2006/ 7/27 19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
2006/ 7/22 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第188回神戸松蔭チャペルコンサート)
J.S.バッハ/コラール編曲《いと高きところの神にのみ栄光》 BWV676,715 (オルガン独奏:今井奈緒子)
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1725年のカンタータ 5〕
《ただキリストの昇天のみが》BWV128
《傲慢な、そして臆病なものが》 BWV176
《今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった》 BWV87
《私を愛する人は、私の言葉を守る》 BWV74
指揮/チェンバロ:鈴木雅明
コーラス(*=独唱[コンチェルティスト])
ソプラノ :野々下由香里*、緋田芳江、藤崎美苗
アルト :ロビン・ブレイズ(CT)*、青木洋也、鈴木 環
テノール:櫻田 亮*、谷口洋介、水越 啓
バス :ペーター・コーイ*、浦野智行、渡辺祐介
オーケストラ
トランペットI/コルノI:島田俊雄、トランペットII:斎藤秀範、トランペットIII/コルノII:村田綾子
ティンパニ:村本寛太郎
オーボエ/オーボエ・ダモーレ/オーボエ・ダ・カッチャ:三宮正満、前橋ゆかり、尾崎温子
ヴァイオリンI:若松夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋祐子
ヴァイオリンII:高田あずみ、荒木優子、戸田 薫
ヴィオラ:森田 芳子、渡部安見子
〔通奏低音〕
チェロ:鈴木秀美 コントラバス:西澤誠治 ファゴット:堂阪清高
チェンバロ:郡司和也 オルガン:今井奈緒子
今年は、今までになく旅の多い年になりました。3月のアメリカ、そして5月のヨーロッパとBCJの国際ツアーが並び、私自身は、今再びバッハ・コンクールのためにライプツィヒに来ています。飛行機が苦手という人も少なくありませんが、私は嫌いではありません。しかも、旅行中は新鮮な刺激をふんだんに浴びることができるので、いつもより元気になることが多いのです。 旅、ということから思い出すのは、ノルウェーに住んでおられた安部哲さんという方のことです。今からもうかれこれ25年近く前のことですが、私たちがオランダ・デンハーグに住んでいた頃、ある日突然電話があって、「ええ、安部といいますが・・・今、デンハーグに着きました・・・」と仰るのです。約束もなければ、顔も知らない方が突然泊まりに来る、ということは、普通ならありえないでしょうが、これが安部さんとの最初の出会いでした。 安部さんの仕事と言えば、「初生雛の鑑別」、すなわち生まれたてのヒヨコが、オスかメスかを鑑別することでした。その仕事で世界各地を回る間にキリスト教信者となり、世界中に伝道する伝道師として働いておられたのです。鑑別の仕事は、食料政策に直結した重要なものですが、非常に敏感な指先の感覚が必要だそうで、かつては世界中のほとんどの鑑別士が日本人であったそうです。「お箸を上手に使う800年(?)の伝統が、この仕事を可能にしたのじゃ。」と安部さんはよくおっしゃっていました。彼はノルウェーのブリーネという所に「祈りの家」という私的な教会を構え、その傍ら、本格的なお味噌や羊羹、新巻鮭などを作っては、世界中に散らばっている日本人に送り続けていました。そして、必ずそのプレゼントの上には、聖書の言葉がひとこと書いてあるのでした。 当時安部さんは、ヨーロッパ各地にあった日本人の聖書集会を毎月のように周り、我が家の集会にも、以後頻々と来てくださいました。「聖書のことばは、ごはんと同じ。毎日食べんといかん。そうせんとお腹がすく。」と言っては聖書を大声で読み、ひよこの鑑別の話であろうと、羊羹の話であろうと、何を話していても聖書に結びつくのでした。彼はヨーロッパはもちろん、アメリカもアフリカもロシアもキューバも、それこそ北極と南極以外はあらゆるところに出かけられたのではないか、と思いますが、伝道のための飛行機代は、すべてご自分で負担されていましたので、ずんぐりとした大きな手提げかばんの横に、そのかばんと同じくらいの大きさになってぶら下がっている巨大な手荷物タグの束は、彼の献身の印であったに違いありません。望まれれば、地の果てにまで行く、といつも仰っていた安部さんは、そのとおり身を持って実行され、1989年2月、アフリカで感染したマラリアがもとで天に召されました。しかも、それがオランダでのことであったのも、私たちには偶然とは思えないことでした。 |
