「その名の下に」〜白羽鳥〜その1





「ていやっ」
「きゃっ」

 板敷きの道場に幼い声が響く。
 道着姿の二人の少女が組み手を行っているのだ。
 今、一方の少女がもう一方の少女を投げたところである。

「あ〜ん、また負けちゃった。なんでお姉ちゃんには勝てないのかナ」
「だってあたしの方が年上だもの。まだまだ若いモンには負けられませんな」

 投げられて少し悔しそうな少女に投げを打った少女が少しおどけて答える。
 少女達の組み手はいつも紙一重で姉の少女の勝ちに終わっていた。
 その紙一重がなかなか越えられない。妹の少女ならずとも少なからず面白くないであろう。

「さ、今日のお稽古はこのへんにしよ」

 姉の差し出す手につかまって妹が立ち上がる。

「いつか絶対お姉ちゃんを投げちゃうからね」
「ふっふっふっ、あたしにスキがあればいつでもかかってらっしゃい」

 悔しさを隠しきれない妹に、まるで塚原卜伝かクルーゾー警部のような事を言う姉。
 こんなやりとりはあっても至極仲の良い二人はまるで双子のようによく似ていた。
 栗色の髪に少し切れ上がり加減のアーモンドのような形良い大きな目。将来はさぞかし美人になるであろうと近所でも評判の美貌であった。
 姉妹の名を藤枝あやめ、かえでという。
 幼いときから仲の良い姉妹でいつも一緒にいるものだから余計に似て見えるのかもしれない。姉が合気術の稽古を始めると妹もそれにならって稽古を始める。姉が異国の言葉を勉強し始めると妹も。
 それにしても、なぜそんな幼いときからそのような教育がなされるのか。それは彼女たちの生まれた家の特殊な事情による。
 藤枝の家は失われし裏御三家、藤堂の流れを汲む血筋であった。ただ傍系であるために「破邪の力」は受け継いではいない。その事実こそが藤堂が「絶えた」と言われる所以である。
 しかし魔と戦う宿命の方は彼女たちもまた受け継いでいるのだ。
 その宿命を神剣白羽鳥という。
 ただ、今は手元にその剣はない。いつの日か白羽鳥が必要となるときに「藤に連なる者」───すなわち藤堂の血を継ぐ者───の前に剣はその姿を現すという言い伝えが残るのみである。藤枝家の人々はその伝承を信じ、いつか姿を現すであろう剣を使いこなすことが出来るよう、代々剣や体術を磨いてきた。一方その間にも白羽鳥の探索は行われており、その過程で情報収集に必要な諸々の学問をもまた修めてきたのだ。
 そんなわけで姉妹は物心つく頃から英才教育を受けている。
 そして、そういった教育が始まる頃からこの幼い姉妹はそれぞれに個性を分かつようになってきた。天才肌で体術にしても語学にしても砂が水を吸うがごとくたちまちおのれのものにしてしまう姉のあやめと、能力自体は高いのだが姉に比べるといささか不器用でコツコツと反復を繰り返すことでおのれの技能を磨く妹のかえで。
 その素質は普段の立ち居振る舞いにも影響を与える。例えるなら、庭の池にあでやかに花を咲かせてみせる姉と人里離れた山にひっそりとしかし美しく紅葉する妹。
 もし二人が別々の時代に生きたなら、それぞれが継承者として立派に役目を果たしたことであろう。それほどの才能の持ち主が姉妹として生まれてきたのもまた宿命のなせる業であったのかもしれない。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 浅草寺に縁日が立った。
 あやめとかえではお小遣いを握りしめていそいそと出かける。
 射的、金魚すくい、猿回し。
 そういった出店を冷やかしていく。
 だが姉妹の目的はただ一つ、ふんわり甘い綿菓子であった。

「おじさん、綿アメ二つ!」
「おじさんはヒデえなあ。俺ぁまだ二十歳だぜ」

 苦笑いを浮かべた屋台の兄さんが割り箸を機械に差し入れてくるくると回す。動かすにつれアメが綿のようにまとわりついてくるのが面白くて姉妹は機械に貼り付くのだ。

「おらよっ、可愛い嬢ちゃん達だから特大のおまけだよっ!」
「「ありがとう!お兄さん!」」

 幼いときからしっかり者の姉妹であった。
 アメを手に少し歩くと二人は本堂の端に腰掛けて綿アメをなめ始めた。

「おいしいね、お姉ちゃん」
「ホント、おいしいわぁ。特に特大ってところが」
「もうお姉ちゃんったら、そんなことばっかり言ってるんだから」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


じじっ

 羽虫が灯火に飛び込んで焼けるときのような音が聞こえる。
 辺りに不審な様子はない。
 だがもし雷門の屋根辺りを「力」ある者が見れば青白い火花が飛んでいるのが見えたであろう。
 そう、それはこの世のものならぬ火花であった。
 この世の裂け目からしみ出る異界の力。
 何かがこの世に入り込もうとしていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「さっ、綿アメも食べたしそろそろ帰ろうか」
「うん、そうだね」

 足に勢いをつけてとすっと地面に降り立つ。
 やはり姉の方が遠くに降り立った。
 妹が並ぶのを待って二人は並んで歩き出す。

「あ〜あ、また負けちゃったよ」
「だって背の高さが違うんだもん、しょうがないわよ。あんたもすぐに大きくなるって」
「でも、その時はお姉ちゃんだって大きくなってるじゃない」
「う〜ん、それもそうね。でも大人になったら背は止まるからそのうち追いつくんじゃない?」
「そのうちじゃ、駄目なのぉっ!」
「あんたも負けず嫌いねぇ」
「そりゃ姉妹だもん」
「ぬっ!それって私が負けず嫌いってこと?」
「そうだよ。だってお姉ちゃんわざと負けてくれたこと一回もないじゃない」
「…そう言われてみればそうね」
「ねっ?やっぱし私たち似たもの姉妹なのよ」

 そう言って笑う妹につられて姉もけらけらと笑い出す。
 二人が雷門にさしかかったちょうどその時。

パンッ!

 何かが破裂するような音と共にうねうねと蠢く赤い炎のかたまりが現れた。
 よく見るとそれは子牛ほどもある大きな犬の形をしている。
 炎の中でひときわ明るく白く輝く瞳に青白い炎の呼気、まさに魔犬である。
 それはぶるっと身体を一震いさせるとその瞳を幼い姉妹に向けた。

(続く)



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