■誤算
綾波レイは、第16使徒アルミサエルを道連れに、エヴァ零号機を自爆させた。そしてその結果、2人目のレイは、零号機のコアと共に消滅し、3人目のレイが目覚めた。
碇ゲンドウは、2人目のレイの死が3人目のレイの覚醒を意味することをよく理解していた。しかし、いかに理性が感情に優先しうる碇ゲンドウといえど、不意の愛娘の死は、耐えがたく、状況判断を誤らせるに十分なものだった。それが、たとえ2度目だったとしても。
ゲンドウは、あの時から、3つのミスを犯していた。
1つ目は、レイの自爆が、任務の使命感からの行動より、むしろ、衝動的なものであったことに、まったく気付いていないことである。そして、後にこのことが、ゲンドウのシナリオにとって致命的な結果をもたらすことに、まだ気付いてはいなかった。
2つ目は、赤木リツコ博士の造反を予測できなかったことである。
ゲンドウは、零号機自爆直後、赤木博士に対し、ただちにエントリープラグの発見・回収を指示した。無論、そのことは、赤木博士にレイの秘密を知られる可能性を含んでいたが、レイの死体がゼーレに露呈するリスクに比べれば遥かにましだった。それに、ゲンドウは、赤木博士が裏切るとは思っていなかった。いや、赤木博士の感情のことなど、まったく考えていなかったのだ。
3つ目のミスは、3人目のレイの扱い方だった。零号機自爆後、ゲンドウは直ちに、3人目のレイの手配に着手した。
ダミーの中から新たに目覚めたレイを見つけだすと、直ちに速成教育を施した。言葉など、基礎的な部分については、既にすべてのダミーにレクチャー済みである。速成教育は、施設の構造やこれまでの経緯など、綾波レイとして生活するのに必要な情報を中心に行われた。
十分な知識を植えつける時間はなかったが、爆発のショックによる記憶喪失として周囲を欺く程度には十分だった。事実、ネルフ職員たちは、レイの異常には、まったく気が付かなかった。そして、そんなレイを見てゲンドウもまた、2人目のレイとは違うということを無意識のうちに軽視してしまい、3人目のレイが2人目のレイの心だけは引き継いでいたことに、まったく気付いてはいなかった。
これまで、目的達成のため、感情を無視して冷徹に計画を進めてきた碇ゲンドウが、ここにきて、感情という最も苦手な領域によって、徐々にその計画を狂わされようとしていたのだった。
■心のかけら
それは、不思議な感覚だった。
碇ゲンドウが事態の収拾に手一杯のため、3人目のレイは一人で綾波レイの足跡をたどる事となった。2人目のレイが使ったロッカー、制服、部屋、そして、ゲンドウの眼鏡。もちろん、3人目のレイは、それらについて何の記憶も持ちあわせてはいなかった。だが、2人目の思い出の品に触れるたび、その感情だけが3人目のレイの内から込み上げてくるのだった。
零号機が失われたため、事実上、3人目のレイには、する事が無かった。
地上は、依然、水没による混乱が続いていた。ネルフ本部内も、セカンドチルドレンの脱落による初号機1機体制に対する動揺が広がっていた。そして、零号機の損失,赤木博士の反乱など、ゲンドウ・冬月もまた、自分たちのシナリオの修正とゼーレへの対応で手一杯の状況だった。
誰一人、自分に関心を示さなかったため、3人目のレイは、容易に2人目のレイの心のかけらを拾い集める事が出来た。そして、綾波レイの心がようやく馴染んできたころ、その出会いは起こった。
「…綾波レイ……君は僕と同じだね」
目覚めてから日の浅い3人目のレイにとって、使徒・渚カヲルとの出会いは衝撃的だった。
自分が、普通の人間とは違う特殊な存在であるということは、十分承知していた。だが、そんな自分と同じ感じのする者が、もう一人、目の前に現れたのだ。
