第56回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.34
   〜ライプツィヒ1724年- Vlll 〜  


2002/ 9/14  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2002/ 9/ 7 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第159回松蔭チャペルコンサート)
   2002/ 9/16 16:00 宮城:仙台市青年文化センター・コンサートホール 
                (ステージ写真1拡大版)(03/06/17)


J.パッヘルベル 《ただあなたにのみ、主イエス・キリストよ》
J.S.バッハ    《ただあなたにのみ、主イエス・キリストよ》 BWV1100
J.S.バッハ/プレリュードとフーガ イ長調 BWV536  (以上、オルガン独奏:今井奈緒子)

J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1724年のカンタータ 8〕
         《主イエス・キリスト、この上なく貴き宝よ》 BWV113
         《ただあなたにのみ、主イエス・キリストよ》 BWV33
         《愛する御神よ、いつ我は死なん》 BWV8

    ※仙台公演ではオルガン独奏がなく、カンタータ《神の時こそいと良き時》 BWV106が演奏される。
      (チラシ表記と異なり、BWV113,33 (休憩) 8,106の順となり、後半はチェンバロがステージから
       片づけられた。)

(02/09/17)


《出演メンバー》   ※( )は神戸、東京公演のみ出演

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノ野々下 由香里*、鈴木 美紀子、(緋田 芳江)、藤崎 美苗
  アルト  :ロビン・ブレイズ(CT)*、(青木 洋也)、上杉 清仁、鈴木 環
  テノール:(ゲルト・テュルク)*、島田 道生、谷口 洋介、水越 啓*(仙台)
  バス   :ペーター・コーイ*、浦野智行*(仙台BWV106-3b)、(緋田 吉也)、渡辺 祐介

オーケストラ
  コルノ島田 俊雄  フラウト・トラヴェルソ: 前田りり子
  オーボエ I,II:三宮 正満、尾崎 温子
  ヴァイオリン l 若松 夏美(コンサートミストレス)、竹嶋 祐子、
             (パウル・エレラ*神戸)(フランソワ・フェルナンデス*東京)、
  ヴァイオリン ll:高田 あずみ、荒木 優子、(戸田 薫)
  ヴィオラ:森田 芳子、(渡部 安見子)

  [リコーダーI,II:山岡 重治、矢板由希子] *仙台のみ
  [ヴィオラ・ダ・ガンバI,II:福沢 宏、櫻井 茂] *仙台のみ

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木 秀美  コントラバス:櫻井 茂  (ファゴット:堂阪 清高)
  オルガン:今井奈緒子


バッハ:ライプツィヒ時代1724年のカンタータ VIII

 最も好きなカンタータはどれですか?と問われると、「やっぱり第8番」としばしば答えてきました。ピッチカートの緩やかなリズムに乗って、オーボエ・ダモーレが泉から水を汲み上げるような上行音型を始めるや、フルートが「死への警鐘」のごとく甲高いミの音を連打する、この印象的なはじまりがどうしても忘れられないのです。
 豊かな色彩感に彩られた前奏が終わると、ソプラノが『愛する御神よ、いつ我は死なん』のコラールをおもむろに歌い始めます。これは、もはや宗教改革時代のいかめしいコラールではなく、いかにも新しい時代の優しげな表情を持って、私達の心に染み入ってきます。
 第33番『ただあなたにのみ、主イエス・キリストよ』、第113番『主イエス・キリスト、この上なく貴き宝よ』と共に、1724年の世にも美しいコラールカンタータの響きにとっぷりと浸ることにいたしましょう。

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督
鈴木雅明


(神戸、東京公演チラシ掲載文:02/08/19)


J.S.バッハ カンタータの世界への誘い(いざない)

 この度、長年の夢ようやく叶って、仙台で初めてBCJのカンタータを聴いて頂けることになりました。思えば学生時代に、テノールの佐々木正利さんにご紹介いただいて、仙台宗教音楽合唱団とともにいくつものすばらしいコンサートを体験させていただいたのが、仙台とのおつきあいの始まりでした。それがこのような形に発展して、佐々木さんや多くの仲間たちと連日連夜、口角泡を飛ばして語り合ったバッハのカンタータを、ついにBCJが演奏させていただくのは、感慨無量です。
 今回のプログラムには、私が最も好きなカンタータ、と思ってきたものが含まれています。第8番『愛する御神よ、いつ我は死なん』は、ピッチカートの緩やかなリズムに乗って、オーボエ・ダモーレが泉から水を汲み上げるような上行音型を始めるや、フルートが「死への警鐘」のごとく甲高いミの音を連打する、この印象的なはじまりが忘れられない名曲です。豊かな音色感に彩られた前奏に続いてソプラノが歌うコラール『愛する御神よ』は、もはや宗教改革時代のいかめしいコラールではなく、いかにも新しい時代の優しげな表情を持って、私達の心に染み入ってきます。また、オーボエの激しい導入ではじまる第33番『ただあなたにのみ、主イエス・キリストよ』には、夢見る如くに美しいアルトのアリア『私の歩みの何とよろめいていたことか』が含まれますが、これが今回はイギリスの若き名カウンターテナー、ロビン・ブレイズによって歌われます。プログラムの後半には、あの名曲 第106番『神の時はいとよき時』を加えておきました。これは、作曲者わずか20歳の作品とは思えない、驚くべき人生の洞察と聖書のメッセージが見事に音楽化された作品です。リコーダー2本とヴイオラ・ダ・ガンバのみ、という風変わりな楽器編成が、聴く者をこの世のものとは思えない静謐な世界に誘います。ソプラノには野々下由香里、カウンターテナーにはロビン・ブレイズ、バスはペーター・コーイ、そしてテノールには若き才能を起用して水越啓が、コンチェルティスト(ソロ)をつとめます。仙台の皆様に、バッハの変幻自在で豊穣なカンタータの世界を心行くまで味わって頂ければ幸いです。
                           

