第74回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.47
   〜ソロ・カンタータ ll 〜  


2006/ 9/24  15:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル

*同一プロダクション
   2006/ 9/23 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第189回神戸松蔭チャペルコンサート)


J.S.バッハ/教会カンタータ 〔ソロ・カンタータ 2〕
  《偽りの世よ、われは汝に頼まじ》BWV52 (ソプラノ独唱)
  《われは足れり》BWV82
(バス独唱、オーボエ:三宮正満)
  《神にのみ わが心を捧げん》BWV169
(アルト独唱、オルガン・オブリガート:鈴木雅明)
  《われ哀れなる人、われ罪の下僕》BWV55
(テノール独唱、フラウト・トラヴェルソ:前田りり子)
  《ああ神よ、いかに多き胸の悩み》BWV58
(ソプラノ/バス)

  *タイトルをクリックすると曲のデータにジャンプします。  (06/09/18)


《出演メンバー》  

指揮/オルガン・オブリガート(BWV169)鈴木雅明

声楽ソリスト ・ソプラノ:キャロリン・サンプソン
         ・アルト(カウンターテナー)ロビン・ブレイズ
         ・テノール:ゲルト・テュルク
         ・バス:ペーター・コーイ
オーケストラ
  ホルン:オリヴィエ・ダルベレイ、塚田 聡
  フラウト・トラヴェルソ:前田りり子
  オーボエ:三宮 正満、尾崎 温子、前橋ゆかり
  ヴァイオリンI若松 夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋 祐子、
  ヴァイオリンII:戸田 薫、荒木 優子、長岡聡季
  ヴィオラ:森田芳子、大津 陸

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木 秀美  コントラバス:今野 京  ファゴット:村上由紀子
  オルガン:今井奈緒子  


第74回定期演奏会 巻頭言 (BWV52,55,58,82,169) 

 ここ25年間というもの、毎年夏はヨーロッパの歴史的オルガンと共に過ごしてきました。今年の旅は、オランダ・ハーレムの聖バーヴォ教会に始まりました。32フィートのパイプをフロントに持つこのオルガンは、1738年にクリスチャン・ミューラーによって完成されたオランダ最大のオルガンです。既に何度か書いたように、学生時代ヨーロッパに来て最初に衝撃を受けた、私にとっては記念すべき楽器でもあります。この教会でのコンサート後は、必ず教会裏の「カリヨン」という名前のカフェで、友人や知人とビールを傾けることになっているのです。「カリヨン」はそれ自体古い宿屋でもあり、その並びには、レーオポルド・モーツァルトが『ヴァイオリン教程』のオランダ版を印刷させていた建物も残っている古めかしい一角です。
 今年は、評論家のカレル・ファン・ヴォルフレンや友人の小説家マルグリート・デ・モーア女史も駆けつけてくれたので、私のかつての師匠ピート・ケーと引き合わせることができ、とても楽しいひと時となりました。マルグリート・デ・モーアは声楽家でしたが後に小説家に転じ、カストラートを主人公とする小説「ヴィルトゥオーゾ」を書いた方です。実は、ピート・ケーは、かつてその小説を私にプレゼントしてくれたほどマルグリート・デ・モーアの熱烈なファンだったのですが、この夜二人は初めて出会ったのでした。
 さて、そのオランダを後にして、ハノーヴァーから東南へ1時間ほど下ったゴスラーという町に向かいました。この町の郊外にあるグラウホフ修道院教会には、1734年に建てられた名匠クリストフ・トロイトマンのオルガンが聳えているのです。およそ人っ子ひとり住んでいないような森と平野の真ん中に、この巨大な教会があること自体が既に驚きでもありますが、さらに、その教会内部とオルガン本体に施された絢爛たる装飾は、この教会がかつて如何に大きな力を誇っていたか、如実に表しています。
 トロイトマンのオルガンは、テューリンゲンのオルガンの影響を受け、弦楽器的な特徴を色濃く残しています。ハウプトヴェルク(主鍵盤)には、ヴィオラ・ダ・ガンバという名称のストップが8フィートと16フィートのふたつもありますし、ヒンターヴェルク(本体の後ろに位置するパイプ群)に作られたフラウト・トラヴェルソという名称の4フィートストップは、通常の倍音管*1ではなく、何とストリング属*2なのです。これは、明らかにテューリンゲンの特徴です。今回私はコラール・パルティータをプログラムに入れていましたが、この形式は、明らかにこのようなストリング属の様々な音色を前提にしていると思われます。

