TOP メニュー 目次

 クエスト2 「雷神」
前へ 次へ

 世界がモンスターに覆われて、いったいどれほどの歳月が流れたのだろう。巨大な古代の遺跡は、深い木々に覆われ至る所に眠っている。忘れ去られた城壁、離島に残る建造物、各地にそびえる雲まで届く石の塔。かつて、確かにそこには人々が溢れ、豊かな暮らしが在ったのだ。だが今やそのほとんどは、むせ返る自然の底に沈んでいる。誰にも気付かれず眠る遺跡は、更に遙かに夥しい。世界に何が起きたのか。それを語る伝承も、もはや欠片しか残っていない。今を生きる人々にとって、過去の事実より、モンスターから逃れる術こそが重要なのだ。
 身を寄せ僅かな力を束ね、人々は生きながらえてきた。幾多の都市国家が生まれ、ようやくモンスターの恐怖へ立ち向かえるようになってきた。だが、辺境は未だにモンスターがばっこし、対抗組織であるハンターズ・ギルドも設立されていない。モンスターハンターという呼称さえ無く、武器や装備の知識もそれぞれの地方で独自に進化し、人類の対モンスター用の知識として集成されてはいなかった。
 後にモンスターハンターの聖地と謡われるナザルガザル村は、そんな時代、モンスター溢れる辺境に、隠れるようにひっそりと息づいていた。

 ヴォイスは峠を駆け上がった。背にした斬馬刀は、大型モンスターを想定した肉厚の片刃で、更に補強と打撃力を増すために、背に鋼芯を当てている。ヴォイスの斬馬刀は、斬撃力を増しつつ重量化を抑えた剣で、限定的ながら防御に用いることも出来る。形状的には後にモンスターハンターの間で大剣と太刀へと分化する中間的な大型剣にあたり、大剣ほどは太くなく、太刀ほどは細くもない。両者の利点と欠点を併せ持つため扱いが極めて難しく、ヴォイスの編み出した独特の体術と組み合わせてのみ、その威力を発揮することが出来た。一方、防具についても、皮と鉄片をベースとした普段の甲冑の上に、更に防御力を高めるため、モンスターの皮を用いた弾力のあるベストを重ねている。だが、雷神のような大型モンスターと対峙するには、これでもとても充分な装備とは言えなかった。あとは不退の剛気だけが、当時のハンターを支える総てだった。
 峠を越える道は、街道とは言っても獣道に毛が生えた程度のものだ。踏みならされた下草が僅かに道を示し、轍の跡も残らない。駆け上がる街道にはモンスターの痕跡は無かった。どうやら峠の向こうとこちらで厄災を分けたらしい。頂上にさしかかると、一面に焼けこげた跡が広がっていた。無数の雷撃が木々や下草を焼いている。ヴォイスは来た道を振り返った。村の女達が薬草を摘んでいた野原は目と鼻の先だ。ヴォイスは違和感を覚えた。
 峠を下った先から雷鳴が轟く。雷神はまだ攻撃の手を弛めていない。生存者がいる証拠だ。ヴォイスは二つの幸運に感謝した。峠の向こう側は川から離れるため草木の生育が悪く、ごつごつと大岩が露出している。身を隠す場所は限られるが、視界がよい分、雷神を相手にするには都合が良い。そしてもう一つ。まだ生きているという事は、相当旅慣れた人間のはずだ。モンスター溢れるこの時代、荒野を渡るにはそれなりの知識が必要となる。旅慣れた者ほど、モンスターへの対処方法を心得ている。雷神相手にここまで生き抜いているなら、足手まといになることは無い。上手くすれば共闘も可能だろう。
 麓の岩原で雷神が咆哮を上げている。波紋のような濃淡を持つ、くすんだ灰色の巨体。首の付け根、盛り上がる背の中央に、鋭角に突き出た雷角が光る。飛竜種とは前足を翼のように使い、空を飛ぶ事が出来る竜の総称だが、雷神は飛竜としては前足がまだ足としての機能を十分に持ち、地上では四つん這いで走り回る事が出来る。だが翼膜も大きく発達し、空を飛ぶ事も苦手ではない。幅広な尾と共に翼を広げ悠然と滑空する姿は、空を切り裂くように逆三角形のシルエットを描く。この地方に独特の固有種で、見間違うような相手ではない。岩原を這う雷神の全長は二十メートル程度。どうやらまだ若い飛竜のようだ。スタミナに任せ、立て続けに雷撃を放っている。
『あれか!』
 岩影を移動する二つの人影が見えた。ひとりは男、ひとりは女のようだ。男は剣と盾を手にしている。女が雷神に矢を射掛けた。
『弓? いや、ボウガンとかいう機械弓か』
 遠距離武器があるとは運がいい。雷神の懐に飛び込むには、それなりの準備が必要なのだ。

