DIARY-3

2001.7.03
 朝メシ食ってさっそく出発、この日は島の東〜南海岸を探索しよう、ということになった。
 西海岸には国道が南北を縦貫し、それに沿う形で町が点在しているのだが、逆に東側はほとんど未開といっていい。とりあえず東海岸に向かっていそうな路地を発見し、適当に突入。
 ・・・と、道に迷ってしまった。分岐に次ぐ分岐でいつまでたっても海岸は現れず、どこへ向かっているかもわからなくなってしまった。仕方なく引き返す。あとでわかったことだが、この道は現地住民の住宅地(といってもブッシュの中に家がポツポツあるだけ)で、網目状の道路がループになっていたのだった。
 続いて南海岸へ。空港のフェンス沿いからダートを走り、しばらく行くと分岐点に「OBYAN BEACH」の小さな看板を発見。入っていくとほどなく到着。駐車スペースらしき広場の片隅に朽ち果てたトーチカがあった。中に入ってみると以外に広い。天井の丸い穴から、サイパンの青い空が覗いている。
 トーチカの先には美しい海が広がっていた。しかも人がいない。どのぐらい綺麗かというと、このぐらい↓↓。

 



(トーチカ)
 つい半世紀前に血みどろの上陸戦が展開されていたとは思えないほど、中はしんと静まり返っていた。こうしたトーチカや塹壕は島のいたることろで見られ、ここが激戦地であったことを改めて認識させられる。

 腹が減ったので、ビーチ・ロード沿いのレストランに入った。ミックスカツカレーランチ5ドル也。観光客が行きうるレストランとしては下限に近い額だが、味の方もまあそれなりだ。もう少し具体的に言うと、懐かしい学食の味、といったところか。


(ランチタイム)
 某「和食中心なんでも料理」の店にて。ミックスカツカレー定食パパイヤ漬け物付きをむさぼるピーチ&ハル。価格は$5と格安ながら、お味の方もまぁそれなり、といったところか。この店で現地人ウェイターが「チャモロ・ソースだ」といって差し出した醤油のような液体、おそるおそる舐めてみたら、ポン酢みたいな味で一安心。サラダにもカツにも良く合いました。

 日中はホテルで休んで、夕方になってから北東海岸のイスレタ・マイゴ・ファハン(通称「バードアイランド」)に行った。ガイドブックによると、ここは海鳥の繁殖地になっているそうで、夕方には帰巣する鳥の大群が見られる、ということになっていた。が、予想通り、繁殖期を過ぎた断崖はもぬけのカラで、クロアジサシがまばらに舞っているだけだった。


(イスレタ・マイゴ・ファハン) ※通称バードアイランド
 ガイドブックには必ず掲載されているこの場所。しかし、いつ行っても鳥の大群がいるわけではない。帰巣する大群を見るには繁殖期のしかも日没後でなければならない。この日も暗くなるまで粘ってみたかったが、見知らぬ海外、しかも我々だけでの夜間の行動は危険と判断しあきらめた。

 帰り際にガラパンでメシでも食っていこう、と市街地へ入っていくとなにやら縁日のような屋台群を発見。明日がアメリカの独立記念日ということで、その前夜祭がモヨオされており、会場のAmerican Memorial Parkには島民の1/4程度が結集していた(推定)。
 場内はミニ遊園地、屋台、地元バンドのステージ等々でなかなかの盛り上がりを見せており、特にミニ遊園地はロコ・キッズ達に大人気。しかしこの遊具類がとんでもなくデンジャラスなシロモノで、観覧車、コーヒーカップなどがビュンビュンとえらい勢いで超高速回転しており、とても2,3歳の子供など乗せられないのであった。しかたなくレール付きゴーカートで「中速」回転するぴーち&ハル。僕は屋台で焼き鳥$1などを購入。ひとしきりハルを遊ばせてから、近くのレストランで夕食をとり、3日目終了。

 

(前夜祭)
 アメリカ人は基本的に全員右翼なので、こういったセレモニーには並々ならぬ情熱を燃やす(らしい)。おそらく星条旗とあの国歌を前にすると気分が高揚し、「アメリカ!強い!!俺たちナンバーワン!!」と人を酔わせるサブリミナル効果があるに違いない。しかし、いくらアメリカ領だとはいえ、民族的にはまるっきり違うサイパンの人々がどの程度真剣に独立記念日を喜んでいるかは定かでない。

 


(炭火焼き)
 C和食店にて。店長夫婦は日本人。客も全員日本人。まるっきり都内の居酒屋と同じ状態。違和感なし。
 写真はこの店のウリでもある海鮮炭火焼きセット$22。不味くはないのだが、費用対効果でみると、具のラインナップで若干ソンをした気が・・・それでもガイドブックに載っている店の中ではそう高い部類ではない。店の雰囲気は悪くない。




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