ジンオウガとの死闘から数日が流れた。若いだけありクロの怪我はすぐに回復した。今日もいい天気だ。ナツキとクロはいつものように境界の広場でくつろいでいる。あの日以来、グリンはまだ姿を見せていない。おそらく自分の住処でゆっくり体力の回復をはかっているのだろう。怪我自体はグリンの方が軽かったので心配は無い。ナツキほどのハンターになれば、地面に残る戦跡と怪我の具合を見るだけで、クロとグリンがどんな戦いをしたのかおおよそ見当が付く。クロは雷撃を物ともせず、グリンを補佐し勇敢に戦ったはずだ。今では体も充分大きくなり、立派な戦士に成長している。クロの養育を引き受けた者としては、これ程喜ばしい事は無い。だがナツキはその一方で、幼い身で死線をくぐり抜けるクロに、己の罪と不安を覚えていた。本当にこれで良いのだろうか?
クルペッコがナツキに近付きガーガーと騒いだ。魚を捕れと催促しているようだ。素材集めの方はもう充分なのだが。ナツキはちょっと困った笑みを浮かべると釣り竿を取り出した。
「しょうがないね〜。ま、あんたもそれなりに頑張ったし、ご馳走してやるか」
川辺の岩に腰掛け釣り糸を垂らす。さっそくサシミウオが釣れた。クルペッコに投げてやるとペロリと食べた。その様子を見てクロも近付いてきた。
「お前も食うかい?」
クロにも一匹釣ってやる。ハグハグと美味しそうに食べた。それを見てクルペッコがまた催促する。ナツキはふたりにせっせと魚を釣ってやった。
あのジンオウガとの死闘以来、境界の広場は平和そのものだった。山のモンスターのバランスも正常化し、降りてくる大型モンスターも無い。ランポスやジャギィが時々うろちょろしてはいるが、彼ら小型の肉食モンスターにも生活がある。ナツキは影響のない限り彼らに干渉せず自由にさせた。
ナツキは魚を釣りながら考えた。銀のリオレウスは確かにクロの母親の仇だ。だがどのモンスターも日々の生活をしているに過ぎない。飛竜たちがユグドラシルを目指すのも、結局は縄張り争いの延長だ。復讐を果たす事は、果たしてモンスターにとって重要な事なのだろうか。どんなに強くとも、グリンのように辺境で生活する者もいる。ユグドラシルのそばに帰れば付近には強者が集い、激しい縄張り争いに身を投じる事になるだろう。無理にユグドラシルへ帰る必要は無いのではないか。この辺りはケルビの数こそ少ないがアプトノスなら充分いる。クロが望むならこの付近に自分の縄張りを持たすのも悪くない。グリンとの関係も良好なのだ。このまま力を合わせれば、きっと幸せに暮らしていける。勿論ナツキにはモンスターの幸福など分かろうはずも無いのだが。
「あたしゃ……何やってんだろうね……」
大きな魚が釣れた。緑色の丸太のような体をしたハレツアロワナだ。死ぬ時にその名の通り体が破裂する魚で、徹甲榴弾の素材としても用いられる。素材採取の時なら破裂する内臓部分を取り出すところだが、ナツキはちょっと悪戯心を起こした。そのままクルペッコに投げてみる。クルペッコは地面でピチピチと跳ねるハレツアロワナをじっと見た。
『どうやらこのままじゃ食えない事を知ってるようだね』
ハレツアロワナの動きがだんだん衰える。クルペッコはハレツアロワナの尾びれを咥えると、ポーンとクロの前に放り投げた。クロは大きな魚に目を輝かせ、嬉しそうにパクッと食べた。
「あ、クロ!」
ボ――ン!