自分以外ありえないはずの存在。そして、その彼が使徒であり、自分もまた、彼のようにATフィールドを発生させられたという事実。
昔のレイならともかく、初号機を守り消滅した2人目の心を継ぐ3人目のレイにとって、この出会いは、自分というものを見つめるのに、十分なきっかけとなった。
「………わたしは、なに?」
レイは今初めて、自分自身というものに興味を示していた。
■ふる里
ターミナル・ドグマ/レベル1/セクター2/人工進化研究所・3号分室。
様々な場所を巡り、レイはついにその部屋へたどり着いた。そしてレイは、その部屋に立ち、言いようのない遠い日の思いを感じていた。それは、1人目のレイの心だった。
「………なんだか、懐かしい感じがする…」
レイは、その殺風景な部屋の中央に立つとゆっくりとあたりを見回した。
散乱する薬品、壁の文字、奇妙な形のベッド…。この部屋の様相が、かつて使われていたころとはだいぶ異なることは明らかだった。だが、所々に残された過去の記憶が、レイの心を大きく揺さぶるのだった。
「………?!」
気が付くと、レイはポロポロと涙を流していた。
それは、1人目の心でも、2人目の思いでも無かった。
ここにどんな意味があるのかは、レイにはわからない。だが、こここそが、この小さな放浪の終着点なのだと、3人目のレイの心が告げていた。
「………おかあ…さん」
無意識のうちに、レイはそうつぶやいていた。
■贖罪
西暦2002年。巷は、国連の南極調査に基づく、セカンドインパクトの原因に関する公式発表の話題で沸いていた。
人工進化研究所・3号分室。
碇ユイは、大きな奇妙な形の実験槽の前に、静かに立っていた。
背後で、かすかにドアの開く音がした。もちろん、ユイには、誰が入ってきたのかわかっていた。
「…レイの様子は?」
ユイは、振り向くと、人差し指を唇にあてた。
「シーッ。…今、寝たところよ」
ゲンドウは、ユイの隣に来ると、その実験槽の中央部を見つめた。そこには、赤ん坊のレイが漂いながらスヤスヤと眠っていた。
様々な機器が、実験槽をとり囲んでいた。実験槽には、L.C.L.が満たされ、その中央にレイがいた。
レイの体は、既に同い歳の子供と比べても遜色無いほどまでに、成長していた。だが、L.C.L.とレイの体の境界は、まだ不鮮明だった。レイの体は、まるでゼリーで出来ているかのようで、もしもショックを与えたらボロボロと崩れてしまいそうに見えた。
ゲンドウは、レイの眠りを妨げないように、静かに話し始めた。
「例の動物実験の結果が出た。魂を吹き込んだL.C.L.ボディーからクローンをつくっても、魂までは複製されなかった」
「…命は、あくまでも1つということ?」
「ああ。生物と違い、魂と体の境界線が、一致していない。体をクローニングしても、寄生させた魂にとっては、体の一部を増殖させたに過ぎないようだ」
「つまり、L.C.L.は、あくまでも魂の器でしかない…」
「我々のシナリオ通り、レイのクローンを作っても、魂が宿るのはあくまでも1人………。だが、心配無い。適格者の資格を失うわけではない。…打つ手はある」
「…そうね。この子と、この子のクローン達が、リリスの呼び声に答えられると信じましょう。そして、偽りの巨人すべて(エヴァシリーズ)をゼーレから解き放ち、私たち親子の手ですべての贖罪を…」
「そのためにも、レイには生きてもらわなければな」
ゲンドウは、ユイを見た。ユイは、静かに、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「大丈夫、私たちの子だもの。…きっと生きていけるわ」
「……そうだな」
今度はユイの方がゲンドウを見た。
「レイもそうだけど、シンジの方も心配だわ。十分に相手をしてあげられなくて…」