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督
鈴木雅明


(仙台公演チラシ掲載文:02/08/19)


第56回巻頭言(BWV113,33,8)

 先月の半ば、ちょうど私がライプツィヒに到着した頃、東ヨーロッパは悲惨な洪水に見舞われました。1週間以上降り続いた雨と、水位の異常な高さを恐れたダムの放水などによって、始めはムルデ川、ついでその本流であるエルベ川の流域が軒並み水浸しになってしまいました。ライプツィヒは、近くのプライセ川が(BWV206に出てくるように)小さな川であったのと、40数年前の治水工事が効を奏して大過を免れましたが、ドレスデンでは中央駅まで2メートル以上の水に没し、近くのグリンマという町では、教会のオルガンギャラリーに人々が駆け上がって難を逃れたそうです。電車は至るところで寸断され、エルベ川とムルデ川を渡るところはすべて閉鎖。ベルリンとライプツィヒの間も、何とか高速道路を迂回するバスによってつながっていたのです。まるで、当時バッハが歩いた場所にねらいを定めるようにして、100年ぶりの大きな被害が広がってしまいました。
 私は13日にライプツィヒに到着するや否や、翌日のトルガウでのコンサートのためにリハーサルにでかけました。トルガウはライプツィヒから電車でわずか30分のところなので、夜はライプツィヒに戻るつもりでしたが、夜になっていざ帰ろうと電車に乗りこんだもののムルデ川を渡る直前に橋が閉鎖されてしまい、結局1時間あまり電車の中に閉じ込められた挙句、トルガウに戻るしかなくなりました。やむなく、トルガウのカントール、ザレツ氏のお宅に泊めてもらい、翌日は丸1日トルガウの町を見物するはめになりました。

 トルガウといえば、私は今まで何度もルターの右腕として活躍したヨハン・ヴァルターの町として、説明をしてきたのですが、実際に訪れたのは初めてでした。本当に小さな町なので、ものの15分もあれば旧市街は歩きつくすことができるほどです。ザレツ氏の家は、旧市街ライプツィガー通りに面した教会所有の建物ですが、彼曰く「この建物は1592年築だから、ここでは比較的新しいよ」などと言うのです。ちょっと驚いて彼の家から一歩出ると、真向かいの家の白い壁のど真ん中に「1524」という、例のちょっと歪んだ年号が目に飛び込んでくるではありませんか。あの1524年。つまり、ルターの「八つの聖歌集」Acht Liederbuchも、ヨハン・ヴァルターの「宗教的歌曲集」Geystiliche Gesangk Buechleinも、さらにルターの序文のついた「音楽便覧」Enchiridionも相次いで出版され、事実上プロテスタント教会のコラール発祥の年、と言ってもよいあの年です。さらに、右に数歩も歩くと、今度は「ルーカス・クラナッハの息子,ここに住まう(1590)」(Leipziger str.14)という銘板があり、さらに「商い人、ルターの友人であるレオンハルト・ケッペここに住まう(1490-1577)」などという銘もありました。ああ、ここは16世紀なのだ、と一瞬目眩がする思いで人っ子一人通らない白い壁の間を徘徊しながら、大洪水のために自分がこの町に引き止められているという事実に、何とも象徴的な感慨を覚えざるを得ませんでした。

 ヨハン・ワルターは、ここトルガウの城教会Schlosskircheで、ディスカントゥス9人、アルトからバスまで合計10人によるカントライ(聖歌隊)を組織し、トルガウ・ワルター写本として今も残るコラール編曲の数々を歌わせたのでした。やがて市教会Stadtkircheにも同じようなカントライが組織され、彼は後のカントール(教会音楽監督)の先駆けとなったのです。そのようなプロテスタント教会音楽発祥の地トルガウで、洪水の最中に、ヨハン・ヴァルターの二つの教会でコンサートをする、というやや異様な体験を通して、改めて自分が如何にこの音楽に捉えられているか、ということを実感しました。
 バッハのカンタータの中心にコラールがあるように、自分の中心にもコラールがある、ということ。これは、何にも代え難い財産に違いありません。例え、どのような洪水によってすべての財産が流されたとしても、その心の財産を流すことはできません。バッハがコラールカンタータの年巻を書いた1724年は、ちょうど1524年の200年後にあたり、当然そのことが強く意識されていたのです。つまりコラールカンタータの年巻は、教会音楽の中心に会衆賛美のコラールがある、ということをまず原理として公然と示し、さらにそれを作曲する際の具体的な技巧の中心として示し、さらにそのテクストが音楽によって釈義されうることを示して、このコラールの伝統が200年前から一刻も忘れられることなく続いてきたことを示したのでした。
 さて、今回はこのようなコラール・カンタータを東京と神戸だけではなく、初めて仙台の方にも聴いていただけることはとても大きな喜びです。仙台ではさらに、カンタータ106番も演奏致しますが、このカンタータにもルターのコラールが象徴的な形で登場します。
 コラールの伝統は、バッハ以後大きく姿を変えました。しかし、今もその伝統は決して途切れることなく続いています。私はその音楽を伝えて来た多くの群れのひとりとして、さらに次代へと伝えられることを願ってやみません。 