クロの口の中でハレツアロワナが爆発した。クロは目を白黒させ、口からは白い煙が漏れている。クルペッコはクロを見ながら飛び跳ねて笑った。
「ガーガーガーガー」
「ギャウギャウギャウギャウ!」
笑いながら逃げ回るクルペッコを、怒ったクロが走って追いかけている。ハレツアロワナの爆発は、生のままでは大したことはない。クルペッコはそれを知った上でクロに投げたのだろう。勿論クロも怒ったとは言えじゃれ合いの範疇だ。ジャンプを使って本気で追い回している訳では無い。ナツキはジタバタと地を這い追いかけるクロを見ながら苦笑した。
「おやおや、すっかりいい遊び相手になってるじゃないか。それにしてもクロの走り方はいつ見てもぎこちないね〜」
ナルガクルガは通常後ろ足だけで二足歩行するが、走る時には前足も使う。その姿は地面をジタバタと這うようで、どうも様にならない。これはナルガクルガの脚力が前足と後ろ足で大きく差がある事に起因する。ナルガクルガがジャンプに特化したモンスターである証だ。そしてこの事がクロの母親の謎を解く鍵である事に、ナツキはまだ気付いていなかった。
「おや?」
クロとクルペッコがじゃれ合っていると、樹海の中からゆっくりグリンが現れた。足取りも体にも、先日の戦いの名残は欠片も無い。美しい深緑の毛並みが心地よく風になびいている。クロはじゃれ合いをやめてグリンを見た。真っ直ぐクロに近付いてくる。ナツキも立ち上がるとグリンの方へ近付いた。グリンはとても穏やかな表情をしている。口には大きな牡のケルビを咥えていた。グリンはクロの前まで来ると立ち止まり、じっとクロの目を見た。そして口に咥えたケルビをクロの前に置いた。
「ギャウ」
グリンが貴重なケルビを自らクロに分け与えた。クロのことを自分と対等な戦士と認めてくれたのだ。クロは理解し、体を震わせた。目の前に置かれたケルビをじっと見る。ナツキは満面の笑みを浮かべクロを祝福した。
「よかったね、クロ。さあ、遠慮しないでお食べよ!」
「……ギャウ」
クロはそっとケルビに口を寄せると、ゆっくり味わいながら食べ始めた。グリンもナツキもクルペッコも、ケルビを食べるクロを温かく見守っている。久しぶりに食べるケルビ。しかもグリンが自分を認めてくれた証だ。これまで食べたどんなケルビとも比較にならぬほど美味い。クロは泣き出しそうな顔をしながら、グリンからの贈り物をゆっくり何度も噛み締めた。
クロとグリンがジンオウガと死闘を演じていた同じ頃、大樹海の中央にそびえるここユグドラシルにおいても、壮絶な戦いが繰り広げられようとしていた。
黒い絶壁のようなユグドラシルを背にした広場で、現在の大樹海覇者リオレウス希少種はじっと真昼の空を見上げていた。上空ではうねる黒雲が日差しを遮り、真っ直ぐユグドラシルへ降下してくる。東から西から雨交じりの風が無秩序に吹き荒び、巨樹の樹海を揺らしている。銀レウスは黒雲に潜む気配を読み一点を見据えた。黒雲がユグドラシルの天辺に引っかかるように止まり、その中心から黒い翼竜が産み落とされた。鋼の古龍クシャルダオラだ。全身黒光りする鋼鉄の鱗に包まれている。鋭い爪を生やす逞しい四肢。凶悪な牙が並ぶ長い顎。目の上から後頭部にかけて短い角が棘のように並んでいる。首はそれ程長くはなく、胸には太いあばら骨が浮き上がっている。背中には肩から尻尾の付け根に掛けて巨大なマントのような翼が生えている。鞭のような尖った尻尾は目立って長い訳ではない。全長も二十メートルに届かず銀レウスより小さい程だ。だが、その生命力は並のモンスターの優に倍を越え、鋼鉄の体と相まって少々の攻撃ではびくともしない。しかも体の回りには荒れ狂う風を纏っており、只でさえ攻撃が当たり難くなっている。何故そんな風を纏う事が出来るのか。それこそが『理と共にある者』、生態系を逸脱した存在、古龍としての証だ。
