第81回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.52
   〜ライプツィヒ1725年- VIII 〜  


2008/ 7/30  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2008/ 7/26 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第200回 神戸松蔭チャペルコンサート
   2008/ 8/ 2 15:00 名古屋・しらかわホール (知的音楽講座 第1回 深遠なるバッハ・カンタータの宇宙)
                 曲目:J.S.バッハ/カンタータBWV12より「シンフォニア」、BWV151、BWV110 他
                 出演:鈴木雅明(講師・指揮)、藤崎美苗(S)、青木洋也(CT)、藤井雄介(T)、渡辺祐介(B)  


オープニング演奏 (オルガン独奏:今井奈緒子)
     J.S.バッハ/讃えよ神を、汝らキリストを信じるものよ、いざともに BWV609
             *引き続き上記コラールをソプラノ2人+オルガンで演奏。(ソプラノ:緋田芳江、藤崎美苗)
            プレリュードとフーガ ト長調 BWV550

J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1725年のカンタータ 8〕 *以下は演奏予定の順。タイトルは藤原一弘訳による
        《甘き慰め、わがイエスが来られる》 BWV151
        《幸いなるかな、試練を耐え忍ぶ者は》 BWV57
        《平安あれ、汝に》 BWV158

        《われらの口には笑いが満ち》 BWV110


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノハナ・ブラシコヴァ(神戸・東京)、緋田芳江、藤崎美苗*(名古屋)
  アルト  :ロビン・ブレイズ(CT)(神戸・東京)、青木洋也*(名古屋)、鈴木 環
  テノールゲルト・テュルク(神戸・東京)谷口洋介、藤井雄介*(名古屋)
  バス   :ペーター・コーイ(神戸・東京)、藤井大輔、渡辺祐介*(名古屋)

オーケストラ
  トランペット:島田俊雄(I)、斎藤秀範(II)、村田綾子(III)
  ティンパニ:近藤高顕
  フラウト・トラヴェルソ:菅きよみ(I)、前田りり子(II) 
  オーボエ:三宮正満(I、ダモーレ)、前橋ゆかり(II)、尾崎温子(III、ターユ)
  ヴァイオリン I:若松夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋祐子
  ヴァイオリンII:高田あずみ、荒木優子、戸田 薫
  ヴィオラ:森田芳子、渡部安見子

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美(7/26&30)、山本 徹(8/2) ヴィオローネ:今野 京  ファゴット:功刀貴子
  チェンバロ:鈴木優人  オルガン:今井奈緒子


真夏の、メリークリスマス!

私たちの本命 J. S.バッハのカンタータ巡礼は3分の2を過ぎ、残すところ46曲となりました。2008年度は、1725年のクリスマスから1726年のカンタータを中心に10曲を取り上げますが、この7月の定期では、管弦楽組曲第4番の原曲が華々しい合唱曲に生まれ変わったクリスマス・カンタータBWV110をもって、神戸松蔭女子学院大学での第200回チャペルコンサートをも記念したいと思います。
常連のソリスト陣に加え、今年初めて定期演奏会に登場するのは、チェコの若き天才ソプラノ、ハナ・ブラシコヴァです。バッハの中でもひときわ美しいBWV151のアリアや、魂(ソプラノ)とイエス(バス)による二重唱BWV57など、天使を思わせる「東欧の華」の歌唱にぜひご期待ください。また小品ながら、とっておきの独唱カンタータBWV158では、円熟のペーター・コーイが、バッハならではの慈愛に満ちた旋律を歌い上げます。
J.S.バッハを次の世代へ。今年も、どうぞBCJとご一緒に。

バッハ・コレギウム・ジャパン 音楽監督 鈴木雅明
(チラシ掲載文:08/07/27)


第81回定期演奏会 巻頭言 (BWV57、110、151、158) 

