絶孤の二本の触手は、守護聖騎士の腹部を左右水平に貫き、そのまま電撃の壁深く突き刺さった。激しい放電が、絶孤と守護聖騎士を包んでいる。壁に縫い付けられた守護聖騎士は、そのまま力尽き動かない。絶孤は勝利を確信し低く唸り声を上げている。ナツキとサガはその光景に愕然とした。
「ヴォイス、目を開けて!」
「動くんだ、ヴォイス!」
リリルはサガの手を振り解くと力一杯叫んだ。
「ヴォイス――!!」
守護聖騎士の指がピクリと動く。腕に足に、再び力がみなぎっていく。守護聖騎士は放電を撒き散らしながら太極殿を揺らす咆哮を上げた。絶孤は慌てて体をばたつかせた。壁に刺さった触手が抜けない。守護聖騎士は左の抜き手を切り飛ばした右目の穴に突き刺し、絶孤の頭部をがっしりと掴んだ。右手に握る漆黒の巨剣を逆手に持ち、絶孤の頭上に高々と振り上げる。絶孤は生まれて初めて恐怖という感情を知った。守護聖騎士はありったけの力を振り絞り、巨剣を首と胴の隙間に突き刺した。甲殻が砕け、切っ先が深々と食い込む。絶孤は狂ったように暴れた。触手を自ら引き千切り、その場から逃れようとする。守護聖騎士は壁から剥がれた反動に合わせ全体重を掛け、巨剣を一気に突き刺した。絶孤の体が床を飛び跳ねた瞬間、漆黒の巨剣は絶孤の脊髄を断ち切り、咽の甲殻を突き破った。絶孤が断末魔にのたうっている。守護聖騎士は絶孤の頭を押さえつけ、漆黒の巨剣を包丁のように倒していった。肉厚な両刃が体内組織を切り裂く。臓物をえぐる音と共に、ついに絶孤の首が斬り落とされた。頭を失った胴体が、青い体液を撒き散らしながら、打ち上げられた魚のように暴れている。超振動するヒレが大理石の床を削り跳ね回る。守護聖騎士は朦朧とする意識で漆黒の巨剣を肩越しに構え、力一杯投げつけた。首の断面から体内深く突き刺さった。ヒレの超振動がゆっくりと止まり、串刺しになった胴体はそのまま巨大な骸となった。左目からも赤い光が失せ、絶孤は完全に動かなくなった。最強最悪の古龍・絶孤は、ついにこの世から消え去った。
守護聖騎士は、腹部にまとわる絶孤の頭を千切り捨てた。リリルの方へ振り向き二、三歩進むと、崩れるように膝を折り、床に両手を付いて動かなくなった。腹部の中央が白い渦を巻き、中から真っ赤な塊を吐き出した。血まみれになったヴォイスが、そのまま床に這いつくばった。ナツキは慌てて駆け寄り抱き起こした。まだ息はある。
「ヴォイス、しっかり!」
サガとリリルもヴォイスに近付こうとしたその時、再び森羅が輪を描きながら降下してきた。
『絶孤を倒す者がまだいたとは……。だが、事態は何も変わりはしない』
サガは息を呑んで森羅を見上げた。
『赤の紋章を継ぐ者よ。さあ、お前の為すべき事を為せ』
サガの目の前にリリルが立っている。大帝の血を絶やさねばミラボレアスは絶滅しない。リリルがサガへと振り向いた。澄んだ瞳でじっとサガを見上げている。サガは震える手で片手剣を抜いた。
「サガ、やめて!」
咄嗟にナツキは叫んだ。だが動く事が出来ない。ナツキもまた、迷っていた。ミラボレアスは新たなモンスターを生み続ける。今この瞬間も、世界中で多くの人々がモンスターの餌食となっているのだ。リリルの命ひとつで、多くの命が救われる。それは正しい選択なのか?
