第61回定期
  J.S.バッハ/管弦楽組曲[全曲]  


2003/10/24  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2003/10/25 16:00 大阪:いずみホール


J.S.バッハ/序曲 ニ長調 BWV1068 (管弦楽組曲第3番)
        序曲 ハ長調 BWV1066 (管弦楽組曲第1番)
        シンフォニア ニ長調 BWV1045
        序曲 ロ短調 BWV1067 (管弦楽組曲第2番)
        序曲 ニ長調 BWV1069 (管弦楽組曲第4番)


《出演メンバー》  

指揮/チェンバロ鈴木雅明*

  トランペットグレアム・ニコルソン[I]、斎藤秀範(東京)・島田俊雄(大阪)[II]、村田綾子[III]
  ティンパニ:キャルタン・グドゥナソン
  フラウト・トラヴェルソ: 前田りり子*
  オーボエ:三宮 正満[I]、尾崎 温子[II]、前橋ゆかり[III&I アシスタント]
  ファゴット:堂阪清高
  ヴァイオリン若松夏美*(コンサートミストレス、BWV1045 Solo)
            高田あずみ*、荒木 優子、パウル・エレラ、竹嶋 祐子、山口 幸恵
  ヴィオラ:森田芳子*、成田 寛
  チェロ:鈴木秀美*、懸田貴嗣
  コントラバス:櫻井 茂*

  ※組曲第2番は*の7人で演奏

(03/10/25)


ダンス・ウィズ・BCJ−バッハの『管弦楽組曲』

 音楽の秋、10月の目玉は何と言ってもBCJ初の《管弦楽組曲(序曲)》全曲演奏会です。「どこか聞き覚えのある」音楽の代名詞とも言えるこの曲集は、その甘美な旋律と歯切れのよいリズムで、あまたのバッハ作品の中でも最も「理屈抜き」に愛聴されてきた作品といえるでしょう。オーボエの音色も清々しい第1番に、独奏フルートが印象的な第2番、「G線上のアリア」の編曲でも有名な第3番に、ティンパニの連打と3本のトランペットが興奮を誘う第4番。更に今回は、断片のみで伝わる《シンフォニア ニ長調》を取上げ、オーケストラと対話するヴァイオリンの輝かしい大ソロも合わせてお聴き頂きます。
 今年4月の《マタイ受難曲》アメリカ・ツアーでも圧倒的な成功を収め、世界屈指のアンサンブルとして評価を高める鈴木雅明&BCJオーケストラによる演奏で、煌びやかなバッハ・オーケストラの魅力を心ゆくまでお楽しみ下さい。

(チラシ掲載文) (03/10/14)


第61回定期演奏会 巻頭言 (管弦楽組曲)

