ボリショイ劇場の舞台裏 その3


その3はボリショイ劇場本館。
今回はここで白鳥の湖を2回みた。

この有名なバレエ、前回滞在時には2回みたが、プリマがそれぞれアンドリエンコアントニチェヴァで、むしろ王子の友だちの岩田さんとか、2羽の白鳥を踊ったアレクサンドロヴァとかに強い印象をもっている。
もちろんその頃はヴァシーリエフ版で、満月の夜に王子の父が悪魔に化け、オデッタをとりあうというへんちくりんな話で白鳥と黒鳥の対比もない。
「舞踊の魂」授賞式の記念公演でアンドリエンコが「黒鳥」を踊ったり、アレクサンドロヴァに何を踊りたいかとたずねたとき、「白鳥。それも本物の」と答えがかえってきたように、内部からもこの振付けには反発があったようだ。
で、ヴァシーリエフ解任(2000年秋)後、グリゴローヴィチにより自分の旧版に手をいれた悲劇的結幕でおわる演出が2001年3月に作られた。

12月の「白鳥」公演は3回あって、ポスターではヴォロチコーヴァステパネンコそしてボリショイでははじめてルニキナがオデッタを踊ることになっていた(王子はイヴァンチェンコ、イヴァノーフウヴァーロフ。ロートバルトはベロガロフツェフ、プローニン、ルィジャコフ)。 でも結局ルニキナは準備が間に合わなかったのか延期となり、2002年3月にすでにオデッタ=オディーリヤのデビューをすませているシプーリナが踊ることになった。
12月21日はステパネンコ、ウヴァーロフ、ベロガロフツェフという豪華メンバーだったが、ベロガロフツェフのロートバルトに強い印象をうけた以外は、期待が大きかったせいかさほどの感銘をうけなかった。

12月22日はボンダレンコ先生と一緒に見に行った。
コートをあずけると「さあ、行こう」ということで、楽屋裏へ。建物の外から行くときは「第15番」という入り口が楽屋口となっているが、館内から行く時には1階右側のビュッフェから1階ボックス席(ロージャ・ベヌアーラ)へ行く階段の右にあるドアが楽屋に通じている。
守衛所をとおりぬけると迷路のような古く狭い道が続いている。と、ほどなく舞台の真下に来た。「おー」と声をあげると「200年以上の歴史がここにあるんだよ」とボンダレンコ先生。
舞台下は薄暗く、ロープやワイヤーがたくさんあった。ボリショイ・バレエではくるみ割り人形やジゼルで、歌舞伎のように昇降装置を使って舞台下から登場することがある。その装置が目の前にあった。

表にでると、楽屋がつづいていた。開演前で廊下は人でごったがえしていたが、ボンダレンコ先生をみるとほとんど全員があいさつにやってくる。
いろいろのぞいて、本日の王子役イヴァノーフの部屋にたどりつくと、先生はずかずかと入っていく。なんといってもイヴァノーフの師匠なのである。私は例によって入り口でもじもじしてたが、先生とイヴァノーフ本人から促され、ニコニコと入っていった。
といっても、新館を見たあとだからか、古く狭い楽屋。シャワーはあったけど、バスタブはなかった(と思う)。大きな鏡と洗面台、それに机があって、病院の診察室みたいであった。
イヴァノーフは先生と久しぶりに会ったからか、踊り方についてさっそく質問をしまくっていた。本番前、それも「白鳥」の前なのに変な意味でのピリピリした雰囲気はなく、緊張していたのはむしろ私の方であった。

イヴァノーフの楽屋を出てから、今度は岩田さんの部屋へ移動。ボリショイの楽屋は主役クラスが1階、ソリスト級が2階、コールドは3階以上とかどこかで聞いたことがあったが今回は1階しかみていないのでそれ以上の詳細はわからなかった。
岩田さんの部屋はイヴァノーフの隣の隣くらいにあった。お化粧とかつらはすでに準備完了だったが、アメリカ公演後ひさびさにモスクワで踊るからか、タイツがぴったりこないようで、ちょっとごたごた状態。トレーナーが部屋から出ていって、もどってくるとヤーニンの白鳥用タイツを手にしていた(肩掛けバンドのところに「ivata」とか「ianin」とか書いてある)。

そうしたところにボンダレンコ先生と私が現れて、岩田さんはうれしいそうにしながらも、さっそく「こういう場合どうしたらいいのでしょうね」とボンダレンコ先生に尋ね、結局自分用のタイツをはくことになった。
雑談していると、ヤーニン登場。「やー、ゲンカ(ヤーニンの愛称)。」「調子はどう?今日ちゃんと踊れる?」みたいな会話をしてすぐに出て行った。

ボリショイ劇場では、すべてのソリストに控えをつけており、本番前、そして幕間にアシストする側が出演者と打ち合わせをするのである。昨日は逆に、岩田さんが出演するヤーニンのために、劇場に控えていたという。

時間は6時50分を過ぎており、そろそろいかなきゃヤパいんじゃないかと思っていると、ボンダレンコ先生がようやく話をきりあげ、「岩田さん、がんばってくださいね」といって、部屋を出た。
楽屋は女性用と男性用で場所が別れており、私がみたのは当然男性側だった。ボリショイ劇場の舞台裏は迷路で、私はボンダレンコ先生の後をついていくのみ。出口はどこかなと思っていると、知らないうちに、幕の後ろ、つまり舞台に出た。

