BCJフォーラム(13) ['01/09/26〜]


ご意見・ご感想のコーナー
BCJファンの皆様からお寄せいただいたご意見やご感想などを集めてみました。内容をできる限りBCJのみなさんにもお伝えして、お返事などを頂けましたらあわせてこのコーナーでご紹介していきたいと思っています。是非こちら[makoto-y@mxi.mesh.ne.jp](または[ニフティID:DZE01555])までご意見等をお寄せ下さい。特に投稿フォームは設けませんが、お送りいただいたメールの内容をこのコーナーで紹介させていただこうと考えておりますので、掲載をご希望されない場合は、その旨お書き添えいただけますようお願いいたします。(ご意見・ご感想No.238〜)

*ご意見・ご感想の中の太字表記は、当ホーム・ページの制作者によるものです。

251 《松蔭クリスマスオラトリオ演奏後のパーティのレポート》

 矢口様 はじめまして。神戸松蔭へ弥次喜多道中ばりに出かけている九州の美登里&美子のひとり、伊藤美子です。クリオラの後の懇親会の様子をレポートして矢口さんに送ると美登里さんが張り切っていたのですが、未だその時間がとれず、しかもVIVA BCJに誰からもレポートが送られてないので美子さん何でもいいから報告してよと昨日頼まれてしまいました。遅ればせのレポートですが、印象に残ったことを記してみたいと思います。
 「クリスマス オラトリオ」の演奏が如何に素晴らしかったかは松田さんのレポートのとうり。松蔭のチャペルは本当に独特の空間と時間を醸し出す特別な場所なのだと思います。クリスチャンではない、ただの音楽好きの私ですが、あのチャペルでBCJの演奏に接する度、隣で時に涙する美登里さんを(彼女は敬虔なクリスチャンです)見るにつけ、音楽の持つ力の大きさに心打たれ、しかも、天から降ってくる響きの奥深さはあの空間だからこそ享受できる幸せなのだと感謝しています。今回は最前列の左端に座っていたのですが、演奏の合間に島田さんが「寒くないですか」と、声をかけて下さったりして、これも演奏者とオーディエンスが間近な松蔭ならではのことだと美登里さんと顔を見合わせていました。
 さて、松蔭名物?演奏会の後の懇親会ですが、クリスマスパーティを兼ねた今回は、神戸近在の後援会のメンバーのご尽力で素敵な会になりました。
 鈴木雅明先生からの演奏者一人一人の紹介。次に今回初めて演奏に参加されたプレイヤーについてのプロフィール紹介。ティンパニーのファン・デル・ファルクさんがジャズ演奏者でもあるということをお聞きして、ス・テ・キと感じたのは私だけでないはず・・・。マクラウドさんへインタビュウ、すると「マサアキスマイル」という言葉が会場の皆の耳に飛び込んできました。雅明先生が訳するというよりもその「マサアキスマイル」の説明を、彼がひっかかるところがあって、そこのところでおいおいという気持ちが「スマイル」になっていたらしいのですが、今日は上手くクリアーしたので思わずやっぱり微笑んでしまったご様子。なんだかとても家庭的な雰囲気が伝わってくるエピソードでした。
 いつも、雅明先生にお話の時間をお任せして、ゆっくり食べ物を召し上がるお時間もない状態ですので、今回は後援会メンバーで司会もたてたのですが、なんといっても短い1時間半という時間しかなかったものですから、BCJをささえる演奏者の皆さんお一人お一人にお話をお伺いすることは出来ず残念でした。それでも、ソリストのロビンさんやコボウさん、野々下さんにはマイクをお向けするチャンスは得られ、「松蔭グッド」のお言葉に神戸公演後援会のメンバーも幸せ気分を満喫させていただきました。野々下さんは、コーイさんやテュルクさんという重鎮たちとの共演とは一味違う、お姉さん気分で若い力に合わせて歌うことが出来て楽しかったご様子。
 東京からツアーを組んで聴きにいらっしゃていた、加藤先生のご紹介を鈴木先生がなさったのですが、「是非、世俗カンタータも」と仰有る加藤先生のお言葉、「聴きたい、聴きたい」と思っている人、結構多いのではないでしょうか。
 ソプラノの緋田さんから「三会場全部の演奏会を聴かれた方が参加されていらっしゃるので、是非、感想をお聞きして欲しい」という耳打ちがありまして、田中さんにマイクをお向けしたのですが、とてもシャイな方で、松蔭での演奏が一番素晴らしかったというコメントしかいただけませんでした。でも、この松蔭のチャペルで聴くことを最大の至福の時と思っている後援会メンバーにとってはとても喜ばしいお言葉でした。
 いつも素晴らしい演奏を聴かせていただいているBCJのメンバーへの感謝の気持ちとして、心ばかりの記念品を、後援会員のお一人でいらっしゃる浜松からおみえの鈴木晶子さんのお嬢さんの菜摘ちゃんから、雅明先生に手渡していただきました。
 「我が愛するBCJ」と神戸公演後援会のお世話をなさっているメンバーの方はよく口になさいます。演奏会の度、九州から出かけていく我々を優しく迎えてくださる後援会メンバーの存在はどれほど心強く、演奏者ばかりでなく、単なる聴衆にすぎない自分たちもまたBCJを支える一員であることを再認識させていただけるきっかけになていることでしょう。
 心洗われる演奏をお聴きした後、その演奏者メンバーと親しくお話をする時間までいただくことが出来る、神戸公演後援会に加入してくださる方をお待ちしています。   

(伊藤美子様) (02/01/20)
 伊藤さん、こんにちは。松蔭におうかがいしたときには色々楽しいお話をさせていただきありがとうございました。今回は私はおうかがいできなかった2001年のクリスマスコンサート&パーティのご報告、ありがとうございます!お便りをいただいてからご紹介まで大変時間がかかってしまったこと、お許しください。
 さあ、本日は「天から降ってくる響き」の松蔭チャペルにBCJのカンタータが響く日。その何ものにもかえがたい響きを存分にお楽しみ下さい。そして今回も終演後の懇親会が開かれるとのことですので、またレポートいただけるとうれしいです。今回、また私はうかがえないもので・・・。2002年度は是非また何回か松蔭参りをしたいと思っています!!
(矢口) (02/02/11)

250 《クリスマスのごちそうをボナペティ! 》

 鈴木雅明さん率いるBach Collegium Japanの第151回チャペルコンサートクリスマスコンサートを聴きに,3ヶ月ぶりに神戸松蔭女子大学チャペルに行きました(12月15日(土) 15.00-18.10頃)。
 木枯らしのような風が吹くとても冷たい日でしたが,多くの方が並んでおられました。見るともなしにチケットを見ていると,チケットぴあで買われたような方がずいぶん目に留まり,人気の高さを感じました。

 プログラムは《クリスマス・オラトリオ》全6部という,一度に聞く機会はそうそうあるものではありません (オランダで聴いたコープマンは前半の3部だけでしたし,ブリュッヘンは全6部を2日に分けていました)。
 今回はレコーディングがなかったので,舞台周りはすっきりとしていました。

 オーケストラの配置は,指揮者のところに雅明さんが弾かれるオルガンがある他に,上手側に今井さんが弾かれるオルガンと大塚さんが弾かれるチェンバロがあるのはほぼ通常通りでした。その他,前半(第1部から第3部)と後半(第4部から第6部)で異なっていましたが,前半は下手にトランペット3人とティンパニ,上手にトラヴェルソ2人とオーボエ・ダ・カッチャ2人の席があり,満杯という様相でした。コントラバスは今回も4弦が低いDに調律されていました (パーティの時に桜井さんにお話を伺うことができ,東京では5弦バスを使っていたのではなくて,6弦ヴィオローネで弦を1本外しておられたとのことでした)。
 合唱は4人ずつの他,コンチェルティストはその前に席が設けられて,歌う時にはその前の台に上って歌っていました。合唱やコラールの時にも,ブレイズさんやコボウさんが一緒に歌っていました。合唱の人が手にしている楽譜を見ていると,多くの人がベーレンライターのスコアか音楽之友社のスコアを持ち,ヴォーカル・スコアを持っている人は数人のようでした。ブレイズさんはヴォーカル・スコアを持っていましたが,ボロボロでした。

 プログラムは1000円で,いつものホフマン氏のプログラム・ノート,林望先生の連載,ドレイファスの翻訳の他,イタリア公演の様子,そして何といっても雅明さん自身による歌詞の対訳が貴重で,対訳そのものもそうですが小見出しが内容の大まかな把握のために有益です (誤植を発見:p.17, 21 1934→1734,p.29 Recitativoの7行目 mus→muss) 。

