第48回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ
   〜ライプツィヒ1724年- II 〜  


2001/ 5/26  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション  2001/ 5/19 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第145回松蔭チャペルコンサート)


J.S.バッハ/ 「オルガン小曲集」より
           《キリストは死の縄目につながれたり》BWV625 *コラール唱付き
           《キリストは甦りたまえり》BWV627 *コラール唱付き(1〜3節)
           《栄光の日が現れた》BWV629
           《今日 神の子は勝利の凱旋をなしたもう》BWV630 *パイプオルガン独奏 :今井奈緒子

J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1724年のカンタータ 2 〜復活節のカンタータ〜〕
          《喜べ、心よ。退け、痛みよ》 BWV66
          《おのがイエスの生きたもう、と知る心は》 BWV134
          《イエス・キリストを脳裡にとどめよ》 BWV67

          *カンタータの曲名をクリックしていただくと、詳しいデータにジャンプします! 


指揮&チェンバロ鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノ :懸田 奈緒子、鈴木 美紀子、緋田 芳江、星川 美保子 ※「オルガン小曲集」のコラール唱も担当
  アルト  :ロビン・ブレイズ*、青木 洋也、鈴木 環、田村 由貴絵
  テノール櫻田 亮*、谷口 洋介、原田 博之、[水越 啓(神戸公演)]
  バス   :ペーター・コーイ*、浦野 智行(BWV66、1曲目solo)、大井 哲也、緋田 吉也

オーケストラ
  トランペット(BWV66)&コルノ・ダ・ティラルジ(BWV67):島田 俊雄
  フラウト・トラヴェルソ(BWV67):前田 りり子  オーボエ:三宮 正満(I)、尾崎 温子(II)
  ヴァイオリン I :若松 夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋 祐子
  ヴァイオリンII :高田 あずみ、荒木 優子、小田 瑠奈  ヴィオラ:森田 芳子、渡部 安見子
 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木 秀美、山廣 美芽  コントラバス:西澤 誠治  ファゴット:堂阪清高、
  チェンバロ:大塚 直哉  オルガン:今井奈緒子


《1724年 復活節のカンタータ》
 
  カンタータ第67番『死人の中より甦りし イエス・キリストを覚えよ』は、バッハのカンタータの中でも最も印象的に始まる作品のひとつです。イ長調の柔らかい響き、バスの順次進行が作り出す穏やかな緊張、そして不可思議なラッパの音が響くや否や、「あ、これはどこかで聞いた旋律!」と思われるに違いありません。マタイ受難曲の冒頭で聞かれ、第58曲dの群衆の叫びにも隠されていた受難のコラール「おお汚れなき神の小羊」が、復活とともにここで高らかに再現されているのです。そう、まさしく受難曲は復活へと繋がってこそ、無残な悲劇も音楽たりえたのです。
 復活の喜びは、第66番『喜べ、汝らもろ人の心よ』ではもっと直接的な形で現れます。そこでは、あたかも《クリスマス・オラトリオ》を思わせるヴァイオリンの32分音符がありえないほどの高さに駆け上り、トランペットが復活を告げるのです。人はしかし、いつも喜びだけに満たされているわけではありません。恐れと希望の間を漂う心。これが人間の現実に違いないのです。ここでは、怖れがアルトに、希望はテノールに託されて、揺れ動く心の脆さが露呈されます。しかし、この第66番に続いて演奏された第134番『イエス生きたもうと知る心は』では、怖れに満ちたアルトも、ついに神への信頼と愛を確信し、もはや揺れ動くことはありません。
 復活はただ一度のできごとでしたが、バッハも、またそれに続く私達も、毎年その喜びを心から歌いたいものです。この世にはそれほど邪悪と憂いが満ち満ちているからです。バッハの中に千変万化の形で表される喜びは、私達を年毎に新しくするために用意された、最上の贈り物ではないでしょうか。

鈴木雅明 (バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)

(01/05/20:チラシ掲載文より転載)


