プロローグ、立川まで 箱根予選会トップ 花子のノート
たいへんありがたいことに、陸上フリークになってから。箱根の予選会には縁のない大学を応援しているもので、すから、今年も観戦の予定は全然、ありませんでした。
それが、20日だったら日体大の記録会に中大の選手もたくさんエントリーしているし、予選会と日体大の両方が見れるなら、交通費を使って行ってもいいかなという気になりました。
予選会の開始は8時半。
当日では間に合わないので、夜行で行くことになります。
快速の「ながら」の指定がとれたら行こうと思って、みどりの窓口へ行ったら、無事、指定席を確保できました。
やっぱり行かなければと、行くことにしました。
6月の全日本の予選会を見て、とってもドキドキしたこと、それから、市尼→山学の高瀬くんが走ること、こりゃぁ行くしかない、ですから。
不安もなくはなくて、翌週の28日は広島、次は全日本で熱田〜伊勢に遠征が決まっていますから、それからその次の週はできたら篠山へ兵庫県駅伝も観に行きたいし。
なんかもうほんとうに、行きたいところだらけで、いろいろな意味で破綻しそうです。
出発
「ながら」は大垣からなので、京都からは米原まで新快速、米原から大垣までは各駅だったかな。
米原から大垣までの列車の車両がキレイで気に入りました。
この電車は、岐阜からの帰りに乗ったように思います。
京都を9時半に出て、大垣に11時過ぎについて、「ながら」の指定に乗り込みます。
大垣からの乗車は少なくて、1車両に数人くらいでした。
わたしは乗車券を、初乗りの東福寺で140円分しか買っていなかったので、どこかでちゃんと買いなおそうと思いつつ、なかなかそういう機会に恵まれず、あとで結構、困ったことになりました。
京都から約90分の間は、必要があって資料を読んでいました。
行き帰りの電車の時間で資料を読むことは、遊んでばかりいる自分への宿題です。
それでも、時間がずっと続く、夜行列車の旅は、快適そのものでした。ただし名古屋までは。
名古屋からの悲劇
大垣から30分ほどして名古屋に着きました。
人が大量に乗ってきて、ほぼ満席になりました。
すごいですね。こういう思いをして東京方面へ行こうという人がたくさんいらっしゃるとは。
おとなりの席にはどんな人が来るんだろーと思っていたら、通路をはさんでの2人組の男女の男性のほうでした。
上背のある方でしたが、別に席が狭くなるわけでもなくほっとしていたら、反対側の窓側の席の人が、ツーショットの2人のために席を代わってあげていました。
まぁ、気のきく人ねと思って、そのあたらしいおとなりの席の人が座られました。
さっきの男の人もデカかったけど、今度の人もデカいなぁと、そのくらいでした。
でも、名古屋を出て、2つくらい停車したくらいで、となりの人が熟睡しはじめました。
と思ったら、びっくりするくらいの大きなイビキ!
わぁ〜たいへんだぁと思ってもどうすることもできず、おじさんの「がぁおぉ〜」というイビキを聞かざるを得ませんでした。
あまりにもうるさいので、もっていたMP3でB’s の曲をガンガンかけてしのぐしかなかったです。
そんなんで眠れそうになかったけど、でも、いびきを聞いているよりはマシということで、そうしました。
しばらくすると、熟睡するおじさんの手が、席の区切りを越えて、わたしのほうにやってくるのです。
こんな感じです。
おじさんは熟睡しているので他意はないのですが、それでも膝のところに手があたるというのは、どれだけ気色悪いか、、、、、
イビキとこの手のおかげで気分最悪です。
この手をいつのけてもらおうかきっかけを思案していました。
そう、検札のときに起きてもらえばいいやと思って、車掌さんがくるのをひたすら待ちました。
でも、、、なかなか来ない!
そしてやっとわたしの乗っている車両にきたと思ってひたすら待ったのですが、わたしの座席の2列前で、反対側の車両から来た別の車掌さんとともに去ってしまったのでした。
わたしは、乗車券の精算もしたかったので、検札してもらう必要があったのに、これって二重苦!