 巻頭言では,クリスマスであるにもかかわらず十字架についての言及の多さが目を引きました。
「この輝かしい御子がこの世に生まれたのは,何を隠そう,実は私たちの暗い罪によって殺されるためであったとは,誰が知り得たでしょう。あたかもこのことを象徴するかのように,キリスト教の教会暦はクリスマスと受難週を真っ直ぐに結んでいるのです。」
「[...]ヘ長調の第4部[...]事実上,新年のことには全く触れず,詩人は,十字架上の「死」によって「死」を滅ぼしたイエスに思いを馳せ,だからこそ自分自身の死においても最大の慰めとなる「イエスの御名」を徹頭徹尾,慕い続けるのです。本来なら,パストラーレに表れるような牧歌的ヘ長調が,ここでは,あきらかに十字架との関係で結ばれています。」

 確かに,イエス・キリストは十字架にかかるために生まれてこられた,ということを思うときに,うなずけます。クリスマスだからこそ十字架がより鮮明に浮かび上がることを思いました。

 巻頭言の中で触れられている「カイアスティック」な構造ですが,これは旧約聖書のヘブライ語には非常に頻繁に現れ,「キアスムス」と呼ばれたりします。一般的には詩篇のような詩文によく見られますが,創世記(例えば1:5の光と闇の命名)のような一般に散文とされる物語文でも現れます (これがキリストの十字架と関連するかどうかは別の問題ですが)。


 印象的なティンパニで始まる第1部〈喜べ,声を上げよ,その日々を称えよ〉。今回ティンパニは18世紀オーケストラのティンパニストであるファン・デル・ファルク氏が担当され,強弱の付け方がとても印象的でした。オーケストラの前奏の後に合唱が入って,"jauchzet!"のソプラノの高いAが松蔭のチャペルに響き渡り,《クリスマス・オラトリオ》の世界に一気に引き入れられました。
 その後の福音史家の 2.レチタティーヴォになってしばらくしてから,秀美さんが指揮者が見えにくかったのでしょうか,トラヴェルソに移動をお願いしていました。
 M.ルターの 7.コラール(ソプラノ)[+レチタティーヴォ(バス)]ではコンティヌオの中でチェロがアクセント的に強調。そしてソプラノ合唱の静謐さ。最後のオーボエの強さ。
 トランペット・ソロが輝かしい 8.バスのアリアではマクラウドさんが高音のEの部分でちょっとひっくり返っておられましたが,ダカーポで装飾を交えて。ブレイズさんが楽しそうに見ていました。


 シチリアーノの牧歌的な 10.シンフォニアで始まる第2部〈その地方で羊飼いたちが〉。オーボエの真ん前で聞けたので,オーボエ・ダモーレとオーボエ・ダ・カッチャの典雅な音色と旋律の受け渡しや対位法の妙を堪能できました。よく出てくるFとEのぶつかり合いも効果的。このシンフォニアではチェンバロが抜けたこともあり,柔らかさと静の表現がとても印象的。また縦の線のよく揃っていたこと。
 11.福音史家のレチタティーヴォではチェロが他のコンティヌオ群とは違ってところどころ延ばすところや,全体として後半の間の表現。
 J.リストの12.コラール「放て,麗しき朝の光よ」は生き生き。最後の「その上サタンを打ち伏せ,/終の平安をもたらされる,と」がチェロのスタッカートでより強く表現。
 天使の御告げを示す13.福音史家とソプラノのアリアでは,高いソプラノが少し辛そう。
 14.バスのアリアでは「神がアブラハムに約束されたことが成就した」というところでチェロが延ばす。他でもそうですが,旧約の表現はやはり区別しているようです。
 15.テノールのアリアでは,中間の細かな"labet"でコボウさんも素晴らしく,オブリガートの菅さんのフルートも素敵。
 18.バスのレチタティーヴォではコンティヌオにチェロなし。
 有名な 19.アルトのアリアはコンティヌオにチェンバロも加わったトゥッティでもオーケストラはあくまでソフト。特にファゴットの柔らかさ(中間部では抜けますが)。ブレイズさんもソフトですが決して甘くなくしっかりという感じでした。
 天使の 21.合唱「いと高きところには」はf-pの対比の妙。秀美さんが歌っておられました。
 最後のP.ゲルハルトの 23.コラールでは,特にソプラノのしなやかさ。そして"gewunscheter"が強調されて終わりました。


第3部〈天を支配されるものよ,どうぞ我らのつぶやきを聴き入れてください〉は,3/8の快活な 26.合唱から。
 29.ソプラノとバスの二重唱では,コンティヌオから弦が抜けてオーボエ・ダモーレ2本と同系のファゴットで。マクラウドさんがオーボエをとてもよく見ながら。ダカーポで"macht uns frei"すなわち「キリストが私たちを自由にすること」がpでゆっくり念を押すように歌われました。
 31.アルトのアリアはまったり。ヴァイオリン・ソロは遠かったせいか少し弱く,時に音程も不安定に聞こえました。
 P.ゲルハルトの 33.コラールは快活に。
 C.ルンゲの 35.コラールは嬰ヘ短調ですが歌詞は"Seid froh dieweil"なので快活に。バスの動きが印象的なコラール。
 個々の曲への言及はあまりしていませんが,全体に羊飼いの喜びがよく表現される中,マリアの熟考の様子も印象的でした。


 休憩になり,受付のところでカンタータ全集第16巻が販売されていたので早速購入しました。昨年の11月に演奏されたBWV194も良いですが,個人的にはBWV119がより印象的です。
 戻ってくると,トラヴェルソ,オーボエ・ダ・カッチャがはけて,コントラバスが前に出てきてダ・カッチャの位置に。オーボエもトラヴェルソの位置に前進して指揮者により近づきました。そしてコルノ・ダ・カッチャの登場。


 後半はじめは,新年のための第4部〈感謝をもってひれ伏せ,讃美をもってひれ伏せ〉
 有名な 39.ソプラノとエコー・ソプラノのアリアでは,エコー・ソプラノの緋田さんが下手舞台裏へ。まず,オーボエのpのエコーであれだけのpが出たのに驚きました(後のパーティで三宮さんに「エコーは大変ですよね」とお話ししたら尾崎さんが「あれは超絶技巧」とのこと)。ソプラノも非常に言葉が明確で,"Nein"よりも"Ja"がより強く歌われて「喜ぶべきである」と。チェロが最後の"Ja"の掛け合いのところでコード弾きをして,"Ja"をより強めているようでした。
 40.バスのレチタティーヴォとソプラノのコラールでは新約と旧約の対比がなされる中,コラールがややフライング気味に入るのは意図的だったのでしょうか。
 よく知られた 41.テノールのアリアでは,ヴァイオリンの若松さん,高田さん,チェロの秀美さんの弦同志の対話がスリリングで見事。喜びの祈りが快活に表現されていました。
 最後の 42.コラールもコルノ・ダ・カッチャとともに,快活に祈りが表現されていました。
 全体にレチタティーヴォが多く,祈りの表現が耳に残りました。


 新年後の主日のためのカンタータである第5部〈神よ,あなたに讃美が歌われるように〉では,ホルンもはけて弦以外はオーボエだけのシンプルな編成に。
 冒頭の 43.合唱は実に生き生きと演奏され(やはり耳を引くソプラノ),ヴァイオリンとヴィオラのしなやかさと,コンティヌオのアクセントを強調したきびきび感の対照が際立っていました。"Ehre sei dir, Gott, gesungen"がなんと耳に残ること!
 次の祝日である顕現節の聖句が取り上げられる 45.合唱とアルトのレチタティーヴォでは,ゆっくり目に東方の博士たちが合唱で"Wo, Wo"と語りかけました。
 嬰ヘ短調の 47.バスのアリアではコンティヌオがオルガン2台という珍しい編成。これについてパーティの時に雅明さんにお尋ねしたところ,これはパート譜の指示だそうです。
 48.福音史家のレチタティーヴォは特に"erschrak"「恐れた」が荒く。
続く 49.アルトのレチタティーヴォ・アッコンパニャートも細かな弦で恐れの表現が。
さらに続く福音史家のレチタティーヴォでは"wo Christus sollte geboren werden"と"Zu Bethlehem im judischen"ではチェロが延ばして,キリストが産まれることをしっかりと伝えるよう。続くandanteのアリオーソでは,チェロが1つ1つの音をはっきりと分けながらまさに歩くように旧約の預言の言葉(プログラムには記されていないが,ミカ書5:2)が歌われて,最後はhの単音で終わりました。
 最後のJ.フランクの 53.コラールでは"kein"と"sondern"のfとpの対比,そして最後に"Wird er"での変化が非常に印象深く演奏されました。
 このカンタータは《クリスマス・オラトリオ》全体から見ると小編成ですが,嬰ヘ短調やロ短調のアリアが出てくるようなほの暗い中での恐れに対して,輝きを与えて下さいという祈りが3回のイ長調の合唱で表現されているようでした。個人的には非常に好きな第5部です。


