TOP メニュー 目次

 クエスト8 「真実は贄をいざない」
前へ 次へ

 リリルは村長から贈られたロー石を握り、石を敷き詰めたキッチンの床に黙々と絵を描いていた。大小ふたりの人間。母親と自分だろうか。その横には大きな海老のような生き物。そして総てを覆うように描かれた大きな渦。幼子の描く絵だ。何を描いているのかは分からない。ヴォイスの家で家事一切を切り盛りしている猫型獣人種のオカワリは、厨房のカウンターから出てくるとリリルに話し掛けた。
「いつまでも家に篭もってちゃだめニャ。子供は外で元気に遊ぶニャ」
 オカワリは追い立てるようにリリルを連れ出した。河原の方から子供達の笑い声が聞こえてくる。オカワリはリリルを村の子供達に引き会わせた。
「一緒に遊んでやってくれニャ」
 狭い村だ。リリルの境遇を知らぬ者はいない。年長の男の子が優しくリリルの手を引いていく。オカワリは笑顔で頷くと、リリルの後について河原へと降りていった。
 そんな子供達の様子を、村長は目を細め静かに見ていた。小さな背中が見えなくなると、彼女はヴォイスの家を覗いた。
「ヴォイスはおらぬか……」
「ヴォイスならナツキと火山に行ってますよ」
 通りかかった鍛冶屋が、商売道具の大きなトンカチを担ぎながら村長に告げた。
「そうかえ……」
 村長は自分の家に戻ろうとした。その時、不意に悪寒が走った。村長は立ち止まり、谷の空気を探った。
「どうしました、村長?」
「何じゃ、この気配は?!」

 村の入り口に掛かる橋の袂では、橋守が小さな詰め所の中で椅子に腰掛けながらあくびをしていた。突然、下流の方から咆吼が響いてきた。オットセイのような鳴き声が迫ってくる。橋守は慌てて詰め所から飛び出した。
「水獣か?!」
 間違いない。大型モンスターの水獣ロアルドロスが、下流の防獣柵を突破し、遡上してくるのだ。短い小さな声も聞こえてくる。多数の小獣ルドロスも引き連れているらしい。湾曲した川面の向こうから、荒れ狂う波頭が現れた。橋守は慌てて半鐘を鳴らした。

 村人達が槍や剣を手に次々と飛び出してくる。水獣の咆吼が村を覆う。村長は直ちに指示を出した。
「子供達を家へ! 襲撃に備えるんじゃ!」
 鍛冶屋は大きなトンカチを握りしめ、河原へと走った。

 波頭が橋へと迫る。橋の手前には村を守る最後の防獣柵が打ち込まれている。通常なら大型モンスターはここまでで引き返す。だが、荒れ狂う波しぶきが、ロアルドロスが怒りに我を忘れている事を示していた。水中で防獣柵に激突する。巨大なトカゲのようなロアルドロスが、水柱を上げて水面から十五メートルはある山吹色の巨体を跳ね上げた。頭の周囲の短い角は粉々に砕け、首から肩をすっぽり覆う海綿質のたてがみも、見るも無惨に傷付いていた。何者かに襲われ逃げて来たのだ。青く光る目には狂気が宿り、傷付くのも厭わず再び防獣柵に体当たりした。防獣柵が甲高い悲鳴をあげる。突破は時間の問題だ。綻びた柵の隙間を抜け、三メートルはある大トカゲのルドロスが次々とすり抜け、橋の下を通過していく。
「小獣が行った! 突破されるぞ!」
 橋守の絶叫に、駆けつけた村人が引き返す。橋守はモンスター目掛け、橋の上から必死に銛を打ち込んだ。水柱を上げ、ついに防獣柵が破壊された。ロアルドロスは残骸を乗り越え、村の中へと入っていった。
「ちきしょう!」
 橋守は無念の形相でモンスターを見送った。河原の方から応戦する村人の声が響く。
「いったい何が起きたってんだ!?」
 ひとり残った橋守は、再び川下の方に目を向けた。ロアルドロスに手傷を負わせた何かがやってくるのか。その時、川沿いの道を歩いてくる一団が目に留まった。
「あれは……サガさん!」
 サガを先頭に甲冑で武装した一団が歩いてくる。橋守はサガに駆け寄った。
「大変だ! 村が水獣に襲われてる!」
「落ち着け。村にはヴォイスとナツキがいるだろう」
 サガは緊張した面持ちで橋守に語りかけた。
「それが、ふたりとも狩りに出掛けちまってるんだ!」
「何だと!?」
 橋守は傭兵達の前に立った。
「サガさん、あんたの仲間か? ありがてえ! 村が大変なんだ。頼む、手伝ってくれ! こっちだ!」
 橋守が先導しようと振り向く。次の瞬間、黒衣の男が背後から橋守を袈裟斬りにした。絶叫を上げ、橋守が倒れた。
「よせ! 村人には手を出さん約束だぞ!」
 サガが叫ぶと、黒衣の男はさげすむ笑みを浮かべた。
「ならば早く事をなせ」
 サガは苦渋の色を浮かべると、村の中へと走っていった。
 村の男達は皆、防戦のため河原に降りている。サガは気付かれぬよう物陰を進み、ヴォイスの家を目指した。

