2005/ 6/24 19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
2005/ 6/18 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第180回神戸松蔭チャペルコンサート)
*定期公演の前後に行われた公演(出演メンバーの入れ替えあり)
2005/ 6/17 18:30 青山学院ガウチャー・ホール(非公開の音楽教室:青山学院)BWV1,127
2005/ 6/27 16:00 桐蔭学園メモリアルホール(非公開の音楽教室:桐蔭学園)BWV1,211
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1725年のカンタータ 3〕
J.P.スヴェーリンク(?)/何と美しいことでしょう、暁の星が照り輝くのは(Org独奏:今井奈緒子)
J.S.バッハ/ 《我らを保たせたまえ、主よ、あなたの御言葉のもとに》 BWV126
J.S.バッハ/ 《主イエス・キリスト、真の人にして神》 BWV127
D.ブクステフーデ/何と美しいことでしょう、暁の星が照り輝くのは (Org独奏:今井奈緒子)
J.S.バッハ/ 《何と美しいことでしょう、暁の星が照り輝くのは》 BWV1
*カンタータの曲名をクリックすると、その曲の解説がご覧になれます。(05/08/30)
指揮:鈴木雅明
コーラス(*=独唱[コンチェルティスト])
ソプラノ :キャロリン・サンプソン*、緋田 芳江、藤崎 美苗
アルト :山下牧子(レチタティーヴォ・ソロ)*、上杉 清仁、鈴木 環
テノール:ゲルト・テュルク*、谷口 洋介、水越 啓
バス :ペーター・コーイ*、浦野 智行、渡辺 祐介
オーケストラ
トランペット/コルノ I :島田 俊雄 コルノ II :飯島さゆり
リコーダー:山岡重治(I)、向江昭雅(II)
オーボエ/オーボエ・ダ・カッチャ:三宮 正満(I)、尾崎 温子(II)
ヴァイオリン I:若松 夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋 祐子、
ヴァイオリンII:高田あずみ、荒木 優子、山口 幸恵(東京公演)、中丸まどか(神戸公演)
ヴィオラ:森田 芳子、深沢美奈
〔通奏低音〕
チェロ:鈴木 秀美 コントラバス:今野 京 ファゴット:ダニー・ボンド
オルガン:今井奈緒子 チェンバロ:鈴木優人
(05/06/18更新)
教会カンタータシリーズ、「コラールカンタータ」最終回となる今回、ひとつの特別なカンタータを取っておきました。それはカンタータ127番《主イエス・キリスト、真の人にして神》です。豊かな色彩で始まる第1曲は神学的な象徴に満ちた作品ですが、特に美しいのが第3曲のソプラノアリア。2本のリコーダーと弦のピッツィカートが刻む「死の鐘」に乗ってオーボエとソプラノが歌う「天国での安らぎ」。これは全カンタータ中、最も美しいアリアと言ってもよいかもしれません。続くトランペットとバスが語るこの世の終わりの描写ともあいまって、劇的に音楽化されたキリスト教の奥義を目の当たりにすることができるのです。これとあわせて、岩の上に蒔かれた種のごとく、堅固な信仰を雄々しく歌うカンタータ126番《私を保ちたまえ、主よ、あなたの御言葉のもとに》、さらに2本のホルンによってよく知られた第1番《何と美しく輝くことか、暁の星は》を共にお楽しみ下さい。
鈴木雅明 (バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)
(05/06/17:チラシ掲載文)
皆様、ようこそおいでくださいました。
今回のコンサートで、いよいよ1724年から25年冒頭にかけてのコラール・カンタータ全40曲が終了します。コラール・カンタータの最後を飾るのは、1725年3月25日マリアの受胎告知の祝日に演奏された《何と美しいことでしょう、暁の星が照り輝くのは》BWV1ですので、ぜひともこれを最後に演奏したいと考えてきました。
思えばこれは、筆者が学生時代、東京文化会館4階の視聴室に通いつめることになった最初のカンタータでした。当時、レオンハルトとアルノンクールのカンタータ全曲シリーズがちょうど出始め、話題に上りつつありましたので、その第1巻のLPに興味津々針を落とすと、冒頭からいきなりホルンが鳴り響き、溌剌とした古楽器の音に愕然とした記憶が今でもまざまざと思い出されます。このレオンハルト/アルノンクール・シリーズの当時は、未だ新バッハ全集の出版もわずかであり、今よりは遥かに限られた情報を頼りにひとつひとつ演奏を追求して行ったわけですから、彼らの苦労は並大抵のものではなかったでしょう。また演奏方法についても充分に開発されていたとは言えず、特に現代的なピストンを持たないホルン演奏については、如何に多くの困難があったかが、録音からも想像されます。