 雷神が獲物を見失い素早く体を回す。背中の雷角に光が貯まる。全身に力を込め背を丸めたかと思うと、雷角が円形に広がり激しい稲妻を一面に放った。一筋の閃光がふたりの隠れる大岩を真っ二つに砕いた。
「チイ! あいつにゃ死角ってもんが無いのかい!」
 女は愛用のボウガンに次の矢を装填しながら毒突いた。彼女のボウガンには余分な装飾は一切無い。鈍く黒光りする二本の金属製フレームを、堅いモンスターの骨製の銃床で支えた非常にシンプルな外観をしている。機動性を活かせるよう軽量化しつつ、射出力を限界まで高めた結果だろう。後にライトボウガンと分類される高機動武器だ。防具の方も、長旅に向いた軽装の物で、モンスターからの視認性を抑えるため、表面をつや消し処理したベテランらしい出で立ちだ。狩人としての力量が推し量れる。だが、明らかに歳は若く、地味な装備とは逆に、鮮やかなラディアンレッドの長い髪をなびかせている。色白でくっきりとした目鼻立ち。黒い瞳は強い力を帯びている。遠目にみても相当な美人だと分かる。
「こんなにやばい土地とはね。生き残ったら、用心棒代、倍にしてもらうよ!」
「ああ。そいつは素敵だ」
 男は左腕に受けた傷を布で縛りながら答えた。男の方も二十代後半ぐらいか。背はそこそこ高く、痩せ形で幾分華奢に見えるが、日に焼けた顔で不敵に笑うその様子は、幾多の修羅場をくぐってきた風格がある。裾の長い青の上着を、少しゆるめに羽織っている。プロテクターを兼ねたポケットがいくつも付き、様々な道具が忍ばせてある。剣は片手で扱える両刃の直刀だが、何かのモンスター素材で補強されている。盾の方も、この地方では見られない紅紫色(こうしいろ)の鱗を使った五角盾だ。
 ふたりは岩陰から雷神の様子を窺った。ここまで対峙して、雷撃には蓄電のタイムラグがあることが分かった。だが、反撃に転ずるには間隔があまりにも短い。そもそも仮に雷撃が無かったとしても、ふたりの装備では退治は勿論、撃退さえも困難だ。それほどにこの当時、対モンスター用の装備は未成熟だった。ふたりに出来る事は、間隙を縫って挑発と回避を続け、飛竜の消耗を誘う事だけだった。
「あいつが向こうを向く。サガ、今のうちに動くよ!」
「待て、ナツキ!」
 飛竜の向こうに、接近する人影が見えた。巧みに飛竜の背後を取りながら、明らかに意図的に雷撃の射程内に踏み込んでくる。サガはわざと飛竜が気付くように、隣の岩影目指し走り出した。雷神が向きを直し、サガを襲おうとする。その瞬間、ナツキは反対方向に飛び出し、飛竜の横顔に矢を浴びせた。二手に分かれた獲物に雷神の足が止まる。ヴォイスは避雷針を構えた。渾身の力で次々と周囲の岩や地面に打ち込んでいく。ようやく雷神がヴォイスの存在に気付いた。
「こっちだ! 早く!」
 ヴォイスは大きく手招きすると斬馬刀を下段に構え、雷神を誘うようにじりじりと後退した。ヴォイスに近付く雷神の両脇を、隙を見たサガとナツキが駆け抜ける。雷神は天を仰ぎ咆哮を上げると、力を振り絞り背を丸めた。激しい閃光が迸る。だが総ての雷撃は身を伏せるヴォイス達を避け、避雷針に吸い込まれた。
「結界の中なら雷撃は無い!」
 ヴォイスは雷撃後の硬直に一太刀浴びせた。鈍い音と共に鱗が砕け、鮮血が吹き出す。悲鳴を上げ怯む雷神に、ナツキが追い打ちの矢を射掛ける。ヴォイスがそのまま斬りつけると、雷神は素早く旋回し、辺りを太い尾でなぎ払おうとした。
「いかん!」
 サガの絶叫より早く、ヴォイスはバックステップを取った。だが雷神の巨体からは離れきれない。ヴォイスは飛び退きながら体を回し、背骨を守るように斬馬刀を担いだ。太い尾がヴォイスの背中に迫る。インパクトの瞬間、ヴォイスは膝を抜き、足に掛かる体重を消した。斬馬刀で背中を守りながら、ヴォイスの体がまるで木の葉のように雷神の尾の上を滑っていく。後世、ナザルガザルに秘奥義として伝わる「無足」という「いなし」だ。尾の先端が通り過ぎると、ヴォイスの体が独楽のように回転しながら雷神から離れる。ヴォイスは足を広げ、斬馬刀の切っ先で地面に輪を描きながら制止した。サガとナツキは全身が鳥肌立った。
「な、何て奴だ! 一つ間違えば、剣で自分の体が真っ二つになるぞ!」
「参ったね……いるところにはいるじゃないか、凄い男が!」
 ナツキは無意識のうちに、腰に巻いた奇妙なベルトに手を掛けていた。それは石とも金属ともつかない材質で出来たローズレッドのベルトだった。
『おっと……いけない、いけない』
 ナツキはボウガンを構え直し、攻撃を続けた。
 雷神がヴォイス目掛けて前足を力一杯振り下ろす。ヴォイスは斬馬刀を杖のように地面に突き立て、そのリーチをも利用して大きく横転避けした。地響きをも回避したヴォイスは、そのまま起き上がりながら体を回し、雷神の腹部を思い切り切り上げた。よろけた雷神がヴォイスを睨み付ける。サガとナツキも両側から雷神に攻撃する。雷神が再び背に蓄電を始めた。ヴォイスは油玉を取り出すと、雷神の顔に投げつけた。雷撃が結界を覆う。次の瞬間、雷神の顔を濡らした油が引火した。油玉は火力は弱いが粘性が強く、容易には消すことが出来ない。視界を奪われた雷神が、炎を消そうと顔を掻きむしっている。
『今!』
 ヴォイスは両腕がきしむほど力を込め、雷神の顔面に渾身の一撃を加えた。斬馬刀が鱗を切り裂き、雷神の鼻筋を深々と割った。絶叫を上げ、雷神が倒れ込む。太刀傷から鮮血が噴き上がる。炎が生傷に追い討ちする。雷神はあからさまに戦意を喪失し、身を縮め後ずさった。斬馬刀を構えたヴォイスが、鋭い眼光で雷神を睨みつける。威圧感に雷神は小さく唸ると、身を翻し、翼で一気に舞い上がった。顔に深手を負った雷神は、振り返ることなく、村と反対の方角へと飛び去っていった。
「よし!」
 危機が去ったことを確認すると、ヴォイスは鮮血を振り払い、斬馬刀を背中の鞘に納めた。

