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 phase11 決戦の地へ
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■ゼーレ
 時は少しさかのぼる。
ミサトたちに危機が迫るより少し前、セントラルドグマの一室では、碇ゲンドウとゼーレの最後の会見が催されていた。
 ゲンドウは、この会見がゼーレからの宣戦布告の場となることを知っていた。だが、その会見は、予想に反し、とても穏やかに始まった。
 
「…そう、あれからもう16年にもなるのだな」
「16年前、君が碇ユイ君を通じて我々に接触を求めてきた時、君のことは随分と疑った。だが、その君の協力により、我々のシナリオは完成し、今日という日を迎えることが出来たわけだ」
「我らゼーレ千年の願いが、ついに実現の時を迎えるのだ」
 
 ゲンドウは当時、生命の進化に対して時折奇妙な矯正力が働いている事実を研究していた。
 生命進化モデルをシミュレートし、人類の現在の進化レベルと実在の歴史推移を比較したとき、所々に、明らかに人類の進化レベルを超える何かによる矯正が働いていることが見て取れるのである。そして、その矯正力が、ここ千年近くのあいだに急激に増加し、かつ、特定の意図的なベクトルを持ち始めていることを突き止めたのだった。
 ゲンドウは、この現象を、人智を越えた者の知識とそれを手に入れた者たちによる策動と仮定し、調査した。そしてその結果、ゼーレの存在を突き止めた。
 
 ゼーレは、千年の昔より歴史の陰から世界に干渉し続けてきた組織だった。かれらは、何者かにより様々な形で世界各地に残された予言を極秘裏に収集し活用することで、人の趨勢を操ってきた。
 1947年に発見された死海文書(禁典)は、その中でも極めて保存状態のよい材料だった。だが、そこに記された最後の予言は、必ずしもゼーレにとって好ましい物とは言えなかった。
 2000年に訪れる審判「御使いと約束の子」の予言は、ゼーレの長老達に己が無力を悟らせるに十分だった。長老達は、利用の望めぬ予言はそのまま受け入れるというゼーレの因習に従うことを決めた。
 だか、キール・ローレンツだけは、これに造反した。キールは、最後の予言に記されたもう一つの可能性「原罪の章」に己の欲望の総てを賭けた。キールは、反対勢力をことごとく排除し、最終計画「裏死海文書」の作成に着手した。だが、その立案は困難を極めた。
 そんな時期に、六分儀ゲンドウがキールの前に現れたのである。
 キールは、独力でゼーレと死海文書(禁典)の存在を突き止めたこの男を利用することを決めた。そしてついに、神と人類への背徳の邪計「裏死海文書」は完成したのである。
 
「パンドラ計画により、我らは人類の希望・リリスを偽り、封印することに成功した。20世紀の亡霊どもの牙を砕き、人類補完委員会の名のもとに、全世界の掌握も果たすことが出来た」
「そして君がマルドゥック計画を見事完遂してくれたおかげで、人類の未来総てを神から我らゼーレの手に奪うことがかなった。感謝するよ、碇君」
 
 碇ゲンドウは、回想に耽り彼の功績をたたえるゼーレの面々をいぶかしく思った。
『…今更、懐柔策でもあるまい』
 ゲンドウは、ゼーレの思惑を計りかねていた。
 
 
 
■揚陸艦隊
 ゲンドウとゼーレの会見と同じ頃、ゼーレ,ネルフの目をかいくぐり、新横須賀(旧小田原)沖合に奇妙な動きが現れていた。
 明日から予定される国連軍,戦略自衛隊の合同演習のため、新横須賀には続々と艦艇が集結していた。空母やイージス巡洋艦といった艦隊の花形の入港の陰で、強襲揚陸艦や大型輸送艦が、一隻、また一隻と岸壁を明け渡すように出港していった。そして、その一見無秩序なように出港していった艦艇が緩やかに船団を形成しながら南下していったのである。
 新横須賀、南方5km。その奇妙な艦隊は、水没により暗礁海域となっている真鶴岬跡を迂回すべく、根府川の沖合を南南東に進んでいた。艦隊には、特に目立った火器を有する護衛艦は随行していなかった。しかも、その艦隊に、一隻、また一隻と、大型タンカーを改修した輸送艦が、どこからともなく合流していくのである。
 