 最後の顕現節用の第6部〈主よ,傲り高ぶる敵どもが息巻くときにも〉は,再びトランペットとティンパニが登場。
 トランペットで始まるニ長調の 54.合唱もしっかりと祈りを表現。コンティヌオの16分音符6つでだんだん下降していく音形でのアクセントの付け方が際立ちます。
 55.福音史家とヘロデのレチタティーヴォでは,ヘロデの部分でコンティヌオが延ばしたり,バスも含めて最後の偽善的な"das ich auch komme und es anbete"での強さ。
 57.ソプラノのアリアは主の勝利が実に楽しそうに表現され,秀美さんも楽しそう。
 58.福音史家のレチタティーヴォでは,博士たちが送った"Gold, Weihrauch und Myrrhen"のうち,最後の死の象徴であるMyrrhenがしっかり歌われました。
 それを受けて歌われる,献身を表すP.ゲルハルトの 59.コラールもしみじみ。これも秀美さんが歌っておられるのが見えました。
 60.福音史家のレチタティーヴォでは"Weg wieder in ihr Land"が歩いていくように。
 続く 61.テノールのレチタティーヴォでは,"Und wird ihn"から最後の特に"Herr, hilf!"という助けを求める祈りが粘っこく表現されました。
 63.4声のレチタティーヴォは4人が揃うところが特にとてもきれい。台は4人乗るには狭すぎたようです。
 最後の 64.コラールでは受難コラールの旋律に乗せて勝利が輝かしく歌われました。これは第1部の 5.コラールにも出てきますから,明らかにインクルージオを考えていると思われます。トランペットはしばらくぶりの出番なので,出だしはご愛敬でしょう。舞台のところはかなり寒かったようです。


 全体の演奏はもちろん良かったのですが,とりわけ旧約で預言された箇所の引用のチェロを延ばしたりする表現が耳を引きました。
 コンティヌオの型にはまらない多様さについて後で雅明さんにお尋ねしたのですが,パート譜の指示に準じながらも,ファゴットだけの場合は雅明さんの指示ということでした。また,数字付きのパート譜が別にあり,それはチェンバロかリュートかは不明とのことでした。

 演奏会の余韻もそのままに,パーティ。大庭さんと鈴木さんの楽しい司会で進みました。料理もホテルからのケータリングで良い味でした (写真は後援会から雅明さんへのプレゼント贈呈)。
 雅明さんはじめ色々な方のスピーチがあり,「松蔭で《クリスマス・オラトリオ》をするのが夢だった」とのこと。実現でき,それを聞けた私たちも幸いでした。個人的には,ぜひ《ロ短調ミサ》を!と願います。
 今回は東京から「バッハへの旅」の著者である加藤浩子さん率いる松蔭で《クリスマス・オラトリオ》を聞くツアーの15名が来られて,「東京で聞くのとは全然違う」と言われていました(東京,横浜,そして神戸と3つとも聞かれた方がおられたのにはびっくり!)。色々な意味で松蔭で聞けるのは特権なのでしょうね。


 次回の松蔭は2月にカンタータ(BWV190, 65, 81, 83。今井さんのオルガンBWV547も)で,特に190をどのように復元するかを含めて大変楽しみです。

(竹内茂夫様) (02/01/06)
 竹内さん、昨年のクリスマスコンサート《クリスマス・オラトリオ》全曲の神戸公演の詳細なレビューありがとうございました! 掲載が大変遅くなってしまったことをお詫びいたします。竹内さんご自身がご自分のHP内の情報へのリンクなども交えてこのレビューをすでにUPされていますので、是非こちらもご覧ください。
 ご専門の分野からの解説も含め、いつもそのポイントをつかんだご感想、感じ入ります。クリスマス・オラトリオは12/25〜1/6にかけてのカンタータ集とも言える訳ですが、昨晩東京公演が終了した今回のカンタータコンサートでも、1/1(BWV190)、1/6(BWV65)用のカンタータが演奏されました。クリスマス・オラトリオの第4部、第6部とそれぞれ比べながら聴いてみるのも一興かと思います。
 《クリスマス・オラトリオ》公演で印象的なティンパニを聴かせて下さったマールテン氏が、今回のカンタータコンサートにも登場してくださっています。BWV190の冒頭(なかなか充実した復元でした!お楽しみに)と終曲のコラールのみのご登場ですが、今回もまたピリリと引き締まった素晴らしい響きを聴かせて下さいました。マールテン氏、今年の11月には18世紀オーケストラのメンバーとして来日し、ベートーヴェンの交響曲全曲を叩いてくださるそうです。第九では二組のティンパニを用意し(D-AとF-F)、ご自身が移動して演奏されるとか。まだまだたくさんのウラ技をお持ちのようです。BCJともまた共演していただけるとうれしく思います。
 神戸でのクリスマス・パーティ、楽しいひとときであったことでしょう。明日の神戸でのカンタータコンサートのあとも、BCJのみなさんはレコーディングを控えていらっしゃる状況ですが、「BCJ神戸公演後援会」による「懇親会」が開かれる予定とのこと。終演後の小一時間、演奏を終えたばかり(そしてレコーディングを控えた)のメンバーのみなさんを交えた楽しい会ですので、終演後お時間のある方は是非チャペル向かいの建物の2階にお立ち寄りください。後援会員以外でも当日のお申し出でご参加いただけます!会費は後援会員は500円、一般の方は1,000円だそうです。
 それでは神戸公演にいらっしゃる皆様、久しぶりのカンタータ、ご堪能ください!! 
(矢口) (02/02/10)

249 《速報【注目】スザンヌ・リディーン!》

矢口様こんばんは。松田@大阪です。

いずみホールでのメサイア聴いてきました。
大変充実した演奏でしたが、その中でも注目はBCJ初登場のスザンヌ・リディーン(ソプラノ)でしょう。
結論から言うと、非常に良かったです。
BCJは何故か、海外のソプラノソリストに恵まれなかったように思われるのですが(ミア・パーション除く)、今回は大当たりです。すばらしい歌唱でした。東京の皆様、期待してくださいね(他のソリストも良かったですよ。特に波多野さん、メサイアのアルトをCT以外で歌うのなら、やはり彼女ですね)。
短いですが以上速報でした。

あんまり良かったので家の彼女のクレジットのあるCDを探したのですが、1989年録音/harmonia mundi FRANCEのH・シュッツ、クリスマス物語SWV435指揮ヤーコプスしか見あたりませんでした。
それでは失礼いたします。

(松田信之様) (01/12/22)
 松田さん、大阪「メサイア」速報のお便りありがとうございました。UPまでに時間がかかってしまったので「速報」とは言えなくなってしまいました・・・申しわけありません。m(_ _)m しかし、スザンヌさんへの注目はこれからのものでもあると思います! お便りを拝見して楽しみにBCJ「メサイア」東京公演にのぞみました。結果は松田さんとまったく同感でスザンヌ・リディーンさんには是非今後もBCJとの共演のチャンスを持っていただきたいと希望します。声のイメージはヘンデルらしいふくよかさというよりもバッハ風な強さのあるもの。しかし大変美しい声でなめらかさに満ちていました。カンタータのアリア、『マタイ』の「愛よりして・・・」あたりを聴いてみたいものです!ヤーコプスのシュッツ/クリスマス物語のCDで歌っていらっしゃることはしりませんでした! アルトの波多野さんの「メサイア」は、かつて岐阜に聴きにうかがった時以来でしたが、やはりとても味わいの深い歌声でした。でもこれ、やはり英語がネイティブのロビン・ブレイズの歌でしかもBCJで聴いてみたいものです!今年の暮れは関西方面でも再びBCJの「メサイア」が演奏されるのでしょうか? またのお便り、お待ちしております。
(矢口) (02/01/11)

248 《こんにちは》

7月に神戸(最寄の駅がJR六甲道駅)にたまたま引っ越してきましてBCJを気軽に観れる環境になりました。
ちょうどこちらのHPを見つけまして、重宝しています。
今月は鈴木雅明さんのオルガンレクチャーコンサートクリスマス・オラトリオ
オルガンレクチャーコンサートはバッハの弟子たち、というタイトルでバッハの音楽の伝承に関する色々な話とオルガン演奏を聴く事ができました。
クリスマスオラトリオはチケット売りきれという事で立見席ねらいで早めに行きました。松蔭のチャペルの立見席は演奏者が見渡せて楽しいですね。3時間立っておくのは少し厳しいですが、充実した演奏がとても良かったです。

