poco a poco Op.14閉じた瞼越しに感じる白っぽい光に。 もう朝かなと、ゆっくりゆっくり、意識が浮かび上がっていく。 肌に感じるぬくもりがいつもよりもぬくぬくと柔らかくて、そればかりじゃなく胸のうちまで、なんだかほこほこと幸せで・・・。 「・・・・・?」 幸せで幸せで・・・とても幸せな気分なのはどうしてだっけと、小さな不思議を解決できないまま。 啓太はゆっくりと瞼を持ち上げる。 真っ先に瞳に映る白い天井・・・だけはいつもと変わらないけれど、毛布の色も感触も、それから少しだけ開けられた窓辺で風に揺れているカーテンも、部屋の空気も。 いつもと、違う・・・。 あれれと戸惑うまま、僅かに視線をめぐらせた先に。 いくつも並ぶ精密機器と、大きなモニターを順繰り見付ける。 自分の部屋では見ることのないその物体から、条件反射のように真っ先に思い浮かぶ相手のことをぽんやりと考えるうち・・・。 「・・・・・!」 うっかり無防備に、思い出してしまった。 くるくると心身ともに慌しかった昨日の出来事と、夜にかけて啓太の身に起こったこと。 「っ・・・・ぅ、わ・・」 かああと自分でも分かるくらいに、一気に顔が、耳まで熱くなる。 とはいえ啓太がちゃんと覚えているのは、ほんの始まりの辺りまでなのだ。 途中からは高熱のさなかの出来事のように、記憶がおぼろ気にぼんやりとしてしまっている。 なんだかとてつもなく大きな熱と波とに翻弄されて、押し流されるようにものすごい経験をしてしまった・・・というくらいにしか、認識ができていないのだけれど。 それでも頭では克明に覚えていないその出来事も、少し熱っぽい気のする躰のあちこちには、しっかりと痕跡が残っている。 確かめてみようにもはばかられるような場所には、七条の熱に直接与えられた感覚までが残っていて。 「・・・・・っ」 下半身の痺れを意識した途端に、昨夜のあれこれをなだれのようにフラッシュバックさせてしまった啓太は、とてもじっとしてはいられなくなって、慌てて手許の毛布をぐいぐいと手繰り寄せた。 けれどもその動きは、目を覚ましたことを部屋の中にいるもう一人の人物・・・つまり七条に、知らせる結果になってしまう。 「・・・啓太くん?」 名前を呼ぶ声と、静かなスリッパの足音が近づいて。 ベッドの腰の脇辺りが僅かにきしんで、ゆっくりと沈み込む。 そうしてぽんぽんと、毛布越しに優しく頭を撫でられて。 「目が覚めましたか?」 優しい声での問い掛けに、けれども啓太は昨日の今日で、昨夜の今朝で、一体どんな表情をして顔を合わせたらよいのか分からずに。 半ば本気で息をすることすら忘れ果てて、毛布ごしに七条の顔・・・があるのであろう辺りを見上げて、固まる。 それでも、急かすでもなく返事を待ってくれている気配に、いつまでも狸寝入りをしている訳にもいかなくなって。 啓太はそうっと、握りしめた毛布の端から目許を覗かせた。 「・・・、ぉ・・・おはよう、ございます・・・」 「おはようございます、啓太くん」 ようやく顔を出した啓太に渡されるのは、声の通りの優しい笑み。 物慣れない啓太の様子をからかうでもなく僅かに首を傾げて啓太を見下ろしている七条には、少しも気負った様子がないけれど。 どんな顔をしてこんな角度で七条の顔を見上げればよいのかが相変わらず分からない啓太は、落ち着かない心地でぱちぱちと瞬いた。 だって、向けられているのは一見いつもと変わらない笑顔だけれど。 その目許辺りが昨日よりも・・・なんだか少しだけ甘ったるいような気がするのだ。 気のせいなのかなどうなのかなと、まだどこか眠りの名残を引きずったまま混乱状態に陥って、ぽんやりとした眼差しで七条の顔を見つめている啓太に。 「啓太くん?」 もう一度優しい声が問うて。 はっと目を瞠る啓太の様子に、七条は愛しげに目許が細めた。 その表情は今度こそ迷いようもなく、今まで見たことがないくらい甘ったるい。 ますます困って表情豊かに黙り込む啓太の様子に、くすりと笑った七条は、もう一度、啓太の頭を優しく撫でてから、ゆっくりと視線をめぐらせる。 啓太はようやく、無意識に詰めていた息をほうっと大きく吐き出した。 「朝食を持ってきたのですが、少しでも食べられますか?」 