 超弩級強襲揚陸艦「ダイダロス」。その巨体は、そんな艦隊の中心に位置していた。
 今、その巨大な甲板上で、ヘリから一人の男が降り立った。その無精ひげをはやした男は、艦内に入ると、この奇妙な揚陸艦隊の最高責任者の部屋を真っ直ぐに目指した。
 
「加持リョウジ、到着しました」
「オオ、来たか。入れ入れ」
人なつっこい笑顔を浮かべたその人物は、戸口まで出向き、彼を招き入れた。
「お久しぶりです、千屋司令」
「おー、元気そうじゃないか。どうだ、死人になった気分は? まあ、座れ座れ」
千屋は、加持をソファーに座らせた。
 
「その節は、大変お世話になりました。まさか、救っていただけるとは思っていませんでした」
 あのとき、冬月誘拐の指令をゼーレより受け取った時、加持は既に死を覚悟していた。
 
 
 
■覚醒と解放
 加持の命運は、あの第14使徒ゼルエル戦の時に尽きていた。
 
 * * * * *
 
「…呪縛が今、自らの力で解かれていく。私たちにはもう、エヴァを止めることは出来ないわ」
咆哮をあげるエヴァ初号機を見上げながら、赤木博士は途方に暮れていた。
「先輩…」
伊吹マヤは、青ざめた表情を、リツコに向けた。
居合わせる者総てが、その異様な光景に言葉を失っていた。
 
 だが、そんな沈黙を、ミサトはいとも簡単に払拭した。
「作戦終了。第一種警戒態勢に移行します。日向くん、被害状況の確認と生存者救出、急いで。それから、使徒の残骸の隔離と処分を。処理班をただちに準備させて」
「でも…、あの初号機はどうするんですか?」
日向は、思わず問いかけた。
 
「初号機?」
ミサトは、一瞬不思議がると、迷うことなく通信機を手に取り、話し始めた。
「お疲れさま。よくやったわ、シンジくん。帰還しなさい」
「ちょっと、ミサト?!」
リツコたちは、ギョッとなりミサトを見た、…が。
「オァ〜〜〜」
ミサトの言葉が通じたのか、初号機は返事らしき声をあげると、スタスタと回収用エレベータの方に行ってしまった。
 
「…何よ?」
「葛城さん…。あれ、どう見ても普通じゃないですよ?」
日向を初め、周囲のみんなは思いきり脱力した。
「下手に刺激して暴れたら、どうするんですか!」
「放置するわけにもいかないでしょ。どうやらシンジくんも無事なようだし、私たちも発令所に戻るわよ。ほら、仕事、仕事!」
「無知って……強いわね」
リツコは、頭痛がしてきた。
 
 ミサトとて、シンジが初号機に物理融合していることを知っていれば、ここまで軽率な行動は取らなかったかもしれない。
 だが実際、物理融合を遂げてもシンジの意識までが消えたわけではなく、そのために、ミサトの命令に対し、解放された初号機が、なかば習慣のように反応し、すんなり回収することが出来たのだろう。赤木博士は、この時のことを、後日このように解釈した。
 
 回収された初号機は、実に大人しかった。
修復作業や、シンジのサルベージを行うにあたっても、何の反応も示さない。取り込まれたS2機関も、ケージに納まると、完全に停止していた。
 だが、それがもはや以前の初号機ではないことは、誰もがわかっていた。
 そしてそれは、ゼーレにとっては、より深刻な問題であった。
 
 
 
■処分と救出
 初号機の覚醒と解放。それは、ゼーレを驚愕させるに十分過ぎるものだった。なぜなら、初号機こそが、裏死海文書の要だったからだ。
ゼーレにとって、エヴァンゲリオンは操り人形でなければならなかった。わざわざリリスを封じ、ニセのリリスたるエヴァを作り出したのも、そのためだ。
 だが、ゼルエル戦の結果、エヴァ初号機は、パイロットを取り込み完全に覚醒し、自らの意志で行動できるようになってしまった。そして、捕食という形でS2機関をも獲得し、エヴァ初号機は、動力源,操縦者という2つのくびきから完全に解放されてしまったのだった。
 
 捕食獲得されてしまったS2機関を分離することは、もはや不可能だろう。ゼーレは、ただちに加持を使い、碇ゲンドウに対し、パイロットの分離作業とエヴァ初号機の凍結を厳命した。無論、ゲンドウたちも、ゼーレに対し反旗を翻すには時期尚早ということもあり、ゼーレの指示に従順に従った。
 そして一方でゼーレは、碇ゲンドウに不信を抱き、彼の行動の再調査を開始すると共に、シナリオの修正と、ゲンドウの反逆を考慮した対応策の準備を、碇たちに悟られぬよう秘密裏に着手するのだった。
 