「シンジは、男の子だ。心配無い。…それに、ここに連れてくるわけにもいくまい」
「そうね。こんな妹の姿を見たら、きっと泣き出しちゃうわね」
ユイとゲンドウは、レイの安らかな寝顔をじっと見つめた。
裏死海文書を完成させ、セカンドインパクトを引き起こした碇ゲンドウ。そして、その陰謀を知らなかったとはいえ、ゼーレの末席に身を置いていた碇ユイ。二人にとって、この贖罪は、果たすべき当然の義務であった。そしてその結果、その身にどんな罰が与えられようとも、喜んで受ける覚悟だった。
だが、そのあまりにも大きすぎる罪をあがなう為とはいえ、愛する子供たちにまで、その重い十字架を背負わせなければならないことが、ユイには不憫でならなかった。
ユイの目から、涙があふれていた。
「………ごめんね、レイ。ごめんね、シンジ」
ゲンドウは、黙ってユイの肩を抱いた。
■襲撃
ミサトは、いったんうつむくと、妖しい笑みを浮かべた。
「葛城さん?」
ミサトは、戸惑う日向の肩に、両腕を預けた。
「お堅い話は、このぐらいにしましょ」
ミサトは、そのまま両手を彼の背中にまわし、日向を抱きしめた。そして、周囲に気付かれないように、小さな声で話した。
「そのまま、私に合わせて。ガードの様子がおかしいわ」
本部VIPが外へ出る場合、通常、諜報2課がその警護にあたる。彼らは、特別の場合を除き、要人から気付かれない位置に配置しているが、唯一、ミサトだけは異なっていた。
ミサトは、作戦本部長としての立場もあり、2重のガードの意味から、警護の者に特定の間隔で合図を出すよう、極秘に指示していた。ミサト自身も、周辺の状況変化に逸早く対処できるようにするためである。
そして今、その合図が跡絶えたのだ。
ミサトは、そのままゆっくり、そばの林の方へと進んだ。3人…いや、4人。皆、ネルフ職員の様だが、諜報2課の人間ではない。
ミサトは、日向の手をジャケットの内側へと導いた。日向は、愛撫のふりをしつつ、ミサトの銃の安全装置を外した。
「ゼーレの息のかかった連中ね。たぶん、特殊監査部あたり…」
ミサトと日向は、木陰の茂みにゆっくり身を沈めると、すぐさま応戦体制に入った。ミサトは、銃を抜くと、すばやくジャケットの前を閉じた。
初手で、先行する二人を仕留めた。同士撃ちを避けるため、ミサトたちは二手に別れた。薄暗い林の中で、銃声が響いた。
手応えがあった。
『仕留めた?』
だが、その一瞬の隙を突き、襲撃者はミサトに襲いかかった。
『しまった!』
ミサトは腹部に強烈なタックルをお見舞いされた。銃は弾き飛ばされ、ミサトは仰向けに倒れた。そしてそこへ、大きなナイフを振りかざした男が襲いかかり、切っ先が、ミサトの心臓めがけ突きたてられた!
「!!!」
激痛が胸に走り、ミサトの意識を貫いた!
だが、ミサトは、持っていかれそうになる意識を何とか踏み止め、右腕をひと振りし、素早く右手を相手のこめかみにあてた。右手には仕込み銃が握られていた。
男は、ミサトの上で、二度と動かなくなった。
「葛城さん!」
程なく、日向が左腕を押さえながらやってきた。
「大丈夫よ。………私のジャケットは、伊達じゃないわ」
暴漢の切っ先は、わずかにジャケットの表面をほころびさせることしか出来なかった。
だが、平静を装う外見とは裏腹に、ミサトの心は大きく動揺していた。頭の中は、様々な記憶であふれ返っていた。
そして、その記憶の奥から、これまで決して思い出すことの出来なかった、同様な、より陰惨な体験の記憶が蘇ったのだ。
* * * * *
氷に閉ざされた空間。
泣き叫ぶ自分。
胸を切り裂く刃。
赤い輝き。
狂喜する男。
六分儀ゲンドウ !!!
* * * * *
ミサトは、胸に刻まれた傷跡のあたりを指でさすった。
|