2001/ 9/29 19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション 2001/ 9/22 16:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第149回松蔭チャペルコンサート)
J.S.バッハ/ 幻想曲《来れ、主なる神よ》 BWV651
コラール編曲《来れ、主なる神よ》 BWV652 *パイプオルガン独奏
:今井奈緒子
指揮:鈴木雅明
コーラス(*=独唱[コンチェルティスト])
ソプラノ :野々下由香里*、緋田 芳江、懸田 奈緒子、星川
美保子
アルト :波多野睦美*、青木洋也、上杉 清仁、鈴木 環
テノール:ゲルト・テュルク*、鈴木 准、谷口 洋介、水越
啓
バス :ペーター・コーイ*、大井 哲也、小笠原美敬、緋田
吉也
オーケストラ
トランペット:島田 俊雄(l)、村田 綾子(ll) ティンパニ:堀尾
尚男
フラウト・トラヴェルソ:前田 りり子(l)、菊地 香苗(ll) オーボエ:三宮
正満(l)、尾崎 温子(ll)
ヴァイオリン l :若松 夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋
祐子
ヴァイオリン II:高田 あずみ、荒木 優子、戸田 薫
ヴィオラ:森田 芳子、渡部 安見子
〔通奏低音〕
チェロ:鈴木 秀美 コントラバス:桜井 茂 ファゴット:村上
由紀子
オルガン:今井奈緒子 チェンバロ:大塚直哉
リハーサル風景 (写真提供:BCJ事務局) | ||
《1724年 聖霊降臨節のカンタータ》
1992年に始まったバッハ・コレギウム・ジャパンの定期演奏会が、ようやく第50回に達しました。年に5〜6回の遅々たる歩みですので、「え、まだ50回?」と思われるかもしれません。この定期演奏会に、聖霊降臨節(ペンテコステ)の作品を演奏することになろうとは、全く予期せぬことでした。実は「ペンテコステ」とはギリシャ語の50番目という言葉に由来し、ユダヤ教の「50日祭(七週の祭)」を表したのです。新約聖書の使徒行伝によれば、この大事な祭の日に、キリスト教徒たちに激しい大音声とともに聖霊が降り、人々は霊に満たされて様々な言葉で語り始めたのでした。
このペンテコステの祝日は、18世紀のルター派教会にとっても三日間連続して祝われるほどに重要なものでした。が、バッハはライプツィヒの音楽監督としての初めてのペンテコステに、何と軽やかな、楽しげな音楽を提供したことでしょうか。それもそのはず、第173番『高く挙げられし血肉よ』も第184番『待ち焦がれし喜びの光』も、元はケーテン時代の世俗カンタータだったのです。
前半に演奏するペンテコステ直前のカンタータ第44番『人々汝らを除名すべし』はややいかめしく厳しい表情を持っているものの、後半では、フラウト・トラヴェルソがオーケストラに華を添え、舞曲のリズムに乗った賛美の宴が晴れやかに繰り広げられるのです。さあ、皆さん、ご一緒に!
(01/08/08:チラシより転載)
第50回定期演奏会 巻頭言
皆様、夏はいかがお過ごしでいらっしゃいましたか?
私は、再びヨーロッパのオルガンの音を浴びて復活してまいりました。今年も、スウェーデンやオランダでオルガンをたっぷりと弾いた後、8月最後の10日間には、去年に引き続いてハラルド・フォーゲルと共にオルガンツアーを致しました。今年はライプツィヒから始まったので、あたかもバッハの人生を逆に辿るような旅でした。いずれ劣らぬすばらしいオルガンについてはここには書ききれませんが、昨年の秋に演奏したカンタータ第194番『こよなく待ち望まれし喜びの宴』
Hoechsterwuenschtes Freudenfestが初演されたシュテルムタルの教会は、ことのほか印象的でした。第2次世界大戦前後には、泥炭採掘のためにあやうく村全体が消失してしまうかもしれない、という危機を奇跡的に乗り越え、今日まで残されたその教会は、村の片隅に立つ本当に小さな建物でした。そのバルコニーもそこに備え付けられた椅子も18世紀以来そのままなので、バッハが実際そこでどのように演奏したかがまざまざと想像できるのです。
祭壇の反対側の端、バルコニー上の西端に建てられた1段鍵盤の小さなオルガンは、その小ささにも関わらず、驚くばかりに多彩で強烈な楽器でしたが、そのオルガンを背をにして、バルコニーが丸く客席の方に張り出して指揮者の位置が定められているのです。バッハは、恐らくその位置からバルコニー上に並んだ演奏家たちを指揮したのでしょう。ここに来てみて、なぜこの晴れやかな祝典用カンタータにトランペットもティンパニも使われていないかがわかりました。それは、どこにもそのための場所がないからに他なりません。それどころか、弦楽器奏者も恐らく数人、歌い手も各パートひとりであったことでしょう。
