第53回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.32
   〜ライプツィヒ1724年- Vl 〜  


2002/ 4/27  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション  2002/ 4/20 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第154回松蔭チャペルコンサート)


J.S.バッハ/ プレリュードとフーガ BWV566 *パイプオルガン独奏 :今井奈緒子

J.S.バッハ/教会カンタータ 
        〔1724年のカンタータ 6 〜コラールカンタータ年巻の始まり〜〕
          《おお永遠、雷の言葉よ》 BWV20 
          《我らの主キリスト、ヨルダン川に来たりぬ》 BWV7
          《われ、いかで世のことを問わん》 BWV94 


《出演メンバー》

指揮・チェンバロ鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノ野々下 由香里*、懸田 奈緒子、藤崎 美苗、緋田 芳江
  アルト  :ロビン・ブレイズ(CT)*、上杉 清仁、鈴木 環、田村由貴絵
  テノールヤン・コボウ*、谷口 洋介、水越 啓
  バス   :ペーター・コーイ*、浦野智行、大井 哲也、渡辺 祐介

オーケストラ
  トランペット:島田 俊雄  フラウト・トラヴェルソ: 菅 きよみ
  オーボエ:アルフレード・ベルナルディーニ(I)、三宮 正満(II)、前橋 ゆかり(III)
  ヴァイオリン I 若松 夏美(コンサートミストレス)、荒木 優子、パウル・エレラ
  ヴァイオリン II:高田 あずみ、小田瑠奈、戸田 薫
  ヴィオラ:森田 芳子、渡部 安見子

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木 秀美、山廣 美芽  コントラバス:今野 京  ファゴット:ドナ・アグレル
  チェンバロ:大塚 直哉   オルガン:今井奈緒子


《第53回定期演奏会 巻頭言》 

 皆様、ようこそおいで下さいました。今年はちょうど受難週があけてイースターを迎えたのが3月31日、そしてその翌日から日本では新年度が始まったので、あたかもキリスト教暦と新年度の学事暦が一致したかのような印象を持ってしまいました。長く、重いマタイ受軸を背負ってのスペインツアーが終わって、イースター礼拝でするオルガンの奏楽には、何かいつもとは違う特別な感慨がありました。今まで、ほぼ毎年受難曲を演奏してはきたものの、これほど大規模なツアーを行ったのは初めてのことです。仕事のパターンがようやくヨーロッパのバロックオーケストラと同じようになってきた、という感覚とともに、バッハの受難曲さえ演奏していれば、なるほどヨーロッパ人のように、イエスの受難を繰り返し繰り返し否応なく味わっていられるのだ、ということもわかりました。その重い受難曲ツアーの後にイースターを迎え、受難物語の隅々を音楽と共に思い出しながら、今は晴れて復活の記事を読む、という感慨がひとしおで、イースターが今までになく輝かしく感じられたのです。

 ところで、スペインは言うまでもなく、隅々まで濃厚なカトリックの国で、今回のツアーでちょうど棕櫚の日曜日にあたったサラゴサは、巡礼の土地としても知られています。私たちが訪れた時、ピラール大聖堂の周辺では、着飾った人々が教会に急ぐ傍らで、ジプシーと思しき人々が、棕櫚にちなんだ木の枝葉を束ねて声高に売り歩いています。中に入ると、中央祭壇の前で結婚式が行われ、その裏側に位置する別のチャペルでは幼児洗礼式が同時に行われていれた。その一方で、聖堂の中には旅行者ばかりでなく、地元の人々も絶えず大勢出入りし、片隅にある十字架に釘で打ちつけられたイエスの足に、老若男女が代わる代わる接吻をしていきます。あたかも、百人百様の生活すべてが、この絢爛豪華な大聖堂に飲み込まれて、数百年も前から今日と同じように行われて来たことを感じさせる不思議な日曜日でした。
 それにしても驚いたことは、このような典型的なカトリック生活を送る人々さえ、ルター派バッハの受難曲を熱心に聴く聴衆となる、ということです。アンドーラやバルセロナでは、大きな銀行が後ろ盾となって、バッハの受難曲を聴くシリーズが毎年催されていますし、今回演奏したどこの会場でもほぼ満席で、サンセバスティアンのように何ヶ月も前から売り切れていたところもありました。つまり、彼らは、色々な演奏家のマタイ受難曲を毎年聴きに来る熱心な人々なのです。
 考えてみれば、バッハの受難曲は、典型的にプロテスタントの産物です。もちろん、イエスの十字架の死と3日後の復活を告白することにおいては、プロテスタントもカトリックも違いはありません。しかし、そこに頻繁に登場する会衆の讃美歌、すなわちコラールによって、受難曲のプロテスタント的性格が決定づけられているのです。