HMVでCD2枚買うと一枚当たり1590円というセール中ですが、BCJのカンタータもかなり含まれています。買い逃しのある方は便利かもしれません。

(倉本高弘様) (01/12/22)
 倉本さま、はじめまして、こんにちは。「BCJフォーラム」にようこそ! なんと素晴らしい環境にお引っ越しされたのでしょう。是非末永く松蔭チャペルでのBCJの響きをお楽しみください。いただいたお便りのご紹介が遅くなってしまい年が改まってしまいました(HMVのセールはもう終わっていますよね・・・)が、今年こそ私も再び松蔭に見参いたしたいと思っておりますので、その折りには是非終演後のパーティの場などでお会いしたいものです。クリスマス・オラトリオ、オルガン席でお聴きになったのですね! 以前私もカンタータコンサートをオルガンバルコニー席でうかがいました。座るとほとんど演奏者は見えませんのでやはり立ち見でしたが、全体のバランスのいい響きとなんといっても全体を見渡せる抜群のアングルでBCJの音楽を受けとめられることは幸せな体験です。まだご経験されていない方は一度はお試しみなってみると良いのではと思います。是非また松蔭でのBCJの様子等、お便りお寄せください! (矢口) (02/01/11)

247 《素敵なクリスマス&新年》

クリスマス・オラトリオは「クリスマス&新年用のカンタータ6曲の集合体」であるから、BCJにとっては自家薬篭中の作品とも言えるだろう。そして、その期待にたがわぬ名演だったと思う。特に後半、第5,6部あたりは、雅明先生がプログラムに書いていたとおり、すでに「十字架」がバッハの心の中にイメージされていて、それが切実な思いとなって浮かび上がってきた。こちらも思わず居住まいを正してしまったほどだ。
印象的だったのは、独唱陣のブレイズコボウが、コラールを一緒に口ずさんでいたこと(つられて後半はマクラウドまで歌っていた! 野々下さんは私の席からは見えなかったので、歌っていたらすいません)。ここに象徴されるように、メンバー全員が一緒になって音楽を楽しんでいたような気がする。これがBCJの魅力であり、雅明先生の魅力なのだろうか。
ただ、この曲をすべて一気に演奏してしまうと、長いことと(終演が10時)、新年が明けてしまう(笑)のが難点といえば難点。以前BCJが試したように、クリスマスと正月に分けて演奏して欲しいものだ。その場合は、前半に器楽作品(バッハでなくても可)を置いて、2回連続券をお買い求めの方には割引がある、といったサービスが必要になるだろうが・・・。
さて、次はメサイア。またクリスマスを祝うことになる。まあ、最近は12月は毎日がクリスマス状態だから、これでいいのかもしれないけれども(苦笑)。

(北村洋介様) (01/12/17)
 北村さん、明けましておめでとうございます! 北村さんからの「クリスマス・オラトリオ」のご感想も演奏会のすぐ後にいただきながらご紹介が遅くなってしまい申しわけありません。会場でもご挨拶差し上げたので、上記のご感想は12/14の横浜公演のものだと思うのですが、実に充実した演奏でしたね。前日のオペラシティでの演奏が、クリスマスの開幕を告げる、やや荘重な面もちの演奏だったのに対して、響きはやや少な目なものの空間的にはより親密な神奈川県立音楽堂で、よりのびやかに主の降誕の喜びが歌い上げられていたように思います。器楽のオブリガートも前日より装飾が多めだったような気が・・・。オペラシティでも合唱を口ずさんでいたソリストの皆さん、横浜でも実に楽しげでした。私は野々下さんもわずかでしたがコラールを口ずさんでいらっしゃるところを見ましたよ! コボウ氏が少々後半お疲れの感じでややドラマチックすぎるかなぁという印象だった他、少々のキズもありましたが、合唱、オーケストラの皆さん、そして指揮とオルガンの鈴木雅明さんと、すべてのメンバーの皆さんがこの過酷なスケジュールの中、素晴らしい音楽を聴かせて下さったと思います。
 トランペットの島田さんと村田さんが第4部ではコルノ・ダ・カッチャ(ホルン)の持ち替えに挑戦したことも今回の演奏の注目点でしょう。結果は、オペラシティでは4部のホルン、そして再びトランペットに戻った第6部ともやや安定感を欠き、正直どうかな、と思ったのですが、横浜公演では比較的安定していたと思います。(ただ2ndホルンの音程は2日とも厳しい部分があったなぁ、という感想です。)ホルンの時には1番が内側に入る(トランペットでは1番がステージよりの外側)などの工夫も凝らされていました。さらに持ち替えの経験を重ね安定感が増せば強力な戦力になりますね!楽しみです。それから忘れてならないのがマールテン・ファン・デル・ファルク氏の「歌うティンパニ」! オペラシティ公演で冒頭がCDと違いささやくように始まったので、終演後鈴木雅明さんに「最初のティンパニ、今回はpなんですね!」とうかがったところ、「そうそう、最初はアンサンブルの相手がトラヴェルソ2本だからね!」とおっしゃっていました。そのお話をうかがった上で聴いた横浜公演で、冒頭のティンパニのpの中でのニュアンスの豊かさに改めて驚かされた次第です。そして、ソロの部分だけでなく、コンティヌオときっちりアンサンブルを組んだ動きやここぞという時の決めの素晴らしさに酔いしれました。是非また共演していただきたいアーティストです。
 6:30開演予定だった東京公演は実際には6:40に始まって、9:50頃に終わったのですが、この横浜公演は予定の6:45きっかりに演奏が始まり、北村さんのご感想にある通り10時ちょうどに終わりました。考えてみるとすごい時間ですよね。でも、3月29日、今年の聖金曜日の「マタイ」彩の国で7:00開演。果たして今回の10時終演の記録を更新するか・・・??!! さあ、クリスマス・メサイアのあとは新年のカンタータを経て受難曲です!  (矢口) (02/01/04)

246 《松蔭クリオラの感想》
 
矢口様こんにちは。松田@大阪です。今年一番の寒さの中、松蔭のクリオラ行ってきました。
13時に松陰に到着。13時30分頃からメンバーが到着といった具合でした。それでは感想です。

一言でいうと、とても充実した演奏会でした。こんな充実感は昨年の松蔭マタイ以来ではないでしょうか(その分の疲労感はなかなかのものですが、心地よい疲労感です)。

先ず第一にあげられるのはソリストの充実ぶり。野々下さんは今までの中で最高の出来!ロビンはこれも同じく最高の出来。彼は音が跳躍する箇所で若干のポルタメントがかかっていたのですが、今回この癖、なおしにくい癖だと思うのですが、見事に解決されてました。また3連続公演というハードスケジュールの中、ソリストの中では彼が一番元気でした(ソリストの座席でずっと合唱曲一緒に歌ってはりました(^^))。コボウ氏はこれまた上手い。はやいパッセージの無理のない処理の仕方は、ことによるとテュルク氏よりも上かも。しかもよく語ってくれました。マクラウド氏は、高音に少し疲れが見えましたが、持ち前の美声で、演奏が進むにつれて本来の調子を取り戻し、これも又出色の出来でした(来年BCJの演奏会で彼の姿を一度も見れないことは、あまりにも残念です)。
このように、個々のソロも良かったのですが、今回の白眉は彼らのアンサンブル能力の高さでしょう。51曲目の三重唱、これもすばらしい出来でした。極めつけは63曲目のレチタティーヴォ。こんなにすばらしくハモル63曲目の演奏はCDでも滅多にお目にかかれないほどでした。よくソリストはアンサンブルには向かないとおっしゃる方がいらっしゃいますが、その考えは改めた方がよいでしょう。

次に全体的な感想。第1部から第4部までは、少し楷書的な演奏でした。礒山先生が時々BCJにおっしゃることが当てはまる演奏でした。何が原因かと考えますと、合唱曲における3拍子がきれいな3拍子で、躍動感に欠けていたような気がします(1曲目、24曲目、26曲目、36曲目、42曲目)。ところが第5部になって突如(本当に突如です!)3拍子が生きてきた、躍動し始めたのです(43曲目、54曲目)。ガーディナーが自身のクリオラCDの解説に書いているように、舞踏のリズムになったのです(草書的な演奏)。この第5部と第6部は上記のソリストの重唱もあいまって、恍惚とするような演奏でした(感嘆のため息と、鳥肌が何回たったことでしょう)。

最後に合唱について。前回の感想でアルトパートのCTについて厳しいことを書きましたが謝らなければなりません。今日は良かったです。特に第5部、その中でも43曲目、ブラボー。欲を言えば、43曲目でそれだけ出来るのなら、他の合唱曲でももっと頑張って欲しかったです(厳しすぎ?)。その証拠と言っては何ですがロビンがソリストの座席に座りながら、助け船的に合唱曲を歌ってなかったのは第5部だけでした、残念ながら。

何れにしても、今日は本当に満足させていただいた演奏会でした。3連続公演にもかかわらず、その力を存分に発揮してくれたBCJの皆さんに感謝です。それではこの辺で。

注)私(と妻)が座っていたのは最前列のど真ん中、ヴァイオリン側の雅明さんに一番近い席でした。上記の感想はその座席における感想ですのでその点ご了承下さい。また演奏会後のクリスマス・パーティーには、予算の関係上出席できませんでしたので、どなたかフォローいただければありがたいです。