 
 言うまでもなく、オルガンはカンタータの演奏には不可欠です。多くの場合、コンティヌオの楽器として和音を演奏するために用いられますが、このようなテューリンゲン地方の大オルガンで、コンティヌオを演奏すると、すべてが驚くほど充実した柔らかい響きに満たされ、まるで極上の絹の布団に包まれたような気持ちになるのです。しかし、今回のプログラムに含まれるBWV169《神にのみ、私の心を捧げよう》のように、ソロパートをも受け持つ場合は、柔らかいばかりではなく、輝かしいソロパートを全うしなければなりません。
 大オルガンとのアンサンブルは、オルガニストとオーケストラの位置関係が重要なポイントになってきます。この地方のオルガンには一般的にはリュックポジティフ*3が存在せず、深いバルコニーの一番奥に位置することが多かったので、オルガンの前に他の楽器や声楽家が並べば、アンサンブルには問題がなかったでしょう。しかし、ライプツィヒの聖トマス教会には、リュックポジティフが存在していたことがわかっているので、オーケストラは一体どこに位置したのか、なかなか興味深い問題になるのです。
 数年前に出版されたクリストフ・ヴォルフの『J. S. Bach : The learned Musician』(邦訳:「J.S.バッハ:学識ある音楽家」春秋社2004)には、コンピューターで再現した、バッハ当時の西側バルコニーとオルガンの様子が掲載されています(P.416)。それによると、オルガン演奏台とリュックポジティフのレベルの下に、もうひとつ大きなバルコニーがあり、そのバルコニーに合唱隊が並ぶ。弦楽器と管楽器は、オルガン演奏台の左右に分かれて、一段高いバルコニーに位置したのではないか、とのことです。これは、大変劇的で興味深い楽器配置ではありますが、果たしてこのような分割された状態でアンサンブルが可能であったのか、疑問が残ります。BWV169では、制作ノートを見ていただければわかるように、これは作曲者自身が演奏したのではないか、と想像できますが、もしバッハ自身が上のオルガン演奏台に登ってしまうと、全体の統率を取ることができなくなってしまうので、やはり演奏者は誰か別の人だったのかも知れません。
 当時の演奏の実態について研究を進めているライプツィヒのアンドレアス・グレックナー氏によれば、上記のように複雑な配置であったことからおこるアンサンブルの難しさのゆえに、チェンバロを一緒に用いたのではないか、とのことでした。チェンバロの音色は、オルガンより鋭角的に響くので、アンサンブルに役に立つことが多いのです。チェンバロとオルガンの同時使用はローレンス・ドレイファスなどによって検証されていますが、弟子であったヨハン・クリスティアン・キッテルが興味深い述懐を残しています。
 「チェンバロを弾くのは、いつも最も有能な弟子のひとりでした。それでも貧相な演奏から抜けだすことがなかなかできないのは、想像に難くありません。しかし、そのようなとき、突如としてバッハ先生の手や指が、しばしば演奏者の手や指に混じり、しかもそれを邪魔することなく、和音の塊を鳴り響かせ、厳格な先生がそんな近くにいる、ということより、もっと大きな印象を与えることになっても、決して慌ててはいけないのです。」*4
 つまり、バッハ自身はチェンバロを弾かず、『最も有能な弟子』の横からちょっかいを出しては、和音を重ねていたようです。充実した和音に対するバッハの欲求がどれほど強いものであったかは、同じくキッテルの証言でチャールズ・バーニーによっても引用されている次の例にも表れています。
 「バッハは、充実した和音を好んだので、ペダルや手鍵盤がもうこれ以上演奏できない時は、口に棒を咥えて、手でも足でも届かない鍵盤を弾くのであった。」*5