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私たちBCJの旅は、もちろん安部さんのような旅行ではありません。しかし、旅行をする度に、安部さんのことを思い出さずにはいられません。安部さんは聖書そのものを携え、そして私たちは聖書の言葉を乗せた音楽を携えて、旅に出ます。もちろん旅することは、楽しいことばかりではありません。第一、経済的には大きな負担を抱えますし、苦しいことも多々あるのです。しかし、それぞれの場所で出会う聴衆の
燃え上がらんばかりの情熱が、決して単に私たちの演奏にのみ向けられたものではなく、バッハの音楽に、そしてバッハの音楽が伝えるメッセージにこそ向けられたものであることを知る時、私たちは、旅することを単なる仕事のひとつ、と片付けるわけにはいかなくなるのです。 バッハの音楽には、安部さんのお話と同じだけの聖書のテクストが語られます。しかも、それは言葉だけではなく音楽と言う形ですから、あらゆる感覚器官に訴える力を持っています。器楽曲の場合は、もちろん言葉とはいえないかもしれません。しかし、そこに表されているものは、決して個人的なエンターテインメントではなく、協和音と不協和音、強弱、硬軟、軽重、速度、劇性などなど、あらゆるアフェクトを通じて、この世の秩序を表し、またひとりひとりの中にある、あらゆるテンペラメントと呼応して振動する波長を伝えるのです。ですから、東京や神戸であれ、マドリードであれ、アムステルダムであれ、世界の聴衆が沸き起こすすばらしい拍手は、決して演奏家にのみ向けられたものではありません。むしろ、その演奏によって成し遂げられたひとつの新たな創造、即ち音楽が、今、新たに命を得て人々の耳に入り、そしてそれが聴衆の体の中で引き起こした新たな創造こそが褒め称えられていると言ってもよいでしょう。 |
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17〜18世紀のドイツにおいては、音楽における作曲と演奏の方法、それによって表現できる音楽と言葉のアフェクト、さらにはその言葉によって表明されるべき信仰、これらはすべて、教育によって伝授できると信じました。そのために、音楽の細かい現象を修辞学の用語で説明し、ムジカ・ポエティカという概念を確立して、言葉と音楽の関係について克明に書き記したのです。この背後には、もちろん、ルターの信仰と思想がありました。つまり、言葉と音楽の双方で信仰は言い表され、宣言され、あらゆる方法で伝えられなければならないのです。バッハの音楽は、そのような信仰のもとに生まれでたものでしたから、声楽曲ばかりではなく器楽曲においても、常に人に「伝えよう」とするメッセージを持っています。 この考えによれば、音楽の目的は、言葉の概念を単に「表現する」だけではなく、それが聴衆に「伝達され」、しかも「新たな創造を喚起する」ことが、求められたのでした。音楽家の使命は、ですから単に音を出すことにとどまりません。その音が特定のアフェクトを表現し、しかも聴衆まで届いて、聴衆の中で新たなアフェクトを生起させなければならないのです。それが成功した時、聴衆は拍手でその喜びを表現することができますが、それは、演奏家に向けられると共に、音楽に、そして、その音楽が持つアフェクトに向けられたものでしょう。ですから、私たちの使命は。世界中の聴衆の前で演奏することです。それは、彼らが、自らの中に沸き起こる新たな創造を確認し、偉大な音楽に対して心から拍手できるようにするためです。私たちには、その使命があるのです。 バッハは生前、決して多くの旅をしたとは言えません。むしろ、ヘンデルやチャールズ・バーニーなどの同時代人に比べれば、ごくわずかと言っても過言ではありません。しかし、今や彼の音楽が、私たちを含めて多くの音楽家によって、世界中の人々のところに届けられる以上、彼が旅しているのと何も変わりません。ですから、世界各地の求めに応じてバッハの音楽を演奏して回ることは、決して副業ではなく、バッハをこの世に存在させるために、東京や神戸の演奏と同じだけの重みを持つ、重要な使命であることがわかります。世界の各地で起こるバッハの音楽の再創造、ということが、私たちに生きていることの証を与えるのです。これからも、私たちが、なるべく多くの人々の耳にバッハの音楽を届け、それによって、新たな喜びが創造されるように。そして、それが地の果てまでも伝えられるように、どうぞご一緒にお祈りください。 |
「イエスは言われた。『・・・あなたがたは・・・地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』」 (使徒行伝 1:8) |
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
(06/07/26)
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