 会衆が讃美歌を歌う、ということは、ルターによって熱心に導入された宗教改革の最も大きな柱のひとつでした。つまり、それ以前のミサの会衆は、聴衆であり、自分たちが積極的に歌うということがなかったからです。ルターは、そのような聴衆を何とか積極的にミサに参加させようと考え、母国語の讃美歌を導入したのでした。その際、「コラールで歌う choraliter」という言葉は、会衆が斉唱で歌う、ということを指した用語であり、これに対する対語は「フィグラール figuraliter」(聖歌隊などが多声部で歌う、という意)です。つまり、16世紀以来のプロテスタント教会は、会衆が斉唱で歌う教会、と位置付けられて来たのです。ルターによる会衆のコラールの制定には、二つの目的があったと考えられます。ひとつは、カトリックのローマ典礼から受け継いだミサの各部分、特に通常文や詩編唱などを会衆讃美に置きかえることによって、典礼が全体としてその機能を保つこと。もうひとつは、会衆が讃美歌によって、説教者と同じく、御言葉を説き明かす、ということ。この二つ目の機能は、コラールが会衆、司式者、聖歌隊のすべての人によって、平等に同じテクスト、同じ旋律で斉唱されることとあいまって、「万人祭司」の思想と直結したものと言えるでしょう。
 このようなコラールは、宗教改革初期の作曲家たちにとっては聖書に次ぐ重要な位置を占め、その旋律は決して手を触れてはならない神聖なものでした。ですから、彼らにとってコラールに基づく作品とは、あくまでコラールの旋律とテクストを「提示する」ことが目的であり、それを「解釈する」という思いはなかったのです。しかし、時代が下るにつれ、作曲家達はコラールを音楽の要素として分解し、その旋律の断片がコンチェルトやフーガのテーマとなり、作曲家のコラール解釈が作品を左右するものとなって行きました。
 このようにして受け継がれてきたコラールの編曲技法は、バッハのオルガン作品やカンタータにあっても、常にその根幹を成す重要な要素ですが、ライプツィヒの第2年目1724年6月から書き始められた「コラール・カンタータ」と呼ばれる特別な形式は、それまでのコラール編曲の域を大きく超える注目すべきものでした。ホーフマン氏の解説にあるように、コラールの両端の詞節はそのままの形で合唱に、またその間の詞節はすべて敷衍した形でアリアとレチタティーヴオに編み込んでいくという方法は、あたかもからだの隅々にコラールという血が巡るような感覚で、ひとつのコラール全体と1曲のカンタータ全体が渾然一体となって成り立っているのです。

 私達のカンタータシリーズもちょうどこの4月から、いよいよコラール・カンタータのライプツイヒ第2年度に突入していきます。今からちょうど40曲のコラール・カンタータをおよそ3年ほどかけてじっくりお聴き頂くことになるのですが、これらはマタイ受難曲ほどに有名な存在ではないとは言え、バッハ作品の最も奥深いところに位置するいわば「心臓」とでもいうべき部分です。BCJ第10年目の定期演奏会シリーズが、このコラール・カンタータで始まることになったことに、深い摂理的な意味を感じずにはいられません。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明


(02/05/03)

【コメント】
 

VIVA! BCJに戻る

これまでの演奏会記録に戻る