2002/ 2/9 19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション 2002/ 2/11 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第153回松蔭チャペルコンサート)
J.S.バッハ/ プレリュードとフーガ BWV547 *パイプオルガン独奏 :今井奈緒子
指揮:鈴木雅明
コーラス(*=独唱[コンチェルティスト])
ソプラノ :懸田 奈緒子、鈴木美紀子、緋田 芳江、星川 美保子
アルト :ロビン・ブレイズ(CT)*、上杉
清仁、鈴木 環、田村由貴絵
テノール:ジェイムズ・ギルクリスト*、板橋
江利也、鈴木 准、谷口 洋介
バス :ペーター・コーイ*、浦野智行、大井
哲也、藤井 大輔
オーケストラ
トランペット:島田 俊雄、神代 修、村田 綾子 ホルン:トーマス・ミュラー、オリヴィエ・ダルベレイ
ティンパニ:マールテン・ファン・デル・ファルク
リコーダー:向江 昭雅、江崎 浩司
オーボエ/オーボエ・ダモーレ/オーボエ・ダ・カッチャ:
三宮 正満 [BWV190,65,81,83: Ob I]、
江崎 浩司 [BWV190: Ob II ]、
尾崎 温子[BWV190: Ob III / BWV65,81,83: Ob II]
ヴァイオリン l :若松 夏美(コンサートミストレス)、桐山
建志、竹嶋 祐子
ヴァイオリン ll:高田 あずみ、荒木 優子、、戸田 薫
ヴィオラ:森田 芳子、渡部 安見子
〔通奏低音〕
チェロ:鈴木 秀美、山廣 美芽 コントラバス:西澤 誠治 ファゴット:堂阪
清高
オルガン:今井奈緒子
《1724年 新年、顕現節、マリアの潔めの祝日用カンタータ》
BACHを愛する皆様
亀の歩みのカンタータシリーズではありますが、今回2月の定期公演でいよいよライプツィヒ第1年度のカンタータが終わります。作曲順からは少し順序を変えて、今回は時節に合わせて新年とそれに続くカンタータをお聞き頂きましょう。
新年用の輝かしいカンタータ 190番『主に向かいて新しき歌を歌え』では、3本のトランペットとオーボエ、さらにティンパニが加わって、新しい年を華やかに迎えます。ただし第1曲と第2曲の器楽パートの大半が失われているので、復元して演奏しなければなりません。教会暦では、新年が過ぎるとすぐに顕現節(1月6日)です。これは、3人の博士が礼拝する聖書記事を記念して祝われる日で、この日のために2本のホルンの入った魅力的なカンタータ65番『人々シバよりみな来たりて』が書かれました。あたかもオルガンのプレリュード
ハ長調 BWV547を思わせる冒頭曲が砂漠を旅する博士たちの雄大な世界を彷彿とさせます。さらに、船の中でまどろみ給うイエスと不信仰のあまり怖じ惑う弟子たちの挿話をもとに書かれた第81番『イエス眠りたもう』、幼子イエスに出会ったシメオンの喜びをコンチェルト風ソロヴァイオリンとホルンで表現した第83番『新しき契約の時』を合わせてお贈りします。
(02/01/01:チラシより転載)
《第51回定期演奏会 巻頭言》
皆様、ようこそおいでくださいました。
カンタータの旅も、ようやく半ばに近づきつつあります。1995年の録音開始以来演奏したカンタータは今回演奏するカンタータを加えて73曲になり、残るは118曲です。つまり単純に計算すると38%が終わったわけで、どうも切りのいい数字ではありませんが、切りがいいのは、今回の演奏でライプツィヒ時代の第1年度の年巻が終わることです。
1723年の暮れから24年の冒頭は、バッハはいつもに倍して忙しかったに違いありません。というのも、クリスマス12月25日にはカンタータ63番の再演とマニフィカト(変ホ長調版)の初演、26日にはカンタータ第40番、27日には64番と3日連続で演奏した4日後には早くも年が変わり、1月1日には大規模な190番、そしてその翌日が新年後最初の日曜日だったのでカンタータ第153番を、さらに4日後の1月6日の顕現節では65番、1月9日は154番、と新作を立て続けに演奏し、その後ようやく1週間に1曲の日常ペースに戻るのです。如何に、直前の待降節にはカンタータ演奏がなかったとは言え、これだけのものを準備するのは容易ならざることでしょう。しかし、これだけのことがこなせたからこそ、その後約1ヶ月間のカンタータ演奏のない四旬節さえあれば、ヨハネ受難曲が完成できたのも当然のことと言えましょう。
今回取り上げる作品は、このような超多忙の間に生まれた作品ですが、いずれも極めて周到な構成を持ち、冒頭合唱の楽器編成も決して小さくありません。特に第190番では、トランペット3本とオーボエ3本が弦楽器に加えられて、新年の喜びを弥が上にも高めてくれますし、第65番は、弦楽器に加えて2本のホルンと2本のリコーダー、さらに2本のオーボエ・ダ・カッチャという異色のオーケストレーションで、シェバの国から多くの人々がぞくぞくとやってくる様を伝えてくれています。
