ボリショイ劇場の舞台裏 その2


その2はボリショイ劇場の新館編。

今回のロシア旅行では6泊中4日間、モスクワ・バレエ・アカデミーのボンダレンコ先生が私に時間を割いて下さった。
彼の教え子にはボリショイ劇場などで活躍しているバレエ学校の卒業生の他に、コンクールの稽古をつけた人を含めればフリオ・ボッカ、ドミトリー・シムキンなど錚々たるメンバーがおり、私なんかにはもったいない人だけど、お人柄か何となく気があうからか、こういうこととなった。

私たちのモスクワ・バレエ生活でお世話になり忘れられない人といえば、ザーラ・アンドレーヴナというボリショイ劇場総裁秘書をつとめていた恩人がいる。
彼女とのおつきあいは、前任者、ニーナ・アヴデーエヴァさんの紹介にはじまる。私は1989年-91年に政府間の交換留学生としてモスクワ大学に留学していた。平均給料の1,5倍の奨学金という厚遇のはずだったのに、ソ連末期の混乱でインフレがはげしく、よくある貧乏留学生生活を送るはめになっていた。
そんな時アヴデーエヴァさんは私たちのバレエ好きを理解してくれて、希望の公演を見せてくださった。極東からきた貧乏学生に、こうして無私の心で最高の文化を味わわせてくれるというところがロシアの懐の深さであり、なんでもお金で次第になってしまったアメリカや日本にはもはやありえない一側面である。

1998-2000年の時にはザーラ・アンドレーヴナにお世話になったのである。
今回電話をすると、新ホール担当になったとのことで、さっそくジゼルに招待してくださった。
「私は一人なので」、というと「そんなこといわずに2〜3人で見にいらっしゃい」といって下さるので、誰と行こうかと考えた。
まず考えたのはロシア史研究者関係だけど、バレエが好きかどうかわからないし、時間もなかったので、さっそくお会いしたボンダレンコ先生に聞いてみた。
学者に本を贈るのは禁物といわれていることから類推して、バレエの先生をボリショイにお誘いするのはどうかと少し躊躇したが、新ホールはできたばっかりだから先生にも興味があるかもしれないと思ったのである。

すると先生は、踊り手の側からの新ホールチェックということで、バレエ学校の公演関係で舞台の下見には行ったが客席はまだだとのことで、二つ返事で了解してくれた。
私としては、先生といけば見慣れたジゼルもプロの目から解説してもらえるかも、なんてずうずうしいことを考えていたのだけど、実際は予想を超えた楽しみを与えてくれた。

まずは新館に行った12月19日のジゼルの日。
とりあえず劇場探検ということで、いろんなところを回った。ホールは新しいけれど、日本にありがちなのと違って全体的に暖かみがある。

シャンデリアは豪華に使われているし、天井画も立派。
客席は本館と同じく半円を描いており、三階だて。二階がベリエタージュ、三階がペルヴィ・ヤールスと呼ばれるがボックス席にはなっていない。
小さめなこともあって客席のカーヴがきつく、左右とも舞台に近い半分くらいの席に座ると舞台全体を見わたすのは1列目でもきつい。

一階は平土間(パルテール)と壁際のボックス席であるロージャ・ベヌアーラからなる。本館と違って平土間でも列ごとの段差がけっこうあるのでとても見やすい。
客席、舞台を含めて全体的にはペテルブルクのマールィ劇場(ムソルグスキー記念)くらいの容積かと思うが、ボンダレンコ先生によれば舞台の間口は本館よりせいぜい2メートル狭いくらいらしい。
今回はここでジゼルを観たが、12月20日夜にはくるみ割り人形の稽古がおこなわれたので、古典的な作品だと「小さめ」のものに使われるようになるのかと思う。