 鍛冶屋は河原から村の広場に登る坂の下で、愛用の大きなトンカチを振り回しルドロスを追い払っている。
「ちきしょう、こいつ!」
 トンカチが空を切る。次の瞬間、一頭のルドロスが体当たりしてきた。鍛冶屋の体が吹き飛ばされた。水面からゆっくりとロアルドロスが顔を出した。
「このままではいかん!」
 坂の途中で見ていた村長は、急ぎ自分の家へと戻った。

 サガはヴォイスの家に滑り込んだ。リビングに人の気配は無い。
「リリル! オカワリ!」
 キッチンへ飛び込む。厨房の奥からオカワリとリリルがひょこっと顔を出した。オカワリは鍋を頭にかぶり、包丁と鍋蓋で身構えている。
「お客人!」
 オカワリは応援の到着に安堵し、カウンターの奥から駆け寄った。
「ヴォイスはナツキさんと狩りに出てるニャ! あいつらを追っ払ってくれニャ!」
 オカワリも戦う気満々だ。だがそんなオカワリを、サガは思い詰めた目で見つめた。
「ああ、そうだな」
 愛用の盾でオカワリの後頭部をしたたかに打つ。
「ニャ!?」
 何が起こったかも分からず、オカワリはふらふらとよろけ、そのまま気を失った。リリルが驚いてこっちを見ている。
「すまないが、付き合ってもらうぞ」
 サガはポケットから睡眠薬を染み込ませたハンカチを取り出すと、素早くリリルに駆け寄り口元を塞いだ。一瞬暴れたリリルは、そのままぐったりと動かなくなった。苦悶に眉を寄せると、サガは眠ったリリルを肩に担いだ。

 村長は自分の家に飛び込んだ。リビングの壁には、四角い瑠璃色の石盤に描かれた白いクロスの紋章が填め込まれている。紋章に近付こうとすると、突然誰かが家に入ってきた。振り向くとそこには黒衣の男が立っていた。
「誰じゃ、お主は?」
 村長は男の胸に輝く銀のクロスの紋章に気付いた。
「近衛の村の村長だな?」
「その紋章……お主、大連の末裔か。なぜこんな時に……まさか、あの水獣をけしかけたのは!」
 黒衣の男はさげすむ笑みを浮かべた。
「死なない程度に痛め付けてある。あの程度のモンスター相手に手こずるようでは、近衛の力も地に落ちたな」
 男は高らかに笑った。
「目的は何じゃ?!」
 焦燥の色が隠せぬ村長は、男を見上げるように睨み返した。
「どうやらここには何も得る物は無さそうだな。こんな落ちぶれた村に用は無い。後は帝都に赴き、帝国の記憶を引き継ぐだけだ」
「お主……まさか!」
 村長が詰め寄った瞬間、黒衣の男は村長を斬りつけた。肩から鮮血が噴きだし、村長は傷を押さえながら跪いた。
「帝都の守護、ご苦労だった」
 男は鮮血を振り払い剣を納めると、笑いながら村長の家を後にした。村長は肩の傷を押さえながら壁の上にある白いクロスの紋章を見た。血に濡れた皺だらけの手を、紋章を掴むようにかざした。
「ヴォイスよ……!」
 村長は力尽き崩れるように床に倒れると、そのまま意識を失った。

