星組『皇帝』11/23千秋楽
とにもかくにも麻路さきの最後の公演が幕を閉じました。
私なりのけじめをつける意味で、改めて振り返りつつ千秋楽のご報告もさせていただきたいと思います。
☆第一場〜第三場 プロローグ
1000days劇場ではオーケストラがありません。指揮者の挨拶がないのでそれまでは拍手はノルさんにライトが当たった時が最初だったのですが、千秋楽ではプロローグの音楽が始まった時、自然に大きな拍手が沸き起こりました。きっと幕の向こうにスタンバイしている生徒さんたち、そしてマリコさんにも観客の気持ちが伝わったのではないでしょうか。
暗い中大勢がたたずんでいる感じは一見エリザベート風?いかにも「皇帝!!」といった雰囲気のプロローグは植田先生らしいです。流星のダンサーという水色の衣装の娘役はおもしろいと思っていました。
ネロの登場時の黒マントは植田先生のこだわりだそうですが、15秒くらいのためのこだわりというのはすごいと思います。おそらく幕開けには「暴君ネロ」ということを強調して、その後若いときの英邁な皇帝ネロへつなげているのでしょう。
ネロのマリコさんは赤毛の鬘がお似合いでもう〜☆胸キュンッ☆でした。男役を引き連れての群舞の振り付けは、割りと目新しくておもしろかったです。マリコさん(麻路さき)の指先がキテいるのでかなりノッテ踊られているのを感じます。大劇場も1000daysも友会席は上手が多いのですが、プロローグのダンスでは上手に目線が飛ぶことが多いのでいつも楽しみでした。最後にネロが舞台中央前方に、オクタヴィア(星奈優里)が舞台中央後方に位置してネロに手をさしのべて暗転するところが最高に盛り上がってよかったです。
第四場 黄金宮殿
芝居はアグリッピナ(邦なつき)の「おだまりぃ〜!」の一声から始まります。専科の邦なつきさんはダル・レークの恋からのおつきあい。1000daysの方が少し若くて綺麗な皇太后に思いました。
後々から考えると奴隷のサビナ(彩輝直)が馬車の前を横切ったことくらいで処刑するように言うのも、ローマ市内に馬車を乗り入れてはいけないのを反古にするのも世の反感をかって逆にネロの治世の良さを際立たせようとしているからで、そういう目で見るとネロがアグリッピナを庇い自分からお願いして馬車にのってもらったと言い出した時は複雑そうにしている母上に気づきます。
ネロの「だまれぇ〜〜!」の声がすると、サビナは嬉しそうにします。当然ネロが自分を庇ってくれると信じての事なのですが、ネロに「奴隷の分際で」と叩かれます。このときのサビナの「信じられないっ。」という表情が印象的です。 ネロのセリフの中の「お言葉はありがとうございますが」の「が」がいつも気にかかります。
母上を王座に促し、自分はサビナを始末するからとその場に残るときの、促し方が自然で優雅なものでいつも惚れ惚れしていました。こういうちょっとした動きもマリコさんの場合常にぬかりはないという感じです。
第五場 ドロップ
ネロがサビナの処刑の場所を移した時に「あ、ネロはサビナを助けるつもりだ。」と気づきました。この場面では最初セネカの懇願を叱りとばすので「あれ?本当に処刑するつもり?」とびっくりしますが…。ネロはもともと助けるつもりだったのに、セネカがそれが分からず自分を説得しようとするので反発心から叱ったのでしょう。「最初から助けるつもりだったが、セネカがそれも分からず説得しようとするのに腹がたった。」という部分に青年皇帝らしい魅力を感じます。
そこへサビナの母親(鷺草かおる)がどうやって宮殿の奥深くまで入れたのかは謎ですが入ってきて身代わりを願い出ます。ワコさんのここの場面の演技は説得力がありよいです。母親の言葉毎にネロの心が動いているのがよく分かります。
サビナが母親が来ると本当に子供のように抱きつき、涙を誘います。ネロが自分を庇ってくれたと分かったとき、ネロに「正義が正義でないときもある。」と諭されたときのサビナの泣き顔にはいつも泣かされました。
第六場 黄金宮殿B(バルコニー)