相変わらずおじさんの手は境界を越えたままです。
このままイビキとこの手の苛立ちのまま朝まで過ごすわけにいかず、どうしようか思案の末、もう言うしかないと思って、熟睡するおじさんに、「すみません、手をのけてください」と言ってみました。
でも、熟睡するおじさんには聞こえなくて。でも、ここで引き下がってはこの不快指数200%の状況は変わらないと思ってもう一度、今度は境界越えしている手を掴んで、「すみません、手をのけてください」と言うと、ようやく気付いてくれました。
あぁ、よかった。
膝が接触して気分最悪だったうえに、手のおかげで狭く座らなければならなかった状況がようやく解消しました。
でも、いびきは相変わらずです。
自分ちの家でいびきがきついってわかるけど、電車のなかでもって。
でも、これは仕方のないことなので、B’zの音楽で過ごすことにしました。
今のイヤホンは性能がいいので、引きこもるには最適です。
それでも短時間はウトウトできて、朝5時、東京に着きました。
以前は4時半に着いていたので、東京駅の雰囲気もちょっとは賑やかになっているかと思ったけど、あまり変わらずで、まずはトイレに行って、顔を洗って歯磨きをして準備。
朝食を食べれるところを探したけれども、いいところがみつからず、それでは先に目的地へ行こうと中央線に乗りました。
中央線に乗って、ここで眠気が一気にきてうとうとし始めました。
乗り慣れた電車ではないのに眠ってしまって、そのうち、どこの大学か明らかに西立川に向かっているような人にも遭遇して、ぼーっとしながら、眠りながら乗っていました。
「立川」に着いて、駅伝関係者らしき人が降りていくのですが、ぼーっとしているわたしは、「降りるのは西立川よね」と思って、降りませんでした。
ドアが締まってから、中央線に乗ってても西立川には着かないと気付いて、次の駅で下車して立川に戻り、青梅線に乗り換えてようやく西立川に着きました。
もたもたしながらも、着いたのは7時前。
西立川の改札には、どこかの大学の応援団が待機をしていました。
改札出れない!
実は、わたしは乗車券を初乗りの東福寺(とうふくじ)から140円のものしか持っていませんでした。
途中の大垣で精算できず、頼みの社内検札にもパスされて、140円の乗車券で東京まで来ていたのです。
まず、精算機にその切符を入れてみるも、やっぱり「この切符はダメ」と。
仕方なく改札口の係員さんに、「すみませんー」と切符を差し出すと、予想通り「?????」。
「これはなんと読むんですか?」
「とうふくじ といいます」
「????」
「奈良線です」
はい、とうふくじね、どういう経路でこられました?」
「東京へ出て、それからここへ来ました」
「奈良をまわって?」
「いえ、京都に出て、大垣から東京にきて、中央線経由で来ました」
ということで、駅員さんは奈良線と東海道線がつながらなかったようです。
「一度も検札に来られなくて、ここまでこのまま来てしまいました」と、そんな話で誤魔化しながら8500円ほどを支払って、ようやく改札を出ることができました。
西立川の駅員さん、困らせてごめんなさい。
昭和記念公園
7時前、スタートが8時半なので、いくらなんでも早いし、しばらく公園付近で待つことにしました。
しばくらすると読売の号外を配り始めたので、1部、もらって待機していました。
号外の人より早くきてどうする!です。
駅から公園のほうを撮ったもの、そして西立川の駅、それから駐車場。
空がとってもキレイで思わずシャッターを押してしまいました。
そして何気なく撮っていたんですが、よーくみてみると(家に帰ってから気づきました)、そのあとご一緒させてもらうファミリーでした。
昭和記念公園って、入るのにお金がいるんですね。
あまりそういう公園を知らないので、ちょっとびっくり。
わたしは、↑ファミリーとご一緒させていただたいので、入場料は払いませんでした。ありがとうございます。
入ってすぐポスターがありますが、わたしは見てもよくわかりません。
ついていくだけでした。
公園に入ってから、ぞろぞろぞろと歩いていきました。
公園の風景と予選会の様子は、次のページで。
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