2013/02/24 15:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
2013/02/17 15:00 福井:ハーモニーホールふくい・大ホール 「J.S.バッハ 名曲コンサート」
カンタータ 第30番 《喜べ、贖われた者たちの群れよ》 BWV 30 より
カンタータ 第191番 《いと高きところには栄光神にあれ》 BWV 191
管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV 1068
コラール「主イエス・キリストよ、我らを顧みて」BWV709(Org)
プレリュードとフーガ 変ホ長調 BWV552(Org)
2013/02/23 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第223回神戸松蔭チャペルコンサート)
オープニング演奏:J.S.バッハ/プレリュードとフーガ 変ホ長調 BWV552 (Org独奏:鈴木雅明)
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1730-40年代のカンタータ 4〕
《喜べ、贖われた者たちの群れよ》 BWV 30
《わが魂よ、主を頌めまつれ》 BWV 69
《いと高きところには栄光神にあれ》 BWV 191
*【チクルス完成記念・特別プレレクチャー】講師:ロビン・A・リーヴァー
神戸[2/23] 13:30~<典礼におけるバッハのカンタータの意味>
東京[2/24] 13:30~<世界におけるバッハのカンタータ再発見とバッハ・コレギウム・ジャパン>
※それぞれの公演チケットお持ちのお客様が対象です。
指揮:鈴木雅明
コーラス(*=独唱[コンチェルティスト])
ソプラノ :ハナ・ブラシコヴァ*、柏原奈穂、澤江衣里、緋田芳江、藤崎 美苗、松井亜希
アルト :ロビン・ブレイズ(CT)*、青木洋也、鈴木 環、布施奈緒子
テノール:ゲルト・テュルク*、谷口 洋介、藤井雄介、水越 啓
バス :ペーター・コーイ*、浦野智行、藤井大輔、渡辺祐介
オーケストラ
トランペット:ジャン=フランソワ・マドゥフ(I)、ジャン=シャルル・デニス(II)、斎藤秀範(III)
ティンパニ:トマ・ホルツィンガー
フラウト・トラヴェルソ:菅 きよみ(I)、前田りり子(II)
オーボエ:三宮正満(I、オーボエ・ダモーレ)、前橋ゆかり(II)、尾崎温子(III)
ヴァイオリン I:寺神戸 亮(コンサートマスター)、高田あずみ、山口幸恵
ヴァイオリンII:若松夏美、荒木優子、竹嶋祐子
ヴィオラ:成田 寛、秋葉美佳
〔通奏低音〕
チェロ:鈴木秀美 ヴィオローネ:西澤誠治 ファゴット:村上由紀子
チェンバロ:鈴木優人 オルガン:今井奈緒子
(BCJ事務提供のデータによる:13/02/14更新)
18年めの、奇跡
ついに、この時が来てしまいました。この世の物事は、もちろん、いつかは終わるに決まっています。その通りに、録音と連動した教会カンタータの全曲演奏は、今回で完結します。しかし、これは、バッハの終わりではありません。BCJの終わりでもありません。私たちは、J.S.バッハ生誕300周年であった1985年から、カンタータを演奏し続けてきました。その間、1995年からの17年間は、録音に捧げました。そして、今、再び、新たなJ.S.バッハの旅の出発点に立つことになるでしょう。
そのことを証するため、今回は、いつものオルガン前奏を、私自身が演奏することにしました。というのは、ここで、どうしてもプレリュードとフーガ 変ホ長調
BWV552を演奏したかったのです。この曲は、幾重にも象徴的な作品です。フランス風序曲の様式をとったプレリュードは、もちろんオペラやオラトリオの開幕を意味します。しかし、バッハはこれを、大半のカンタータの作曲が終わった後、後半生のすべてのチェンバロ作品の、常に後半のオープニングに配置しました。つまり、彼にとっては、フランス風序曲は、後半の開始を意味します。そして、それが同時に、十字架のように、序曲を中心とするシンメトリックな構造をも意味したのです。つまり、彼は、自分自身の人生の後半生の始まりに、フランス風序曲を置いた、と言っても言い過ぎではありません。そこで、今、私自身も、そのバッハにならって、これを自分の後半生の始まりとしたいと思います。(もっとも、時間的には、今までと同じ長さを自分が生きるとは思えませんが。)
そして、最後に残された3つの教会カンタータは、またとても意味深長なものです。BWV69『わが魂よ、主を頌めまつれ』は、8月最後の月曜にもたれたライプツィヒ市参事会交代式用の作品。これは、今日まで月曜集会として続いてきた礼拝であり、東西ドイツの統一に一役買った重要な集会でした。また
BWV30『喜べ、贖われた者たちの群れよ』は、2部に分かれた大規模な作品で、まさしくシンメトリックな構造を持っています。そして、シリーズ最後の最後を飾る