「大丈夫よ。もうひとりで歩けるわ」
 ナツキは肩を貸すヴォイスの腕を外した。
「まったく……なんてざま。これじゃ、第一艇団の名が泣くわね」
「第一艇団?」
 ヴォイスの問い掛けに苦笑すると、ナツキは閃刀鞭の紋章を示した。
「この紋章は、かつて帝国最強と謡われた第一艇団の旗印だそうなの。ホントかどうかは知らないけど、帝国には空飛ぶ戦船が沢山あったんですって。塔で目覚めたあたし達の祖先は、ほど近い岩山にマリーベル村を作ったのよ」
 ナツキは再び閃刀鞭を腰に巻いた。足取りはしっかりしている。どうやらダメージは回復したようだ。川沿いの道に入ると、ふたりは直ぐに異常に気付いた。新しい足跡が沢山ある。つい今し方、傭兵の一団が街道を下って行ったのだ。川面を下る風に血の臭いが混じり始める。ふたりは村目指し全速力で走り出した。ルドロスの死体が流れてくる。村に掛かる橋が見えた。血とモンスターの生臭い臭い。橋の手前に橋守が倒れていた。ヴォイスは駆け寄ると抱え起こした。
「オイ! しっかりしろ!」
 意識は無いがまだ生きている。背中の刀傷から、ふたりは尋常ならざる状況を察した。
「ナツキ、ここを頼む!」
 ヴォイスは橋守の応急手当をナツキに任せ、村へと走った。
 櫓門へ飛び込む。広場の中央に、傷だらけの水獣ロアルドロスが、とぐろを巻くように休んでいた。数頭のルドロスがヴォイスの侵入に気付き、遠吠えを上げる。侵入者の合図にロアルドロスが目を覚ました。闘争本能が沸騰し、ヴォイスは一瞬にして戦闘モードになった。躍りかかるルドロスをすれ違いざま斬りつけ、一頭、また一頭と仕留めていく。一瞬見せたヴォイスの背中目掛け、ロアルドロスが口から水球を放った。ヴォイスは水の砲弾を気配だけで察し、左に回転回避しながら水獣へと向き直った。ロアルドロスが咆吼を上げる。ヴォイスは斬馬刀を握りしめると、切っ先を引きずりながら一気に駆け寄った。ロアルドロスは巨体を跳ね上げ、ヴォイスを押しつぶそうとした。たてがみに染み込んだ川の水が噴きだし、壁となって襲う。ヴォイスは紙一重でかわすと素早く踏み込み、横から華奢な顎を斬り上げた。よろけたロアルドロスが、爪の折れた腕を振り反撃する。ヴォイスは難なく回避するとロアルドロスの脇腹へと回り込み、分厚い腹を斬り裂いた。たまらずロアルドロスの巨体が横転する。機を逃さずヴォイスは目にも留まらぬ連撃を加えた。だが、斬馬刀の斬撃力では容易に致命傷を与えることは出来ない。息も絶え絶えのロアルドロスは体勢を立て直し、青い眼光でヴォイスを睨んだ。ヴォイスもまた一歩も引くことなく、闘気漲る眼力でロアルドロスを睨み返した。動く者の無い広場に、静かに風が流れた。
「ヴォイス!」
 ナツキが櫓門から入ってきた。睨み付けるロアルドロスの瞳から、波が退くように殺気が消える。小さくうなり声を上げると、そのままゆっくりと横たわった。ボロボロになったたてがみを逆立て、急所の喉笛を自ら曝した。ヴォイスの実力を認め死を悟り、とどめをヴォイスに託したのだ。言葉など通じずともふたりには分かる。ヴォイスは右手の斬馬刀を握り直し、ゆっくり堂々とロアルドロスに近付いた。急所の前に立ち、斬馬刀に渾身の力を込める。爆発する気合いと共に、全身で斬馬刀を振り下ろした。地響きと共に切っ先が深々と地面を割った。ヴォイスは体を起こすと、スッと除けるように背を向けた。途端、ロアルドロスの喉笛から鉄砲水のように鮮血が噴き出した。薄れ行く意識と共に、ロアルドロスは静かに吐息を漏らし死を迎えた。
「ヤッタ――!!」
「ヴォイス!」
 隠れていた村人達が次々と飛び出してくる。村中に安堵と歓喜の声が溢れた。怪我人の収容に人々が走る。ナツキはヴォイスの傍に近付いた。ヴォイスはロアルドロスの尻尾を見ていた。先端が斬り取られている。
「見ろ、ナツキ」
 ヴォイスは尻尾の切断面を指さした。そこには、生傷をえぐるように何本ものナイフが突き刺さっている。唐辛子のような刺激物も擦り込まれているようだ。
