になる。アキレスも亀に追いつくし、瞬間も無限小の幅を持ち矢も瞬間毎に 少しずつ動き「運動」の「連続」を構成することになる。すべてが万事うまくいき、すべて丸く収まる。だが待ってくれ、点とは厳密に正確にいうと体積面積はもちろん 長さも有しない。そうでなければ、点は線分になってしまう。一体、瞬間の無限小の連続って何?点とはつまり量を持たない。点とは無なのだ。いや点は位置を持っている だろうという人がいるかもしれない。じゃあ一体位置って何?もちろん点としての位置だろう。その位置には量がある?点にゴマ粒みたいにくっついている? 算数の教科書に載っている、点の図形、あれは面だ、厳密に正確にいうとあれは面なのである。いや、インクの厚さがあるから立体だ。あれは明らかに有だ。無ではない。 厳密に正確な点とは、長さを持たない無である。しかし、存在はする。有である。点とは有であり、無である。点そのものが矛盾しているのである。厳密に正確にいうと、 それが点である。だから点が無限個並んでも線分にはならない。したがって、アキレスは亀に追いつけないし、瞬間は連続にはならない。ゼノンのパラドックスの矛盾の 原点とは、この矛盾した概念である点によるものだったのである。「アキレスと亀」の場合はもろにそうだが、「不動の矢」の場合もうひとひねりある。 「不動の矢」の場合、その上に点がある「線分」つまり「連続」は無い。運動とは主観的とらえ方であり、位置も時間も軌跡も主観的作業である。 客観的外界には「動いている」物体が「ある」だけである。

このように考えていくと以下のことがいえる。

ゼノンのパラドックスである「アキレスと亀」と「不動の矢」は、主観的思考の世界における矛盾した概念である「点」を「原因」とした思考実験の不条理である。

つまり、主観的理屈の世界ではアキレスは亀に追いつけないし、一瞬一瞬矢は静止しているが、実際には、アキレスは亀に追いつき追い越し、 矢は動く(但し、位置も連続・連続性も無い)。




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