BWV191『いと高きところには栄光神にあれ』は、事実上、ロ短調ミサ曲のグロリアを抜粋して、カンタータにしたもので、唯一のラテン語のカンタータです。あり得ないほど複雑な5声の対位法が、この上なく華麗なフーガを展開する最後の部分は、全バッハの中で、まさしく白眉というべき瞬間です。
また、この機会に、長年の友人である世界的バッハ学者 ロビン・リーヴァー氏がアメリカから駆けつけてくれ、プレ・レクチャーをしてくださることにも、心より感謝したいと思います。
どうぞ、みなさま、J.S.バッハ音楽のこの歴史的な瞬間を、共に共有できれば、これに優る喜びはありません。
バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督 鈴木雅明
(チラシ掲載文)
バッハを愛する皆様、ようこそおいでくださいました。 1995年に始まった教会カンタータの全曲演奏が、ついに一巡し、同時にCDシリーズの録音セッションが完結いたしました。最終巻である第55巻は、今年の11月頃に発売される予定です。この演奏会は東京での定期演奏会としては、第100回にあたります。もちろん、これはほんの偶然に過ぎません。しかし、数字あわせの好きであったバッハもきっと喜んでくれるのではないか、という気がいたします。 思えば、この17年間は、波瀾万丈、手に汗を握りしめるような年月でした。当初は必ずしも、全曲録音を始めよう、などと意気込んでいたわけではなく、これはずっと演奏しつづけるものなので、ついでに録音できればうれしい、という程度の発想だったのです。幸い、スウェーデンのCD会社であるBISの社長ロベルト・フォン・バール氏と出会うことができましたので、彼らといちど「試み」の録音セッションをしてみよう、そして、もし双方が気に入って続けられるようなら続けよう、という約束で始まったのです。 プロデューサーとしてのロベルト氏は、本当に一筋縄では行かない率直な情熱漢、時として世界で最も強引な男にもなる人です。彼との議論は、常に戦争でした。ひとこと言えば、百言返ってきます。そこでこちらは、さらに百言の反論ができなければ、あっと言う間に、彼の音楽になってしまいます。ですから、一音たりとも、曖昧な音があってはならない、すべての表現には、音楽的理由がなければならないのです。しかしそのお陰で、私たちも、最後の一音に至るまで、自分たちの意志を貫徹するよう鍛えられました。 最初のセッションは議論百出でしたが、それでも、結局このロベルト氏こそが、我々のCDを世界に売り出してくれた人にほかなりません。「日本人とバッハに何の関係が?」などと訝っていたヨーロッパ人やアメリカ人を、強引に、恐らく口角泡を飛ばして説き伏せ、私たちの録音を彼らの耳にねじ込んでくれたのです。お陰で、BCJの録音は徐々に世界で受け入れられ、私たちもここまで演奏を続けてくることができました。どんなに苦々しい顔をしていても、彼には、心からの感謝をするしかありません。 また、その録音が可能であったのは、言うまでもなく、神戸松蔭女子学院大学の絶大なる支援があったからです。私が1983年から90年まで専任教員として奉職していたことがきっかけで、東京に移った後も、すばらしい関係が維持できました。1981年に始まったチャペル・コンサートは223回を数え、数年前から、松蔭とBCJの間で正式な契約を交わして、継続的な支援を約束してくださいました。経済的な支援だけではなく、大学のスケジュールと調整しつつ、チャペルを自由に使わせていただけたことが、このCD録音にどれほど大きなメリットであったか、とても言い尽くすことはできません。多くの欧米での批評にも、Shoinという単語はしばしば述べられ、優れた美しい音響、そしてその音響をいつも用いることができる幸運なCDシリーズと言われてきたのです。 奇しくも、今年はこのチャペルにガルニエ・オルガンが完成してちょうど30年になり、そのことを記念して、オルガンコンサートのシリーズも企画しています。が、なによりこの歴史的オルガンに相応しい音響を得ようと、熱心な研究をしてくださった故平島達司先生(1914~1986)がいらっしゃらなければ、そもそも何も始まらなかったのです。この先生こそが、私を松蔭と結びつけてくださったのですから。松蔭に対する感謝の思いは、言葉で言い尽くすことはできません。 |