 皆様、ようこそおいでくださいました。
 BCJ発祥の地、神戸松蔭女子学院大学でのチャペル・コンサートが、今回で通算200回を迎えました。このコンサートシリーズは、BCJが発足するより9年前の1981年、私がまだオランダに留学中だった頃に始められたものです。東京のお客様には、写真から想像していただくしかないのですが、今回は少し松蔭のチャペルのお話をさせていただきましょう。
 神戸松蔭女子学院大学は、今の六甲に移転する前は神戸市の西端、垂水(たるみ)という海沿いにありました。(ちなみに、垂水は私の生まれ故郷です。)1970年代の終わりに、短大と統合して現在地六甲への移転が決まり、六甲山への登山道中腹に順次校舎が建設されていきました。そして、その最後に予定されていたのがチャペルだったのです。
 チャペルを建設するにあたっては、礼拝だけではなく、オルガンを設置して宗教音楽の活動や教育も行うことが最初から前提されていたそうです。そのために、同大学の平島達司先生が、竹中工務店音響研究所と共同で、音響とオルガンについての綿密な研究を進められました。
 平島先生は化学のご専門で、松蔭では数少ない理科系の授業を担当されていましたが、オルガンの建造が決まってからは、竹中のスタッフと共にヨーロッパ各地をまわり、松蔭には何が最適かを見極めようとされていました。コーヒーと缶ピースが常に手放せない方でしたが、本当に一途な化学者らしく、ひとつひとつの教会ごとに綿密な記録を取り、オルガンの様式と音響の関係についても細かく検討されました。その結果、当時の日本にはまだほとんど建造されていなかった1700年頃のフランス様式を基本とすることを決められ、それに相応しい音響設計を、竹中工務店に助言されたのです。
 その結果完成したチャペルは、まるで日本ではないかのような、美しいものに仕上がりました。外観はやや簡素なモダンなものに思えますが、実は驚くべき研究成果が生かされています。音響を最高のものとするため、天井裏の梁や床の黒御影石などは言うまでもなく、壁に細いスリットを開けて、特定の周波数帯を吸収するようになっているのです。また、大オルガンは音響の吸音体となるので、そのことによる音響のムラをなくすため、オルガン完成後に、壁沿いに高い足場を組んで、スリットの奥に砂が注入されました。当時は、オルガン本体がどのように響きを吸収するか、ということについての資料がなかったので、完成後に実験をしてからそのような作業をするしかなかったのです。
 このチャペルには、平島先生のみならず、当時の学長友枝重俊先生や、多くのスタッフの最も美しいものを求めてやまない驚くべき熱意が込められているのです。             


 
 私が平島先生から松蔭へのお誘いを受けたのは、思えば1979年の夏、私が妻と共にオランダに引っ越した直後、オルガン建造家の故辻宏さんが主宰されるオルガンツアーに参加した時のことです。途中リヨンに宿泊したとき、ツアー以前から長い旅を続けてきた私たちは疲労の極みに達し、ついにツアーから脱落してしまったのです。そして、お別れする前夜、平島先生が「最後に、ちょっと一杯どうですか?」とお誘いくださり、お部屋でウィスキーをご馳走になりました。そのとき、「もうすぐ松蔭にチャペルができ、その後すばらしいオルガンが完成するので、ぜひ神戸に帰ってきてください」というお話を頂いたのでした。
 神戸は私の故郷ですから、もちろん飛び上がらんばかりにうれしくはあったのですが、少し戸惑いもありました。なぜなら、平島先生は、私の演奏を一度も聴かれたことがなかったからです。そのように申し上げると、先生はすこし困ったように眉根に皺を寄せ、「ええー、私は、直感に従って、人を一本釣りするんです。これでいいんです!」ときっぱり言われ、私の運命は定まったのでした。
 それから4年後の1983年、私は留学を終えて正式に松蔭の専任教員として採用され、オルガンが完成したのはその年の夏のことです。しかし、チャペルコンサートは、オルガン完成前から、既に平島先生の手弁当によって始められていました。私は1982年の1月に一時帰国し第2回コンサートに出演しましたが、その後第16回までは、平島先生が企画され、すべて先生のポケットマネーで運営されていたのです。
 オルガンの完成時には、オランダからトン・コープマン氏を招き、連続3日間で4回のコンサートという前代未聞のお披露目フェスティヴァルとなり、あのチャペルの長い残響がなくなってしまったかと思うほど満員の聴衆が、全国から訪れてくださいました。これを機会に、当時の理事会がチャペルコンサートを支援してくださることとなり、やや公的なシリーズに生まれ変わりました。
 このチャペルがあまりにも美しい響きなので、当初から、オルガンばかりではなく合唱音楽をも計画に入れて、1984年に「松蔭室内合唱団」を組織しました。最初のオーディションで、女声7人とテノール1人という、全くありえない編成が出来上がり、そのメンバーで演奏できるレパートリー探しには、ほとほと苦労しました。が、これが核となって、1985年のJ.S.バッハ生誕300年記念の年をきっかけに、少なくとも受難週とクリスマスには合唱作品が演奏できるようになったのです。
 平島先生は、1986年の春、突然危篤に陥られ、亡くなられましたが、先生の残されたオルガンは、あまりにも確固たる存在で、今もチャペルには先生の魂が住んでいらっしゃるような気がしてなりません。晩年は、古典調律の研究に専念されていましたので、その意志を継いで、チャペルコンサートを「ゼロ・ビート(1) ・コンサートシリーズ」と呼ぶことにしました。
 この200回の間には、上述のトン・コープマン、ヨス・ファン・インマゼール、ピート・ケー、ミヒャエル・ラドゥレスク、マリー=クレール・アラン、ミシェル・シャピュイなどのオルガニストばかりではなく、エマ・カークビーやミヒャエル・ショッパー、コンチェルト・パラティーノなど多くの演奏家が客演してくださいました。また1995年以来の録音と連動したBCJのカンタータ連続コンサートには、さらに多くの音楽家が出演してくださっているのは、皆様もご存知のとおりです。
 すべては、このチャペルの響きが与えてくれる豊かなインスピレーションによって成り立ってきました。どんなに小さな音でも、時に迫り、時に逃げ、軽やかに飛翔する。オルガンやチェンバロのたったひとつの音が、こんなにも意味深く感じられる場所は、他にはありません。しかし、このチャペルの驚くべきことは、単に音楽上の問題ではなく、この建物の成立と存在、またそこに出入りする人々の出会いと別れのすべてが、奇跡に満ちている、ということです。この200回のシリーズが行われる間の、どの一こまが欠けても、今日はありえない。これらのコンサートの轍は、神の働かれた軌跡です。それを絶やしてはならない、と切に思います。
 今回演奏するカンタータは、いずれもイエスの降誕を告げる、時ならぬクリスマス用のものです。なかんづく第110番《われらの口には笑いが満ち》第1曲は、管弦楽組曲第4番の冒頭曲に合唱を組み入れたものですから、ここで奏でられる華麗なフランス風序曲は、バッハお得意の「開幕宣言」に他なりません。これからのさらなる200回に向けて、新たな出発を「口いっぱいの笑い」と共に祝したいと思います。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
(08/07/23)

