2008北京オリンピック男子アジア予選愛知・豊田大会
                   
  心ひとつに サポーターたちの熱き想い

オリンピックに出たい!

日本の男子ハンドボールチームがオリンピックに出場したのは、1987年のソウルオリンピック。
それ以来、出場していない。
オリンピック出場権獲得は、日本のハンドボール界にとって悲願である。
選手はもちろん、関係者、そしてサポーターたちも。

現在、ハンドボールがいかにマイナースポーツか、選手、関係者はもちろん、サポーターは自ずと自覚しているだろう。
でもその一方で、ハンドボールがいかに魅力的なスポーツか、それもよく知っている。
だから、1人でも多くの人にハンドボールのことを知ってもらいたい。
それには、オリンピックに出場すること。
知らないかもしれないけど、日本のハンドボールってすごいんやからと、世間にわかってもらうこと。
それには、オリンピックに出て、「市民権」を得ること。
それがひとつのメルクマールになっている。

オリンピック出場がきっかけに広く知られるようになったスポーツも多い。
もっとも顕著なのが、冬季のカーリングであろう。
その他、ホッケーなども、オリンピック出場をきっかけにスポンサーがついている。

もちろんそれだけではない。
オリンピックに出場するには、世界のなかで戦える実力が必要だ。
それだけの実力があると、客観的に世間にアピールできるのも、オリンピックというイベントあってのことである。

4年前、全日本はアテネオリンピックへの出場権を逃している。
それはほんとうに惜しい逃し方をしている。
あと1歩だったアテネオリンピック。
だからこそ、北京へは行きたい。なんとしてでも北京オリンピックに出場したい。

北京オリンピック出場は、みんなの悲願だった。

そのために全日本チームが頑張っていることは、サポーターたちは知っていた。
日本のハンドボール界の悲願はどうしたら成就するのだろうか。
サポーターとして、応援が選手たちの力にすることはできないだろうか。
サポーターができることって、何だろうか。
サポーターたちの模索が始まった。

サポーターは熱い。
それは応援している競技がメジャーかマイナーか、それは関係ない。
その競技が好きで、その競技に取り組む選手たちが好きで、応援している。
でも、それが「少数派」であることを、ハンドボールサポーターたちは、「身に染みて」感じているかもしれない。


はじまりは金山か
200*年*月、ウィンターキャンプが名古屋で行われた。
日本リーグの試合と違って、同じ会場にたくさんのチームが集まり、当然のことながらサポーターたちも集まる。
その機会に、一度、サポーターで集まろうということになった。
何かしたい、何ができるか考えてみようという、第1歩が踏み出せたことは、たいへん意義のあったことだと思っている。
あらためて、呼びかけてくださったまんぼうさん(ハンドボールエイト http://www.geocities.jp/non_lon/ 開設者、湧永サポーター)の思いきりに感謝したい。


まんぼうさんから呼びかけ
6月中旬過ぎ、まんぼうさんからメールが届いた。

 (略)9月のアジア予選に向けてもう動かねば絶対に間に合わないと言う個人的な勝手な焦りが日に日に募ってきています。そこで応援サイドの情報を一元化して皆さんに同じ情報が正しく伝わるようにメーリングリスト(ML)を作成したいと思っております。もちろん情報元には私とお付き合いのある確かな方々にお願いをしてあります。(略)

提供情報としては、日本がオリンピックに行くために必要と思われる企画に際してボランティア的サポート(無償のお力添え)のお願いや、通信を使っての沢山の方への情報伝達、マンパワー(参加人数など)の把握等がメインになると思います。(略)
まずは皆様との議論の上で訂正や改善しながら進みたいと思っております。もしご参加頂けるようでしたらご連絡下さい。(略)


サポーターが情報を共有して、一丸となって応援できるようにしようという呼びかけは、サポーターからサポーターへの呼びかけだけではなく、選手のブログからの呼びかけで、「北京への道を応援したい」という輪が広がった。

このサポーターのウェイブが、豊田大会での応援につながった。
まず、サポーター同士がよく顔を合わせていて、お互いを知っているということが大きかったように思う。
とくに、この応援の中心的存在になってくださったまんぼうさんとフェニックスマンさん(大同サポーター)は、必ず試合会場でお見かけするような方、そして、選手のブログでも「彼らにぜひ」というサポーターとしてのお墨付きで紹介されたので、安心してみんなが集結することができたのだと思う。

こういうファン同士が集まるというのは結構、難しい。
まして、ハンドボールという競技を一所懸命に応援しているなんて、ひとくせ、ふたくせ、あるんじゃないのーと、自分のことを含めて思う。
こう言っちゃなんですが、孤独に耐えてわが道をいってサポーターやっているみたいなところあるし。
そんな屁理屈を抜きにしても、人が集まるところには、何らかの軋轢が生じるのは世の常である。