(松田信之様) (01/12/15)
 松田さん、新年明けましておめでとうございます!松蔭の「クリスマス・オラトリオ」のご感想を公演直後にいただきながらご紹介が遅くなってしまい申しわけありませんでした。「クリスマス・オラトリオ」は正月に演奏される曲も含まれるということでご勘弁ください・・・(苦しい!?)
 寒さの中待った甲斐のある演奏会だったようですね! その前の2日間の演奏は聴いていたのですが、あの親密な松蔭の空間でこの演奏を聴けたら幸せだろうなぁ、と思う演奏でした。今回のソリストは本当に粒ぞろいで音楽にふさわしい表現を聴かせて下さったと思います。コラールのみならず合唱曲のほとんどをロビン、ヤンのお二人はオペラシティ、横浜でも口ずさんでいらっしゃったのですが、私にはそれは「助け船」には見えず、純粋に音楽に没頭して歌ってしまった、というように見えていたのですがいかがでしょう。青木さん、上杉さんのアルトパート・CTコンビのお二人も東京、横浜公演ともしっかり存在感のある歌声でしたから。実際、ロビン、ヤン、シュテファンの外人ソリスト・トリオは非常にハイテンションで、情報によれば、神戸からの帰りの新幹線の中でも大いに盛り上がってしまって、車掌さんから何度か「シュバイク、シュバイク!(静まれ、静まれ!:第51曲の三重唱でアルトパートが叫ぶセリフ!)」と注意を受けたというお話もうかがいました・・・?! 最後の64曲のコラールはソリストも全員立ち上がって 一緒に歌っていましたね。ご感想を拝見していて、私も2回うかがった演奏がよみがえって来ました! 是非またご感想をお送りください。 
(矢口) (02/01/04) 

245 《メサイア》

皆様こんにちは。先日名古屋で恒例のヘンデル協会のメサイア演奏会がありました。
数ある中でBCJのメサイアが特に気に入っているので、鈴木美登里さん、米良美一さんの出演に驚き、わくわくしながら聴いてきました。
CDと同じで鈴木さんのアリアのビブラートにしびれました。

メサイアは、いろいろなバージョンがあると聞きましたがソロの部分は演奏ごとにいろいろ楽しめます。
鈴木さんの「Rejoice greatly」の、幅のある感じの歌い方がすばらしかったです。

いつかBCJも聴いてみたいと思っています。


(名古屋市 miura様) (01/12/10)
 miuraさん、はじめまして、こんにちは。12/2に行われたメサイア演奏会のご報告、ありがとうございました! 今回の演奏会、ソプラノとアルトのソリストがBCJの「メサイア」CDと同じ顔ぶれということで、この「フォーラム」でもご紹介させていただいておりました。公演から日が経って、どんな演奏だったのかうかがいたいものだと思っていたところへお便りをいただき、大変うれしく思います。そうですか、鈴木美登里さんは変わらぬ歌声を聴かせて下さったのですね。米良さんはいかがだったのでしょう。「メサイア」といえば米良さんのオハコ。のどを痛めて復帰されたあと、お得意のナンバーで再びインパクトのある歌声を聴かせて下さったのならうれしいのですが・・・。まだまだ先の長い才能ですから、色々と気をつけて活躍を続けていただきたいものと思います。
 さて、まもなくBCJの「メサイア」2001です。すでに来年のクリスマス・イブにもサントリー・ホールでの演奏が予定されているとのことで、新たな風物詩になっていくのではないかと思います。クリスマス・イブ、色々とお忙しい中(?!)とは思いますが、是非BCJのコンサートにもお出でください。ただ、今年はすでにサントリー・ホール公演売り切れとのことです・・・・!!!
(矢口) (01/12/18)

244 《150000番・喜びの文》

矢口様、皆様こんにちは。松田信之@大阪ともうします。
この度、150000番という「キリ番を引く」という幸運に恵まれ、嬉しさで一杯です。

思えばBCJとの関わりは91年のマタイ(大阪・いずみホール)にはじまり、松蔭に定期的に通いだした95年9月のヴェスプロからでも、かれこれ6年になります(このあたりのことは、創立10周年記念コンサート・プログラム中の創立記念文集に「BCJと私」という題で寄稿しております)。

私は合唱畑(大阪Hシュッツ合唱団で歌っていました)の人間ですので宗教音楽には全く抵抗ありませんでしたが、BCJにはいろいろなことを教えてもらいました。
1番目は、オケ(特に通奏低音)のおもしろさ(これは合唱畑の私には、目から鱗でした)。
2番目にソリストという特殊な才能を持った人たちのすごさ
唯一不満に思っていたのは合唱団でした。また、松蔭での生演奏とCDに録音された演奏との乖離(これも主に合唱団に対してですが)についてもいささか不満でした。しかし、コンチェルティストという形式を取ることで、この不満もほとんどなくなりました(この成果は現在の所、カンタータ集14・15で聴くことが出来ます)。先に挙げた記念文集への私の投稿で「第四期となるか?・合唱団の飛躍」という最後の項目がありますが、合唱団の飛躍はおおむね成し遂げられたように思います。

2001年度に入ってからは、BCJの演奏は安定感が増してきたと感じます。しかもマンネリ化の傾向は少しも見られず、それどころか、例えて言うならば録音されたCDよりも良い生演奏が聴けるようになったとでも言いましょうか(まだそのCDは当然発売になっていませんが(^^))。これだけのクオリティの高い演奏をライブに於いて発揮できるということは、なかなか凄いことだと思います。これは想像ですが、最近の松蔭での演奏を聴いていると、CD収録にかかる所要時間も、以前より格段に短くてすむようになっているのではないでしょうか。

長くなりました。最後にBCJのさらなる発展を願い、150000番・喜びの文とさせていただきます。

(松田信之様) (01/11/16)
 さる11月11日の日曜日、当HPのカウンターが150000番を記録いたしました。そして翌日になって当「フォーラム」にもお便りをお寄せいただいている松田様よりご連絡をいただき、お気持ちをしたためていただいたのが上記の文章です。松田様、おめでとうございます&ありがとうございます。そしていつも当HPを訪れてくださっている皆様にも改めてお礼申し上げます。
 松田さんのおっしゃる「合唱団の飛躍」ですが、確かにカンタータCD14,15巻で実感できますね。もう間近に迫った「クリスマス・オラトリオ」や「メサイア」の演奏でも、イタリア帰りでさらにグレードアップした実力を遺憾なく発揮してもらいたいものです。私は「クリスマス・オラトリオ」の神戸公演にはうかがえないので、ご感想、楽しみにしております?!
 松田さんからは「キリ番・プレゼント」のご希望としていくつかご要望をうかがっています。現在BCJ事務局の皆さんに問い合わせ中ですので、いずれこのコーナーでもご紹介させていただこうと思っています。 
(矢口) (01/11/25)

243 《ロ短調ミサ》

 今回の演奏は、水準は高いものの、やや不満の残るものだった。その最大の理由は、音楽に対する「守り」の姿勢ではなかったかと思う。昨年聴いた演奏はBCJにとって「初」のロ短調だったので、緊張感にあふれ、演奏も透明感があったように感じたのだが、今回は特にグロリアで少し集中力に不足した部分があったように思えた。表面的にはどうということはなく、とても美しいのだけれども、BCJの特質である「曲の内部への深い食い込み」とか「心の底からわきあがる音楽的興奮」といった要素があまり感じられず、ただ音が鳴っているだけのように聞こえたのは、残響の少ないホールのせいだけではないだろう。クレド以下の後半は、少し持ち直して、晴れやかな雰囲気が伝わってきたのには少しほっとしたけれども。
ミサ曲ロ短調については、これからイタリア演奏旅行があるので、その経験をとおして変わってくるとは思うが、少なくとも日曜日の演奏には不満が残ったのである。
 各論では、波多野さんが貫禄のアニュス・デイを聴かせてくれたが、コーイが少し不安定だったか。前田さんのフルートは良かったけれども、島田さんのリズムが少し遅れ気味だったのは残念。合唱は、少し低音が弱く感じられたが、編成上仕方ないのだろうか。
今回の不満が、次のクリスマス・オラトリオメサイアで解消されることを願ってやまない。