サガはゆっくりと片手剣を振り上げた。リリルは怯える事なく、大人びた瞳で静かにサガを見詰めている。リリルもまた、幼い体で自分に課せられた運命を理解し、受け入れているのだろうか。リリルの母がそうしたように。
頭上に構えた片手剣が抑えようもなく震えている。自分はこの為に旅をしてきたのだ。滅び去った帝国。大図が犯した過ちと末裔としての責任。モンスターに覆われた悲劇の歴史に終止符を打つ。そのためには悪鬼にもなろう。サガは意を決すると、力一杯片手剣を振り下ろした。
刃がリリルへ届くより早く、唸りを上げる鉄拳がサガの頬を捕らえた。サガは激しく床を転がった。振り返ると、全身血まみれのヴォイスがリリルを守り仁王立ちしていた。リリルは絶対に守る。力強い眼光がサガの決意をねじ伏せた。サガは床に両手を付いたまま拳を握り、苦しそうに訴えた。
「分かってくれ、ヴォイス! 大帝の血族は絶やさなければならないんだ!」
だがヴォイスはサガに向かい、静かに力強く答えた。
「それは違うぞ、サガ。リリルが死ぬ必要など無いんだ」
ヴォイスは、この戦いの果てに、サガとは全く異なる答えに辿り着いていた。ヴォイスは驚くサガとナツキを前に語り始めた。
「俺はミラボレアスを一度しか見た事がない。ナツキ。旅暮らしのキミも、奴を見た事は無かったな」
ナツキが頷く。ナツキはヴォイスが何を考えているのか計りかねた。ヴォイスは話を続けた。
「さっき見た通り、かつてミラボレアスは空を覆うほど沢山いた。だが今では奴は滅多に見る事が出来ない。不死であるはずのミラボレアスは、帝国末期より確実にその数を減らしている。それは何故だ?」
サガにもナツキにも分からない。ふたりは次の言葉を待った。
「大帝の血は、薄れていくんじゃないか?」
ふたりはハッとした。
「大帝が死を選んで三百年。リリルはおそらく十世代ぐらい後の子孫だろう。勿論その間、大帝の子孫は彼女ばかりでなく増えているはずだ。だが血の因果を持つはずのミラボレアスは、逆にその数を減らしている。リリルを殺さずとも、世代を追えば、やがてミラボレアスは死滅する。違うか、森羅!」
ヴォイスは森羅を見上げた。森羅もまたヴォイスを見た。
『確かに数は減った。だが、それでもまだかなりの数が生きている。ミラボレアスが死滅するほど大帝の血が薄れるまで、いったい何百年かかるのか。それまでモンスターは大地に溢れ続ける。絶孤のような凶暴なモンスターも生まれるやもしれぬぞ?』
森羅の問いに、ヴォイスは微塵も揺らぐことなく、不動の決意で告げた。
「狩ってやるさ。何年かかろうと、どんな奴だろうと、最後の一匹まで狩って狩って狩り続ける!」
ヴォイスはリリルを守りながら堂々と胸を張った。リリルは安堵の涙を浮かべると、ヴォイスにギュッとしがみついた。森羅はふたりを見詰め、やがてゆっくりと身を翻した。
『最後の絶孤は死んだ。我がこの地へ留まる理由はもはや無い。猛き者よ。せいぜい長生きするがいい』
森羅が笑ったような気がした。暖かい光が溢れだし、太極殿を真っ白に染めた。
光が消え去った時、四人は樹海の外れにあるあの丘に立っていた。
「あれ見て!」
ナツキが塔を指差した。頂上を隠していた黒雲が掻き消すように消え、巨大な天空宮殿セミラミスがその姿を現した。四人はじっとその偉容を見詰めた。中心から光が溢れ出す。光が大きくなり、天空宮殿を呑み込んでいく。まばゆい光の中で、天空宮殿セミラミスがゆっくりと蒸発していった。
「帝国の……本当の最後だ」
サガは消えゆく宮殿を万感の思いで見送った。光が総て消え去ると、後には古代の塔だけが残された。塔の頂上から一筋の光の帯が浮かび上がる。森羅は塔から飛び立つと、ゆっくりと揺らめきながら西を目指し飛んでいった。
「森羅は、どこへ行くのかしら……」
ナツキの呟きにサガが答えた。
「大陸の西に広がる西竜洋の遙か向こう、現在の航海技術では辿り着けない難所の果てに、かつて小さな大陸があったそうだ。森羅はきっとそこに集まって、ずっと世界を眺めて暮らすんだろう」
右へ左へ体を泳がせ、太陽を追うように西の果て目指し飛んでいく。その姿はどこか嬉しそうに見えた。森羅が見えなくなると、ヴォイスは西の空を見ながら静かに告げた。
「サガ。俺はハンターになる。モンスターを専門に狩るモンスターハンターに」
サガは驚いてヴォイスを見ると、そのままフッと笑った。
「それじゃあ、ボクはギルドを作ろう。武器や装備を研究しモンスターハンターを支援するハンターズギルドを」
ふたりは頷くと、固く握手を交わした。ナツキはそんなふたりを見ながら呆れる笑みを浮かべた。
「まったく、男って生き物は」
サガがナツキに尋ねた。
「ナツキ、君はどうするんだ?」
「あたし? あたしはまた旅から旅さ。でも、そうだね……旅先で見聞きした事を、たまにはそのハンターズギルドとやらに伝えようかねえ」
三人が笑顔を交わすと、リリルが何やら辺りを跳ね回っていた。
「どうした、リリル?」
ヴォイスが尋ねると、リリルは集めた花を示し笑顔で答えた。
「お花。ママのお墓に飾るの」
「リリル……そうだな」
ヴォイスたちもリリルに倣い、両手一杯に花を摘んだ。夕日が塔の上へと沈んでいく。ヴォイス、リリル、サガ、ナツキの四人は、笑顔でナザルガザル村へと帰っていった。
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