「散々痛めつけ、村を襲わせたんだ」
 ロアルドロスは大型モンスターの中では比較的弱いモンスターだ。だがそれでも、ここまで徹底して嬲れる者がいるとすれば、相当な手練れに違いない。
 興奮した子供達がはしゃいでいる。そこにはリリルとオカワリの姿が無かった。ヴォイスの家のドアが力無く風に揺れている。ヴォイスは家へと駆け込んだ。
「リリル! オカワリ!」
 キッチンにオカワリが倒れていた。頭の大きなコブ以外、外傷は無い。頬を叩き活を入れる。
「ニャ!? ヴォイス!」
 オカワリは跳ね起きると、怒り心頭にキョロキョロ辺りを見回した。
「サガはどこニャ?!」
 リリルの姿は無い。サガが連れ去ったのだ。
「やっぱり赤の紋章持ちは信用できないよ!」
 ナツキが足を踏み鳴らし憤る。ヴォイスは床に描かれた絵に気付いた。
『リリル……』
 ふたりは家の外へ飛び出した。村長の家の前で村人達が騒いでいる。ヴォイスとナツキは村長の家へと走った。
「村長!」
 重傷を負った村長が、応急処置を受けている。一命は取り留めたようだ。
「おお……ヴォイスよ……」
 ヴォイスとナツキが駆け寄る。村長はすがるような目でヴォイスを見た。
「リリルは、あの子は無事か!?」
 一瞬、言葉に詰まる。ナツキが代わりに答えた。
「あの子は連れ去られたわ」
 ヴォイスは厳しい表情で村長を見た。
「村長、これはいったい……」
「大連の……銀の紋章に気を付けよ。あの者は塔へ向かった。ヴォイスよ。リリルを……あの子をセミラミスへ上げてはならぬ!」
 村長は弱々しくヴォイスの手を掴んだ。
「セミラミス? 村長。塔にはいったい何が?」
 村長は苦しそうに息を荒げながらも、必死の形相でヴォイスに語った。
「塔は桟橋なのじゃ。翼塔のテラスには戦船が着き……頂上の広場には帝国の中心、天空宮殿セミラミスが降り立つ」
「天空宮殿? じゃあ、サガの言っていた帝都というのは」
「翼塔や頂上が広場になってるのは、そのせいだったのね!」
 ヴォイスとナツキは、顔を見合わせ頷いた。村長は途切れそうな意識の中、話を続けた。
「かつて、傷付いた宮殿をあの塔に付けると、燃えさかるセミラミスと共に大帝は自ら命を絶たれた。だが、御子の命だけは救おうと……近衛衆に守らせ塔へ降ろしたのだ。そしてそれから間もなく、人々は時の流れを飛ばされた。我らの祖先は……モンスターで溢れかえっていたこの地から御子を逃がした。近衛の長は、いつの日か大帝の子孫がセミラミスを訪ねる時に備え……このナザルガザルに踏みとどまった。村を開いた祖先は……改めて塔を調べ、そして命を落とした。頂上には恐ろしい古龍が巣くっておったのじゃ!」
 村長が苦しそうに咳き込んだ。村長の指がヴォイスの手のひらに食い込む。
「リリルを塔に登らせてはならぬ。古龍は、大帝の血族が来るのを待っておる!」
 不自然に頂上を隠す黒雲も、各地の塔に出没する古龍も、総ては帝国に連なる者を根絶やしにする罠なのだ。村長は、震える手で壁に掛かったクロスの紋章を指差し、ヴォイスを促した。ヴォイスは紋章の下まで来ると、壁に埋め込まれた瑠璃色の石盤に手を伸ばした。微かに動く。ヴォイスは石版を押してみた。壁に五センチほど沈み、かんぬきが外れる音がした。紋章の下の壁板がせり出し、隠し扉が開いた。扉の中には、巨大な矢尻のような形をしたクロムグリーンに輝く古の大剣、エピタフイディオンが隠されていた。村長は気力を振り絞り、ヴォイスに命じた。
「もはや帝国の武器はそれしか残っておらぬ。ヴォイスよ……それであの子を救っておくれ……」
 ヴォイスの全身の血が沸き立ち、筋肉という筋肉がきしみを上げる。
「ああ。必ずリリルを連れて帰る!」
 ヴォイスは死を賭した誓いを立てると、村長を村人に託し、ナツキと共に塔へ向かった。

前へ 次へ
 
TOP メニュー 目次
 
For the best creative work