それを乗り越えられたのは、というか乗り越えなければならないと思ったのは、「北京への道」という悲願があったからだ。
オリンピックに出ることができたら、ハンドボールの面白さを知ってくれる人の輪が広がる。
そして選手たちの競技環境ももっとよくなるかもしれない。
だからどうしてもオリンピックに出てほしい、そのために何かをしたい。

気持ちひとつに、応援しよう。
そんな気運の芽生えである。

MLはじまる

MLでのやりとりが始まったのが7月から。
ちょうど豊田カップの時期でもあり、会場レイアウトなど、応援シミュレーションを具体的にイメージすることができた。
豊田カップ、熊本カップで、実際に応援をしながら、本番のアジア予選ではどんな感じだろうと。

もちろん自己紹介からはじまって、「みなさん、よろしく」と、どういう相手に発信しているのか、手探りをしながらのMLだったと思う。
MLが動き始めてからも、選手のブログでの呼びかけ経由で参加してくださる方もたくさんいたようだ。

MLで応援グッズや声援の仕方など、さまざまなやりとりをしたが、「サポーターの一体感を選手たちにどう伝えるか」だったと思う。
視覚にどう訴えるのか、そして聴覚にどう訴えるのか。
それぞれが自分の経験をもとに、さまざまな案を出して、それを実現するためにはどうすればいいのかを考える、それがMLのなかで繰り返された。
資金面はどうするのか、そして作ってもどう配布するのか、応援グッズに関しては、実現が難しいことはわかっているけれども、あれこれと案を出していくなかで、「何かしたい」という気持ちを高めていったと思う。


応援パターンの映像

そして一体感のある声援をどう作っていくか。
これもリードする人が必要で、どうリードをしていくのか、それぞれの思いを出しあった。

応援の仕方というのは、競技にも特性があって、ハンドボールの応援は、これまた独特ではないかという、わたしはそんな気がしています。
「メガホンに男の低い声」、「何を言っているのかよくわからない」(別にわからなくてもいいので、とくに気にならない)。
そういうマイナー性にちょっとした自己満足がないわけではないが、ジャパンの試合ではそういうことは言ってられない。
だれもが、その場で応援に参加できることを目指さなければならない。

代表的な応援のパターンを事前に知っておくこと。
そして、応援フレーズをシンプルにすること。
これを実現するために、応援パターンを中学生の協力を得てビデオ撮影し、それをネット上に配信して、各自がイメージを作りやすいようにした。
パソコンで動画を見ることが、当たり前にできるようになった「今」だからこそできた企画だ。
わたしも、このビデオをひとりでみながら、内心、とても盛り上がっていたひとりだ。

応援ボード

選手の名前、それもいつも呼ばれているニックネームを呼んで応援したいというのは、サポーターとしては当然のこと。
応援ボードは、地元の方たちが作ってくださった。
青字に白の文字で、大きさもちょうどよかったと思う。
こういう「全体の」グッズって、個人では作りにくい。
各チームには、それぞれ熱いサポーターがいるわけで、そういう人をさしおいてって気分にもなるから。
選手のニックネームも、MLで呼びかけたら、一斉に反応があった。
「みんなで、できることを」、その実践だと思う。

日程調整

調整といっても、会場に行けるかどうかになる。
平日が多いうえ、遠方の人もいて、こればかりは個人の頑張りではどうしようもないこと。
でも、応援の中心になる方たちが、全日程OKという方もいて、心強かった。
会場に行ける、行けないにかかわらず、応援する気持ちは同じだから。

青いチラシ



MLが始まったころ、うちわやタオル、チアースティックなど、応援ノベルティを作ることができないかということはたくさん話題になっていた。
まずは資金の問題、そして、搬入、配布となると、とてもボランティア組織ではやりきれないということで、あきらめていたとき、「青いチラシ」を作ってはどうかという案が出て、それが実現することになる。

「青」で会場を染めること、そして応援フレーズ、選手名とニックネームなど、応援するのに最低限必要なものを取り入れることになった。
あまりうまくない撮影で恐縮だが、表がブルー、裏にいろいろな情報を掲載した。
写真のようにスポンサーの協力もあり、また選手の写真なども協力いただいた。

どういう応援フレーズを掲載するかも、みんなでいろいろな意見を出し合って、最終的に絞っていった。
そして、わたしたちの決意表明も掲載することができた。
これらの版下原稿の作成もできるメンバーが担っていった。