クシャルダオラは広場を見下ろしながら悠然と降下してきた。リオレウス希少種の存在など、まるで眼中に無い。普通のモンスターならば、古龍に挑むなど有り得ないからだ。だが銀レウスは、じっとクシャルダオラを睨んでいる。ここはこの広大な大樹海の頂点に君臨する者が住まう場所だ。例え古龍といえど踏み込ませはしない。それが大樹海覇者の務めだ。
地響きを立てクシャルダオラが降り立った。銀レウスは全く動じることなく侵入者を睨んでいる。クシャルダオラは怪訝な表情で銀レウスを見下している。ユグドラシルを前にした広場に張り詰めた静寂が訪れた。
クシャルダオラは人目に触れる機会が多い古龍として知られている。飛行能力が高く気の向くままに大地を渡り、行く手を阻む者は何者であろうと容赦しない。山であろうと人里であろうとまるで意に介さず、結果として街を襲う機会も多いのだ。そしてそれはモンスターの世界においても同様だった。クシャルダオラは銀レウスの方へゆっくりと歩き始めた。堂々と胸を張り、道を空けるのが当然と言わんばかりだ。一方、銀レウスも一歩も退かない。両者の距離が詰まっていく。お互いの間合いが防御限界点に達したその瞬間、両者は一瞬にして振りかぶり、居合抜きのように口から攻撃を放った。銀レウスの炎ブレスとクシャルダオラの旋風ブレスが、口から放たれると同時に激突した。両者互角か。いや、僅かにクシャルダオラが勝った。炎ブレスが押し戻され、銀レウスの顔を焼いた。クシャルダオラはもう一発お見舞いしようと旋風ブレスを放った。ドリルのような旋風弾が銀レウスを襲う。銀レウスは体を回しながら素早く右に回避した。そのまま棘の生えた尻尾の先をクシャルダオラの左脇腹へ叩き込む。クシャルダオラが僅かによろけた。だが鋼の鱗と風纏いによって、見た目ほどダメージは与えていない。クシャルダオラが向きを変えながら前脚の爪で薙ぎ払ってきた。銀レウスはふわりと後方にジャンプするように舞い上がり間合いを広げた。クシャルダオラは両前脚を跳ね上げて後ろ脚で立ち上がり雄叫びを上げた。
『無礼者が!』
ユグドラシル前の広場で、凄まじい攻撃の応酬が始まった。旋風ブレスが地面をえぐり、炎ブレスが辺りを焼く。余人の交うる余地の無い、正に頂上決戦だ。それだけにお互い決め手に欠け、決着の糸口が掴めない。二頭は共に戦い辛さを感じ始めていた。リオレウスは空の王者と呼ばれており、その真価は空中戦においてこそ発揮される。一方クシャルダオラも空を飛ぶ事に長けた古龍で、舞い上がっての攻撃が多い。千日手の様相を呈し両者が激しく睨み合う。二頭はほぼ同時に翼を大きく広げた。決着は空中戦で付ける気だ。
銀レウスは迷うこと無く飛び立ち先行した。クシャルダオラがそれを追う。空中戦において、特に飛び道具を持つ相手に背後を取らせるのは明らかに不利だ。銀レウスは左の翼が掠めるほどユグドラシルに接近しながら、断崖のような幹の回りを螺旋を描き上昇した。ユグドラシルを盾に背後からの攻撃を防ぐのだ。このまま空まで上がれば自分が上空を取れる。敵の上空を押さえることもまた空中戦の基本だ。ユグドラシルの天辺が近付く。その時、銀レウスは悪寒を覚えた。背後に猛烈な勢いでクシャルダオラが迫ってくる。空の王者を凌駕するスピードなどあり得るのか?