 そして、パイロットの分離成功の知らせに安堵すると、ゼーレは小さな決定を下した。ゼーレは、今回の事態を予測出来なかったことへの処分として、送り込んだスパイの切り捨てを決定した。
 加持リョウジには、冬月誘拐の先導というネルフに敵対する命令が伝えられた。無論、命令には、任務遂行後の逃走ルートに関する指示も用意されていたが、それが嘘であることは、加持にもわかっていた。
ゼーレは、無能な二重スパイの処分を、ネルフにやらせるつもりだった。
 
 加持は、いったんは拉致した冬月を、会見終了と同時に解放した。
ここで冬月をゼーレの手に渡すことは、ゼーレと碇ゲンドウのパワーバランスを保つ上でも得策ではない。加持はそう判断し、ゼーレを公然と裏切った。
 だがそれが、加持に出来る最後の仕事でもあった。
 
 加持は、死地へと赴いた。
 加持にはまだ、日本政府内務省エージェントとしての立場が残されていた。だが、ネルフとゼーレを敵に回すには、日本政府では心許ない。そして何よりも、そのことで内務省の裏に潜む加持の本当の所属組織に迷惑がかかることを恐れたのだった。
 兄同様、志半ばで倒れることは本意ではない。しかし、真実への渇望は、ミサトに託すことが出来た。
 加持は、満足だった。
 
 第3新東京市の、とあるさびれたビルの屋上で、加持は死刑執行人たちを待った。
『ここなら人目にも付かないし、銃声もファンの音が消してくれる。あとは連中がきれいに処理するだろう』
加持は、自分の死体を人に、特にミサトに見せたくはなかった。
 
 しばらくして、黒のスーツとサングラス姿の男が二人現れた。ネルフ保安諜報部の人間だ。
「よう。遅かったじゃないか」
加持は、銃口を向ける男に向かい、軽く笑って見せた。
一発の銃声が鳴り、すぐにファンの音にかき消された。
 
 頭部を打ち抜かれた体が、床へと崩れ落ちた。
 だがそれは、加持リョウジではなかった。もう一人の諜報部の男が、加持に銃口を向けていた同僚を撃ったのだった。
男は、もう一挺銃を取り出すと、近くにあったセメント袋に向けて2,3発撃った。そして、同僚を殺した銃を加持に手渡し、こう告げた。
「お前は抵抗し、そして死んだ。後の処理は、我々で行う。お前はすぐに出発しろ」
その男もまた、加持と同じ組織に属するエージェントだった。男は、加持に、新たな命令を伝えた。
 加持の脳裏に、一人の上官の顔が浮かんだ。
 
 * * * * *
 
 加持の窮地を救ったのは、千屋だった。
 千屋は、ネルフに潜入しているエージェントたちのもたらす情報から、加持の危険を察知。ただちに救出工作を展開したのだった。
 
 
 
■加持
「あん時は、さすがに俺も慌てたよ。あまり、根をつめるのは考え物だぞ」
千屋は、自分のデスクからヒョイと小箱を取ると、中の物をテーブルの上にザラザラとこぼした。箱の中からは、最後に加持がミサトに宛てて送った情報チップが出てきた。
「惚れた相手に、ここまでするとはな〜。お前さんが、ここまで情熱家だとは知らなかったよ。こんな物までばらまけば、俺達まで裏切ったと思われても仕方がないところだ。まあ、この件は俺の方で抑えておいたから安心しろ」
千屋は、笑いながら情報チップを両手でかき集めると、ポイとゴミ箱へ捨てた。
「お前さんといい、お前の兄さんといい、どうしてこう一人で突っ走ろうとするかな〜。これも血筋かね。思えば、お父上の加持提督も独断専行で有名だったからな〜」
 
 千屋は、ドッカリとソファーの背もたれに体を預けると、遠い目をして語った。
「君の兄さんの時には、俺も随分悔しい思いをした…。あの頃は、まだ俺達もゼーレに対抗する十分な体制がとれていなかったからな…」
 