大劇場の3日目あたりからシーラヌス(稔幸)に言い寄られるオクタヴィアが信念を持ってネロを心から慕っているのが伝わってくるようになったんです。それゆえに思わずシーラヌスと口づけしかけてしまうのが変だと思えるようになりました。1000daysではそれがなくなり、単にシーラヌスが抱きしめただけになりよかったです。
最初の頃、ネロがいきなり「そなたの心を知らないではない。」とか「妹は抱けぬ。」と話し出すのが、これってネロとオクタヴィアが結婚してから何回目の逢瀬なの?…と不思議だったのですが、1000daysでは特に気にならなくなりました。今は、久しぶりにオクタヴィアに会ったら相変わらずオクタヴィアは慎ましやかで・たおやかで・可愛かったし、シーラヌスにネロへの気持ちを語った後だから全身から「皇帝陛下だけをお慕いしております。」みたいなオーラが出ていたんじゃないかと納得しています。それで、今まで言わなかったけれどネロも思わず自分の気持ちをうち明けたくなったのかな…と。ネロは正義感の強い青年皇帝ですから「妹は抱けない。」と人一倍思っているだけにオクタヴィアへの言葉はそのまま自分への戒めなのかも。昔自分が母上と通じていた事を悔いていてそれが「妹を妻にはできぬ。」という強い決心につながっているのではないでしょうか?「愛よ翔べ」の歌詞はそのまま本当の気持ちで、自分を慕ってくれているオクタヴィアを決して嫌いではなく生まれ変わったら一緒になろうと心から歌っていると思います。これからは妹として慕っていくと言うけなげなオクタヴィアをなぐさめるように抱きしめるネロの優しさが伝わってきて好きな場面です。
千秋楽では優里ちゃんが「愛よ翔べ」を歌えなくなりそうになりました。声が震えてしまって…。それゆえネロのオクタヴィアを見つめる目が一層優しさを増したようにも思えましたし、暗転前の二人の表情にはなんとも言えな悲しさと暖かさが同居していて、私はここでも泣いてしまいました。
第八場 黄金宮殿C
下手にコルプロ(英真なおき)派、上手にアテリウス(夏美よう)派が並んで座っています。アテリウス派のそばにはべる奴隷(羽純るい・美椰エリカ)はアテリウスたちに散々いたぶられて可哀想です。また、アテリウス派の面々がいぢわるさが凄くて。ここでも司祐輝の細かい演技が光ります。
剣の踊りに見せかけてアグリッピナを襲おうとしたブッスルの前に立ちはだかるネロ。いい感じです。表情も動きも威厳があって、まさにその場を制圧してしまってます。アグリッピナを斬ろうとする親衛隊を止めるネロに斬りかかろうとする下っ端兵士の振付はちょっと疑問。ブッスル(絵麻緒ゆう)はあくまでもネロのスキをついてアグリッピナを斬ろうとしていますが…。ネロに刺された時の「陛下!」の表情が泣きそうに見えるのが今ひとつ。ここはネロを諫めるような毅然とした表情が見たかったです。
第九場 ドロップ
ここのネロの気持ちは痛いほどよく分かります。ひどい母でも母は母。母が殺されるのを許す子供がいるでしょうか。しかし、ネロは皇帝ゆえ、つらい決断を迫られます。そして心優しいネロだから、母を人手には渡さず自分の手にかけることを決心します。
第十場 黄金宮殿D
ネロが苦悩しながら象に剣を刺すところを上手でアグリッピナが見ています。その後のアグリッピナの挑発は宝塚には珍しい感じ。麻路さき的にも女性に迫られるというのはかなり珍しいのではないでしょうか? 最初の頃、ネロが思わず転んで座り込んでしまうところがちょっと自分から座り込んでいる感じだったのですが、その後うまいことアグリッピナに押されて思わず座り込んでしまうようになりました。
初日はアグリッピナってヤバイお母さんにしか見えなくてそれこそ???が飛びましたが、やはり3日目くらいからアグリッピナはネロが自分を殺すように仕掛けているのが分かるようになってきたんです。1000daysではやらしさも減ってネロを愛する息子として見ているように思えるようになりました。