クシャルダオラは風纏いでユグドラシルの幹を掻き、滑走するように加速していた。銀色の巨体が目の前に迫る。上昇中といえどこの距離なら外さない。クシャルダオラは旋風ブレスを放った。だが一瞬早く銀レウスはユグドラシルの頂上に達し黒雲の中へ飛び込んだ。外れた旋風ブレスが黒雲に大穴を開ける。銀レウスは黒雲の中を急上昇し陽の降り注ぐ上空へ躍り出た。大きく旋回し黒雲を見下ろす。雲海の一部が盛り上がる。銀レウスはそこへ思い切り炎ブレスを撃ち込んだ。クシャルダオラが黒雲を抜けると同時に火球が奴の頭を直撃した。雲海を溺れるようにクシャルダオラがよろける。銀レウスは更に三発の炎ブレスを叩き込んだ。二発までが命中し、クシャルダオラの体が雲海に沈む。
並みの飛竜ならばこれで勝敗は決する。だが相手は古龍だ。黒雲に潜む殺気は、衰えるどころかむしろ勢いを増している。黒雲が渦を巻き始めた。渦がどんどん大きくなる。銀レウスが攻撃のため接近すると、突然渦の中心から旋風ブレスが次々と放たれ銀レウスを襲った。急旋回し回避する。渦からゆっくりとクシャルダオラが浮上した。クシャルダオラは、体の何倍もある巨大な気流の中心にいた。凄まじい気流に、クシャルダオラの姿が陽炎のように揺らいでいる。銀レウスは炎ブレスを放った。クシャルダオラは回避すらしない。二メートルを超える大きさの火球が気流の壁にぶつかり掻き消すように砕け散った。
風纏いと呼ぶには桁違いに大きく強い。今日の古龍観測所気球調査班の記録に、それらしい未確認情報が残っている。空中におけるクシャルダオラの戦闘形態『烈風纏い』だ。クシャルダオラの風纏いは、地表付近では気流が充分に成長できず、体全体を包めるほど強大にはならない。だが空高く上がってしまえば、もはや障害物もない。風を操る古龍の実力は、空においてこそ本領発揮されるのだ。
クシャルダオラはもはや回避行動すら取ることなく真っ直ぐ銀レウスに接近していった。炎ブレスなど烈風纏いの前には豆鉄砲ほどの威力もない。あとは生態系を超越した存在として堂々と叩き潰してやるだけだ。巨大な烈風纏いが弾ける様な音を間断無く立てている。銀レウスを射程圏内に捉えた。クシャルダオラは烈風纏い越しに旋風ブレスを立て続けに放った。旋風弾が烈風纏いの表面を引き延ばし、鞭のような竜巻となって銀レウスを襲った。銀レウスはうねる旋風鞭を回避した。だが旋風鞭が薙ぎ払った後には乱気流が発生し、銀レウスは姿勢を大きく崩した。翼が揚力を失い落下する。そこへクシャルダオラが烈風纏いごと体当たりをしてきた。不気味な音を立てる烈風纏いが迫る。銀レウスはそのまま降下して回避しようとした。烈風纏いが体を掠める。次の瞬間、体中に刀傷が走り鮮血が噴き出した。烈風纏いの表面には無数の鎌鼬現象が起こっていた。烈風纏いは正に攻防一体の戦闘形態なのだ。
『古龍である我に刃向かうとは。この愚か者が!』
クシャルダオラがあざ笑う。銀レウスは体勢を立て直した。再びクシャルダオラが迫る。旋風鞭が次々と襲い、烈風纏いが銀の鱗を血に染める。銀レウスは必死に応戦した。だがどれほど飛行能力に優れようと接近できないのでは意味が無い。唯一の攻撃手段である炎ブレスも烈風纏いの前では歯が立たない。クシャルダオラはもはや銀レウスを追い回す事すらやめた。空中要塞のようにユグドラシルの上空に居座るだけでよい。スタミナも古龍の方が圧倒的に上だ。このまま銀レウスが力尽きるのを待つだけだ。
『さあ。敗走か死か。選べ!』
必死に繰り出す炎ブレスが銀レウスの心そのままに砕け散る。スタミナを急速に失い、飛翔の切れが鈍り出す。クシャルダオラはそれを見逃さなかった。一瞬の隙を突き、特大の旋風鞭を銀レウスに喰らわせた。
『終わりだ!』
重い旋風に銀レウスの体が吹き飛んだ。全身から力が失せ、翼膜に風を受けながら木の葉のように落下する。眼下にユグドラシル前の広場が見えた。銀レウスの脳裏に、戦いの記憶が走馬燈のように流れた。
銀レウスは、生まれついての王者だった。大樹海を訪れた彼は、群雄割拠する飛竜どもを蟻の群のごとく蹴散らしていった。暴れ者で名高い轟竜ティガレックスでさえ彼の敵ではなかった。銀レウスは決められた王道を進むが如くユグドラシルを目指した。そしてユグドラシル一帯を支配するあの黒い牝の飛竜に出会った。
迅竜ナルガクルガ。樹海の闇に潜む謎多き飛竜。ユグドラシル前の広場で対峙した銀レウスはその姿を見て驕り侮った。如何にも火に弱そうな外見。飛行能力が低そうな翼膜。ティガレックスのような力自慢にも見えない。こんな奴が大樹海の覇者とは片腹痛い。空の王者たる自分の敵ではない。銀レウスは堂々と炎ブレスを放ち戦端を開いた。
だが次の瞬間、薄暗い樹海の中、奴の姿を追えなくなった。右かと思えば左、後ろかと思えば前。奴の姿が消える度、自分の体が切り刻まれる。銀レウスは焦った。浮き上がり闇雲に火球を放つ。だが奴には全く当たらない。銀色の体が自らの血で真っ赤に染まる。銀レウスは生まれて初めて死の恐怖を知った。
『殺られる!!』
その時、広場の片隅に奴の子供が現れた。銀レウスは反射的に炎ブレスを放った。逃げようとした子供の腰に当たりひっくり返る。母親のナルガクルガは慌てて我が子を守るように立ち塞がった。銀レウスは無我夢中で炎ブレスを吐き続けた。母親は子供をかばい全身で火球を受け止めた。体で、翼膜で、必死に火球から我が子を守る。炎に包まれながら、大樹海の覇者ナルガクルガは無念の形相で銀レウスを睨んだ。母親は自分の身を犠牲にクロを守りきり、そのまま力尽き命を落とした。
幼いクロが必死に母を呼んでいる。銀レウスは息を荒げながら我に返ると、目の前の光景に愕然とした。子供を囮に勝ちを盗んだ。一片の曇り無く王道を歩んできたはずの自分が、この無様で恥知らずな醜態は何だ!