 セカンドインパクトの直後、世界の主要都市の多くが海へと没し、世界中で紛争が発生した。
軍事力を失った主要先進国は、同時に、単独でそれら紛争へ介入するだけの国力も失い、結果、国際世界での発言力も失った。そしてこの機に乗じ、国連を掌握したゼーレは各国国軍を国連に編入、国連軍として配下に納めたのだ。
 当然このことは日本においても例外ではなかった。
 自衛隊の国連軍編入の話が進行する中、統合幕僚会議・情報本部に席を置く加持リョウジの兄は、セカンドインパクトの解明とゼーレの内偵を続行していた。そして、葛城隊の南極調査資料の一部を入手、2002年の南極調査に潜入し、調査に参加した冬月への情報提供工作と、2つの奇妙な胎児と巨大な槍の存在を突き止めたのだった。
 だが時既に遅く、ゼーレの自衛隊掌握により孤立無援となったリョウジの兄は、同調査隊の帰還途中、南極に隠された秘密と共にゼーレの手によって消されたのだった。
 
「正直なところ、俺はお前を預かったことを後悔しているんだ…」
千屋は、目を伏せてつぶやいた。
 
 兄の死を境に、加持リョウジの父は退役した。そして、妻と次男のリョウジの3人で静かに暮らしていた。だが、その静寂は、まるで運命の悪戯としか思えぬ出来事で打ち破られた。
 それは、リョウジが大学最後の夏に帰郷したときのことだった。リョウジはその時初めて、両親に紹介したい女性がいることを告げた。
「父さんも聞いたことがあるんじゃないかな。葛城ミサトっていうんだ。セカンドインパクトの唯一の生き残りって、TVでも………」
その時の父の顔を、リョウジは忘れることが出来なかった。
父は、そのことに関し、後にも先にも一切何も話してはくれなかった。だがリョウジは、それが兄に関わることであることに、すぐに気が付いた。
そして、大学に戻ると、突然ミサトが自分の元を去っていってしまったのである。
 リョウジは改めて、兄の死の真相が知りたくなった。そして一人調査を進めるうち、千屋と出会ったのだった。
 
「提督は、お前に普通の生活を望まれていた。加持提督には、俺も一方ならずお世話になっている。…だが、結局俺は、お前の熱意に負け、お前をこの世界に入れてしまった……」
千屋は加持の目を見据えると、力強く告げた。
「いいか、リョウジ。命を粗末にするな。必ず、どんなことがあっても生き抜け。いいな」
 
 
 
■アンチ・ゼーレ
 千屋は立ち上がると、自分のデスクから写真の束を取り、加持に示した。
「ドイツからの映像だ。夜陰に乗じて十機のエヴァ専用輸送機が飛び立つところが映っている」
写真には、5から13までの機体番号が写っている。おそらくエヴァ量産機の機体番号に合わせたものだろう。
「おや? こいつは…」
 1枚の写真で、加持の手が止まった。機体番号が1と書かれたその輸送機には、奇妙なものがくくりつけられていた。他の9機とは全く異なるそれに、加持は見覚えがあった。
「そんなものをどうするつもりかは、皆目わからん。ただ、もうすぐ現れることだけは確かだ」
「やはり目的地はネルフ本部ですか」
「他にどこがある? 真っ直ぐこっちに向かってるよ」
千屋は、窓から外を見た。外には、揚陸艦や大型タンカーの姿が見えた。
「随分、集まったじゃないですか」
加持も窓辺に立った。
「さーて、これでも足りるかどうか…。せめて米国第2支部が、あと一ヶ月もてばな〜」
千屋はため息をついた。
 
 ゼーレの策謀により消滅させられた米国ネルフ第2支部。あそここそ、反ゼーレの橋頭堡とも言うべき拠点だった。
 セカンドインパクト直後、ゼーレは世界における主導権を手中にした。だがそのことで、ゼーレもまた、非常に大きなリスクを犯すこととなっていた。
 それまでゼーレは、常に歴史の表舞台に姿を現さないことをイニシアチブとして、活動してきた。正体が見えなければ、敵対勢力も生まれず、攻撃にさらされることも無いからだ。
だが今や、キール一派の強行により、ゼーレはその姿を現した。当初は、電撃戦とも言うべきゼーレの攻勢で、旧勢力は後退の一途を余儀なくされた。だが、事態が落ち着き、状況がクリアになるに従い、20世紀の旧勢力も反ゼーレの名の下に徐々に結集し、力を付けてきたのだった。
 
