四人は天空宮殿へと続く広く緩やかな階段を上った。
「これは祭事などに使われた入り口だな」
サガが解説する。大帝が地上へ降り立つとき、大勢の家臣を引き連れこの階段を降りたのだろう。塔の頂上では無数のクロスの紋章がはためき、その土地を預かる諸侯が広場を飾り立て出迎えたのだ。そこにはモンスターの影など微塵も無く、絢爛豪華な帝国絵巻が拡がっていたに違いない。サガは遠い祖先への想いに胸を震わせた。
階段を登り切ると広い空間へ出た。天井の高い大きな通路が何本も伸びている。大型モンスターでも楽に通ることが出来るだろう。
「こいつはモンスターの巣には持ってこいだな」
ヴォイスの言葉に、サガは身を引き締めた。感傷に浸っている場合ではない。だが、辺りには古龍の気配はおろか、ガブラス一匹見あたらない。どこからか流れてくる微かな風の音以外、何の物音もしない。
「さてと……どっちに行けばいいのかしら?」
ナツキの問いかけに、サガは自信を持って答えた。
「帝国の中心と言えば太極殿だ。即位式や諸侯を集めた大会議が行われた大ホールだそうだ。それは文字通りセミラミスの中心に位置する」
サガは一番大きな通路を指差した。
「最重要施設はメインストリートで結ばれている。迷う心配は無い」
内部は予想以上に明るかった。壁面や天井には光る石板が使われ、今も足下を照らしてくれる。所々焼け落ち瓦礫が散らばってはいるが、通行には何ら支障は無い。ヴォイスはサガに尋ねた。
「どういうことだ、サガ。宮殿はまだ活きているのか?」
天空宮殿は錬金衆が科学技術の粋を集めて作った最高傑作だ。サガは誇らしげに答えた。
「セミラミスは准永久機関で動いていたんだ。宮殿を維持する程度の動力は、まだ残っていても不思議は無い」
それでこそ、ここを訪れた意味がある。サガは自分の旅の終わりが近いことを確信した。四人はサガの選んだ大通りを歩き続けた。
「それにしても妙だね。下にはあんなにガブラスがいたのに、ここには一匹もいない」
ナツキと同じ疑問をヴォイスも感じていた。モンスターの姿どころか、痕跡さえ見あたらない。まるで、静寂に支配された壮麗な墓所だ。
四人は巨大な門の前に辿り着いた。扉には金銀宝飾で飾られた黄金のクロスの紋章が描かれている。
「ここだ。帝国祭政の中心、太極殿!」
サガがそう告げると、扉がゆっくりと開いた。中へと足を踏み入れる。周囲が緩やかなすり鉢状になった巨大な空間が現れた。大理石の床にドームの天井。白を基調とした壁に、整然と並ぶ鴇色の柱。その一本一本に、金のクロスの紋章を刺繍した錦の御旗が下がっている。多くは戦渦に焼け、一万年の歳月で色あせているが、当時は荘厳な宮殿だったに違いない。正面奥には壇になった高い場所がある。あそこが大帝重臣の座所だろう。世界に君臨する大帝を前に、数万人の家臣がここで政を行ったのだ。四人は堂々と太極殿の中央を座所に向かい歩いていった。相変わらず生き物の気配は全く無い。
「あれは何?」
ナツキは右手の壁際にうずくまる巨大な像を指差した。白い巨大な戦士の像。右手に持つ漆黒の巨剣を床に突き立て、膝を折りうなだれるように座っている。まるで帝国の滅亡を嘆き力尽きた戦士のようだ。サガはしばし考えると答えた。
「もしかすると、あれは守護聖騎士かもしれないな。大帝を守護する巨人兵器だ」
「あんな物が動いたって言うの?」
驚いてナツキが尋ねた。
「ほとんど使い物にはならなかったらしい。大連との確執は話しただろ? 竜人族にはまれに見上げるような巨人が生まれる。大連の配下には巨人で構成された私兵軍団があったそうだ。如何に精強な軍団を従える大帝でも、竜人族の巨人は無視できなかった。ボクの祖先は、そんな身体的劣勢に対抗するため、巨人兵器を作ったそうだ」
サガは苦笑した。
「もっとも、作ってはみたものの、操縦はほとんど不可能だったらしい。なんでも、操縦者への負担があまりにも大きくて、精鋭中の精鋭をもってしても五分と動かせなかったそうだ」