今日聴いて頂くカンタータ第1番に登場するようなホルンは、18世紀の宮廷においては、狩に出かける時に不可欠の重要な楽器でした。獲物を追う犬や馬を鼓舞するばかりではなく、その高らかな音で宮廷の権威を世の中に鳴り響かせたのです。同時にホルンは、狩だけではなく、教会においても多くの礼拝音楽に用いられ、神の権威を象徴したのでした。バッハは、ライプツィヒに移ってから30曲以上の教会カンタータでホルンを用いています。しかし、ホルンを意味する「コルノ」Cornoや「狩のコルノ」Corno da Caccia や Corno par force、またフランス語でCorne du Chasse など、様々な名称が用いられていることから、単一の楽器であったのかどうか定かではありません。また、多くの作品がF管とG管を要求していますが、C管やD管もあり、その記譜法も実音であったり移調譜であったりする上、スライドつきホルン Corno da tirarsi という名称も3回登場するので、楽器についての議論が止むことはありません。
バッハ当時のライプツィヒでは、ホルンのための専門の奏者がいたわけではありません。バッハが演奏者の現状を嘆いて1730年に市参事会に提出した『緊急の覚書』(1730年)にも、ホルン奏者の名前はなく、トランペットの名手として名高いシュタットプファイファー(町音楽師)、ゴットフリート・ライヒェとヨハン・コルネリウス・ゲンツマーがホルンをも担当したに違いありません。1734年に亡くなったライヒェの遺品には、トランペットばかりではなくホルンも残されています。
バッハは、コラール・カンタータの冒頭楽章と終曲では、例外なくコラールの旋律を装飾のない単純な形で鳴り響かせました。その全40曲のうち実に28曲において、コラール旋律が何らかの金管楽器によって補強され、そのうち約半分がホルンに委ねられています。奏者が共通であったことを考えると、旋律を重ねることが主目的のスライドつきのトランペットとホルンの間には、音楽上の機能においてはそれほど大きな差は意識されていなかったと思われます。旋律がホルンなどによって補強されることは、決してバランス上の配慮ばかりではありません。このことは、バッハがコラールの旋律というものに対して、どのような意識を持っていたかを示しているのです。
16世紀初頭の宗教改革当時、ルターの右腕であったヨハン・ヴァルターなどの音楽家は、会衆が歌うコラールに、神の言葉が盛られる器として、正に「上から」の権威を認めていたのでした。ですから、彼らは、その旋律を分断したり変更することなく、自らの編曲においても、そのままの形で用いることのみを求めました。しかし時代が下るにつれ、コラール旋律は作曲の様式に応じて、リズムが変わり、旋律は切り刻まれ、もはや音楽上の技法に供せられる一材料として、象徴的な機能を残すのみとなっていきました。さらに18世紀初頭ともなると、プロテスタントの教会音楽作品であっても、必ずしもコラールは不可欠な存在ではなくなりつつあったのです。
そのような中にあって、バッハのコラール・カンタータは、ある意味では、驚くばかりに宗教改革の精神を反映させたものでした。それは、もちろん、ルターが事実上会衆歌を制定した1524年からちょうど200周年ということを強く意識してできあがったものです。しかし、それは単に懐古的に取り上げられたのではなく、そこではコラールが新しい文脈の中に置かれ、宗教改革時代には思いもしなかった新しい命が吹き込まれたのでした。
コラールに吹き込まれた新しい命とは、まず旋法に則ってできあがったコラールに調性の感覚が植えられたことです。コラールの旋律は原則として教会旋法に則って書かれています。例えばBWV127の終曲を見ていただければわかるように、一見ヘ長調のように見える曲が、ハ長調の和音で終わってしまっていますが、これは、この旋律がヘ長調ではなく、本来は「ド」(あるいは移調された「ソ」というべきですが)を中心とする旋法であったことを示しています。しかし、第1曲においては、バッハは最後にオーケストラの前奏を繰り返し、ソプラノを含めた全合唱にもういちどこの同じモティーフを歌わせることで、作品全体をヘ長調の、つまり調性の世界へと導いているのです。