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明


(02/09/05)


BWV106について
〔公演プログラムの制作ノート〕より
 この作品は、残されている資料ではヴィオラ・ダ・ガンバと声楽、コンティヌオのパートは変ホ長調、リコーダーパートのみヘ長調(フランス風ヴァイオリン記号)で書かれている。このことは、リコーダーのピッチが弦楽器より全音低かったことを意味しており、他のミュールハウゼン時代のカンタータと共通である。当然弦楽器(とコンティヌオ)がコアトーン Chorton で奏され、リコーダーがカンマートーン Kammerton で奏されたはずだが、絶対的なピッチについては、必ずしも定かではない。現在通常考えられているコアトーン(a'=ca.465)とカンマートーン(a'=ca.415)を想定すると、声楽パートが異様に高くなり(特にバスパートが明らかに高過ぎる)、作品の内容にそぐわない。そこで今日は、リコーダーに最も低いピッチのもの(いわゆるD管のヴォイスフルート)を採用し、ガンバとオルガンは低いフレンチピッチ(a'=ca.392)の変ホ長調で演奏する。なお新バッハ全集ではこれをへ長調に統一して出版しているが、もしガンバをヘ長調として演奏すると、楽器の音色が大きく変化するので、どのピッチであれ、これはヘ長調ではなく、変ホ長調として演奏すべきである。
 また、コンティヌオについては、当時はオルガンのみで演奏した可能性が高いが、今日用いる楽器が大きな楽器ではなく、閉管のみを持つポジティフオルガンであり、低音が著しく不足するので、チェロを重ねることとする。(鈴木雅明)
〔仙台公演で配布された資料〕より
106番の演奏ピッチ(音高)変更について
 公式プログラム掲載「制作ノート」記述の通り、この作品の声楽音域と楽器の調性の問題を解決するため、当初リコーダーに代えてヴォイス・フルートを用いて、いわゆるフレンチ・ピッチ(a'=392)の変ホ長調(a'=415でのニ長調)での演奏を予定していましたが、実験の結果、声楽パート音域が極端に低くなること、また音楽的な効果が得られないことが判明いたしました。
 そこで本日は、ヴィオラ・ダ・ガンバは a'=440 の変ホ長調、リコーダーはオリジナルの資料通り a'=392 のヘ長調と、全体として若干高めのピッチに修正して演奏することに致します。またこの変更に伴い、第3曲b バス・パート歌唱を浦野智行が担当致します。(鈴木雅明) (02/09/16)

 今回のBCJ仙台公演でのBWV106の演奏は、上記のような試行を経て、結果的には a'=415のピッチで考えるとホ長調で響くことになった。(実際、当日低音の補強として演奏に参加されたチェロの鈴木秀美さんはその前のカンタータの a'=415 のチューニングのままで、ホ長調に移調したパート譜で演奏されたとのこと。) ということで、リコーダー(a'=392)はヘ長調チェロ・オルガン( a'=415)はホ長調ヴィオラ・ダ・ガンバ(a'=440)は変ホ長調という3つの調性でそれぞれのパートが奏でられ、玄妙なハーモニーが繰り広げられたのだった。今回の演奏は、上記〔制作ノート〕の鈴木雅明さんの記述でも触れられている高いコアトーン(BCJのカンタータCD第2巻での演奏はこのピッチで、a'=ca.465の変ホ長調で声楽が歌うことになり、大変高い音域のバス声部が書かれている第3曲b ではなんとゲルト・テュルクが「バス」の歌い手として登場している!)での演奏よりも落ち着きのある自然な印象であった。今回の演奏での響きはこの音楽の持つ親密な情感に大変ふさわしいものだったと思う。BWV106がバッハの存命中に再演された明確な証拠は無いようだが、この美しい音楽が18世紀後半の総譜の写しによって伝承されていることからも、ミュールハウゼンでの成立(1707/08)以来多くの人に愛され続けてきたに違いない。BCJのカンタータCDでも、たとえば最後の巻に今回のピッチでの演奏を収録できないものであろうか。仙台公演での一度限りの演奏で終わってしまうには何とも惜しい気がする、素晴らしい演奏であった。
(矢口) (02/10/18)

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