いろいろなことが着々と形になっていく―応援の形ができていく―そんな喜びもあった。

アキバミーティング

話が前後するがMLが立ち上がった直後に、実際に会って応援のための打ち合わせをしたいという発信があった。やはりMLという文字だけのやりとりでは、不安なことも多く、顔を合わしておくというのは大切だと思う。
アキバミーティングで、最初の第1歩を確実にし、その後も、ハンドボール協会との折衝など、お世話いただいた方々の力があってこそのサポーター組織だと思う。

そのアキバミーティングで、応援の礎になることが確認されたように思う。(わたしは参加していないので、MLでみる限りそう感じた。)
そこで語られた「ため息禁止」は、ちょっとした衝撃だった。
選手のモチベーションをとっても下げてしまうらしい。
当たり前といえば当たり前なんですが、応援するがゆえにため息ってでてしまうから。
どんなふうに応援すれば、より選手たちの力になれるか、そういう目線あわせが早い時期にできたというのは、よかったと思う。


ブラスバンド・応援リーダー・太鼓

ブラスバンドは、大同工業大学の方々が入ってくださることになった。
大きな総合大学なら「応援部」というのがあって、いろいろなことを組織できているだろうけど、いきさつはおうかがいしていないが、4日間ともブラスバンドで応援をリードしてもらえるというのは、ほんとうに心強い。
大同工業大学内でのハンドボールの位置づけが、みえてきそうなそんな気さえしている。

そして応援のための指揮をどうしていくかということも、いろいろと打ち合わせをしていただいた。
そして、ひとつの試合が終わるごとに修正して、より力強い応援になるようにしていった。
(あまり事情を存じていないので、簡単な記述で申し訳ありません。

試合結果
こちらのサイトにあるのでご参照ください。

わたしは、UAE、クェート、カタールの試合は録画したものを観ることができましたが、会場がブルーに染まり、そしてサポーターからの声もよく聞こえ(ただしこれは音声の拾い方の範疇です。)、そして応援ボードがとっても目立っている様子をみて、とても嬉しくなった。
実際に顔は合わせていないけど、MLでやりとりした人たちが、一所懸命に応援されているのだから。

わたしも、テレビでみるだけではなくて、会場に駆け付けたい。そういう思いだった。

ようやく豊田へ
ここからは、私ごとです。
わたしが会場に足を運べたのは、最終日の韓国戦だけでした。
結構、気合いが入っていたのに、当日、急に行けなくなった日もあって、とってもさみしかったです。
MLで積極的に発言しながら、なんか1日だけでいいんやろうかというそんな気持ちもありました。

仕事や家のことがあっての応援ですから、仕方ないとはいえ、やっぱりさみしいです。

わたしの住む京都から名古屋は新幹線で40分もあれば着くのに、名古屋から豊田が、結構、時間がかかりました。
そして、駅からもそこそこ遠いし。
でも、ホールはさすができたばかりということで、とってもキレイでした。
入口がどこかわからず、まわりの人とうろうろしたり、チケットを買って、中に入ろうにも案内もあまりなくて、こういうのって、たくさんの人が来ることがあまり想定されてないからかなーなんて思ったりして。

入場のときに、簡易のうちわ、チアスティック、そして「青いチラシ」をもらって、とっても嬉しかったです。
ほんとうだったら、わたしが早くきて配布しなきゃいけないのに。
何から何まで、おまかせしてしまって。

アリーナへ入ったら、試合開始のかなり前だというのに、席がほとんど詰まっていました。
空いていると思ったら、韓国側のサポータ席だったりして。
はしっこのほうに席を確保して、チアースティックの空気を入れて、応援準備万端。
あとは、応援リーダーのリードに従って、大きな声を出し、チアースティックをたたき、青いチラシを掲げと、できる限りのことをしました。
わたしは、ひとりだったけれども、たくさんの人との応援のつながりを感じていました。
もし、MLがなかったら、こういう気持ちにはなれなかったと思います。

試合は、韓国に負けて、北京への道はなりませんでした。
悲願だった北京なので、そのあとの気持ちをどう立て直すのか、ちょっと戸惑いもありました。
でも、こうやってたくさんの方々と一緒に応援できた、この成果は、きっと次につながると思います。

JAPANの応援が終わったら、また、それぞれのご贔屓のチームの応援へと還っていきます。
それぞれのチームjの応援をしながら、ハンドボールの魅力を多くの人がわかってくれたらいい。
そんな思いで、それぞれのおうちにかえったのではないでしょうか。

そんな気持ちの充実と少しのさみしさを感じていた頃、「ハンドボール」にアジア予選についての杉山氏の記述があった。
「アジア予選でのあの応援はいかがなものか」という内容だった。
その記述を読んて、ほんとうに悲しくなりました。
これまで自分たちのやってきたことは、こういう形で杉山氏に総括されてしまった。
わたしたちのやってきたことは、何だったのだろうと。


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花子のノート
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