「ありがとう。おかげで助かったよ」
 汗だくの笑顔で、サガとナツキが近付いてくる。三人は自己紹介しながら握手した。
「こちらこそ礼を言う。村の者を助けるため、雷神を引きつけてくれたのだろう? 峠の頂上に奴の跡があった」
 ヴォイスの言葉にサガが笑顔で答えた。
「地元の人間なら対処方法を知ってるだろうし、応援も欲しかったからな」
「それにしても、惜しかったね。あんな珍しい飛竜なら、素材もさぞや高く売れただろうに」
 ナツキが雷神の飛び去った方角を見上げ悔しがる。
「おいおい、倒すつもりだったのか?」
 サガは呆れ顔でナツキを見た。ヴォイスが笑うと、ふたりもつられて笑った。突然、サガの足が崩れよろける。ヴォイスは体を支えてやった。
「ハハ……ちょっと血を流しすぎたようだ」
 サガの腕から血が滴る。ヴォイスは手際よく応急処置をしてやった。サガの青い上着の胸に、赤い糸で刺繍された紋章があった。
『この紋章は』
 斜めクロスに区切られた上下左右の4つの文様。ナザルガザル村にも古くから同じ物が伝わっている。これが何の紋章なのかはヴォイスも知らない。おそらく知っているのは村長だけだ。更にはその紋章が、後にハンターズギルドで広く使われる紋章である事など、この時点で知る者は当然いない。
 ヴォイスはサガに肩を貸すと、ふたりをナザルガザル村へと案内した。