(北村洋介様) (01/10/29)
 北村様からBCJ「ロ短調ミサ」2001 日本公演2日目のご感想をいただきました。こちらもご紹介が遅くなってしまい申しわけありません。私も前日に引き続きこの日の演奏も聴きました。
 北村さんがこの日お感じになったことは、前日の演奏で私が感じたことに近いような気がします。しかし、私自身はこの28日の埼玉会館の演奏には前日とは違う“何か”を感じました。オーケストラの特に弦楽器の精度は、この日の方が雨模様でガット弦に厳しい部分があったにもかかわらず高かったと思いますし、至難のソロ楽器の演奏もこの日の方がより完成度が高かったと思います。そうそう、2日間とも素晴らしい演奏を聴かせてくれたホルンの方には特に感謝と賛辞を捧げたいものです。
 私の座った座席など様々な要素がこの感じ方の差の原因だと思いますが、ここで一つ考えたことが空間の広さの違いです。埼玉会館はやはり広い空間です。そしてその対極が神戸の松蔭チャペルかも知れません。広い空間に響きわたる音楽も良いものですが、親密な空間に“満ちる”音楽もまた格別です。私は27日の公演に、松蔭のチャペルでの演奏のようなイメージを期待していたのかも知れません。そして、その違いをはっきり意識できる埼玉会館での演奏には、良い方向に想像と違う音楽を聴けたという満足感があったのかなと思います。・・・こうなると「ロ短調」も早く松蔭のチャペルで聴いてみたいものです・・・。それが実現する時はBCJの「ロ短調」の録音が行われる時に違いありません!
 ところで、まもなく松蔭のチャペルに初めて響く名曲があります。そう、「クリスマス・オラトリオ」! この曲はすでにBCJの演奏がCDになっていますが、その録音場所こそ「彩の国さいたま芸術劇場・音楽ホール」なのです。今回の「クリスマス・オラトリオ」神戸公演、私は残念ながらうかがえません。終演後、東京からのツアーの皆様なども交えてクリスマス・パーティも催されるとのこと。うーん悲しい・・・。東京、横浜公演はうかがいますのでそちらを楽しみにします! 北村様、是非またご感想をお寄せください。  
(矢口) (01/11/23)

242 《27日は、感動的なロ短調でした》

 27日のロ短調ミサ曲を聴きました。昨年の演奏も見事でしたが、今回ははるか深さが増しテキストの表現にどこまでも密着した素晴らしい演奏でした。続出する至難のソロ楽器を担当された前田さん島田さん他の名演奏、オケどころか合唱まで引張らずには置かない秀美さん達の(いつもながらの)強力無比のコンティヌオの凄さと、そして鈴木さんの確信にみちたキリエからグロリアの歓喜までを歌い切った見事な合唱など、充実そのものの第一部でした。

 しかし、続く第二部はさらなる驚きでした。この世の響きとも思えない見事なインカルナトスとクルフィクスに続く復活の大合唱の凄さ!なんという途方もないエネルギーの爆発なのでしょう。これが本当に死期を悟った老人の最後の仕事なのか?自筆スコアで、バッハは震えがちな筆跡でなんという見事な曲を書いたことでしょう!そしてアニュス・デイから最後のドナ・ノビスの真摯な祈り……

 高名なバッハ学者の小林義武氏は、ドナ・ノビスがグラツイアの安易なパロデイだとするスメンド説を激しく否定され、この曲はパロディではなく「引用」であり、この大曲を締めくくるのにこの上なくふさわしい曲であることを周到に論証されました。そしてロ短調ミサ曲の自筆譜の最後に書き込んだ言葉(Fine Deo Soli Gloria)は、この作品の完成に対する、そして同時にバッハの生涯すべての創作に対する感謝なのであること、さらにバッハが最後に書いたこの大曲は「歴史上最もキリスト教的なものであることに止まらず、同時にその信仰上の枠を破り、異教徒を含むすべての人間に仕えること」を意図した作品であり、最後のバッハの祈り「ドナ・ノビス・我らに平和を与えたまえ」の平和は、本来「内的平安」を意味していたにせよ、「世界平和への訴え」とも解釈できると述べられているのに、深い共感を覚えました。

 今回の、鈴木さんとBCJの静かな中にも熱のこもったドナ・ノビスの真摯な祈りを聴きながら、激しい空爆が続くアフガニスタンにも、またテロに揺れるアメリカにも、等しくこのバッハのメッセージは届くべきであり、また届いているはずだ、それがバッハの究極の祈りなのだと確信いたしました。本当に感動的な演奏でした。

(玉村 稔 様) (01/10/29)
 玉村様、BCJ「ロ短調ミサ」2001 日本公演初日のご感想、ありがとうございました。お便りをいただいてから(ということはあの演奏会からも)約一ヶ月の時間が経ってしまいました。ご紹介が遅くなってしまい申しわけありません。その間、BCJはイタリアツアーに旅立ち、この「ロ短調」の祈りをヨーロッパにも届けてきました。かの地での演奏も好評で、すでに次回公演のオファーもいただいたとの情報も耳にしております。現在発売中の「音楽の友」12月号のコンサートレビューでも、「その場に立ち会えたことが幸せな素晴らしい演奏」と、この27日の演奏を紹介してます。
 ただ、私自身はこの日の演奏、やや慎重になっていたのではないかとも思いました。昨年末の「ロ短調」初挑戦の時のような、ある種の熱気で進めるのではない完成度のより高い演奏を目指されていたと思うのですが、響きの良いホールに広がった力みの抜けた透明さが、なぜか音楽の冷たさに感じられました。この透明感さらなる燃焼が融合する“究極の「ロ短調」”を楽しみにしたいと思っています。
 この一ヶ月、アフガニスタン、アメリカの、そして世界の情勢もまた大きく変化しました。しかし“殺戮”の連鎖はまだ止んでいません。私の敬愛するヘルマン・ヘッセが、1935年、ナチスの嵐が吹き荒れている最中、第一次世界大戦の終結の頃チューリッヒで聴いた「ロ短調」のことを回想して次のように記しています。 
 
  「・・・あの時も私は《ロ短調ミサ》を聴いたのですが、ちょうど戦争のさなかで、あのドナ・ノビス・パーチェムなどはあまりにも胸にこたえ、ほとんど聴くに堪えなかったのを思い出します。」 
(1935.4.18、シュテファン・ツヴァイク宛の手紙から)
 

 まさにこの記述は、玉村さんもお書きになっているこの素晴らしい音楽の持つ祈りが、あの狂気の時代にも立ちのぼっていた証だと思います。そしてこの祈り今また世界は切実に必要としているに違いありません。BCJのアメリカ・ツアーも企画に上っているそうです。どうかバッハの祈りをのせたBCJの音楽が、世界に広がって欲しいものです。
 玉村様、またのレポート、お待ちしています!

(矢口) (01/11/23)

241 《ガットカフェ第8回をきいて》

昨日ガットカフェ第8回に参加しました。
いつも店主の鈴木秀美さんがHPでご案内したように、とおっしゃっていますがBCJのガットカフェの方は第6回の終わったところまでしかのっていないので、どこにジェミニアーニの案内などがあるのだろうと思っていました。なるほどここにあったのか、と今日発見した次第です。
昨日全部聞き取れなかった来年のカフェの日程がもう早速載っているのでありがたかったです。
最後の第6番で変わった音色を聞くことができ、不思議な感動をあじわいました。
ジェミニアーニのこれらの曲を聴けるCDがあるのでしょうか。
私はCONCERTI GROSSI というハルモニアムンディの盤を一枚だけもっています。他のCDを教えてください。それでは。

(神谷さやか様) (01/10/07)
 神谷様、はじめまして。ガット・カフェをお聴きになってのお便りありがとうございました。もう一ヶ月近くも経ってしまいましたが、お便り、ご紹介させていただきます。
 私は今回のガットカフェ、レクチャーの最後の一時間とコンサートに参加させていただきました。いつも通りに非常に密度の濃い時間でしたね。ジェミニアーニのソナタもまた独特の味わいでした。CDは鈴木秀美さんご自身のものを含め何種類かあると思いますので、ご存知の皆様、情報をお寄せいただけましたら幸いです。

 さて、先日の10月22日、私はサントリーホールの小ホールで開かれた、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ティンパニ奏者、ローラント・アルトマン氏の公開講座「ベートーヴェン交響曲のティンパニ演奏」を聴講してきました。このアルトマン氏のレクチャーは昨年もうかがい、こちらにレポートも書いたのですが、今年は時まさにウィーンフィルが来日公演でサイモン・ラトルの指揮のもとベートーヴェンの交響曲を全曲演奏している最中のレクチャーとあって、また格別なひとときでした。
 その時に感じたことが、アルトマン氏が強調されている内容がいつもガットカフェで秀美さんがおっしゃっていることと、楽器の違いこそあれまったく同じだな、ということです。頭を使い、音符のヒエラルヒーを見抜くこと。そして作品に常に奉仕すること・・・。アルトマン氏がレッスン中にアーノンクールの言葉として紹介してくださった言葉が大変印象に残りました。曰く「何もしないことが一番いけない。いつも頭を使って音楽をしなさい。それがたとえ間違っていても、何もやらないよりいいのです。」
 来年のガットカフェも楽しみです! 神谷様、よろしかったらまたお便りお寄せください。 (矢口) (01/11/04)