四人は大帝の座所の前に立った。ヴォイスは軽く笑みを浮かべながらサガに話し掛けた。
「さて、サガ。何かやりたいことがあるんだろ?」
見透かすようなヴォイスに促され、サガは一歩前に進み出た。右手で金の指輪を掲げると、大きな声で座所に向けて問い掛けた。
「大帝の御後胤(ごこういん)をお連れした。我は大図の末裔。我が問いに答えたもう!」
サガの声が太極殿に響く。一瞬の静寂の後、壇上に陽炎が浮かんだ。整然と人影が並ぶ。色鮮やかな衣装に身を包んだ、かつての帝国重臣団。そして、中央の玉座に、金糸銀糸を織り込んだ純白の衣装を身に纏う美しい女性が現れた。帝国最後の大帝だ。大帝は静かに立ち上がると前に進み出た。悲しみを帯びた瞳で四人を見下ろす。
「よくぞ生き延びてくれました。愛しき我が末裔よ。そして、どうか愚かな我らを許して欲しい」
大帝が天井に向け大きく手を広げた。座所の上に大きく映像が浮かび上がった。それは繁栄を謳歌した、眩いばかりの帝国の姿だった。恵みをもたらす緑の大地。街には物資と笑い声が溢れ、人々は豊かな暮らしを送っている。巨大な建造物が林立する大都市。幾つもの大型船が往来する港町。地方を結ぶ連絡艇が飛び立つ大空港。塔を発進する帝国軍空中艦隊の威容。ユグドラシルは雲を突き抜け大きく枝を張り、古龍がその梢を優雅に舞っている。
「こいつはまさに楽園だね」
ナツキは思わず呟いた。これほど豊かで平和な世界が、何故崩壊しなければならなかったのか。大帝が映像を見上げながら涙を流し始めた。
「繁栄を謳歌した我らは、心に欲望と不遜を巣くわせた。そしてそれは自ら帝国を滅ぼす結果を招いたのです。我らは、触れるべからざる者へ触れてしまった」
ユグドラシルの映像に代わる。周囲を空中艦隊が取り囲み、一斉に熱線の艦砲射撃を浴びせ焼き払う。ユグドラシルの枝に絡まるように棚引いていた光の帯が、炎の中、螺旋を描き登っていく。ユグドラシルの天辺に着くと、光の輪となって浮かび上がり、七色の光に別れ世界中へ飛び散っていった。
「あれが森羅だね」
ナツキの呟きに皆が頷く。映像が戦渦に焼かれる帝国へと代わる。天候は荒れ狂い、大地が激しく隆起する。都市の真下から溶岩が噴き出し、摩天楼を呑み込んでいく。光を喰われた漆黒の空に、白く輝くミラボレアスの群れが鰯雲のように覆っていく。白い火球が豪雨となって降り注ぐ。大地は血と炎で真っ赤に染まり、揺らめく黒煙の中にはおぞましい影が無数に蠢いている。溢れる数多のモンスターと逃げまどう人々。必死に応戦する帝国軍。空中戦艦が炎を上げて次々と墜落していく。力尽き倒れる兵士と市民。阿鼻叫喚の中、楽園は崩壊した。
「これは……」
四人はその光景を呆然と見つめた。だが同時に、ヴォイスの脳裏に、漠然とした疑問が明確な像を結び始めていた。
映像が薄れるように消える。大帝は涙を流しながら四人に語った。
「もはや帝国は滅びました。私はセミラミスをこの地へ降ろし、総ての贖罪のため命を絶ちます。それでも神は罪を許さぬでしょう。なれど、我が罪を子々孫々まで負わせたくはない。愛しき我が末裔よ。どうか、絶えることなく生き延びておくれ」
大帝は祈るように両手を組み、瞳を閉じた。ナツキは小声でサガに尋ねた。
「ねえねえ。あれまさか本物じゃないわよね?」
「ああ、大帝が子孫のために残した立体映像だ。会話の形でセミラミスのデータバンクにアクセスすることが出来る」
ナツキとヴォイスは、改めて帝国の科学技術に驚いた。サガは大帝に向かい話し始めた。
「帝国滅亡の経緯は存じております。今の世はモンスターに溢れ、人々はその影に怯えながらひっそりと暮らしています。そしてその根源を絶つにはミラボレアスを根絶する必要が有る。教えていただきたい。ミラボレアスを倒す方法は無いのですか?」
大帝が苦悶の表情を浮かべている。大帝に代わり、玉座を守るように立っている男が答えた。
「ミラボレアスを倒す事自体は造作もない」