 ゼーレは、組織の秘匿性を維持するため、その組織母体が驚くほど少人数で形成されていた。そのためゼーレは、国連掌握と共に、どうしても組織の拡大を図らねばならなくなり、ある程度の情報の漏洩は避けられなかった。その結果、ゼーレの構築した情報網は、全世界を覆いはしたが、その網の目は粗く、総てを掌握し切れたわけではなかった。そして、この点にこそ、反ゼーレの付け入る隙があった。
 反攻を開始した旧勢力は、既にゼーレ内部に潜入していた千屋キミオを介し、秘密裏に米国のネルフ第2支部を反ゼーレの一大研究拠点としていたのだった。
 
「正直、第2支部消滅の時は、肝を潰しましたよ」
加持は、千屋の方を見た。
「ああ。タッチの差でS2機関テストの裏情報が入ってきたからな。…だがあれで、多くの技術者たちを失ってしまった。あれさえなければ、例の装置も完璧に仕上げることが出来ただろうに…」
千屋はため息をついた。
「どの程度なんです?」
「いいとこ、40%だそうだ。だがもう一つの方は、お前がうまいことネルフやゼーレの目をそらしてくれたおかげで、かなりの出来だぞ。まあ、少々統一感がないのが難だがな」
 
 艦隊が上陸地点である湯河原を目指し、進路を西に変え始めた。甲板では、補給をすませたヘリが加持を待っていた。
 千屋は、日本酒と白い素焼きの杯を取り出した。
「タイミングは、お前の判断に任せる。頼んだぞ」
二人はグイッと杯を空けた。
「くたばれ、使徒ども!」
 杯が二人の足元で砕け散った。
 
 
 
■たったふたりの反逆
 ゼーレのメンバーのくだらない回顧が続く中、碇ゲンドウはセカンドインパクト直後の頃を思い出していた。
 
 * * * * *
 
 南極から命辛々逃げ戻ったゲンドウは、なかば同棲生活をしていたユイの元へと転がり込んだ。
南極で受けた激痛こそ治まっていたものの、ゲンドウは完全に憔悴しきっていた。ゼーレへの報告提出も重要だったが、今は何よりも癒しが欲しかった。
 
 ゲンドウは、ユイの体を強く抱きしめた。だがそれをユイは優しくいさめた。
「あ、待って。今は一人じゃないから…。ここに赤ちゃんがいるの。私たちの…」
 その言葉を聞き、ゲンドウの全身が強張った。
「…どうしたの?」
ユイは、心配そうにゲンドウの顔をのぞき込んだ。
「ウオーーーーーーー!」
ゲンドウはガックリと両膝をつきうずくまると、頭を抱え顔を床に押しつけながらうめき、自分を呪った。
 
 ゲンドウは、自分の罪の重さに打ちひしがれていた。体を貫いたマインドコアの光は、ゲンドウの心の汚れた部分までも丸ごとむき出しにした。
 今のゲンドウには、自分の成すべきことがまったく見えなかった。そしてゲンドウは、裏死海文書のことも、南極で起こした事実も、洗いざらいユイに打ち明けた。
その内容は、ユイにとっても、あまりにも衝撃的な内容だった。
ユイはゼーレに連なる家系の人間だったが、ユイ自身はあまりゼーレと関わりたいとは思っていなかった。だがそんな言い訳など、もはや微塵の意味もない。
 ユイは光を失ったマインドコアを見つめながら、静かにつぶやいた。
「……正しましょう。私たちの手で…。人が再び犯した原罪は、人の手であがなわなければいけないわ。…たとえ、どんなことがあっても」
「ユイ…」
ゲンドウはユイにすがりついた。ユイは、ゲンドウを優しく抱き留め、頭を撫でてやった。
それは、ゲンドウにとって、紛れもなく救いの御手であった。
 
 * * * * *
 
 ふたりは、さっそく裏死海文書の更に裏をかくふたりだけの計画の立案に着手した。
だが、何を画策するにも、まずはこれから作られるニセの巨人たちのパイロットをどうするかが最初の問題だった。
 ふたりは、密かに知人の産婦人科医を訪ね、宿ったばかりの生命を調べた。人に、運命というものがあるのなら、この子は新たな約束の子供たち「チルドレン」に間違いない。だが、まだ宿ったばかりの命では、さすがにゲンドウにも、それを確認することは出来なかった。
 だがそのかわり、そこでふたりは、偶然、もう一つの事実を手に入れた。
「……いいのか?」
「ええ。仲間は一人でも多い方がいいでしょ?」
 
