ボリショイ劇場の舞台裏 その4


今年(2003年)もモスクワに行く機会を得て、ボリショイ劇場の舞台裏をのぞいてきた。
昨年はバレエがアメリカ公演から帰ってきたばかりで、ばたばたしたなか、ボンダレンコ先生にくっついてある意味偶然に舞台裏を覗いたのであるが、 今年は兄弟づきあいをしていただいている第一ソリストの岩田守弘氏に入館証を作ってもらい、堂々と15番入口(楽屋口)から中にはいった。

まずはじめはレッスンの見学。
岩田さんがついているアキーモフ・バレエ芸術監督のレッスンは毎朝10:00からはじまるので、9:45に15番で待ち合わせということになった。
15番入口の重い扉をあけると中に窓のついたドア&窓口があり、ボリショイ内部の人に用事があるときにはここから内線で電話をかけることになっている。
しかし今回はレッスンの時間なのでドアは開いており、入館証のチェックで先に進める。

9.11やチェチェン戦争に対するテロに備えてか、はたまた5月のボリショイでの爆弾騒ぎの影響か、今年は去年と較べて格段に警備が厳重になっている。
劇場の客席へ入る正面入口では飛行機に乗るときと同じような持ち物検査があり、もちろん金属探知機を通らなければならない。
夜の公演は7時開演なので6:30位に待ち合わせの人が多いけれど、6:40には長蛇の列ができ、結局7:10過ぎにはじまるという感じであった。
楽屋口の検査体制もほぼ同じで、身長2メートルを越えるスーツを着た大男の警備員が数人控えており厳重なチェックがある。
だけどそこを一旦通過すればあとは何をやってもフリーの世界。

まっすぐ行くとすぐにつきあたりがあり、右に進むようにできている。
つきあたりはバレエ、オペラ、オーケストラ共通の掲示板になっていて、体重騒ぎで解雇されたボロチコワに関する報道が拡大コピーされていくつも掲示されていた。
その先へ進むとまずは左にオーケストラボックス入り口があり、オケ関係のたまり場となっている。
さらにその先は舞台下になっているが、まっすぐ行って右にあるエレヴェータで4階に上がった。

そこはバレエ関係の階になっていて、おおざっぱにいうと劇場正面からみて右半分が女性用控え室、左が男性用となっている。
レッスン室へつながる廊下はバレエ関係の掲示板となっており、左側には公演予定表、右側にはレッスンの時間割表が貼ってある。
ボリショイでは前月20日に翌日の出演者が発表され、ソリストたちは公演予定表はそれを見て自分の出番を知る。
その他の事務的な通知もこの掲示板で連絡され、「次回フランスに行く下記のものはヴィザ関係に必要な書類をいついつまでに提出すること」というものもあった。
掲示板の先にはバレエ監督室があり、10時少し前になるとアキーモフが番号式のロックを解除してその部屋にはいる。

稽古の前の着替えは同じ階にある控え室ですることになるが、岩田さんの使っている部屋は4-5人共用で、行くとルィフロフが着替え中であった。
アキーモフのレッスンは第一稽古場でおこなわれ、私の着いた10:00前には若手を中心にほとんど全員が集合していた。
このクラスでは若い人から順に集まるのが不文律のようで、主役を踊ることもあるボローティンや、スパルタークのクラッスス役で鳴らしているルィフロフなどは既にウォーミングアップ中であった。

稽古場は17×21メートルくらいだろうか。ボリショイ新館の、そでをいれた舞台全体が30×25メートルなので、実質的に踊る場所くらいの広さがレッスン場に確保されている。ボリショイの舞台が観客に観やすいように傾いているのと同じく、稽古場も正面の方にかけて傾いている。傾斜は奥行き25メートルで30-40センチくらい。窓枠はまっすぐなので、端にいくほどバーと交差するようになっていることで傾きがわかる。

岩田さんが来るとあとにはヤーニンを残すのみ。彼は10時過ぎに派手な稽古着で別の入り口からはいってきた。
私を認めるとあちらから近づいてきて、「ゲンナジー」と自己紹介をしてくれた。礼儀正しい人である。
彼は昨シーズン後半からアキーモフに次いでバレエのナンバー2(ロシア語でいうとzaveduiushchii)になっていて、私がもらった入館証にも彼のサインがあった。

