「まったくあの子は。どんだけ食い意地が張ってるんだい!」
ナツキは呆れながらクロを追いかけた。クロはガミザミを追ってどんどん湿地の奥へと入っていく。ガミザミたちは高速の蟹走りで、岩盤が折り重なって出来た大きな洞窟へと逃げていった。クロも嬉々として歌うように後を追った。
「クロ! 待ちな、クロ!」
いくら実力を付けようと、クロの行動は余りにも迂闊だ。大きな洞窟は大型モンスターにとって格好の住処だ。ナツキは舌打ちすると、慌ててクロを追い洞窟へ飛び込んだ。
中は思いの外広く、ちょっとしたドームのようだ。あちこちに岩の裂け目が窓のように開き、思ったよりも明るい。地面は流れ込んだ土砂が岩の凹凸をならし、グランドのように平らになっている。こういう場所は地中に潜るガミザミたちにとっては打って付けの場所だ。クロはまるでモグラ叩きでもするように地面を出はいりするガミザミを追い回した。
「クロったら……ここ結構涼しいけど、寒くないのかね? 子供が寒さに強いのは、人間もモンスターもおんなじか」
ナツキは背嚢を漁りホットドリンクを取り出すと、暖を取るため一気に呷った。地中から三匹のガミザミがナツキを取り囲むように現れた。ナツキは舌打ちすると、正面の奴を弐式弾で葬った。右のガミザミが鋭い爪でナツキの足を薙ぎ払おうとする。ナツキは素早くバックステップして躱した。
「あれ?」
ナツキは充分過ぎる距離を回避していた。想定以上にステップの距離が長い。続いて左後方からの攻撃をサイドステップからバックステップへと繋いで躱し、至近距離から弐式弾をお見舞いした。
「気のせいじゃない。体が異様に軽い。ステップの距離が伸びている!」
残った三匹目も仕留めると、クロがザザミソを貰いに跳んできた。ガツガツとザザミソを食い漁るクロに呆れながら、ナツキは改めて自分の装備を見た。草色だった甲冑は、クロの皮脂が隅々まで染み込み樹海の闇色になっている。
「そうか、そういう事か……クロの皮脂には筋肉の動きを活性化させる効果があるんだ!」
モンスター素材による装備が一般的となった今日では、ナルガクルガの素材で作られた甲冑には回避能力が格段にアップする効果がある事が知られている。ナツキはクロと寝起きを共にしてきた事で、ナルガクルガの皮脂を充分過ぎるほど甲冑に取り込んでいた。ナツキが纏うバトルシリーズ・プロトタイプは、今日の規格で言うなら、回避性能+3,回避距離+2と呼べるほどのスキル追加が起きていた。
「こいつは凄い。どうりでクロも素早く動けるわけだ」
ナツキが皮脂の秘密に感心し、クロが三匹分のザザミソを食べ終わったところで、洞窟の奥から骨を軋ませるような大きな足音が迫ってきた。
「ほれ、言わんこっちゃない!」
ナツキは雷神弩を腰溜めに構えた。奥へと続く洞窟からガミザミを巨大化させたような大型モンスター・ショウグンギザミが現れた。ピッケルのような四本の蟹足。巨大な鎌のような両腕。背中には飛竜の頭骨をヤドカリのように背負っている。間違いなくこの洞窟の主だ。全長はクロの半分しかないが全高は高い。ナルガクルガの全長も半分は尻尾が占めているため、見た目にはそれほど体格差はない。ガミザミ同様、素早い動きも可能で、折りたたまれた両腕の鎌で想像以上にリーチの長い攻撃を仕掛けてくる。見た目に比べ鎌の切れ味は案外なまくらだが、鋭い切っ先で突かれれば重傷を負いかねない。
「こりゃ、やるしかないね」
腹をくくったナツキは、クロへ振り向き、そして唖然とした。クロは大きく口を開け、嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせていた。クロにはショウグンギザミが巨大なザザミソに見えているのだ。
「ギャウギャウギャウギャウ!」
クロは連続ジャンプであっという間にショウグンギザミに接近した。ショウグンギザミが鋭い鎌で薙ぎ払う。クロは軽々と躱した。嬉々として飛び掛かるタイミングを計っている。ナツキは手で顔を覆い呆れた。
「あちゃ〜。そいつは大型モンスターなんだよ! 分かってんのかい?!」
ナツキも突進し雷神弩で加勢した。クロは鋭いステップで接近しては後退し、ショウグンギザミの出方を探っている。ナツキはその動きに、クロが既に超一流のモンスターであることを実感した。ナルガクルガほどの高速モンスターが攻撃せず『見』に回れば、大抵の攻撃は躱すことが出来る。先のベリオロス亜種戦においても、クロは相手の動きをじっくりと観察し弱点を突いた。クロはこの武者修行の旅で様々なモンスターと出会ったことにより、敵を知ることの重要性を自然と身に着けていた。