 * * * * *
 
 ゼーレといえど、万能ではない。
 ゼーレは、セカンドインパクトの後、直ちに南極調査会議を再編し、人類補完委員会を設立。同会議直属だった各調査チームを併合し、それを母体に、超法規超国家的調査機関ゲヒルンの設立準備を開始した。裏死海文書第一段階最後の計画「第三計画」である。
だが、ゼーレの世界掌握は、その組織的弱点ゆえ、予想以上に難航し、計画の遅延が生じていた。
 
 ゲンドウは、この機を逃さなかった。
 ゲンドウは、マルドゥック計画第3段階遂行のために、独自の機関「人工進化研究所」設立を上申していたが、同時に、滞りがちな第三計画の支援をすることで、ゲヒルン本部の全権をも手中にしたのである。この結果、ゲンドウとユイは、ゼーレの目の届かぬうちに、自分たちのシナリオの遂行に専念できる拠点を確保したのだった。
 
 ゲンドウは、一方では裏死海文書第2段階の各計画に対する詳細立案作業を、一方ではゲヒルン本部と要塞都市・第3新東京市建設の準備を、また一方ではマルドゥック計画第3段階・チルドレン探索の準備を行っていた。南極から持ち帰った葛城調査隊の資料の解析と、偽りの巨人建造のための基礎研究は、身重の身ながらユイが引き受けた。そしてふたりは、その激務の陰でふたりだけのシナリオを進行していったのだった。
 
「この巨人については、だいぶ見えてきたけど…、そろそろ実際の組織サンプルが欲しいわね」
「ゼーレの老人達は、まだ世界掌握に手間取っている。あれでは、当分南極調査は望めまい」
「そう…」
ユイは、フーッとため息をついた。
「あ、そうだ。新しい巨人の操縦方法のこともあるんだけど、ゲヒルン本部の人材にこの人はどうかしら」
ユイは、一通の書類をゲンドウに示した。
「赤木ナオコ博士。有機コンピュータ開発の第一人者よ。巨人の開発にもきっと役立つと思うわ。それに、ここの第6世代コンピュータも、何だか限界が見えて来ちゃって…」
「ああ、これなら私もチェック済みだ。スタッフリストに加えてある。----それから、巨人の名前が決まった。人造人間エヴァンゲリオン」
「エヴァンゲリオン………。あ」
不意に、お腹の子がユイのお腹を蹴飛ばした。
「巨人もいいけど、こっちも忘れないで、ですって。……名前、決めてくれた?」
「男だったらシンジ、女だったらレイと名付ける」
「シンジ、レイ…」
またお腹の子が動いた。ユイはクスクス笑った。
「この子も気に入ったみたい…。でも、まだこの子だけと決まった訳じゃないわよ」
「その時はその時だ。また考えるさ」
ゲンドウもフッと笑った。
「………六分儀シンジ」
「いや…。碇シンジだ」
「え?」
「六分儀の名は、捨てる」
ゲンドウ自身、そんなことにこだわるなどあまり自分らしくないとは思ったが、過去の自分と決別するために、あえてその名を捨てることにしたのだった。
 ユイは、ゲンドウを見てニッコリと微笑んだ。一瞬、ゲンドウは、そんなユイに戸惑った。
「……おかしいか?」
「ううん。ステキね」
 
 想像を絶する激務と孤立無援の状況にありながら、皮肉にもこの数年間は、ゲンドウにとって生涯で最も幸福な日々だった。
 
 
 
■仲間
 ゲンドウとユイが如何に優れていようと、手がけられることには限界がある。しかも、いまや幼い子供までいるのだ。ふたりは、同志の必要性を痛感していた。だが、事が事だけに、誰でもというわけにはいかない。
ふたりには、一人だけ心当たりがあった。
 
 2002年。ようやく事態の収拾に成功したゼーレは、セカンドインパクトの調査隊を組織。今や、生命に対する絶対否定圏と化した南極を目指した。
もちろん、それは、世論に対するデモンストレーションの意味を含んでいた。彼らの本当の目的は、裏死海文書の第2段階、「アダム計画」「E計画」遂行のために、南極に眠るアダムとリリスを回収することにあった。
 ゼーレとしては、本来なら配下の者だけで南極調査チームを構成したかったが、ようやく権力基盤が安定し、各国国軍の接収を進行中という微妙な時期だけに、諸外国を納得させる意味からも、そのメンバー構成には配慮せざるを得なかった。
 そして、その招かれざる客のリストの中に、冬月コウゾウの名があった。
ゲンドウとユイは、冬月がふたりの同志たりうるかどうか、冬月の動向に注目することにした。
 