男は前に進み、サガたちを見下ろした。年の頃は四十ぐらいか。純白の紋章が輝くアイボリーの見事な甲冑を着ている。太い腕、厚い胸板。映像でありながら、達人のプレッシャーをビリビリと感じる。
「おそらく近衛衆の長だな」
サガは緊張しながら補足した。これ程の者でさえ、ここに巣くう古龍に敗れたのだ。近衛の長はヴォイスとナツキを見た。
「大帝家の警護、大儀である。我が近衛と第一艇団の末裔か。少しは使えそうだな」
日に焼けた顔が微かに笑った。ナツキは驚いてヴォイスを見た。
「そんな事まで分かるの?」
「落ち着け。おそらく俺たちの武器を調べたんだろう」
近衛の長が話を続けた。
「ミラボレアスならわたしも数十頭は倒した。だが、倒せば倒すほど、どこからともなく新たなミラボレアスが現れ、数がどんどん増えていく。残念だが、奴を絶滅させる方法は無い」
「ミラボレアスは倒せません。どうか我らを許しておくれ」
大帝は目を伏せ涙を流した。
ヴォイスは考えた。ここまではサガの話に符合する。ならばサガの目的はここからだ。サガが再び質問を始めた。
「奴が不死だという事は知っています。わたしは大図の子孫です。ミラボレアスが森羅に干渉されたラボレアスである事も聞いている。なれば、ラボレアスについて教えて戴きたい。あの計画はいったい何だったのですか?」
近衛の長は反応しない。大帝は苦悶の表情を浮かべ、涙を流すままだ。一瞬の静寂の後、大帝を守るように新たな人影が浮かび上がった。豊かな髭を蓄えた堂々たる壮年の男だ。その胸には真紅のクロスの紋章が描かれている。
「その問いにはわたしが答えよう、我が子孫よ」
帝国最後の大図が、通る声で話し始めた。
「ラボレアス計画とは、不死の研究だ。古龍を調べ模倣する事により、それを獲得しようと試みたが、道半ばにして実験体であるラボレアスは失われてしまった」
サガは更に質問した。
「それでは、森羅の捕獲を試みたのも不死の研究のためか?」
「そうだ。ラボレアスをより完璧なものにするために行った」
断言する大図に、サガの血が沸騰した。
「森羅が自然法則をも操る存在である事は分かっていたはずだ。なぜそんなリスクを冒したんだ?!」
大図は目を閉じると、噛み締めるように話し始めた。
「これも帝国の安定のためだ」
帝国末期、大帝と大連の確執は頂点に達していたという。大連は、竜人族の種としての優位性を主張し、帝国体制の変革を迫った。大図は大連に対抗するため、その根拠となる竜人族の優位性を無効化する研究に没頭した。大図がうずくまる巨人像を指差した。
「巨人化の優位性を打ち消すため、あの守護聖騎士を作った。そして同様に、人間の数倍もある寿命に対抗するため、不死の研究を急ぐ必要があったのだ」
大帝が大図の話に付け加えた。
「私にもう少し治世の才があれば、このような結果を招かずに済んだでしょう。大図は私をおもんぱかる余り、強行な策へと打って出たのです」
確かに筋は通っている。だが、どうもおかしい。サガが感じた疑問を、代わりにヴォイスが口にした。
「話としては分かるが、隠しておくほどの秘密とも思えんが?」
「そうそう。不老長寿の薬ぐらい、マリーベルの薬ジジイもよくこしらえてたよ。効果は全然無かったけどね」
ふたりのコメントに頷くと、サガは質問をやめ、資料の開示を求めた。ラボレアス計画の膨大な資料が空中に表示される。サガは指でそれを指し示し、手の動きで素早く調べ始めた。ラボレアス創造の資料に触れようとすると、突然閲覧不可の表示が現れた。実験内容の詳細についても同様である。ラボレアス計画は、概要以外総てが機密事項になっている。
「大図がガイドに立ちながら閲覧が出来ない。つまり、中を見る事が出来るのは大図本人だけという事か。そこまでする秘密が何処にある」
ナツキが呆れ顔で尋ねた。
「なによ、収穫無し? せめてラボレアスの弱点ぐらい分かんないの?」
サガは溜息混じりに笑うとナツキに答えた。
「ラボレアスの特徴は全く役に立たないよ。何の取り柄も無い、大人しい古龍だそうだ」