ショウグンギザミは鎌状の長い腕で攻撃した。腕の振りが大きいほど、その直後には大きな隙が生まれる。クロは間合いに余裕のある回避重視のジャンプから、ぎりぎりまで引きつけた攻撃重視のステップへと切り替えてきた。いよいよ攻勢に出るつもりだ。ショウグンギザミが右腕の鎌を振り下ろす。クロは完璧に見切ると最小限のステップでぎりぎりに躱した。続いて左の鎌が振り上げられる。その瞬間、クロは振り上げられた鎌の下をくぐるように鋭いステップで踏み込んだ。クロの背後の地面に鋭い鎌が深々と突き立つ。ショウグンギザミの動きが固まった。クロは振り向きざまショウグンギザミの宿を黒爪で力一杯切り裂いた。飛竜の頭骨の一部が音を立てて砕け散った。衝撃でショウグンギザミが前のめりに体勢を崩す。慌てて両腕を広げて体を回し、周囲を薙ぎ払った。だがその瞬間、クロは旋回するショウグンギザミの動きに会わせ飛び越すようにジャンプし、奴の頭を刃翼で力一杯切り裂いた。目の下の甲殻が大きく裂け、体液が飛び散る。カウンターに目眩を起こし、ショウグンギザミの体が前のめりに崩れた。追撃のチャンスだ。クロはその場で宙返りして硬い尻尾の先端を飛竜の頭骨に叩き付けた。頭骨が鈍い音を響かせひび割れる。宿を失えば、無防備な内蔵は剥き出しだ。意識を取り戻したショウグンギザミは慌てて離れると、足をバネのように使い力一杯ジャンプした。鋭い爪で岩肌を掴み、そのまま天井にしがみついた。クロも後を追うようにジャンプしたが、僅かに届かなかった。着地し天井のショウグンギザミを睨む。ショウグンギザミは呼吸を整えるとそのまま天井を歩き始めた。背中の頭骨の口から強烈な水流をビームのように放ってきた。クロとナツキは慌てて水流を回避した。ショウグンギザミは天井を歩きながら頭骨を左右に振り、ふたりを追うように掃射してきた。
「チイッ! 待ってな、クロ。今撃ち落としてやる!」
ナツキは雷神弩の制御を徹甲榴弾のバレルに切り換えた。ナツキが射撃体勢に入ろうとしたその時、突然クロが鋭くショートステップし、その反動を活かして切り返すように洞窟の壁面へジャンプした。
「なにっ!?」 ナツキはその動きに驚愕した。クロは反射するように壁面の岩を蹴り、三角跳びをしてショウグンギザミに襲い掛かった。ショウグンギザミの長い脚に黒爪を掛け、強引に天井から引き剥がす。ショウグンギザミの爪が如何に鋭かろうと、クロの体重まで掛かったのでは支えきれるものではない。クロはジャンプの勢いそのままに、ショウグンギザミの脚に掴まったまま逆上がりをするようにして天井に後ろ脚をついた。裏返すように引き剥がされたショウグンギザミの体が下になる。クロは両脚で天井を思い切り蹴り、ショウグンギザミの宿に乗る体勢で真下の地面に叩き落とした。ショウグンギザミは着地のため反射的に脚を地面に向けた。だが、弾丸のような速度のうえ背中にはクロが乗っているのだ。着地の瞬間、ショウグンギザミの六本の手足が音を立てて無残にへし折れ、宿にする飛竜の頭骨が真っ二つに割れた。
「キシャ――ッ!!」
ショウグンギザミが断末魔の叫びを挙げる。クロは間髪を入れず奴の頭に噛み付き、硬い嘴で甲殻を砕き駄目押しした。ショウグンギザミは全身を痙攣させると、クロに押さえ付けられたまま力尽き死んだ。食欲に任せたクロの容赦ない完全勝利だ。
クロはショウグンギザミの背中からヒラリと降りると、割れた飛竜の頭骨に黒爪を掛け、ワクワクしながら剥がしに掛かった。ルビーのような赤い瞳をクリクリと輝かせている。
「ギャッ!」
お目当ての大きなザザミソを発見した。勢いよく嘴を突っ込み、口いっぱいに頬張る。嬉しそうに味わった次の瞬間、クロは血の気を失い白目を剥いた。顎が外れたかのように口を開け、頬張ったショウグンギザミのザザミソをゲロゲロと吐いた。
「ギャウ〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
クロはこの世の終わりのようにのたうちながら、出鱈目に跳び回った。どうやら相当不味かったようだ。人間社会でもショウグンギザミのザザミソは悪食とされているのだ。無理もない。クロはナツキの傍に跳んでくると、泡を吹いてひっくり返った。
一方ナツキは、クロが見せた三角跳びに驚愕したまま立ち尽くしていた。全身が鳥肌立ち、興奮に震えている。三角跳びは寒冷地に住むベリオロスも使う技だ。だが、先ほどクロが見せたそれは次元がまるで違う。ナツキの脳裏に、クロの母親が大樹海の絶対覇者として猛威を奮った様子が在り在りと浮かんだ。ナツキは気が触れたように笑い出した。