幼いクロが必死に母の体を揺らし叫んでいる。銀レウスは亡骸に近付くと翼膜で残り火を消し咆吼を上げた。
『母は死んだ。ここから去れ!』
咆吼に怯えたクロは後ずさると、母親の遺体を振り返りながら足を引きずり樹海の奥へ逃げていった。銀レウスはその小さな背中をじっと見送った。
偉大なる大樹海覇者ナルガクルガの息子。経緯は知らぬが、あの子供は人間の手を借り生き延びた。あのまま成長を続ければ、爪を研ぎきっと大樹海の新たな覇者を目指すだろう。その時まで、自分は偽りの覇者としてこの地を守ろう。それまでは誰にも負ける訳にはいかぬ!
銀レウスはカッと意識を取り戻した。全身に力が蘇る。力強く羽ばたき上昇に転ずる。先代覇者のナルガクルガならこのクシャルダオラを難なく撃退したはずだ。死を賭さずして何の立つ瀬があろうか!
銀レウスは上昇しながら再び炎ブレスを放った。だが烈風纏いを突き破ることは出来ない。
『何度やろうと同じ事だ』
クシャルダオラが笑っている。銀レウスは角度を変えながら炎ブレスを吐き続けクシャルダオラの上空に出た。火球が空しく散っていく。クシャルダオラの頭上で炎が渦を巻きながら消えていった。
『あれは!!』
銀レウスはその僅かな違いを見逃さなかった。奴の頭上で巻いた炎の渦。銀レウスは一か八かの賭に出た。遙か上空まで舞い上がる。落下の加速も乗せ、クシャルダオラの頭上目掛けて急降下する。トップスピードで渾身の炎ブレスを奴の直上に放った。火球が烈風纏いに激突するとそのままめり込み、ついに烈風纏いを突き破った。クシャルダオラの頭に渾身の一撃が炸裂し、奴の角を木っ端微塵に粉砕した。銀レウスはそのままわざと烈風纏いの表面を滑るように奴の下へ出た。切り裂け飛び散る血しぶきが烈風纏いに吸い寄せられる。奴の後ろ脚を中心に赤い血の渦が浮かび上がった。
如何に風を操ろうとも物理法則までは変えられない。激しい乱気流にも全体を支配する大きな流れは存在する。クシャルダオラの烈風纏いは頭と後ろ足を軸とした球形の渦を巻いているのだ。真上と真下。それが烈風纏いの弱点だ。
クシャルダオラは角を砕かれた衝撃に目眩を起こし、まだ反撃体勢を取る事が出来ない。チャンスは今しか無い。銀レウスは上昇に転ずると力を振り絞り、奴の後ろ足目掛けて烈風纏いに突っ込んだ。全身を切り裂かれながらもついに烈風纏いを突き破った。銀レウスは猛禽のように爪を立て、クシャルダオラのふくらはぎを毒爪で力一杯鷲掴んだ。猛毒をあらん限り叩き込む。クシャルダオラの足が紫に染まり、大きく喘ぎながらバランスを崩した。烈風纏いが爆発するように消滅した。クシャルダオラは毒を喰らうと風を纏えなくなるのだ。
意識を取り戻したクシャルダオラは、後ろ足にしがみつく銀レウス目掛け旋風ブレスを放った。銀レウスは体を入れ替えるように羽ばたいて躱し、奴を地面目掛けて放り投げた。クシャルダオラが慌ててバタバタと羽ばたき姿勢を直す。必死に高度を取り戻すその姿は、まるで始めて空を飛ぶ翼竜のようにぎこちない。クシャルダオラは猛毒に眩暈を覚えながら烈火のごとく怒り銀レウスを睨んだ。