バッハの足跡を辿ることは、単にトゥーリストとしての感慨だけでなく、実際に正しく修復された教会堂やオルガンが残っている場合には、その響きを確かめ、場所を確かめることが可能です。そのような作業を繰り返すことによって、今、遠く離れた極東でバッハを演奏する時にも、元のアイディアがどのようであったかを知り、それをより適切に翻訳することが可能になるでしょう。そのような歴史が、至るところで現代の価値観によって損なわれようとしています。もちろんの歴史への評価はそれ自体がまたひとつの歴史を形成することは、歴史教科書の問題を持ち出すまでもなく当然のことです。それだけに、我々がバッハをどのように評価し、その音楽にどのような価値を見出すか、ということは、単に音楽上の趣味の問題を越えて、重要な意味を持ちます。このように言うのは、実は今年の夏のオルガニストの話題が、ドレスデンの聖母教会のことで持ちきりだったからです。
ドレスデンの聖母教会と言えば、その華麗なるジルバーマン・オルガンがバッハ自身によってお披露目をされ、彼がその後何度もリサイタルを開いた重要な場所ですが、残念ながら戦争で破壊されてしまいました。しかし、数年前からその教会堂の再建計画が具体化し、今ようやくオルガンの再建へと事態が進展してきたのです。アルンシュタットやナウムブルクなど、バッハが直接演奏したところでは、多くの資料を基にバッハ時代のオルガン再建がようやく実ったのですが、それらに比べて、都市としての意味、楽器の規模など歴史的音楽的にあらゆる観点からドレスデンのオルガンは遥かに重要であり、ここにこそ、真のバッハオルガンが再建されなければならないことは、火を見るよりあきらかです。
ところが、この教会再建とオルガン再建はある著名なトランペット奏者によって導かれてきており、委員会にはオルガン専門家がひとりも入っていません。そして、すべてこの現代的な奏者の主導によって、ジルバーマン風のファサード(正面)の裏に、まったく歴史的なオルガン建造を無視した、ジルバーマンには無関係なモダンなオルガンを建て、電気仕掛けの演奏台までを備える決定が下されたのです。そこで、ハーヴァード大学のクリストフ・ヴォルフ、ノーベル賞学者のギュンター・ブローベルが中心となって世界的な反対キャンペーンが張られ、グスタフ・レオンハルト、ニコラウス・ハルノンクール、ハラルド・フォーゲル、ダニエル・ロート、L.F.タリアヴィーニ他、筆者も含めて11人の演奏家が名を連ねて、9月1日にドレスデンの新聞に反対広告を出しました。しかし当局はいち早く結論を導こうとしており、予断を許しません。
これは単に音楽の趣味の問題ではなく、ジルバーマンのオルガンを文化財としてどのように次代に伝えるか、という、演奏以前の歴史観の問題です。音楽は、もちろん演奏を通してのみ存在しているものですが、私たちの演奏する時の響きの結果を、単なる個人的な趣味と個性の結実と見ると、恐ろしく恣意的な音楽観を生み出し、このトランペット奏者のような判断が生まれてくるでしょう。しかしそこに個人を超越した歴史の必然性を見、演奏をそのような超越的な存在に対する奉仕として捉えた時、演奏家は自らへりくだり、音楽をより客観化して捉えることができるのです。そしてこれこそが、古楽器を見直すムーヴメントの本来の動機に他なりませんでした。
大いなる時間の流れの中に位置する自分を見るとき、自分が如何に矮小で取るに足らない存在であるかを思わざるを得ません。そこに大いなる神の御手を感ずるのは私だけではないでしょう。ノイマイスターが書いたように、本来『人は塵芥に過ぎず、虚しさの餌食となる。その労苦と勤労も所詮悲しき遊戯、すべては悲惨をめざすのみ』(第50番第2曲)なのです。その人の業が、何らかの意味を持つのは、『父なる神と聖霊が共に私たちの心を訪れたもう』(同上)からに他なりません。
私たちバッハ・コレギウム・ジャパンも、またそのような時間の中でわずかな歴史を築きつつあります。定期演奏会50回というのは、カンタータの道のりがまだ長いとは言え、わずかながら感慨を覚えざるを得ません。皆様のご支援に心より感謝申しあげます。
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