BCJクリスマス・コンサート2001(1)
J.S.バッハ/クリスマス・オラトリオ(全曲)
2001/12/13 東京オペラシティ コンサートホール 18:30
2001/12/14 横浜:神奈川県立音楽堂 18:45
*同一プロダクション・・・12/15 第148回松蔭チャペルコンサート:神戸松蔭女子学院大学チャペル
15:00
J.S.バッハ/クリスマス・オラトリオ BWV248 全曲(I部〜VI部)
指揮:鈴木雅明
独唱:野々下由香里(S)、ロビン・ブレイズ(CT)、ヤン・コボウ(T/福音史家)、ステファン・マクラウド(B)
合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン (全出演者リストはこちらです。)
クリスマスコンサート2001 巻頭言
もうすぐクリスマス。クリスマスと言えば、サンタクロースです。私がかつて留学していたオランダでは、サンタクロースは、12月25日ではなく、12月5日に"ズワルト・ピート"(黒んぼピート)という手下を連れて、北極ではなくスペインからやって来るのです。ずいぶん現実的なサンタですが、これは恐らくかつてオランダがスペイン領であったことと何か関係しているに違いありません。このサンタクロース("聖ニクラース"と言います)も、子供たちにプレゼントを配って歩くのですが、果たしてクリスマスにプレンゼントを贈るのは、やはり『天からの贈物』を象徴しているからでしょうか。
『天からの贈物』とは、もちろん御子イエス・キリストに他なりません。まぶねのイエスは、今こそ輝き出た「美しき朝の光
schoenes Morgenlicht」(第12曲)なのです。しかし、この輝かしい御子がこの世に生まれたのは、何を隠そう、実は私達の暗い罪によって殺されるためであったとは、誰が知り得たでしょう。あたかもこのことを象徴するかのように、キリスト教の教会暦はクリスマスと受難週をまっすぐに結んでいるのです。
バッハ当時のルター派では、12月25日から1月6日の顕現節までを、一括して「クリスマス」として祝うことになっていました。そして1月6日の後3週間を経ると、ただちに受難週を待つ期間に入り、1年のうちでも最も沈鬱な瞑想の期間に突入するのです。このように華やかなクリスマスと受難週、即ち十字架が感覚的に直結していることは、決して偶然ではありません。
果たして《クリスマスオラトリオ》の構造を知れば知るほど、クリスマスと十字架の関係について、考えさせられるばかりです。第1部の弾けるような喜びのニ長調、そしてその下属調で牧歌的なト長調の第2部を経て、再びクリスマスの公的調性とも言えるニ長調に戻って前半が終わります。ここまでで、事実上クリスマスのお話はすべて網羅され、ルカ:2.1〜14が全部組みこまれています。下属調へ下がることは、地上へ来られる救い主のへりくだりの表れとも受け取れ、第3部では舞い上がる様にしてシャープが増え、嬰ヘ短調のコラールまで登場してからニ長調にもどります。
さて、後半の冒頭は、一転してヘ長調の第4部。これは本来新年用カンタータではありますが、事実上、新年のことには全く触れず、詩人は、十字架の「死」によって「死」を滅ぼしたイエスに思いを馳せ、だからこそ自分自身の死においても最大の慰めとなる「イエスの御名」を徹頭徹尾、慕い続けるのです。本来なら、パストラーレに表れるような牧歌的ヘ長調が、ここでは、あきらかに十字架との関係で選ばれています。思えば、マタイ受難曲の中でも、ひときわ高く歌われる『血潮したたる主の御頭』(第54曲)がヘ長調で終止し、その後ヴィオラ・ダ・ガンバのアルペジオで伴奏するバスのアリオーソ(第56曲)がヘ長調で肉と血の凄惨な美しさを湛え、その後『来れ、甘き十字架』が荘重に平行調のニ短調で歌われるのでした。しかも、このクリスマスオラトリオ第4部では、中心に置かれた無垢なハ長調のエコーつきアリアをレチタティーヴォとコラールが取り囲むシンメトリックな構造を持っています。このような構造は、ギリシャ語のカイの文字になぞらえて「カイアスティック」な構造と呼ばれ、十字架の象徴として非常に古くから用いられてきたものです。
第5部では、東方の三博士が、「新しく生まれたユダヤ人の王」を探して登場します。罪にまみれた人として最もへりくだった十字架上の姿をフラットで表現するなら、権威に満ちた『王』としての存在は、シャープ系で表されるのが当然でしょう。ですから、ここでは一転してイ長調から嬰ヘ短調、嬰ハ長調にまで及び、再びイ長調に戻って終わります。
さて第6部では、冒頭の華麗なるニ長調に戻ってきます。これが演奏された顕現節(1月6日)は、東方の三博士を記念すべき日ですが、この作品は、わずかに三博士について言及はしているものの、事実上猛り狂う敵(すなわち罪と死)に対する勝利宣言にほかなりません。しかも、その高らかな勝利の言葉が終曲(第64曲)において、受難のコラール『血潮したたる主の御頭』の旋律に乗せて歌われるのを聴くとき、「クリスマスと十字架とは一体である」という強烈なメッセージが、私達の脳裡を貫くのです。
クリスマスのシンボル、まぶねに横たわる御子イエスは、十字架のために生まれられた「真の人にして神」。このいたいけな幼子こそ、「大いなる主、強き王Grosser
Herr, o starker Koenig」(第8曲)だからこそ、私たちは、クリスマスを本当に喜ぶことができるのです。
さあ、ご一緒に……
喜べ、声を上げよ、その日々を称えよ、
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
(01/12/24公演プログラムより転載[提供:BCJ事務局]) |
- 【コメント】
- 「フォーラム」に2件のご感想をいただきました(246、247)。私のコメントもそちらに書かせていただきましたのでご参照ください。「フォーラム」の250《クリスマスのごちそうをボナペティ!
》、251《松蔭クリスマスオラトリオ演奏後のパーティのレポート》もこのコンサートに関するお便りです。是非お目通しください。
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(02/02/12)
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