そして10時5分過ぎにアキーモフ登場。岩田さんが紹介してくれたが彼は私のことをまたまた覚えていてくれて「もう私たちは知り合いだよね」と言ってくれたので、はじまる前から嬉しくなってしまった。
まずは彼自身が軽くウォーミングアップをおこなう。私の方に近づいて「もう40年以上も毎朝こうして身体を動かしているんだよ」とほろりと言う、その優しい口調。
芸術監督でありながらボリショイ団員へのレッスンも毎日(外国公演中も必ずあるという)続けるところに、プロ中のプロがトップでい続ける裏にはたえざる努力があること、アキーモフは文字通りバレエに捧げた人生であるということを実感した。

レッスンは10:10過ぎにはじまり、まずはバーレッスン。基本的な動きから、徐々に複雑な動きの組み合わせへと移っていく。
モスクワバレエ学校のボンダレンコ教授のレッスンの通訳をしたことがあるので、基本的なレッスン言葉は知っているつもりだったが、やっぱり「つもり」は「つもり」。
アキーモフの背中側である正面の鏡のあるところに腰掛けていたこと、また部屋に声がこもることとあいまって、何を指示しているかほとんどわからなかった。

バーレッスンは30分くらいで終了し、その後はジャンプその他大きな動きのレッスンへと移った。
並び順はやはり「えらい」人が前方中央ということで、真ん中に岩田さんとヤーニン、その両脇にルイフロフとボロティン、若い人らは後ろの方。参加者は全部で15人くらいでほとんど男性のみ。
女性も二人参加していて、一人はソロを踊ることもあるプチョールキナ、もう一人は新人とのことである。
プチョールキナは成田空港のお土産屋さんで売っているような、簡単な着物をはおっていた。

バーレッスンの時から感じていたが、この稽古の一番のみどころはヤーニンでも岩田さんでもない(失礼!)。
思わず目がいってしまうのはアキーモフの立ち姿である。あの足の甲、土踏まずのところに関節があるのではないかというほど、ほとんど直角までに曲がる。
そして腕の動き。両腕をのばし、簡単なポーズをとると、衣装を着てないし、髪もない(すみません)のに目の前にいるのは舞台上のロートバルトその人である。
今まで稽古場以外で何回かお話した時には全然感じたことがなかったけれど、バレエシューズをはいて踊りだすと、そこには突然異次元空間が現れ、彼がもたらす風までが芸術の香りをもっているような気がしてしまう。

バレエ学校とすでにプロであるボリショイとでどうレッスン内容に違いがあるのか興味深いところであったが、百聞は一見に如かず。
レッスン内容は素人からみたら、去年ボンダレンコ先生の最終学年のクラスとさほど変わらない気がした。
でも学校では先生が生徒に、どの筋肉をどう使えばきれいなポーズをとったりジャンプが決まったりするかを教えることに重点があり、この点ではボンダレンコ先生の右に出る者はいない。
相手がプロだからかアキーモフはレッスン中、ひとりひとりに具体的指導をすることはない。彼のレッスンのエッセンスは、実際にきれいな形、きれいな動きを絶えず見せることにあるのである。
ボリショイとバレエ学校の違いというより、先生によるこれは指導法の違いにすぎないのかもしれないけれど。

バーレッスンが終わる頃ツィスカリッゼが髭づらで稽古場にやってきて、うしろの方でひとりウォーミングアップをはじめた。
さすがボリショイのトップダンサー。重役出勤か?と思ったが、実は彼は11時からのレッスンに参加するため、一番に稽古場に現れたのであった。
土曜日にマリインスキーからボリショイに移籍したザハーロヴァのデビュー公演があり、ツィスカリッゼはその相手役をつとめることになっていた。
王子役なのにあの髭はどうするのだろうとくだらない疑問をもったが、本番ではもちろんきれいな王子様として登場。おそらくリハーサルはあのままで、本番直前に剃ったのでしょう。

結局レッスンは10:10頃にはじまり、ちょうど一時間くらいで終了。
終わる頃には11時からの人たちもだいたい集まっており、ツィスカリッゼの他にクレフツォフもいた。
初日はその後岩田さんにボリショイ劇場の内部をくまなく案内していただいた。
翌日は女性のレッスンをみてせいただくとのことで、アキーモフクラスの後にコンドラーチェヴァのクラスを見学した。
その点については「舞台裏その5」ということで、「その4」はとりあえずおしまい。


入館許可書と公演予定表
入館許可書
公演予定表
アキーモフのレッスン風景
バーレッスン
中央に岩田守弘とヤーニンの姿がみえる

ボリショイ劇場の舞台裏その5へ行く

「2005年のボリショイ劇場」はこちら

「2004年のボリショイ劇場」はこちら

「2003年のボリショイ劇場」はこちら

「2002年のボリショイ劇場」はこちら