 皆様、ようこそおいでくださいました。
 バッハにおいては、オーケストラのための作品は決して多いとは言えません。その中にあって、この「管弦楽組曲」は、非常に広く好まれてきました。しかし、作品の成立過程やバッハ自身の演奏の機会について物語る資料はほとんどが失われていますので、多くの憶測を生む結果となっています。いわく、これらの組曲は何といっても宮廷舞曲の集合なので、当然ケーテン時代の作品である、いや、現存する資料はすべてライプツィヒ時代のものなので、成立もライプツィヒ以前ではありえない、いやいや、成立はケーテンよりさらに古いワイマール時代に遡り、当初はトランペットなしで構想された、などなど・・。
 さて、現存する資料については制作ノートを見ていただき、また個々の舞曲については、市瀬さんの『紙上舞踏教室』にゆだねるとして、ここでは、冒頭の「序曲」について考えてみたいと思います。
 これら4つの作品は、いずれも冒頭に「序曲」をもち、続いていくつかの舞曲、あるいは舞曲とは言えない「性格的小品」が組み込まれて、「組曲」という形を持っています。ところが、ここには「組曲」Suiteというタイトルは見られず、1曲ずつの組曲全体が「序曲」Ouvertureと呼ばれているのです。つまり、チェンバロのためのクラヴィーア練習曲集第2巻(1735)に含まれる《フランス風序曲》BWV831と同じく、Ouvertureという言葉で、冒頭の楽曲だけではなく、それに続く舞曲をも含めて組曲全体を呼んでいたのです。これは、冒頭の曲がよほど大きな意味を持っていたことの表れではないでしょうか。
 そもそも「序曲」Ouverture(ウヴェルテュール)は、フランスの舞曲の前奏として用いられた2部分形式の器楽曲を原型として、1660年前後にジャン・バッティスト・リュリがオペラの序曲として確立したものです。まず、オーケストラのTuttiが、2拍子の荘重な和声を鳴り響かせると、王様がおもむろに貴賓席に現れ、あたりを睥睨する。するとすぐに速い部分が続き、駆け巡るテーマのフーガ風導入が踊り子たちの登場を促すのです。目くるめくきらびやかなオペラや舞踏会の開始を告げる荘重な威厳、そして人々のわくわくとした気持ちをますます煽り立てるかのように、ヴァイオリンやオーボエが駆け巡るフーガ。この二つの要素を対比した後、多くの場合再び荘重な部分が回帰して序曲を閉じ、いよいよオペラの開幕。これが「序曲」のもっている音楽的なファンクションなのです。
 この形式は、もはや単なる音楽上の意味だけではなく、象徴的な意味を持っていました。荘重な部分で多用される符点は上なる「権威」の象徴であり、駆け巡るフーガ風中間部の対位法的な手法は、後に続く快活な舞曲の予告であるとともに、この世の楽しみも「権威」の下にあることを示していたでしょう。この威厳に満ちた形式が絶対王政の価値観と合致したのか、ルイ14世はこれがよほど気に入ったと見えます。以後ほとんどのオペラがこの形式で始まり、フランスのみならずイギリスでもドイツでも、18世紀に至るまで夥しい数の劇作品がこの『フランス風序曲』で幕を開けたのです。
 しかし、同じく絶対王政の頂点であり、しかもフランスの新しい価値観ともいうべき啓蒙思想に深く影響を受けたプロシャのフリードリヒ大王は、お抱え音楽家のひとりカール・ハインリヒ・グラウンに、「フランス風序曲を書いてはならない」という命令を下しました。恐らくフリードリヒ大王は、複雑な対位法を排除して、より簡易な旋律と和声を求めたのでしょう。やむなくグラウンは、イタリア風序曲を書くことになるのですが、この中には対位法的な部分は一切含まれず、すべて単純な旋律と和声に基づいています。
 さて、バッハは明らかに絶対王政の価値観に生きた人でした。そして言うまでもなく、このフランス風序曲を非常に好み、ことさら複雑な対位法技術を駆使して、絢爛豪華な作品を数多く残しています。しかも単に器楽曲の冒頭に用いただけではなく、パルティータの4番やゴルトベルク変奏曲では、曲集のちょうど真ん中にこれを用いて、後半の開始を告げたのでした。また、カンタータにおいてはしばしばこの形式に合唱を組み入れ、新たなることの公的な開始を宣言したのです。例えば、第61番《いざ来たりませ、異邦人の救い主》では新たな教会年度の開始、第194番《こよなく待ち焦がれし喜びの祝い》では新たなオルガンと教会堂の奉献、第119番《エルサレムよ、主を讃えよ》では新たなライプツィヒ市政年度の発足、第20番《おお永遠、雷の言葉》では新たなコラールカンタータ年度の開始、さらに第110番《笑いはわれらの口に満ち》では新しい命の到来、などなど。
 特にカンタータ第110番第1曲では、今日演奏する《序曲第4番》第1曲がそのまま用いられ、中間部に合唱が重なってクリスマス第1日の喜びを歌います。3連符の連続は、正に「われらの口に満ちた笑い」をそのまま表現しているかのようであり、歌詞からわかるように「大いなること」に対する喜びと賛美が、この序曲の目的でしょう。さらに、トランペットの活躍する第6曲アリア「目覚めよ、血管よ、肢体よ!」など全体を通して、大いなる御業の権威を賛美することが、全体のテーマでもあるのです。
 この「権威」とは、もはやこの世を治める者の権威ではなく、この世を造られた方の権威。つまり、第1曲の荘重な部分に多用される符点も、もはや地上の王ではなく、天上の王を讃え、同時に符点が「鞭打ち」のモティーフでもあることを思い起こすなら、すなわちこれは「鞭打たれた王の権威」すなわち「救い主イエス」への畏敬の念につながるのです。
 旧約聖書歴代誌上第25章によると、イスラエルの王として最初に威厳を誇ったダビデは、288人を選んで、神殿で歌、竪琴、琴、シンバルを演奏させました。バッハは1733年以来自分の所有していた聖書のその箇所に、次のような書き込みをしています。
 『これは、神の好まれるすべての教会音楽の基礎(Fundament)である』
 ここにこそ、歌ばかりではなく器楽においても「神への賛美」を捧げるバッハの姿があります。正しく威厳に満ちた序曲、そしてそれに続く快活な舞曲、これらのすべてが、バッハにおいては、湧き上がる「神への賛美」に他なりません。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明


(03/10/23:BCJ事務局提供)



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