2003年10月2日(木)
指揮:アレクサンドル・コプィロフ
振付:マリウス・プティパ
改訂版再現:ユーリー・グリゴローヴィチ
久々に見るバヤデルカ。
配役が素晴らしい。静のグラチョーヴァと動のシプーリナ。
ニキヤは、外面的な静けさを保ちながら、心の中から湧き出る熱いルサンティマンを表現するという役柄だが、グラチョーヴァはまさにこの役を踊るために生まれてきたかのよう。
バレエには技巧・技術で、時にはアクロバット的に見せるものと、かすかな動きの中で永遠の世界を作り出すものがあり、共にスポーツでも哲学でもなく、芸術として人間のさまざまな感情を動きの中で表現することが求められるが、グラチョーヴァは後者の範疇では抜群の才能を見せる。
たとえそういう役柄でなくても、彼女はその「場」や「空気」を生み出す独特の影の雰囲気を備えており、それは第3幕のあちらの世界を暗示するかのようである。
ガムザッティを殺そうとする場面ではもちろん激しい動きを伴うが、そういう時には逆に心の静けさ、それも相反する二つの温度ーガムザッティには冷たく、ソロルに対してはとても熱くーをもつものが空間として目に見えてくる、その凄み。静謐さとカタストロフの場面に強い力を発揮するバレリーナである。
それと対照的なのがシプーリナのガムザッティ。表面的な若さ、明るさや軽やかな動きの背後に充たされない思いが常につきまとっていることが表現される。
彼女は白鳥では踊りに精一杯なのか心の底からのものがまだ見えてこないが、ガムザッティでは余裕すらみせるところが小憎らしく、はまっている。
このバレエ、肌の色を浅黒く塗った男や女がたくさんで、地味で暗い色を主調とした、派手さのまったくない舞台。
だけどバレエとしての見所がいっぱいつまっている。第2幕は太鼓の踊りと黄金の像。そして第3幕の影の世界。
黄金の像は、岩田守弘のいつもながらの安定感とダイナミックさに会場のあちこちからブラボーが聞こえた。形を気にしすぎるとこじんまりとまとまってしまうし、躍動感を強調すると着地がぐらつくものだが、この日は特に気合がはいっていたのか両者とも満点のでき。動きが早いからかあっという間に終わってしまったが、後々まで充実した印象が残る踊りであった。
ペトゥホーフ率いる太鼓の踊りは、どちらかというと形にはこだわらず、演劇的な表現力を全開させ、それでいたちゃんとまとまった場面にしていたところが彼の芸術力であろう。前日ドンキホーテでサンチョパンサを好演した彼であるが、まるで別人。どんな役も踊り分けられる才能は翌日みた「無益な用心」でさらに爆発。
舞台の奥の「山」から音もなく、いつまでも続くのではと思わせるほど降りてくる「影」の列。
少しずつ変わる音楽を聴きながら「地」に着く頃には視覚的のみならず感覚的にも第2幕とは全く別の世界に聴衆をひきこんでいる。
そこには演出の天才を感じるのはもちろんだが、かなりの角度で降りながら、ポーズを決め、また降りるその際に、少しも崩れがないところに、あらためてボリショイのコールドの底力を感じた。
グリゴローヴィチの演出では最後を観客が自分で想像するようにできているが、大きくどっしりとした舞台の上で演じられる文字通り珠玉の踊りの数々を反芻しながら、言葉にならない感慨を覚えつつ家路に向かうひとときは、ある意味ロシアらしい、文化的な贅沢さの極みだと思う。
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