これを機会に、ライプツィヒ第1年巻のカンタータを、その冒頭合唱を中心に振りかえってみることに致しましょう。バッハのカンタータ年巻は、彼がライプツィヒでの仕事を始めた三位一体後第1主日から、翌年の聖霊降臨節の第3主日までが含まれます。この1年間に演奏されたカンタータのうち、コラール以外の大規模な合唱作品を持つものは、旧作のパロディも含めておよそ30曲ほど数えられます。まず、ライプツィヒ時代の冒頭を飾ったのが、75番と76番。これらはいずれも全体が2部分に分かれる大規模なカンタータでしたが、その冒頭合唱は、明かに「プレリュードとフーガ」のような構成を持っています。つまり、和声的なトゥッティ部分に続いて、フーガが新たな部分として分離して現れるのです。このような分離されたフーガは24番(第3曲)、105番(第1曲)、46番(第1曲)などにも見られますが、第1年目の後半にはやがて形を変えていきます。
また、より古風なモテット形式で書かれているものもいくつか見られます。これは器楽が独立した声部を持たず、合唱と同じパートを重ねて演奏するものですから、冒頭も全く前奏なしでいきなり開始されることになるわけです(第179番、64番、144番)。
一方、器楽が独立したパートを持つばかりではなく、途中にレチタティーヴォで合唱が中断されたり、ソロとトゥッティが交代するものもありました(95番、109番)。さらに、単純なコラールの間にレチタティーヴォを挿入し、劇的な作品として仕上げたものもあります(138番、73番)。
このように見てくると、バッハは合唱部分に様々な創意工夫を試みて、意図的に新しい形式を生み出そうとしていたように思えます。最初は、あたかもオルガン曲であるかのようなプレリュードとフーガ、そして77番や25番などの器楽へのコラールの組み込みとカノンの使用、さらにレチタティーヴォやソロと合唱の交代など、すべて新たな試みに満ちているのです。一方で、対位法的な観点から言えば、器楽パートと合唱パートの渾然一体とした絡み合いが、より深く、より広範に追求されて、例えば136番、67番、37番などに見られるような響きの融合も得られました。
また、プレリュードとフーガの形は、時を経るにつれ、当初の明らかな分離ではなく、104番や65番のように、和声的な部分との融合が進み、器楽パートが一貫して同じモティーフを持っていたり、フーガのテーマが冒頭のテーマと何らかの類似性を保って、ふたつの要素の統合を求める方向性が見られます。
さて、このような視点から、本日演奏する190番を見てみると、これがなかなかユニークな存在であることがわかります。制作ノートにも書いたように、このカンタータの第1曲は、器楽パートの大規模な復元作業なしには演奏することができませんが、残された声楽パートからだけでもこの作品の重要性は十分に理解することができます。何より驚くべきことは、合唱パートが突如ユニゾンでテ・デウムの旋律を歌うことです。バッハのカンタータ中、冒頭合唱で声楽の全パートがユニゾンでコラールを歌う例は皆無です。さらにその後、単純なテーマによるフーガが登場します。このテーマはまず、バスからソプラノに向かって順に導入され、さらにふたつめの提示部では、逆にソプラノから順に導入されていきます。このテーマの導入の際、残されているヴァイオリンのパート譜から、器楽が常に独自のモティーフを保ち続けていることが推測できます。そのことによって、プレリュードとフーガが分離独立したものではなく、統一的な対位法的融合へと発展させられていることがわかります。そして、衝撃的なコラールを聞きフーガのテーマが昇り降り
する状況を見ると、次に来るべきものはこのコラールとフーガのテーマの融合以外にはあり得ません。それは、テーマの正しい位置さえ発見すれば、必ず復元可能だと思われます。
冒頭合唱へのコラールの組み込みは、実に次の年度のいわゆるコラールカンタータの常套手段に他なりません。バッハの念頭には、すでに次の年度のカンタータに対する思いがあったのでしょうか?これまでにも、60番、138番、73番などは、冒頭にコラールが出現しましたし、153番は4声体の単純なコラールでカンタータが始まる非常に珍しい例です。しかし、フーガとコラールが同時に出現することはまずありません。そのような意味で190番は、復元するに相応しいユニークな存在と言っていいでしょう。
私にとっては、それぞれのカンタータは、どうしても冒頭合唱によって最も強く印象づけられてしまいます。合唱と器楽が渾然一体となって奏でる対位法的統合、それこそがバッハの命であるといってもよいでしょう。
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