息子の皇帝としての名声をあげるために自分が悪行を重ねる。 そのやり方は間違っているとは思いますが…誰もが正しいように生きられる訳じゃないから、アグリッピナが間違った方法でネロをたてまつろうとしたとしてもおかしくないと思います。自分が汚名を着ようとしているのに、逆にネロが庇って汚名を着てくれる。それは嬉しいけれど、でも自分の思惑に反している訳で、かくなる上は悪名高い自分をネロに殺させて決着をつけようとしたんですね。
アグリッピナの失敗は最後まで黙って死ななかったことです。本当にネロを思うのなら最後まで悪役で死ぬべきだった。アグリッピナの最後の告白によってネロは母を殺した事を後悔し我が身を呪うようになる訳です。ネロはあまりにも正義感にあふれ、あまりにも倫理観が厳しく、あまりにも心優しい人だったから、自分を思ってくれていた母を我が手にかけた自分が許せなかった。それゆえ、母の仮面を受け継ぎ悪逆非道な暴君として生涯を全うすると誓う…。ここらへんはそれまでのネロを見ていたら、そして母を殺した時のショックを見ていたら納得がいきます。オクタヴィアを妻として愛せないのも正義感や倫理観が厳しすぎるからだと思いましたし…。
かくして、大劇場では「暴君として生涯を全うして見せるぞ!」というネロに拍手喝采のファンなのでありましたが、(ここの拍手ってどうかと思ってましたけど…。)1000daysではここのセリフに大幅な変更が入り、最後は自分をあわれんで悲しく笑うネロに更に心を動かされました。
第十二場 黄金宮殿E(王座)
いわゆる「黒ネロ」の場面です。幕が開くと一斉にオペラがあがります。けだるそうに王座に座るネロを見逃したくないのです。でも、暗転から始まるからたまにカーテンが開くと全然違うところを見ていたりしてました。(^^;)
ここでネロが無茶苦茶であればあるだけ、後でオクタヴィアに言う「道化を演じることが一瞬ではあるが本心から楽しいと思う時があった、人間というものは誰でも…」という言葉に真実味が出ます。
セネカと2人だけの秘密と思っていたのに、オクタヴィアには見破られていたことをネロは驚き、嬉しく思います。そしてそのネロを理解し、止めずに「仮面を被り続けてください」というオクタヴィアを心から愛しく思うのです。
「愛しいぞ。オクタヴィア」となんともいえない表情でオクタヴィアを見るネロ。少しずつ近づいてあと少しというところでカーテンが閉まってしまいますが、ここでネロは手をオクタヴィアの顔に持っていくところまでは分かります。「この後、もしかしてキス?キス?」といつもドキドキしてしまいました。
第十三場 カーテン前
ここのオクタヴィアがいいんですよぉ〜☆ネロとより心を通じた自信からシーラヌスに対してきっぱりとした態度で臨んでいて。シーラヌスに何を言われても「いいえ、私は皇帝の妻です。」と言い切れる。思うに第十二場の後もネロとオクタヴィアは肉体的に夫婦の関係ではなかったと思うのですが、少なくとも熱い抱擁はあったと思うし、もしかしても口づけも…オクタヴィアは精神的に妻としての自信を持てたのだと思えます。
そんなオクタヴィアの気持ちがシーラヌスはどうしても理解できないようです。それが普通の感覚だと思います。ただただ、オクタヴィアの心の平穏を願うシーラヌス。シーラヌスも可哀想な人生ですね。
第十四場 黄金宮殿F
ネロがサビナに「余の愚かさを極めるため」そしてそんなネロの足跡を消して「新しい芽を芽生える」ために宮殿に火をつけてくれと頼むところ。ネロの気持ちがすごくよく分かります。ネロが「命とはその人間がどれだけ生きたかということではなく、どれだけのことをしたのかだ。」と言うとき、いつも自分はどれだけのことをしてきたのか…とドキッとします。そして、「余は余の命を精一杯生きてきた。もう十分過ぎるほど満足だ。後悔はない。」という言葉がマリコさんの宝塚生活にダブり、じわじわと泣けてきます。