席につくと、ボンダレンコ先生は隣の隣にバレエ評論家のタチアーナ・クズネツォーヴァが座っているのをみつけ挨拶。
三回目のベルが鳴っているのに、知り合いをみつけたのか、先生は席をたって一階ボックス席へ。そこには
ガリャーチェヴァとジュ・ユン・ベがいて、気づかれないように後ろから回って、抱きかかえるようにして「やぁ、久しぶり」とやってる。
ボンダレンコ先生はパ・ド・ドゥーの指導を通じて女性バレリーナにも教え子が多い。ガリャーチェヴァもその一人。彼女はジゼルの、ベは収穫祭パ・ド・ドゥの控えだったようで、第一幕が終わるともう客席には戻ってこなかった。

この夜は第一幕が終わってからがお楽しみタイム。舞台裏に連れて行ってもらったのである。
新ホールは一階客席右前のドアから出ると舞台裏に通じるドアがある。もちろんそこには警備担当の人がいる。
ボンダレンコ先生「ちょっと通してくれませんか」警備員「通行許可書がないとダメですよ」ボ先生「許可書は今日はもってくるの忘れた。でも教え子たちが向こうで待ってるんです」警備員「そういわれてもねぇ」
という会話をしていう間に、楽屋へ行く人がみな先生に尊敬をこめて言葉をかけいたからか、彼がバレエ学校教授であるとわかったらしく、「どうぞ」ということになった。

中に入るとボ先生もはじめてで「前に下見に来た時は、本館の3階から連絡通路からこっちに来たから、どうなってるのかわからないなぁ」といいつつ歩いていくと、楽屋が連なっている。
舞台右そですぐのところに準備運動用(?)のバーと鏡のある小さなトレーニング室的な空間があって、バレリーナが一人立っていた。
「やぁナターシャ、元気?」「先生、お久しぶりです。今日は何かあるんですか?」「ヒロシにここを見せようと思ってね」
昨日のミルタ、今日はヴィリー役のマランディナだった。彼女とは大阪で会ってサインをもらったのだけど、お化粧してると見違えるようにきれい(失礼!)で、誰だかさっぱりわからなかった。

彼女に男性控え室の場所を教えてもらって、次に歩いていくと、ガンス役の衣装のままのペトゥホーフに会った。
彼はタランダと一緒にボンダレンコ先生の指導をうけたことがあるということで、何やらアドヴァイスをもらっていた。
サンチョ・パンサがハマリ役の彼であるが、背は結構高いので驚いた。今日は身も心もガンスなのである。「大阪のスパルタクスの剣闘士役、みせてもらいましたよ。短い時間に集中したすごい演技でしたね。」
彼と私は同年代で、同じ年に同じ世界の変化を経験しているからか話が合い、またいずれじっくり、ということになった。偉い踊り手だし、演出も手がける鬼才なのに、全然そうみせないところがすごい。とても気持ちのいい人であった。

次に行ったのは今日の主役の一人、ニパロージニーの楽屋。幕間で緊張してるだろうし、いろいろやることもあるのではと思い入り口で躊躇してると「どうぞ入ってください」とのこと。
中は新しいワンルームマンションのようで、バスタブつきのシャワーがあった。彼はトレーナーと一緒にいたけど、一人でティーバッグのお茶をいれて飲んでいた。
「あなたのことは舞台で何回もみてます」というとニコニコと「ありがとう。」あとになってみれば、彼のクラッススのこととかいろいろしゃべりたかったが、ドキドキしてそれどころではなかった。
先生は「新ホールはどう?ウヴァーロフは硬くて踊りにくいと言っていたけど」と尋ねていたが「昨日はじめてここでいきなり踊って、そして今日も。今のところ何でもないですよ」とのこと。
客席に帰りがけに別の部屋にいるメラーニンに会って「秋葉原でディスクマンを買ったけど、こわれちゃったから修理してきてくれない」と頼まれた。

という感じでこの日の私の楽屋訪問は終わり。先生は教え子たちにいうことがあるということで、終演後またたずねていっていた。


ボリショイ劇場の舞台裏 その3

2002年のボリショイ劇場は こちら

2003年のボリショイ劇場は こちら

2004年のボリショイ劇場は こちら

2005年のボリショイ劇場は こちら