ボリショイの舞台、それも本番前にあがっていいのやら悪いのやら。ボリショイの舞台は傾斜があるのが特徴で、プリセツカヤの自伝では舞台前方と後方で2Mの差があると書いてあるが、20センチの間違いだと思う。

舞台中央ではシプーリナイヴァノーフ、それに王子の友だち役のルィシキナらがウォーミングアップをしている。
ボンダレンコ先生はさっそくルィシキナに「お〜い、マリアン!」と声をかけると彼女がやってきた。写真でみると少しきつい顔をしているが、近くでみる彼女は黄色いチュチュをきてお茶目な女の子のようである。

と、そでからステパネンコが現れた。ちょうどいい、という感じでボンダレンコ先生が私にステパネンコとルィシキナ二人一緒の写真を撮るよういうと、ルィシキナは「や〜あだ」といって舞台中央へ戻ってしまった。
昨日白鳥を踊ったステパネンコは、今日はシプーリナの控えであり、彼女の様子を見にきてたのである。
彼女と写真を撮り終えると、今度はバレエ監督のアキーモフが登場。ボンダレンコ先生をみつけるとあちらから近づいてきた。

彼とは10月の大阪公演の時に即席で知り合いになっており、覚えていてくれたのでその時の写真を見せると喜んでいた。
聞くところによれば、バレエ公演のある日にはアキーモフは必ず舞台裏に控えており、主役級は彼が出演者を決め、その他はバレエ次席監督のツィヴィンが割振りをするという。

そうしているうちに3回目のベル(7時)がなり、王家の紋章などの道具でいっぱいの舞台を横切り、小走りに客席に戻った。ボリショイは定刻の7分遅れではじまることになっているのでまだ間に合うのである。

公演についてはこちらに書いたので詳しくは触れないが、ボンダレンコ先生は「あれとこれが教え子」とその度ごとにささやいた。出演したソリスト男性の大体半分が彼の教え子であったし、舞台裏に行った時にもソリスト級になると近づいてきて挨拶をしていた。ボンダレンコ先生がすんごい先生だということは、話に聞いたり本で読んだり、また岡山でのサマーセミナーでの教えぶりを見て知っているつもりだったが、ボリショイ出演者のほとんどが尊敬のまなざしでこちらに近寄ってくるのを目の当たりにして、先生の偉大さをあらためて知った。

出演者へのコメントはあまりなく、プローニンについて「彼にはまだ力が足りないな」とかシプーリナについて「バレエはうまく踊れているけど、(フェッテとかが)いつも成功しているわけではない。若いからまだ心からの踊りになっていない」程度のことであった。

休憩時間はビュッフェで「ザラタヤ(黄金の意)」という名前のスパークリングワインを飲んだ。グラス100ルーブル(400円)。ソ連末期にこのワイン、行列して25ルーブル(100円)で買ったのを覚えているが、ボンダレンコ先生もビュッフェは高くなったとぶーぶー言っている。 オープンサンドはサラミをのせたのが40ルーブル、スモークサーモンをのせたのが100ルーブルである。

立ち話をしてるとシプーリナのお母さんがビュッフェを横切り、また私たちの近くにはイヴァノーフのお母さんがいたが、先生に気がつくと「あら。こちらが私たちの教授!」と嬉しそうに同伴者に紹介していた。とても小柄だけどイヴァノーフにそっくりなのでその旨伝えると「それはありがとう。男の子はお母さんに似るといいますからね。日本もそうなの?」と聞かれた。彼女はさっそく先生に甥を先生のクラスで見てくれないかと頼んでいた。

舞台が終わると、もう一回楽屋へ行こうということになり、コートとかばんをもってビュッフェから行こうとしたが、今回の守衛は厳しく、通行許可書をもつ先生だけが通され、私は入り口で待った。

と、じきに岩田さんが出てきた。ボンダレンコ先生と行き違いになったようである。「岩田さんの踊りすばらしかったかったですねぇ。昨日のヤーニンもうまかったけど、今となれば彼が普通に見えてしまった。」というと、「アメリカ帰りでみんな眠い眠いと裏では言ってたんですよ。ヤーニンは一日出番が早かったから、ぼくよりもっと眠かったんじゃないのかな」と謙遜していた。
また、アメリカでの派手な反応に慣れていたからか、お客さんのノリが今いちだなぁなんてことも裏では話題になっていたようだ。バレエを観てすばらしいと思ったら、躊躇なく拍手をすることが出演者への励みだということをあらためて感じた。

先生を待ちながら岩田さんと立ち話を続けているといろいろな人が通り過ぎた。アキーモフも最後までいて、握手をして別れた。
グリゴローヴィチ版では第一幕の「乾杯の踊り」のところでハリネズミのようなとげのついたジョッキが使われるが、それをかばんにいれて持ち出そうとしている人がいて、守衛に注意されていたが、どうも自分の私物だという主張が認められてとおり過ぎた。
ボンダレンコ先生はシプーリナを連れて出てきた。彼女と一緒に写真を撮って、夢のような夕べはお開きとなった。


ボリショイ劇場本館の舞台裏
ボリショイ劇場の舞台下
これから王子を踊るイヴァノーフ
本番直前の舞台の上
アキーモフとボンダレンコ先生
ステパネンコとボンダレンコ先生
終演後
白鳥を踊りおえたシプーリナ
幕後の岩田守弘

舞台裏その4はこちら

2002年のボリショイ劇場は こちら