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思えば、こうした人々との出会いは、あらかじめ計画されていたことであり、まさしく摂理というべきものでしょう。たとえどんなに小さな歯車でも、それがぴたりと合わなければ、この計画は遂行できなかったはずだからです。アンサンブルの中から、ひとりが辞めれば必ず他の人が与えられ、何かの機会をひとつ失えば、必ず他の機会が与えられてきました。私たちが体験してきたことは、まさしく、音楽的、経済的、物理的なあらゆる面での、小さな奇跡の連続であり、その結果、55枚のCDが生まれました。 しかし、この17年間に私たちが得たもっとも大切なものは、奇跡に対する驚き、というより、そのような奇跡に導かれつつ演奏してきたカンタータが、私たちにとって「日常」になった、ということです。バッハにとって、カンタータを作曲し演奏することは、まさに日々行われるべき日常の業務でした。ですから、彼が1731年、6曲のパルティータをクラフィーア練習曲集第1巻として出版したとき、既に170曲以上の教会カンタータや受難曲などが生まれていたにも関わらず、その表紙に大きな文字で“Opus 1”(作品1)と書き込んだのは、それが、日常の業務とは別の、つまり特定の日のためではなく、できれば永遠に残って欲しい「非日常」を目指した最初の作品だったからです。彼にとっては、カンタータや受難曲は、この世から遊離したものではなく、地に足の着いた毎日の生活に属するものでした。 私たちは、カンタータを、(毎週とは行きませんでしたが)定期的に演奏することで、このすばらしいルーティンを追体験しました。BCJのメンバーは、カンタータのプロジェクト毎に、新しい曲に対するある種の興味は持って、しかしバッハのカンタータである以上どのようなものであるかはおおよそ想像はできており、適度な興奮をもって勤勉なリハーサルをし、録音に臨みました。決して夢見るような陶酔でもなく、我を忘れるほどの興奮でもなく、冷静かつ熱心に、言葉を歌い演奏し、為されるべき表現を能う限り正しく実行してきたのです。それが、日常生活に属する職人的な音楽の演奏方法だと思います。そして、このような日常的な音楽は、自律的な作品として永遠に残されることを欲するのではなく、毎日(ないし定期的に)実行され、消化されるべきものなのです。日常とは毎日過ぎ去っていくものですから、バッハの教会カンタータは、そのとおりに、1年の教会暦のうち、ある特定の一日のみに有効なものでした。その日の聖書日課やコラールと連動し、その日以外には、機能を果たせないのです。 しかし、J. S. バッハは、1730年代になると、この日常的なカンタータを、もう少し普遍化したいと考えるようになりました。そこで、ドイツ語のカンタータの楽章をばらばらに取り上げ、ラテン語のミサ曲のテクストをつけて、ルター派ミサ曲として編曲し直したのでした。ラテン語は、もちろんもはや誰の母国語でもありません。しかし、だからこそ、ユニヴァーサルな世界共通の認識を得るための象徴的な存在でもありました。そこには、当然、バッハ自身の変化もあったでしょう。日常からより普遍的なものへ、あるいは永遠への視点の変化。それによって、日常のために生まれた音楽が、永遠への視点を得たのです。逆に、永遠がその音楽の一瞬に凝縮される、と言ってもよいと思います。 思えば、この17年にわたる教会カンタータ全曲演奏の最後を、唯一のラテン語カンタータ第191番が『いと高きところにては、神にのみ栄光があれ』というテクストで締めくくるのは、何と象徴的なことでしょうか。ホーフマン氏の解説にあるように、これは特別な機会に、バッハが大急ぎで整えた音楽であったのかもしれません。しかし、それがドレスデンに献呈した1733年のミサからの引用であり、その音楽が、彼の普遍的な思いを最も強く表現するロ短調ミサ曲と同じであることは、バッハの日常であり、BCJにとっても日常となったドイツ語カンタータが、普遍的な永遠の世界に結びあわされることの象徴に他なりません。このシリーズが、今終わるのではなく、継続していくことの証しとして、今年の9月と来年2月には、教会カンタータシリーズの続編として、ラテン語のルター派ミサ曲を全曲演奏・録音したいと思っています。 BCJのJ. S. バッハ教会カンタータシリーズは、決して終わったわけではありません。しかし、ここで皆様に、この17年間の熱心なご支援と励ましに、心よりお礼を申し上げ、最後に、ここに最も相応しい詩編第136編を引用して、終わることにいたしましょう。 |
恵み深い主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。 神の中の神に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。 主の中の主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。 ただ一人驚くべき大きな見業を行う方に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。 天にいます神に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。 (詩編第136編第1~4、26節) |
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
(BCJ事務局提供の資料より:13/02/22UP)
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