 
 バッハが、より重厚で充実した和音を求めようとしたのは、決してライプツィヒで始まったことではありません。例えば、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会に提案したオルガン改造計画を見ても、あきらかに低音への嗜好が見られます。32フィートのズブバスを付け加え、ポザウネ16フィートに新たな共鳴管を与え、さらに16フィートのファゴット*6をも新設する。これらに共通する目的は、Gravitat「荘重さ」を与えるために、と書かれているのです。Gravitatへの傾倒はオルガンのディスポジションだけではなく、バッハが書き残した通奏低音の和声を見てもわかります。例えば、アルビノーニの協奏曲ホ短調Op.II-2の通奏低音やフルートソナタロ短調BWV1030の2楽章などです。これらの楽章には、どの拍にも驚くほど多くの和音が書き込まれ、バッハが如何に重厚な響きを求めていたかがわかります。
 このように考えてくると、バッハがチェンバロを用いたのは、単にアンサンブルの正確さを期すためではなく、むしろ充実した「荘重さ」を得るためではなかったか、と思われます。というのも、チェンバロが定かに用いられたことがわかっているいくつかの例では、同時に、バッハの低音への嗜好が顕著だからです。例えば、ライプツィヒでの採用試験の際に演奏されたBWV23《汝、真の神にしてダビデの子》では、チェンバロ用パート譜が作られましたが、同時にトロンボーンが加えられました。また、最後の受難曲演奏であったヨハネ受難曲第4稿(1749年)でも、チェンバロが加えられると同時に、16フィートのバスーンが求められました。
 思えば、バッハの弟子であったカルル・アウグスト・ティーメという人がバッハの言葉を口述筆記して著した『通奏低音あるいは4声の和音を演奏するための規範と原理』には、フリードリヒ・エアハルト・ニートの言葉をもじって次のように書かれています。
「通奏低音の究極の目的は、あらゆる音楽と同様、神の栄光と魂の再生である。これが守られていないところでは、真の音楽は存在せず、ただ阿鼻叫喚あるのみ。」
 すなわち、バッハが口に棒を咥えてまでも求めた、充実した和声と荘重な響きへの希求は、単なる個人的な嗜好を超えて、神の栄光を求めての、止むに止まれぬ欲求であったに違いありません。私たちの日本には、もちろんテューリンゲンやザクセンの荘重なオルガンはありません。また、多くのコンサートホールでは、ピッチと調律法の違いから大オルガンを用いることができません。しかし、バッハの言う『荘重さ』とは、決して音の低さや大きさのことだけではないでしょう。むしろ、その音楽が真に「神の栄光と魂の再生」のために用いられるとき、その響きは、正しく「荘重な」ものとなるのだと思います。
 今回のプログラムには合唱は登場いたしません。しかし、この世の不正と罪を嘆き(BWV52、55)、この世に別れを告げ(BWV82)、イエスにのみ心を捧げて進むことこそ、本当の安らぎに満ちた道であること(BWV169、58)を、バッハの重厚でかつ荘重な響きの中で、心から噛みしめたいと思います。


バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督  鈴木雅明

*1:通常のパイプの中ほどに小さな穴を開け、オクターヴ高い音を出させるレジスター。
*2より細い直径を持つパイプで、多くの倍音を含むため、弦楽器のような音に聞こえるレジスター。
*3オルガン本体が、バルコニー奥の床に置かれるのに対して、バルコニーの欄干の上に張り出すように設置されるオルガンの部分。通常演奏者の背中側にあたるので、リュックポジティフと呼ばれる。
*4Andreas Glockner: “Na, die hatten Sie aber auch nur horen sollen!”. Uber die Unzulanglichkeiten bei Bachs Leipziger Figuralauffuhrungen (in “Bach in Leipzig Bach und Leipzig”2002 Hildesheim) s.387ff/ The new Bach Reader p.323
*5J.S.Bach. Leben und Werk in Dokumenten, als Taschenbuch zusammengestellt von H.-J. Schulze (Leipzig 1975) s.99,Bach Dokumente III Nr.943
*6ズブバスは、閉管のパイプ。ポザウネは、16フィートのリード管。ファゴットは、より細い共鳴管を持つリード管。

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