云いながら七条が眼差しで示す先、机の上には、寮の食堂で見慣れたプレートが置かれている。 香ばしいクロワッサンに、たっぷりの甘酸っぱいマーマレード。 生クリームいっぱいの、とろりと柔らかいスクランブルエッグ。 みずみずしいグリーンサラダ。 甘くて優しい湯気の香りは、温かなカフェオレのもの。 ふわりと漂う食欲をそそるいい匂いを意識した途端、啓太が声に出して答えるよりも先に、くるると胃袋が返事をしてしまう。 そういえば昨日は、二人揃って夜ご飯を食べはぐれてしまった。 「・・・・ぁ・・」 慌てて両手でお腹の辺りを押さえる啓太に、フフと笑った七条が。 伸ばした指先で、するりと啓太の前髪をかき上げる。 「お腹がすいて、ご飯を食べられるようなら安心です」 昨日は無理をさせてしまいましたからね、と。 目許をますます優しくして、ほてった額にちゅっと小さくキスをひとつ。 「少し、躰を起こせますか?」 「は、はいっ、大丈夫、ですっ」 「そうですか・・・では、ゆっくり、ね?」 近い距離のまま訊ねられる問いに、こくこくと幾度も頷いてみせると。 手を取られて、肩から背に回された逆の腕にやんわりと抱きしめられる。 そうして啓太が躰のどこにも力を入れないうちに、魔法のように上体を起こされて、2つ重ねた枕に背を預けるように促されて。 「・・・・・」 なんだかとんでもなく甘やかされているような気がする。 まるで壊れ物でも扱うように、大切に大切に。 啓太がほてってしまう頬をどうにもできないでいるうちに、ベッドの脇のローテーブルに、朝食のプレートが運ばれてきた。 そうしてその隣に設えられた椅子に、当たり前のように七条が腰を下ろす。 こ、これはもしかして食べさせてくれたりしてしまうのかなと、ますます落ち着かない心地でふよふよとさまよわせていた視線を食器に落とすと・・・。 「・・・・ぁ・・」 啓太はサラダの中に、長細く刻まれたセロリを見つけた。 そういえば七条とは、嫌いな食べものの話をしたことはない。 あまり得意ではないセロリだけれど・・・七条がせっかく持ってきてくれたのだし、食べたくないとは云えなくて。 た、食べられないわけじゃないし・・・苦いのをちょっとがまん、すれば・・・っ。 ひっそりと自分に云い聞かせた啓太は、こくんと息を飲んで気合を入れた。 の、だけれど・・・。 「・・・・・ぇ?」 次の瞬間、その啓太の目の前で。 皿からひょいと摘まれたセロリが、そのまま七条の口の中へ納まってしまったものだから。 どうしてセロリをとか、七条さんが摘み食いなんてとか。 色々な意味で意表を突かれて、啓太はきょとんと七条を見上げた。 すると。 啓太のその無防備な顔を、どこかいたずらっぽい表情で見返した七条が。 「今日からは、この役目も僕のものです」 にこにこと上機嫌に微笑んで、宣言をしてみせる。 「し、七条さん、知って・・・っ」 啓太はますます驚いて、瞠ったまま戻らなくなってしまった瞳でぱちぱちと瞬いた。 だけどそんなに嬉しそうな幸せそうな顔をされてしまったら、啓太にはもう、頬を熱くする他にはどうすることもできなくて。 それに、そんな些細なことにまで密かなヤキモチを妬かれていたのだと知らされれば。 諦めていた初恋が実ったばかりのただでさえ甘ったるい気持ちの啓太には、こそばゆいような嬉しさ以外を感じるなんて、とてもとても無理な話で。 「・・・・・」 しゅうしゅうと湯気を上げながら真っ赤になりながら、それでも固まってしまったように七条の顔を見つめている啓太の頬に、するりと七条の指先が掛かる。 「・・・大好きですよ、啓太くん」 そうして軽く仰のかされて。 向けられるのは、昨日まで知らずにいた恋人の表情。 キスを誘われているのだと分かったけれど・・・その前に。 大切な、伝えたい言葉をそのまま、啓太も負けずに声に乗せる。 「・・・・俺も、大好きです・・・臣さん」 近づく気配が優しい笑みをまとって。 嬉しいですねと囁く甘い声を、うっとりと聴きながら。 回り道をしてしまった分、これからたくさん、たくさん。 こんな風に一緒に、優しい時間を過ごしていけたらいいなと想いながら。 幸せな気持ちで啓太は、ゆっくりゆっくり、目を閉じた。 |