クシャルダオラは全身を鋼鉄の鱗で覆っているため、小ぶりでありながらリオレウスの倍以上も体重がある。そんな重い体で自在に空を飛べるのは、風纏いで揚力を増幅しているおかげだった。だが今、その風纏いが銀レウスの毒によって消失した。風纏い無しでは空の王者リオレウス相手にドッグファイトで勝ち目など無い。霞む目で旋風ブレスを放つが、銀レウスには掠りもしない。炎ブレスがクシャルダオラの全身に次々と叩き込まれ、鋼の鱗が真っ赤に焼ける。クシャルダオラは雷属性攻撃を苦手とするが、熱伝導率の高い鱗ゆえに火属性の攻撃にもあまり強くないのだ。ようやく毒が薄れても、再び銀レウスの毒爪が襲う。風纏いを封じられ、もはや勝機は完全に絶たれた。クシャルダオラの闘気が木っ端微塵に砕け散った。
古龍である自分が並のモンスターに敗れた。クシャルダオラは無念の雄叫びを上げると命からがら南の空へ敗走した。心身共に打ちひしがれ、もはや振り返ることもなくユグドラシルを後にする。銀レウスは肩で大きく息をしながらその後ろ姿を見送った。とうとうクシャルダオラを撃退した。銀レウスにも追撃できるだけのスタミナは残っていない。急いで体を休め、傷を癒さねばならない。銀レウスは彼方へと消えるクシャルダオラを見ながら、覇者の矜持を守り抜いた事に安堵した。
クロの母を倒したリオレウス希少種は、きたるべき戦いを待ちながら、大樹海覇者として今なおユグドラシルに君臨し続けているのだった。
境界の広場では穏やかな日々が流れた。クロとグリンは日課のように追いかけっこのトレーニングを続けている。最近ではクロも三度に一度は勝てるようになった。体格ももうグリンに引けを取らない。この境界の広場に初めて来た頃とは雲泥の差だ。まだ一歳になるかどうかという若さでありながら、クロの実力は今日の尺度で言うG級モンスターのレベルに達していた。大樹海覇者の遺伝子は、着実にクロの体に目覚めていた。
明るい日差しの中、クロとクルペッコはじゃれ合い、ナツキとグリンは木陰でのんびりくつろいでいる。突然、皆は同時に侵入者の気配を感じた。大型モンスターが二頭、南の方角から飛んでくる。長く大きな翼。鋭い嘴と棘の生えたコブを持つ長い尾。悠然と空を舞う赤と緑ふたつの影。火竜のつがい、リオレウスとリオレイアだ。二頭は境界の広場の上空をゆっくり旋回し始めた。ナツキは双眼鏡を取りだし観察した。体には目立った傷は見られない。まだ若い火竜のようだ。おそらくつがいとなり、巣を構える場所を探しているのだろう。火竜は比較的開けた場所に巣を構える。この広場周辺は奴らの餌であるアプトノスも多い。ここに目を付けたと見て間違いなかろう。
クロは上空を旋回する二頭をじっと見上げている。クルペッコは慌てて広場の隅へ逃げてくる。グリンがゆっくり立ち上がる。
「どれ。久しぶりにこいつで踊らせてやろうかねえ」
ナツキは雷神弩を掴み広場の中央へ出ようとした。だがナツキの行く手を遮るようにグリンが道を塞いだ。
「ギャウ」
グリンは余裕の笑みを浮かべている。クロとふたりだけで充分だと告げているのだ。ナツキは一瞬呆気にとられたが、雷神弩を肩に担いで笑顔を返した。
「オーライ。あたしはのんびり見物させて貰うよ」
軽く手を振り樹林の方へと戻る。見晴らしのいい枝を見つけ、鞭を使ってヒラリと登った。
火竜たちが高度を下げてくる。グリンはクロの側へと歩いていった。クロは赤いリオレウスを睨んでいる。どうやら奴を獲物に選んだようだ。ならばリオレイアは自分がやろう。
「ギャウ」
グリンは余裕の表情で旋回降下する火竜たちを見上げながら、クロに軽く声を掛けた。
『久しぶりのお客さんだ。丁重にお持て成しせんとな』