「フ……フフフ、アハハハハ! そうか、そうだったのか! 勝てる! 勝てるよ! もはや銀レウスなんて敵じゃない!!」
ようやく落ち着きを取り戻すとクロはむっくりと起き上がり、口に残ったショウグンギザミのザザミソをペッペと吐いた。肩を落として、泣きそうな顔でナツキに甘える。
「ギャゥゥゥ」
ナツキはクロ用の解毒玉を取り出しクロの口に放り込むと、嘴をピシャリと叩いた。
「ったく、何やってんだい、クロ! さっさとここから出るんだよ。これから最後の特訓だ!」
ナツキは大きく手招きすると、出口に向かって走り出した。
雲の切れ間にポッカリ月が浮かんでいる。遠くにユグドラシルを望む小さな広場を、青白い光が照らしている。巨樹に囲まれたその広場の中央に、インディゴの鱗をした蒼火竜リオレウス亜種がいた。仕留めた大きなアプトノスの肉を、ゆっくり満足そうに食べている。半分ほど食べ終えたところで、リオレウス亜種の背後から声が聞こえた。
「こんばんは〜」
リオレウス亜種は突然現れた気配に慌てて振り向いた。巨樹が作る影の中から、湧き出るように漆黒のナツキとクロが姿を現す。接近に全く気付けなかったリオレウス亜種は、食事を中断してふたりを睨み身構えた。ナツキとクロは不敵な笑みを浮かべたまま、ゆっくり茂みの中から広場へと出た。
「もういいのかい? そいつはあんたの最後の晩餐だよ?」
ナツキは右手に雷神弩を下げている。クロはいつでもジャンプできるように、四肢に力を漲らせたままゆっくりと歩いている。ナツキとクロは蒼火竜の前に立ちはだかった。
「練習相手が欲しくてね。悪いが付き合ってもらうよ」
蒼火竜は雄叫びを上げると、ナツキとクロ目掛けて火球を放った。ふたりは素早く左右に分かれて回避した。流れる雲がゆっくりと月を隠した。小さな広場が暗くなる。火球が次々と放たれ、爆発するように何もない場所を明るく照らす。雷撃弾の青白い曳光が無数の矢となって突き刺さる。赤い眼光がリボンのように広場全体を包んでいく。蒼火竜の雄叫びが徐々に絶叫へと換わっていった。音と光の喧騒に樹海の巨樹が激しく揺れる。
十分ほど経っただろうか。雲は流れ、月が再び顔を出した。青白い光が小さな広場を照らしていく。辺りは静寂に包まれていた。広場の中央に、食いかけのアプトノスの死骸がある。その脇には、原形を留めぬほど無残に切り刻まれた蒼火竜の死体が転がっていた。虫の仄かな光が、死臭溢れる広場に揺らめいている。ナツキとクロの姿は既に無かった。どう猛で知られる蒼火竜リオレウス亜種は、まともな抵抗も許されずにナツキとクロによって葬り去られたのだった。
数日が経った。ギラギラと照り付ける太陽がユグドラシルを照らしていた。ユグドラシル前の広場では、銀火竜リオレウス希少種が翼を休めていた。クロの母親の遺体は、嘴や黒爪を除き、ほとんどが土に帰っていた。モンスターが捕食対象でない遺体に興味を示す事は珍しい。銀レウスは、クロの母の遺体がジャギィやランポスなど樹海のハイエナどもに穢されぬようわざわざ寝床まで運んだのだ。銀レウスは僅かに残ったナルガクルガの亡骸をじっと見詰めた。
『もうすぐお前の息子がやってくる』
銀レウスは、クロが仇を討ちに来る事を予感していた。
『大樹海覇者の息子。その名に相応しい実力を身に着けたのか。お前の名を汚すうつけ者なら、我が力で容赦なく叩きのめす。異存はあるまい』
語り合う事など出来ないが、クロの母も銀レウスも強者同士。覇者の矜持は心得ている。銀レウスは、静かにその時が来るのを待った。
日差しが天頂を下る頃、ユグドラシル前の広場の外れにふたつの気配が陽炎のように現れた。万全の体勢を整え、クロとナツキが仇敵リオレウス希少種相手にリベンジを挑んできたのだ。銀レウスはゆっくりと立ち上がると広場の中央へと出ていった。真剣な眼差しのクロとナツキが広場へ足を踏み入れる。もはや後戻りは出来ない。クロとナツキは銀レウスを前に堂々と対峙した。クロの赤い瞳に炎が宿る。銀レウスはゆっくりとクロを見定め、うなり声を上げた。
『ほう。でかくなったな、小僧』
ゆったりと構えているが、銀レウスには一分の隙も無い。現在の大樹海覇者リオレウス希少種は、クロが超一流のモンスターに成長したことを見切っていた。相手にとって不足無し。銀レウスとクロが樹海を揺るがす雄叫びを上げた。
『それじゃあ、始めようか』
『いくぞ! お母さんの仇だ!』
ついに最終決戦の火蓋が切って落とされた。
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