古めかしい「旋法」世界を、新たな「調性」世界へと衣替えするために大きな役割を果たすのが、オーケストラ独自のモティーフです。コラール・カンタータは、ごくわずかな例外を除いて、オーケストラが独自のモティーフを持ち、そのモティーフによって、作品の調性感が確立します。そればかりではなく、そのモティーフによって、作品の調性の構造を誘導して、歌詞の内容を表現しているのです。例えば、BWV127第1曲の3行目「あなたの酷い苦しみ bittre Leiden dein」というところの響きを聴いてください。コラールの旋律は、何も変わらぬ明るいヘ長調(に似た響き)のままなのに、オーケストラとソプラノ以外の声楽パートで、「苦しみ Leiden」を表す小さなモティーフと共に突然フラットが増えて行き、へ短調に達してしまいます。このような表現は、旋法の世界では決してできない、機能和声の持つ強烈な「調性」世界の力なのです。
しかし、バッハはすべてをこの新しい価値観に塗り替えようとしているのではなく、このふたつをインテグレート(統合)しようとしていることは、BWV38《深き苦悩の淵から》第1曲のような作品の存在を見れば明らかです。つまりそこでは、オーケストラは何も独自のモティーフを持たず、合唱とユニゾンでのみ演奏し、音楽は完全に旋法(この場合はフリギア旋法)の世界に留まっているのです。(そして、このような古めかしい語法の時には、決まってトロンボーンとコルネットが登場します。)
コラール・カンタータによって結び合わされた「旋法」と「調性」の感覚は、「古きもの」と「新しきもの」という概念を思い起こさせます。「人よ、おまえは死なねばならぬ」と古き約束を歌う合唱に対し、ソプラノただひとりが「イエスよ、来てください」と新しい約束への希望を歌うBWV106《神の時は最善の時》以来、バッハの中には「新」と「旧」の対立した概念がいつも存在しています。古い約束とは即ち旧約の律法を、新しい約束とは、イエス・キリストの十字架によって初めて成就された新しい命への希望です。もちろん旋法は律法ではありません。しかし、バッハの時代においては、もはや「新しいぶどう酒を新しい皮袋」に入れようとする時代でした。つまり、当時「新しいぶどう酒」と思われた、新しい価値観に基づく耳に心地よい音楽が世の中を席巻しつつある、そのような時代にあって、バッハがあえて古いコラールを用いて両者の統合を試みたことは、何を意味しているのでしょうか。
イエス・キリストが現れたことによってもたらされた希望は、決して古い律法の廃止を意味してはいませんでした。イエス・キリストは「私が来たのは、律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(マタイ5:18)と言われました。神の恵みとしての律法があればこそ、それを守ることのできない私たちの罪が認識され、その罪のゆえにイエスが十字架につかれたのです。ですから、イエスの十字架は律法の完成であり、また、そのことを歌うコラールの存在は、ヨハン・ヴァルターにとってと同じく、バッハにとっても、私たちが拠って立つべき「完成された神の律法」そのものであった、に違いありません。そのことを思えば、BWV127第1曲には、基本となるコラール《主イエス・キリスト、真の人にして神》だけではなく、その影に、器楽のみが《キリスト、あなたは神の小羊 Christe, du Lamm Gottes》の旋律を繰り返し演奏するのも、非常に象徴的なことです。
バッハは、結局1724年度には、コラール・カンタータ年巻を完成することはできませんでした。それは、作詞者であったと思われるシュトゥーベルの死によるものばかりではなく、教会暦上この年にカンタータを書くことのできなかった日曜日がいくつかあったのです。それらの日曜日のために、バッハは、後年さらに十数曲を作曲して、1724年の教会暦で満たされなかった日曜日用のコラール・カンタータを補填しようとしています。ですから、バッハにとっては、このコラール・カンタータの年巻を完成することがそれほどに重要なことであったに違いありません。
聴衆の皆様に2002年4月から3年間をかけて聴き続けて頂いた40曲のコラール・カンタータこそ、新旧世界の統合、古き律法と新しい希望の統合、つまり新しい希望が古い律法を完成させることであり、そしてそれは、ただ主イエス・キリストの十字架においてのみ、成し遂げられたことを高らかに宣言した、バッハの「心臓」にほかなりません。
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
(05/06/17、BCJ事務局提供)
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