 * * * * *
 
 冬月は、南極調査参加の直前、偶然、光の巨人に関する資料を入手していた。
冬月は、そこに記された内容に唖然としたが、紅く染まる南極海を目にして、今自分が物理現象では説明できない何かとてつもない事態に立ち会っているのだということを痛感した。
 現地での調査の局面においても、冬月たちの調査への参加は、あからさまに制限された。そしてそのことは、調査から帰還しても同様だった。冬月たちの提出した調査結果は、人類補完委員会によって無下に破棄され、ほどなく国連より、セカンドインパクトは大質量隕石の落下が原因であると公式発表された。
 冬月は、セカンドインパクトの真相を掴むべく、独自に調査を開始した。
 
 * * * * *
 
 2003年。
 冬月は、碇ゲンドウがことの首謀者の一人であるとする確信を胸に、人工進化研究所を訪れた。
 冬月の集めた情報は、一見筋が通りそうだが、そのくせ妙にちぐはぐなものだった。一方では、セカンドインパクトは不可避の必然だったとする資料があり、片や人為的なものだったとする状況証拠もある。そして今また、エヴァンゲリオンの開発現場を見せられ、彼らが次なる悲劇・サードインパクトに備えているという。
冬月には、謎が深まるばかりだった。
 そして、その総ての謎を明かす人物が、冬月を待っていた。
「お久しぶりです、冬月先生」
「ユイくん…」
 ここにゲンドウとユイは、新たな同志を迎えた。
 
 
 
■信頼
 ユイとゲンドウのシナリオは、新たな同志を迎え着々と進んでいた。だがそれは同時に、一つの悲劇を早める結果となった。
 2004年。ゲンドウと冬月、そして、シンジの目の前で、ユイは消えた。その事実は、ゲンドウを慟哭へと叩き落とした。ゲンドウは、未だかつてこれほど深い悲しみに襲われたことは無かった。だが、ユイと交わした約束が、ゲンドウを再び立ち上がらせた。一週間ほどの後、再びゲンドウは活動を再開した。
 
 復帰したゲンドウを、マスコミの攻撃が待っていた。事故の情報漏洩は、ゲヒルン内偵のために潜入した何者かによって仕組まれたことは明らかだった。ただちにゲンドウは、マルドゥック計画当初の頃から独自に組織してきた諜報部隊を展開した。
 ゼーレとゲンドウの対応により、事故批判による世論攻撃は沈静化の方向に向かっていた。ゲンドウ自身、この手の攻撃に動じない性格であることが、事態を乗り切る上で役に立った。だが、そんなゲンドウを悩ませることが一つだけあった。
 
 シンジである。
 
 マスコミの攻撃は、たとえ3歳の幼児といえど容赦しなかった。シンジに堪え忍ぶことを求めはしたが、それが無理なことはゲンドウにも十分わかっていた。ゲンドウは、シンジを疎開させることを決めた。
 
「…碇、いいんだな? あの子はエヴァ初号機のパイロットだぞ?」
 冬月は、ゲンドウが疎開の決断を下したことに、正直驚いた。
 ゲンドウたちのシナリオでは、初めから、エヴァンゲリオン初号機はユイとシンジのペアで稼働させる計画になっていた。シンジはエヴァパイロット候補として、ドイツのアスカ同様、ゲヒルン本部で訓練を受ける計画だった。そして、少なくともエヴァ初号機にユイの魂が移植できている以上、事故に関わりなく、シンジの予定は変わらないはずだった。
 だが、ゲンドウにはそれが出来なかった。
母親を失い、世間の目に耐えさせながら、厳しい訓練を課す。ゲンドウは、ユイの忘れ形見を前に、そこまで非情に徹することが出来なかった。
『…この男も、やはり人の親か』
冬月は、初めて、碇ゲンドウという男を理解した。
 
 * * * * *
 
 気がつくと、ゼーレの退屈な昔話にも、ようやく変化が現れてきた。話の内容が、裏死海文書の第2段階へとさしかかると、徐々にゲンドウに対する敵意を含み始めるのだった。
『いよいよだな』
 ゲンドウは、ゼーレの出方をうかがった。
 

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