240 《BCJカンタータ15集》

矢口様。お久しぶりです、松田信之@大阪です。
上記カンタータは松蔭で手に入れましたが、出来はすばらしいですよ。
14集と同じく各パート3人(コンチェルティスト含む)ですがこれがまた良い!楽しみにお待ち下さいませ。

先の演奏会では、カウンターテノールが2人入っていましたが、よくありませんでしたね(^^;)。
第一、声が飛んでこない!
演奏会は録音じゃないのですから、もっと遠慮なく出したらいいのに(そうしないといつまでたっても上手くならないですよ)。波多野さんは終始「苦笑い」、奥様(環さん)は、いかにも歌いにくそうでした。(中略)
テュルクの声がひっくり返ったのは、初めて聴きました。若松さんのヴァイオリン・ソロがかすれたのは、一弦に当てるところを、二弦にあたってしまったからだと思います。まあどちらも、全体を通してみると些細なことですが・・・。

それではこの辺で。さようなら。

(松田信之様) (01/10/04)
 松田さん、こんにちは。ご無沙汰しております! カンタータCD15巻の情報と先日のコンサートのご感想、ありがとうございました。竹内さんからのお便りでも15巻が松蔭で販売されていたとのお知らせをいただいていて、9/29の東京定期でも販売されるものと勇んで出かけたのですが、14巻が輸入盤で置いてあっただけで15巻は販売されていませんでした。タワーレコードの新宿店のスタッフの方にうかがったところ、つい最近オーダーの案内が来たので、入荷は早くても11月になってからでしょう、とのことでした・・・。松蔭ではきっとBCJ事務局に先行入荷したものが特別に販売されていたものと思われます。ラッキーでしたね!こちらでも早く聴いてみたいところです。BCJオフィシャルHPでは、特設ページでこのCDを紹介しています。こちらこちらをご覧ください!(壁紙はこのCD収 録時のコンサートに向けた練習風景のものです!)
 演奏会の方ですが、確かに今回のアルトパートは波多野さんの存在感が大きかった感じでしたね。カウンターテノールのみなさんにもさらに一歩上を目指してがんばって欲しいものです。もうすぐに迫った「ロ短調」での活躍を期待したいと思います! テュルクさんや若松さんのアクシデントは“弘法も筆の誤り”といったところでしょうか。今回のコンサートの前後に録音されたカンタータCD20巻も楽しみです! なかなか松蔭におうかがいできませんが、是非またお便りください。
(矢口) (01/10/19)

239 《 9月29日 鈴木=BCJ》

 今回が50回という記念すべき定期演奏会でしたが、相変わらず高い水準を保っていますね。特に後半の2曲のパロディ・カンタータは、解説にもあった原曲の舞曲性が、とても生き生きと再現されていて、心地よくなりました。
この日のカンタータは、どちらかというと、合唱よりもソロに比重が置かれていたと思いますが、少しだけ男声陣が不安定だった箇所があった以外は、いずれも好演。特に波多野さんは貫禄充分でした。

 59番は確かに未完成感の強い作品で、この曲だけは雅明先生も納得して演奏できたのか少々疑問ですが、最後に6番のコラール(ト短調)を引用して終曲としたのは、調性的な連関を考えても納得できる解釈だったでしょう(前半がト短調で始まり、ト短調で終わる)。ただ、初演の同日に59番の前に演奏された172番の一部にハ長調のバージョンがあるようなので、それを演奏するという方法もあったかもしれません。つまり、バッハは172番の後半をもう一度(調性を変えて)繰り返してその日の説教のまとめとした、こんな想像をしてみたのですが(学問的に立証できる話ではありませんが)。
いずれにしても、演奏はとても真摯ですばらしく、50回定期を飾るのにふさわしかったと思います。次は100回定期ですね!

(北村洋介様) (01/10/01)
 北村さん、BCJ 50回定期のご感想、ありがとうございました。東京にも“聖霊”が下ってからまもなく2週間。ご感想、コンサート直後にいただいていたのですが、ご紹介が遅くなってしまい申しわけありません。
 59番の最終コラールは、演奏されたBWV6のコラールが音楽的にもテキストの面でも考えつくされた解決策とは思うのですが、私ももう少したっぷりしたものが欲しいという印象でした。その点、北村さんご提案の172番から持ってくるというアイディアにも興味をそそられます。どんな感じでしょうね。そんなことを考えさせてしまうことこそがこの未完成な印象に満ちた59番、ということなのでしょう。今回が20巻目にあたる、とアンコール前に鈴木雅明さんからスピーチがありましたが、CDとなって我々の身近に今回の演奏が届いたとき、色々試してみたい気がします。
 しかし、1992年の第一回定期から聴き続けている立場からは、やはり感慨深い「50」という数字でした。これからも100回、そしてその先に向けて、ますますの精進を期待したいと思います。 (矢口) (01/10/12)

238 《聖霊が下ったかの如く 〜BCJ Bach Cantatas vol.30〜》

 鈴木雅明さん率いるBach Collegium Japanの第149回チャペルコンサート/第50回定期演奏会ライプツィヒ時代1724年のカンタータ4−聖霊降臨節のカンタータ−を聴きに,3ヶ月ぶりに神戸松蔭女子大学チャペルに行きました(9月22日(土) 16.00-18.00頃)。

 今回は開演がいつもより1時間遅い16時でしたが,一部の広告に15時からと出ていたらしく,チャペル前にはお詫びの文書が掲示されていました。開場時間は予定よりもやや遅れました。天気はとても良かったのですが,風も強くずいぶん寒い日なので日陰で待っていると長袖のシャツでも寒いくらいでした。チャペルの中は逆に暖かな感じでした。

 プログラムは下記の通りで,チラシとプログラム冊子では表記と曲順が異なり,曲順の変更はプログラムノート以外には反映されていました。

  幻想曲《来れ,聖霊,主なる神》BWV651
  コラール編曲《来れ,聖霊,主なる神》BWV652 (パイプオルガン独奏:今井奈緒子)
  《彼らはおまえたちを追放し》BWV44
  《私を愛する人は,私の言葉を守る》BWV59
     休憩
  《待ち望みし喜びの光よ》BWV184
  《高く挙げられし肉と血よ》BWV173

 今回も終演後にレコーディングがあるようで,ノイマンのマイクが林立する中での演奏会でした (そこで分かったのですが,《ブランデンブルク》のCDではトランペットのマイクはかなりオフで上の方で録っていたので,他の楽器とは少し違う響きの理由がわかりました。あとアンビエンス用のマイクが2セットあったことに今回気づきました。これまでもそうだったのかもしれませんが)。

 オーケストラの配置はいつもの通りで,前回とは違ってヴィオラの横に秀美さんが並び,コンティヌオは舞台中央にオルガンが,チェンバロは上手のオーボエやコントラバスの横というか隅に蓋付きで鎮座していました。ファゴットとトランペット2が女性の方というのも私が聞いた中では初めてでした。コントラバスは4弦をDに下げて演奏していました。合唱はすべて4人ずつですが,独唱は前回と同じくオルガンのすぐ後ろに台はなしで出て歌いました。独唱者が座る位置がパートの端とは限らないのはBCJらしいのでしょうか。席はどのように決まっているのだろうか?という疑問が湧きました。


 まず最初に,オルガン独奏による幻想曲《来れ,聖霊,主なる神》。 F音のオルガン・ポイントの上で細かな音が鳴り始めると,もうそこはバッハの世界。続いて美しいソプラノによる《来れ,聖霊,主なる神》が歌われ,その後オルガンでコラール編曲《来れ,聖霊,主なる神》が演奏されました。ホフマン氏の解説の通り歌の旋律のデコレーションが本当にすばらしいものでした。

 カンタータは,テュルクさん(ブライトコプフ版の楽譜を持つ)とコーイさんの1.[二重唱]で緊張感を持って始まった《彼らはおまえたちを追放し》(BWV44)。コンティヌオにチェロだけではなくてファゴットが入っているとまろやかに聞こえます。アタッカで続く2.[合唱]では「迫害者の自己満足」とあるためか toetet などでの合唱のクレッシェンドが印象的。波多野さんの3.アリアはまろやかにキリスト者の使命を歌います。テノールの4.コラールは(コープマン盤とは異なり)ソロで歌われて苦難を経て「天国へ」行く様子が半音階下降で歌われた後にEsで美しく終わります。「反キリスト」を歌う5.レチタティーヴォではコンティヌオにチェンバロが加わり激しさが増します。野々下さんの6.アリアでは明るく「微笑み」が表現されていました。最後のP.フレミングの7.コラールでは秀美さんも歌っているのが見えました。秀美さんが所々でチェロの音を伸ばしているところも印象的でした。