そう言うと、サガはラボレアスの映像資料を開いた。ヴォイスとナツキは、その姿に唖然とした。ねじれた二本の角と白い体、長い尻尾、背中に生えた二枚の翼。姿形こそミラボレアスにそっくりだが、その大きさは子犬ほどしかない。檻に閉じ込められている訳でもなく、錬金術師たちによく従い、抵抗する様子もない。怒られれば身を縮めて怯え、撫でれば気持ちよさそうに目を細める。およそ有害なモンスターには見えない。
大帝と遊ぶラボレアスの映像が現れた。直接エサを貰い、回りをパタパタと舞っている。その様子は可愛いペットそのものだ。
「こんなモンスターなら、あたしだって欲しいね」
ナツキは呆れて映像を見ていた。参考にならないのは明らかだ。大帝と遊ぶ姿が次々と出てくる。家臣団の前でも公然と大帝の膝の上で眠っている。存在そのものが秘密にされた様子は何処にも無い。ヴォイスたちが映像を見る間、サガは必死で秘密資料の閲覧を試みた。だが、ひとつとしてセキュリティを突破できなかった。
「くそう、ダメか!」
サガは大きく手を振り、剥ぎ取るように資料の表示を消し去った。四つの塔を巡り、危険な旅の末やっと天空宮殿を見つけ、こうして帝国の記憶にまで触れる事が出来たというのに、肝心のミラボレアスへの対抗手段が見つからない。
「ま、珍しい物を見れたんだ。ここに辿り着いただけでも有り難く思うんだね」
ナツキが気休めを言う。だがサガは、諦めず自虐的な笑みを浮かべた。
「いいや、まだだ。こうなったら、直接聞いてやるまでだ!」
サガは座所に背を向けると辺りを見回し、そしてドームの天井を見上げた。明るく光る天辺を見据えると、突然大声で叫んだ。
「そこにいるのだろう、森羅! 出てきてボクの質問に答えてくれ!」
「なんだと?」
ヴォイスは改めて気配を探った。自分たち以外、生き物の気配は無い。いや、そもそも森羅は生物では無いのか?
「ちょっと、何言ってるの、サガ!」
ナツキがサガの肩を掴んだ。サガは天井を見回しながら答えた。
「リリルを連れてきたら古龍の気配は消えた。何故だと思う? 古龍は只のモンスターだ。そんなに賢くはない。何者かが大帝の血族が来た事を察知し、古龍を隠したんだ。そんな事が出来る奴がいるとすれば、それは森羅だけだ!」
ドームの天辺の光がだんだん大きくなっていく。円盤状になった光がゆっくりと回りながら螺旋状に別れ、一本の光の帯へと変わっていく。優に数百メートルはある巨大な光の帯が、まるで龍のようにゆっくりと回りながら降下する。
『我の存在に気付いていたか。さすがは小賢しき知恵繰る獣よ』
四人の頭の中で声が響いた。いや、正確には声ではない。森羅の意識が直接伝わり、脳の言語野を通じて言葉になっているのだ。
『そこにいる小さき者は殺すに忍びず、あえて逃がしてやったのだが……これも宿命(さだめ)か』
「小さき者!?」
ヴォイスは抱きかかえるリリルを見た。初めて出会ったあの日、リリルは森羅によって塔から樹海の丘まで逃がされたのだ。
「答えてくれ、森羅! ミラボレアスはどうすれば絶滅させる事が出来るんだ!?」
サガが叫んだ。ナツキはサガの肩をど突くと閃刀鞭を抜いた。
「何言ってんの、サガ! こいつがミラボレアスを創ったんでしょ。話すわけ無いじゃない!」
ナツキは先手必勝とばかりに長射程の突きを繰り出した。閃刀鞭の先端が光の帯を貫く。だが、手応えが全く無い。森羅の体は、まさに光そのものだった。ナツキは閃刀鞭を素早く引き戻すと再び身構えた。奇襲は失敗した。このまま迂闊に追撃したら、逆にカウンターを喰らいかねない。ナツキは身動きできぬまま攻撃の機会を窺った。
『無駄な事はやめよ。我は理そのもの。理の上に住むお前達では、我に触れる事は叶わぬ』
ヴォイスはリリルを抱えた自然体のまま、じっと森羅を観察した。殺気は勿論、攻撃する様子はまるで感じられない。再び森羅の声が響いた。
『……よかろう。その子の母親にも総てを話している。お前達にもミラボレアスの秘密を、一万年前の事実を教えよう』
四人の前に、帝国滅亡のもう一つの姿が語られようとしていた。
|