 * * *

 街道に面した湖に、顔面に傷を負った雷神が休んでいた。周囲には感電した魚が浮かんでいる。空腹を満たすには物足りないが、今は我慢するしかない。雷神は下顎で掬うように魚を食べた。
 そこへ、厳つい男達の集団が出くわした。軽装の甲冑を着込んだ傭兵が十人ほど。後ろには馬車も続いている。傭兵達は水辺で休む雷神に気付くと、剣を抜き半円状に取り囲んだ。雷神はゆっくり振り返ると、新たな餌の登場に低く唸り声を上げた。男達が一斉に躍りかかる。雷神は彼らを充分に引きつけると雷撃を放った。傭兵達は一人残らず感電し、為す術もなく藻掻いている。雷神はとどめを刺すため、彼らにゆっくりと近付いた。手近な一人を前足で押しつぶそうとしたその時、不気味な感覚に雷神は動きを止めた。漆黒のマントを羽織った男が馬車から降り、ゆっくりと雷神に近付いてきた。頭に被った黒いフードの影から、ギラギラとした不気味な眼光だけが見える。
「雷を扱うか……お前も血を受けし龍か?」
 雷神は息を吸うように首を上げると、男に目掛け口から雷球を放った。衝撃がまともに男を捕らえる。男は漆黒のマントを盾のように広げていた。雷球は完璧に受け止められ、青白い火花を散らしながら、マントの表面に消えていく。
「雷雲までは操れぬか。どうやらお前も雑種だな」
 男はマントの前をはだいた。肩と足に膨らみのあるスリムな甲冑を着ている。男が両腕を振ると、肩の膨らみが手へと伸び、竜の頭のようなグローブに変わった。足の膨らみもブーツに変わる。
 雷神が男に向かい突進する。男に噛み付いたかと思った瞬間、男の体が消えた。男は光のようなステップで雷神の脇腹へと回り込んだ。
「駄竜に用はない!」
 男は雷神の心臓目掛け、思い切り右の拳を叩き込んだ。インパクトの瞬間、鋭い熱線が雷神の体を貫通した。背中の雷角が粉々に吹き飛ぶ。雷神は白目を剥き絶叫をあげると、ゆっくりと倒れ即死した。男は再び腕を振り、失われた古代の近接武器であるドラゴンフィストを収納した。倒れる傭兵達を蹴り起こす。
「傭兵などといっても、所詮はひ弱な人間相手。頼りにならんな」
 マントの男は、雷神の顔面にまだ新しい太刀傷が有ることに気付いた。
「これは……。何者かに退けられた後だったか。……よもや、あのサガとかいう学者か? 奴も消えた帝都を探しているようだったが」
 男達は隊列を直した。マントの男が馬車に乗る。
「モンスターの数も増えてきた。目指す塔は近い。今度こそ大帝の記憶を見つけ、森羅の謎を手に入れてくれる」
 一行は雷神の亡骸には見向きもせず、再び街道を歩き始めた。街道の先に続くモンスター溢れる辺境の地。その中心にナザルガザル村はあった。

前へ 次へ
 
TOP メニュー 目次
 
For the best creative work