 謎の多い《私を愛する人は,私の言葉を守る》(BWV59)。「合唱は簡単な4声コラールしか任せられない。独唱はソプラノとバス,二人の歌手のみ。木管楽器はまるでだめ。おまけに[...]3管トランペットも望めない。[...]このカンタータは断片である、と考えられる。[...]原作は全部で7曲あった。バッハは4曲しか作曲していない。ノイマイスターでは更に,コラール,聖句,アリアと続く」と記すホフマン氏。同様に「この作品は未完成なのではないか、とも推測される」とする雅明さん。野々下さんとコーイさん(ブライトコプフ版を持つ)の1.二重唱ではトランペットがまろやかに輝かしく響きます。野々下さんの2.レチタティーヴォでは弦だけのためかコンティヌオからファゴットが抜けてコントラバスが。ルターによる3.コラール『来れ,聖霊,主なる神』は力強く。コーイさんの4.アリアにはヴァイオリンソロが伴いますが,所々かすれ気味だったのが少し残念。最後に5.コラールが追加されて,「制作ノート」にあるようにBWV6の最終曲に現れるルターの『我らを汝らの言葉に留めたまえ Erhalt uns, Herr, bei deinem Wort 』のうち第3節「聖霊なる神よ,愛する慰め主よ Gott heil'ger Geist, du Troester 」が付けられてト短調で歌われました。なぜかテュルクさんが隣の鈴木さんの楽譜を見ながら歌っておられたように見えたのは,確認のためでしょうか (最終曲に関しては,他のCDではガーディナーは第3曲と同じ『来れ,聖霊,主なる神』ながら第3節"Du heiliger Brunst, suesser Trost"が歌われていますが,コープマンはBCJと同じ『我らを汝らの言葉に留めたまえ』ですが「第5節」"Gott, heiliger Geist, du Troester"をイ短調に移調して追加しているようです。コープマンとBCJの歌詞を比べると,BCJの歌詞の綴りの方が古風ですが同一のものと思われ,他の資料から判断するとコープマンの「第5節」というのはもしかしたら誤りのようで実際は第3節のようです)。全体の演奏時間は約10分で,「断片」「未完成」というのもうなずけます。


 休憩になると受付のところでバッハ・カンタータ全集第14巻(BWV148, 48, 89, 109)第15巻(BWV40, 60, 70, 90)が売られていたので早速購入しました (帰宅して聞きました。良いです)。


 後半の2曲は世俗カンタータのパロディ。トランペットとティンパニは退き,オーボエの代わりに2本のトラヴェルソが登場。 《待ち望みし喜びの光よ》(BWV184)の原曲BWV184aはほとんど残っていないとのこと。テノールの1.レチタティーヴォでは「喜びの光」を表現するかのようなトラヴェルソ。動のりり子さんと静の菊池さんが好対照でした。ソプラノとアリアの2.アリアは舞曲のパスピエらしく速めで快活。ヴァイオリンとトラヴェルソの速いフレーズは「幸いなる群れ」であるキリスト者の喜びの表現でしょうか。ダカーポでのフレーズの決めが印象的。テノールの3.レチタティーヴォではコンティヌオにオルガンの他にチェンバロも参加。喜びの表現が優勢の中「十字架の死」では長い音のオルガンが。続く「どのような苦難もなく」がゆったりと歌われました。続くテノールの4.アリアでは舞曲のポロネーズらしくチェロの歯切れ良さに対してヴァイオリンソロのなめらかさの対照。この対照の意味は何だろう?と思いました。 A.フォン・ヴィルデンフェルスの5.コラール『おお主なる神よ,神の御言葉よ』では高音に上るソプラノの気持ち良さ!他の曲の「世俗的な響き」(ホフマン)の中で,祈りの歌詞とともに引き締まる思いでした。最後に,独唱を伴うガヴォットの6.合唱の楽しき祈りはこれまたチェロの歯切れ良さ。とても幸いな思いで聞いたカンタータでした。

 最後になった《高く挙げられし肉と血よ》(BWV173)の原作は《いとやんごとなきレオポルト殿下よ》BWV173a。テノールの1.レチタティーヴォでは「高く挙げられし」が高く表現されて,続いてテノールの2.アリア,アルトの3.アリア。ソプラノとバス(ブライトコプフ版)のメヌエットの4.アリアでは中間のソプラノの部分がバセットヒェンになりますが,これは「新しき恵みの契約」とこのカンタータで最初に現れる「聖霊」が教えることの重要性の表現でしょうか。続く器楽だけの部分ではトラヴェルソのゆったりさに比べてヴァイオリンの細かな動きは聖霊が動きの表現でしょうか。ソプラノとテノールの5.レチタティーヴォではコンティヌオがオルガンとチェロのみ。ソプラノとチェロの高さは「燃え上がっている」「駆け上がりますように」という表現でしょうか。メヌエットの6.合唱も「いと高き方」のソプラノの高さ。全体に「高く挙げられる」喜びと「いと高き方」を感じさせる印象的なカンタータでした。どのレチタティーヴォかは失念しましたが,テュルクさんが珍しく声が裏返る箇所があ りました。これだけ空気が乾燥していた日では声の調子を整えるのは難しいのかもしれません。


 前回このフォーラムで指摘がありました調性について,今回は1曲目だけから判断しますと
BWV 1曲目
44 ト短調
59 ト長調
184 ト長調
173 ニ長調

という流れになっていました。ト短調からト長調のように短調から長調になりフラット系からシャープ系へ,さらにト長調からニ長調へとシャープが増えているようですが,これは意図的なのでしょうね。内容的にも,迫害と苦難から,慰め主なる聖霊が与えられ,聖霊が与えられたことを喜び,さらにはいと高き方の天国へと挙げられる期待という流れが表現されているようにも思いました。そこで,歌詞の表現も含めてニ長調のBWV173とト長調BWV184が入れ替えられたのは分かるような気がしました。


 今回もですが,このところのBCJの演奏には一種のまったりと成熟した良い雰囲気があるような気がします。さらに今回は,聖霊降臨祭にふさわしく,聖霊がそこにいる人々全てに下ってきたような充実した音を楽しむことができました。 BCJもますます円熟へと進んでいるようです。


 プログラムは今回 800円に値下げされていて,作家の林望氏の連載「ゼバスティアンの肖像」(第一話:老バッハ来る!),オルガニストの今井奈緒子さんによる楽しい特別寄稿「バッハ・オルガンツアー2001 レポート」が掲載されていました (L.ドレイファス『バッハのコンティヌオ・グループ−声楽作品における奏者と慣習について』,E.チェイフ『バッハの声楽作品における音楽のアレゴリー』は今回は休載)。


 さて,今回の雅明さんの巻頭言では,歴史あるいは歴史観のことが取り上げられていました。中でも夏のオルガンツアーでバッハの足跡をたどられて,「今、遠く離れた極東でバッハを演奏する時にも、元のアイディアがどのようであったかを知り、それをより適切に翻訳することが可能になるでしょう。そのような歴史が、至るところで現代の価値観によって損なわれようとしています」,そしてドレスデン聖母教会のジルバーマン・オルガンの再建にオルガンの専門家が関わっておらず歴史的なことが無視されていることに関して「演奏以前の歴史観の問題」と述べられて,「しかしそこに個人を超越した歴史の必然性を見、演奏をそのような超越的な存在に対する奉仕として捉えた時、演奏家は自らへりくだり、音楽をより客観化して捉えることができるのです」というご意見にはとても共感いたします。歴史を無視して今目に見えることだけを規準に,独断的にものを判断して極端な方向に邁進していく恐ろしさが,あちこちに見えるように思います。

 私自身,バッハよりもさらに2000年以上前の旧約聖書のヘブライ語を研究する中で,自分自身が現在の共時的な中に生きているとはいえ決して通時的な歴史は無視できないですし,その歴史の上に現在が成り立っていることを伝えていくことも1つの使命ではないかと,今回改めて感じました。


 次回の松蔭は12月なので少し間が空きますが,昨年のバッハイヤーには演奏されなかったクリスマス・オラトリオ全曲なので,大変楽しみです。本当は10月に埼玉で演奏される《ロ短調ミサ》を聞きに行きたいところです。

(竹内茂夫様) (01/09/24)
 竹内さん、すばやい神戸公演のレビューありがとうございます! さまざまな貴重な情報、東京公演をより深く楽しむ材料にさせていただきます。現在BCJは神戸でこのペンテコステのカンタータ集を録音中。今回もきっと素晴らしいCDを作って下さることでしょう。そしてその経験も加味した東京公演を楽しみにしています!・・・しかし、カンタータCD第15巻がすでに日本上陸しているとは知りませんでした!こちらも早く聴きたいものです。
 (矢口) (01/09/25) 

 


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