注:(1)

「ゼロ・ビート」とは、ふたつの音の間にうなりが生じない完全な調和の状態のことで、特に、16〜17世紀に多用された長3度にうなりのないミーントーン調律法が、平島先生の最も重視される調律法であったので、そのことをこの名前に込めています。松蔭のオルガンも若干変更されたミーントーンに調律されています。
 



特集・神戸松蔭チャペルコンサート 第200回 記念公演(2008年7月26日)

 上記の鈴木雅明さんによる巻頭言にも詳しく書かれていますように、今回の定期公演の神戸公演をもって、神戸松蔭チャペルコンサートは、めでたく200回を数えることとなりました。当日(7月26日)は、カンタータの演奏に先立って鈴木雅明さんによるスピーチがあり、また現・神戸松蔭女子大学学長でいらっしゃる郡司隆男先生によるスピーチも行われました。以下、当日の会場風景のいくつかを画像でご紹介します。願わくば、次の100回、そして次の200回へと音楽と人の輪が続いていきますように。
 なお、今回会場で販売されているプログラム冊子には、特集として「神戸松蔭チャペルコンサート200回の歩み」と題されたこれまでの200回のコンサートの記録や縁の深い皆さんからのメッセージなどが掲載されています。是非ご覧ください!
一般チケットは完売の盛況。
立ち見席を何とかゲットしました。開演1時間以上前に到着しても19番目。あと11枚で終了です・・!
大規模な修復のためチャペルを訪れていらしたオルガンビルダーのマルク・ガルニエ氏とチャペルのオルガニスト・上野静江さん。 入口には一般席完売の告知とともに神戸公演後援会からの花が飾られていました。 神戸公演後援会からの生花。記念の演奏会に華を添えてくださいました! 終演後、CDの録音が予定されていましたが、話の輪がチャペル前のあちこちで咲いていました。

【コメント】
 当プロジェクトの最終公演となる8/2の名古屋公演はしらかわホール主催の「知的音楽講座 第1回」として開催され、前半に鈴木雅明さんによる「カンタータの極意」と題されたレクチャーが行われた。そのお話の合間に、「三宮正満&アンサンブル・ヴィンサント」によるショーム&オーボエバンドの演奏が華を添えた。
 演奏された曲目は、スザート「ダンスリー舞曲集」より、M.プレトリウス「テレプシコーレ」より、ペーツェル「組曲」より、リュリ「オーボエバンドのための音楽」より。メンバーは、三宮正満、前橋ゆかり、尾崎温子、功刀貴子、鈴木禎、杉本明美、篠原由佳、田村次男、鈴木優人の9名の皆さん。楽しい演奏でした!!
 なお、カンタータ演奏の後に、アンコールとしてBWV147のコラールが演奏された。このアンコールのみ今井奈緒子さんがチェンバロ、鈴木優人さんがポジティフオルガンを担当されたことを付記しておく。 (08/08/02:矢口記)

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