これが「最後のご奉公です。」というサビナの泣き顔。千秋楽はくしゃくしゃになっていました。マリコさんの役が新公初主役だったさえちゃん。マリコさんご自身も「さえこにはいろいろと伝授してます。」といつかおっしゃっていたさえちゃんだけに、マリコファンの涙も絶頂になります。
その後のオクタヴィアとのやりとりもすごくいいと思います。オクタヴィアはネロの本心を分かっている人。そしてその母への思いと、今では美学にもなっている暴君として生涯を全うする事の仕上げに、自らを殺せと言います。これって究極の愛ですね…。ネロは宮殿と共に死のうとしている。自分はネロと共に死にたい。同じ死ぬのなら、いっそのことネロの手にかかって死に、ネロの最後を飾りたい。…凄いと思うのです…そこまで愛せるなんて…。普通に生きている私には本当は理解できない気持ちなのかも知れませんが、それまでのネロの姿や、オクタヴィアとのやりとりを見ていたら「凄い」と思わされてしまいます。オクタヴィアも凄い熱演だと思いますし、ネロも出来ないと葛藤する様子からだんだんとオクタヴィアに促されて最後に手をかけるところまでの気持ちの盛り上がり(表面的にはだんだんと落ち着いていって見えていて凄くいいです。)がよく伝わってきて、最後の口づけをして「すぐに行く。待っていてくれ。」と抱きしめるときに鳥肌がたって涙が止まりません。この抱きしめるときのネロの表情が本当に心からオクタヴィアを愛しているんですもの。オクタヴィアはネロの最後を飾りたいけれど、本心は「一緒に死にたい。」だと思うし、「すぐに行く。待っていてくれ。」というネロの言葉は一番嬉しいと思うのです。ネロの最後も凄いけど、このオクタヴィアとのひとときの別れのシーンも名場面だと思います。
シーラヌスに「来たなシーラヌス」と毒づくところ。1000daysの最後の方では笑いながら「シーラヌス、余は神の生け贄にはならん。」と続くようになり、ネロはある種狂気の世界に入ったかのように見えます。が、実はものすごく冷静、あるいは悟った状態だと思えました。ネロが反乱軍に対して言い放つ言葉はネロの本心を知っている観客には痛いほど悲しい言葉として響いていると思います。
最後に「我を連れゆけ 遙かな海へ 遙かな海へ」とネロが歌い上げるとき、最高潮に盛り上がりますが、ここでそれまで忍び泣きだったのが一気に号泣モードに入ります。舞台前方上方から落ちてくる幕もすごい迫力で、柱は倒れるは、炎は燃え上がるは…その中で一瞬微笑み、そして毅然とした表情で死んでいくネロ。ネロが倒れるところの迫力は言わずもがなです。怖くて、つらくて、悲しくて、マリコファンの私には正視できないです。
どちらかと言えば、23日の11時のときに号泣した私は、千秋楽の最後はただただ呆然としていた気がします。いつもこの場面では、オペラでネロの表情をアップで見ようか、燃えさかる宮殿の中で散っていくネロを引いて見ようか悩んでいたのですが、千秋楽では思わず引いて、幕が閉まる中に倒れているネロを見ました。これでもう麻路さきの芝居を見ることがないのかと思うと、呆然とするしかなかったのです。
☆・。・。・★・。・。・☆・。・。・★・。・。・☆・。・。・★・。・。・☆・。・。・★・。・。・☆・。・。・★・。・。・☆
マリコさん(麻路さき)の退団発表を知ったときには「きっとその時が来たら、死んでしまう・・・。」と思ったものですが、2日たった今、とても落ち着いている自分に驚いています。
宝塚大劇場での麻路さき最後の姿を見送った時には、記憶の中にいろんなシーンのほんのわずかの断片しか残っていなくて、なんだか夢を見ていた気がしました。そのときはきっと1000days劇場での本当の最後の時に、実感が沸くのだと思っていたのです。
1000days劇場で、マリコさんの卒業を見守った今は、卒業されたという実感はあるのですが、なんだかお別れしたという気がしていません。それに気が付くのはもう少したってからなのかもしれません。
★Nifty-serveより転載★
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