樹上のナツキは幹に寄りかかって足を組み、ニヤニヤしながら戦いの開始を待っていた。あのつがいは大樹海の中で営巣できず、こんな辺境まで流れてきたのだろう。腰抜けな上に運がない。あの二頭ではクロとグリンの敵ではない。グリンにもそれが見切れているのだ。おそらくグリンだけでも撃退できるだろうが、クロの特訓成果を試すにはおあつらえ向きだ。
「何分持つか、こいつは見物だね。ン?」
クルペッコがナツキの下に来て隠れた。ここが一番安全だと踏んだのだ。ナツキは思わず苦笑した。
つがいの火竜が降下する。リオレウスがクロとグリン目掛け炎ブレスを立て続けに放った。クロとグリンは軌道を完全に見切り、体を少し動かすだけであっさりと躱した。勿論ノーダメージだ。
「おやおや、こいつは」
射撃は正確なようだが、それだけではクロにもグリンにも通用しない。ナツキは火竜たちの攻撃に、かつてのクロを見る思いだった。
火竜のつがいは、クロたちを広場から追い払おうとしゃにむに戦った。一方クロとグリンのタッグは火竜の攻撃を余裕で躱し、確実にダメージを与えていった。ふたりともまだトップスピードを出していない。クロはツイストターンすら使っていない。炎ブレスを誘い、同士討ちさせる余裕さえ見せている。二頭の火竜も決して弱い訳ではないのだが、戦術面でクロたちの方が一枚も二枚も上だった。
クロの刃翼がリオレウスの頭にクリーンヒットした。エラのように突き出た角が粉々に砕け、リオレウスが堪らずダウンする。脚を痛めたリオレイアもリオレウスに覆い被さるように倒れた。もはや完全に勝負あった。クロとグリンは追撃せず、自分たちの間合いを保ちながら様子を窺っている。つがいの火竜は起き上がると、一目散に飛び立った。再び南の方角へと帰って行く。
「せいぜい頑張りな、おふたりさん」
ナツキは火竜のつがいを見送ると、広場の方へと出て行った。クルペッコも後から付いて来る。グリンは余裕の表情でナツキを見た。クロは瞳を赤く輝かせ南の空を見上げている。つがいの火竜を見ている訳ではない。クロが見ている方角。その先にはあのユグドラシルがそびえている。
「クロ……お前……」
クロはナツキに振り返り、真剣な眼差しを向けた。
「ギャウ!」
ナツキは理解した。クロの目にはあの銀レウスが映っているのだ。つがいのリオレウスを叩きのめし、仇を討つべき時が来たと実感したのだ。ナツキは眼光鋭くクロの目を見た。
「お前、本当にやるんだね?」
クロはナツキにうなじを近付けてきた。乗れと言っているのだ。境界の広場を発つ時が来た。ナツキにはもはや迷いは無い。クロがそれを望むなら、自分は全力で手伝うだけだ。ナツキは急ぎ旅支度を調えた。グリンとクルペッコはふたりの様子をじっと見ている。別れが来た事を理解しているのだ。
ナツキとクロはグリンの前に立った。
「ありがとう、グリン。あんたのおかげでクロは立派な戦士になれた。クロもあんたの事は忘れないだろうよ」
「グルル」
グリンが低い声で応えた。言葉など通じずとも思いは届く。グリンは深緑の嘴でクロの嘴をコツンと小突き、クロにエールを送った。クルペッコが寂しそうにガーガーと鳴いた。
「それじゃ、行こうか!」
「ギャウ!」
ナツキはクロの手綱を握り、うなじに飛び乗った。漆黒の翼膜を広げ、クロが羽ばたく。真っ直ぐ上昇し、眼下に境界の広場を望む。グリンとクルペッコが見上げている。目の前に緑の大海原が広がっている。クロは一度だけ広場の上空を旋回すると、大樹海に向けて飛び立った。
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