BACH Collegium JAPAN
第48回定期演奏会

巻頭言

 皆様ようこそおいで下さいました。
 バッハの演奏に不可欠な新バッハ全集を刊行しているゲッティンゲンのバッハ研究所が、今年創立50周年を迎えました。私は残念ながら一連の記念行事などに参加できませんでしたが、アンドレス・シュタイアーが記念演奏をした、と聞きました。このバッハ研究所を中心とするバッハ研究は、ここ数十年の間に飛躍的な進展を遂げ、膨大な量の文献が日々出版され続けています。「バッハ研究」あるいは「バッハ学」というべきこの分野は、時として演奏よりも刺激的であり、バッハの深奥に近づく貴重な材料を提供してくれています。
 私はもちろん研究者ではありませんが、演奏への準備のためだけでなく、純粋にバッハの音楽についてより深く知りたいと思う思いは、一層強くなるばかりです。そして、作品について、作曲者について、またその背景について、と興味を広げ、様々な本を読むうちに先人たちの画期的な研究に出会い、それによって演奏のヒントが得られたことも決して少なくありません。また必ずしも演奏の方法論に直結しなくとも、その作品への愛着と理解が増すことは、結果として演奏の質を左右することに繋がっていることは、言うまでもないでしょう。
 さて、このような経験から、BCJを通してバッハを楽しんでくださる方々を、さらに奥深いところへお連れするため、私たちは、「BCJ叢書」(仮称)というべき一連の出版を開始することにいたしました。これは、東京書籍のご協力で可能になるものです。私たちが今までに出会った本の中から、本当に印象深かったものや意義の大きいものを選んで紹介し、今初めてバッハを聴かれる方にも、既に十分味わっていらっしゃる方にも、共々に知的な楽しみがますます増えるよう計画していきたい、と考えています。ただ、これは決してバッハ学を万遍なく知るための総攬的なシリーズではなく、バッハ研究が如何に刺激的であるか、演奏を聴くだけではなくバッハは読んでもおもしろい、要は、「煮ても焼いても、バッハは旨い」ことをご理解頂くためのものなのです。
 さて今回、そのような展望のもとに、このプログラム冊子上に二つの連載を始めました。この叢書でご紹介するべき著作の翻訳を連載の形でご覧頂き、後でまとめる方法をとりたいと考えているのです。
 一つは、ローレンス・ドレイファスの『バッハのコンティヌオ・グループ』(後藤菜穂子訳)、もう一つはエリック・チェイフの『バッハの声楽作品における音楽のアレゴリー』(藤原一弘訳)です。それぞれの翻訳には、誠にその内容にふさわしい方々がご協力下さることになり、感謝しております。これらは、非常に広範囲にわたる研究分野の中から、全く対照的な二つを選んだものです。一つは、具体的な演奏方法に直結したもの、もう一つは作品に奥深く分け入ってその象徴的な意味を探ろうとするものです。
 「バッハ・コンティヌオ・グループ」とは? バロック時代のアンサンブルでは、旋律楽器とは違って、低音群はいつもコンティヌオと呼ばれて、ひとまとめにされます。このコンティヌオは、演奏の鍵を握る非常に重要な要素ではありますが、バッハのカンタータでは通常楽器の指定がなく、ただ“Continuo”とのみ書かれているのです。そのため、チェロやコントラバス共に、教会音楽ではオルガン、世俗曲ではチェンバロ、を用いるのが、19世紀以来長い間の慣習となってきました。ドレイファスの著作は、このようなコンティヌオのあり方に大きな疑問を投げかけたセンセーショナルな文献なのです。私も制作ノートでしばしば引用してきましたが、特にチェンバロとオルガンの問題、コントラバスは果たして今日のように1オクターブ下で響いたか、ファゴットとバスーンって同じ楽器なの?、などなど、私たちの演奏の基本に直結する問題を、現存するコンティヌオのオリジナル・パート譜の資料を基に研究した画期的な労作です。
 さて、もう一つはチェイフの著作です。つい先日、私はアメリカ・バッハ協会会長のロビン・リーヴァー氏に出会う機会がありましたが、彼曰く「エリック・チェイフは真の閃きをもった数少ない学者」と賛辞を惜しみませんでした。チェイフは、バッハの声楽作品を主に「調性」という観点から分析し、その調性構造にアレゴリカルな(寓意的)意味を発見して、作品の本質に迫ろうとするのです。そこには、もちろんルター派信仰の視点が基本にあります。バッハの作品理解には、ルター自身とバッハ当時のルター派神学者たちの神学及び聖書釈義が不可欠な視点であることは、言うまでもありません。
 例えば、チェイフはこの本の中で、今日演奏するカンタータ第134番《おのがイエスの生きたもう、と知る心は》についても、興味深い記述をしています。このカンタータはホーフマン氏の解説にあるように、アンハルト=ケーテン侯レオポルドのための祝賀カンタータを1724年にパロディしたものですが、その際、レチタティーヴォ部分もその音楽は祝賀カンタータのままでしたから、恐らく新たな歌詞との相性にどうしても不満が残ったのでしょう。バッハは後年の再演に際して、3曲目のレチタティーヴォを、歌詞は変えずに音楽のみをすっかり書き改めてしまいます。その時、興味深いことに、単に言葉の表情にあわせて新たな音型があてはめられたばかりではなく、曲の途中の調性が変更されているのです。チェイフによると、例えば第3曲の最後で「敵の数は測り知れない」「最後の敵は墓と死だ」などと不安な要素を語るテノールは、より深いフラット系の短調へ向かい、そして「神は忠実なる魂を守り」「私たちの苦難の終わりとされます」と希望を語るアルトは、そこからの脱出を図って、第4曲目の明るいデュエットへつなぎます。さらに第5曲目でも より深いフラット系へ傾こうとするテノールを制して、アルトの語る希望と讃美がフラットを減らし、結局元の変ロ長調の高らかな讃美の終曲に導くのです。このような象徴的な調性構造は、多くのカンタータに姿を変えて現れ、さらに、ヨハネ受難曲やマタイ受難曲における見事な調構造とシンメトリックな構成へと続きます。
 チェイフの考察は、調性のことに限らず、様々な音型の概念、テクストと楽器法の意味等々、多岐にわたり、音楽学と神学とを統合させた、「音楽神学 Musico-theology」という分野に属するものと言えるでしょう。この大部な著作をすべて翻訳するには数年を要するとは思いますが、その意味は決して小さくありません。
 バッハの音楽は、数知れない人々をその研究に駆り立ててきました。しかしその音楽はさらに、研究を思索へ、思索を瞑想へと導きます。バッハにとって、音楽を書き演奏することは、それがどんなに慌しい中で行われたとしても、深い瞑想的な作業だったのでしょう。神が彼のみに許された、そんな特別な音楽プロセスのほんの一隅でも共感することができれば、と思うばかりです。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
 

(01/05/28:プログラム冊子より転載)


【コメント】
 

VIVA! BCJに戻る

これまでの演奏会記録に戻る