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前頁 第2話 ストレンジャー 目次
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■ストレンジャー
 薄暗い三等キャビンに、音の割れた安っぽいオルゴールが流れ始めた。隣接する機関部の音漏れがうるさい船底部屋ではあったが、船内放送ぐらいは何とか聞き取る事が出来た。
「──毎度、スターライン・コロニー交通をご利用いただき、誠にありがとうございます。本船は間もなく、減速シークェンスに入ります。重力が掛かりますので、席をお離れのお客様は、落下によるお怪我をなさいませぬよう、お近くの手すりをご利用下さい」
 アナウンスが終わると、機関部の音が一段上がった。船首クラスターロケットの和音が微かに響いてくる。船倉を改装して作られたこの客室には、中央の通路を挟み、長いドラム缶のようなシリンダーベッドが、壁に打ち込まれた杭の様にズラリと並んでいる。減速のGが掛かると、総てのベッドがゆっくりと回転を始め、底を船首側に揃えて止まった。
 キャビンには数十のベッドが並んでいるが、明かりが灯っているのは中央にある一台だけだ。他は総て、内部灯は消えたままで、スライド式のカバーも固く閉ざされている。ここには下船準備のざわめきも無く、寒々とした機関音とシリンダーベッドの軋む音だけが響いていた。
 三等キャビン唯一の乗客を乗せるシリンダーベッドからは、白色光が煌々と漏れている。薄汚れたスライドカバーは、航海の間ずっと開け放したままだ。
 ベッドには、女がくつろいでいた。細いうなじから豊か過ぎるバスト、大きくくびれたウェストラインへと、ルビーレッドのサテンが素肌を包み、形の良い引き締まったヒップから細い足首へと、黒のレザーパンツがピタリと吸い付いている。好むと好まざるとに関わらず、無地のシンプルな服装は、彼女のゴージャスな曲線美を余すところ無く披露していた。
 女は、スラリと伸びた両足をベッドから無造作に放り出すと、その反動を使って体を起こし、そのままベッドの縁に腰掛けた。ウェストまで伸びた黒髪が、レースのカーテンのように優雅に舞う。こんな薄汚れたキャビンでも、彼女の周りだけは、まるでポスターかファッション雑誌を見るようだった。
「ん。ん──っ。や〜っと到着ね」
 女は、黒曜石の様な瞳をつむり端整な顔立ちを軽くしかめると、細くしなやかな指を絡め、座ったまま大きく伸びをした。挑発的な胸の膨らみが弾けんばかりに張り出し、彼女の女を辺り構わず振りまいている。
 だが、そんな彼女の姿には、艶っぽさよりも凛とした印象が強く漂っている。まだ二十代そこそこという事も理由の一つではあったが、それ以上に、彼女のシェイプアップされた肢体に秘められた何かが、それを強く感じさせているのだった。
 
 キャビンに再びオルゴールの音が流れた。
「──本船は、フロント・アイランズ99番連絡航路、ロウラン発・ガリア経由・デルタ9行き、123便です。次は、終点、デルタ9。到着予定時刻は、13時丁度。定刻通りの予定です」
 女は、長い睫毛を伏せ、フッと笑った。
「ったく。ロウランだの、ガリアだの、よくそんな名前付ける気になったものね」
 フロンティア9以降の第二世代コロニーでは、歴史上かつて存在した都市や国家、物語に出てくる地名などをその名称に使う事が、いつの間にか習慣になっていた。これは、第二世代コロニーの開発計画が確定しない内に、1番基、2番基が完成し、結果として開発コードがそのまま正式採用されたことがきっかけだった。
 
 女は、鈍い色のショルダーボストンバッグを引き寄せると、中からアイボリーのブラを取り出した。
「無重力だと、着ける必要無いから楽でいいナ〜」
 女は、サテンの裾を首までまくり両の袖から腕を抜くと、そのまま豊かなバストをブラに納め、何事も無かったように服を戻した。無論、周りに誰もいないことは、彼女にもわかっている。だが、それを差し引いても、彼女の仕草には何の躊躇も無い。
「さ〜て。お仕事、お仕事」
 彼女は、ベッドから船首側の足場に降りると、着古した紺のデニムジャケットを粋に羽織った。肩にはショルダーボストンを担ぎ、手には愛用のカメラを掴んだ。500mlの缶ビールに拳銃のグリップを付けたような、あまり見かけないタイプの3Dカメラである。
「今度こそ稼いでね、相棒」
 彼女は、チュッとカメラにキスをすると、展望デッキを目指して薄暗い船室を後にした。
 
 * * *
 
 デルタ9は、既にフランスパンほどの大きさになっていた。
「おっと、いけない、いけない。撮れる内になるべく撮っておかないと……。ボートのチャーター代だってバカになんないもんね」
 女はコロニーを狙い撃つように素早くカメラを向けた。展望デッキの手すりに体を預け、目の前で自転するデルタ9を隅々までカメラに収めていく。
 デルタ9は船の真正面に浮かんでいる。そして、未だに微弱なGも船首方向に掛かったままだ。展望デッキの内装により、視覚的には正面を向いているのだが、体の感覚は腹這いの状態だった。
「やっぱ、地球生まれだと、こういう感覚はなかなか慣れないわね〜」
 女は、軽い違和感を覚えながら、撮影経費を浮かすために、せっせと旧式コロニーの全容をカメラに収めていった。
 
 デルタ9は、基本設計が旧世代の技術で作られている。延命のため、これまでに十数回に及ぶ改修工事を受けてきたが、維持コストとの折り合いがいよいよ難しくなっていた。
 元々、第一世代コロニーであるフロンティア9は、実働評価用コロニーとして位置付けられていた。大きさも、円筒部直径約3km、長さ約20kmと、今となっては中途半端な大きさで、収容人数も最盛期でも二十万人程度と、現在主流の第二世代コロニーの一割にも満たない。
 フロンティア9は、20世紀から継承されてきた材料技術、いわゆるピュア・マテリアルをベースに建設されており、現在の主流であるナノ構造素材に比較するまでもなく、強度や耐久性など性能面において、かなり問題があった。設置空間においても、建設当時は現在のようなダンパー粒子による緩衝宙域は存在しておらず、太陽風やスペースデブリの飛び交う宇宙空間に直接さらされている状態だった。また、その運用手法においても、当時は完全に手探りの状態で、ガイア・アーキテクチャーのようなメガコントロール技術も確立されておらず、極めて不安定、かつ、非効率であった。
 だが、これら第1世代コロニーで得られた貴重なデータがあったからこそ、宇宙開拓技術は大きく進歩を遂げ、より大型の第2世代コロニーによる本格的な宇宙時代が到来したのである。
 実用最後の第1世代コロニーであるデルタ9は、来年には月周回軌道上のコロニー工廠へ移送され、資源として解体,再利用される。既に住人のほとんどは新しいコロニーへの転居を完了しており、現在残っているのはコロニー管理局や主要NPO(非営利事業体),NGO(非政府組織)関係者、それにデルタ9工科高等学校の教師生徒や付近住民ぐらいで、合わせても千人にも満たない。コロニーの移動も数年前より少しずつ行われ、現在はフロント・アイランズから少し外れた月寄りの場所に、離れ小島のように存在している。言うなれば、現在のデルタ9は、廃村直前の過疎地であり、当然、こんな辺境を訪れる旅行者は皆無に等しい。
 
 彼女を乗せた連絡便は、デルタ9への入港コースを正確にトレースしていった。

 
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