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前頁 第4話 戦端 目次
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■ フロント・アイランズ
 ロウラン。古代中国、失われた王国の名を冠するこのスペースコロニーは、フロント・アイランズの中核をなす都市である。
 ロウランは典型的な第二世代型コロニーで、その外形は、巨大な2基のシリンダー型コロニーを60度ずらして直列につないだ2連構造になっている。通常、北側ブロックは雄株、南側は雌株と呼ばれ、それぞれが独立したコロニーとして機能すると共に、大規模災害時にはお互いが避難先及び救難拠点としてバックアップする体制が備わっている。この二連独立構造により、スペースコロニーの安全性は飛躍的に向上し、本格的な宇宙移民時代を迎えるに至ったのである。
 
 ロウランの雌株側には、フロント・アイランズ行政の中核を成す行政特区がある。緑に包まれたこの場所には、司政局総会議事堂を始めとする様々な行政機関、NPO、NGOなどが集中し、通称「ロウランの杜」と呼ばれている。
 その杜の一角に、フロント・アイランズ総代表シア・リーシュ(夏麗雪)の公邸がある。デルタ9に艦隊が接近する頃、墨緑の糸杉に囲まれたコテージ風のその建物に、フロント・アイランズ首脳部の主要メンバーが集合していた。
 シア総代表は、執務室の大きな椅子に年老いた体を預けながら、補佐官達の報告を静かに聞いていた。彼女の正面に浮かぶスクリーンには、観測艇がもたらした映像が映し出されている。映像は、遙か70万キロ彼方、反月点(地球を挟んで月と反対の位置、ラグランジュ・ポイント3)にあるコロニー群、ファー・アイランズの一角を撮した物であった。画面中央には、ファー・アイランズで唯一公開されているスペースコロニー「カーレイオン」が浮かんでいる。その姿は、まるで陽炎の様に震えていた。よく見るとそれは、透明に擬装したおびただしい数の艦艇がカーレイオンの手前を横切っているからだと分かる。
「光学擬装を施されている為正確な艦数は掴めませんが、ファー・アイランズ駐屯基地を出港した国連宇宙軍艦艇は、二百隻を越えるものと思われます。艦隊の現在位置は今のところ不明ですが、軌道計算から見ても目的地は予想通りリア・アイランズです」
 主席補佐官は、深刻な面持ちで告げた。
 
 * * *
 
 今日では、経済の中心は既に宇宙へと移っている。地球上に存在する各国政府の財源も、宇宙移民、現地法人企業に大きく依存しているのが実状である。科学技術は言うに及ばず、多くの学問、流行、文化においても、今や世界をリードするのは宇宙都市であり、もはや地球に残るのは政府と軍事力だけであった。この様な現実にあっても、未だ世界の主導権は地球上に存在する各国政府、国連に集中している。
 各コロニーには、現地行政機構としてコロニー司政局が設置されている。司政局の代表は選挙で選出され、形式的にはコロニー市民による自治の形が取られている様に見える。しかし、重要な政策、法案については、司政局には議決権が無く、総て国連傘下のコロニー統治委員会が決定していた。この様に、コロニー司政局に与えられた権限の実態は極めて限定的で、事実上、地球の委任統治に等しい状態だった。まさに、コロニー(植民地)の名は、実態に恥じぬ物であると言う事が出来る。
 また、コロニー市民の代表である司政局代表についても、地球では何ら権限を与えられた存在では無かった。アイランズの長である総代表でさえも、国連での発言権すら与えられていない。地球側から見れば、スペースコロニーは各国国民が共同で暮らしているだけの場所に過ぎず、如何に宇宙市民20億の代表達といえど、政府組織として認められてはいなかった。
 
 そんな状況の中、シア・リーシュはその類い希な才覚と人望、人脈を武器に、宇宙市民を束ね、気の遠くなる様な努力を積み重ねながら、コロニーの歴史と共に宇宙市民の権利拡大に努めて来た。今日では、彼女をはじめ多くの同胞の努力により、コロニー司政局の地球に対する実質的影響力は、無視できない物へと変化している。
 しかしその一方でシア総代表は、地球と良好な関係を維持する事を常に最優先課題としてきた。人類の中心が宇宙へとシフトする事には、もはや疑問の余地は無い。しかし、歴史上人類がその様な変化を受け入れる際には、常に長い年月を必要としてきた。彼女は、急激な権利拡大により、いたずらに地球諸国を刺激する事の無い様、慎重に活動してきた。結果として彼女は、地球・コロニー双方から絶大な支持を得る事に成功している。
 一方、リア・アイランズは、その強大な経済力を背景に、地球に対し強硬な姿勢を採り続けてきた。特にこの十年、地球側の影響力が急速に衰えるに従い、その傾向は顕著に現れている。
 フロント・アイランズは、全宇宙都市の盟主として、地球/リア・アイランズの関係修復の為に奔走してきた。しかしその努力も、もはや限界に達したのだった。
 
 * * *
 
 シア総代表は、瑞々しさを失って久しい両手の指を絡め、小さなタメ息を吐いた。
「やはり、大西洋上の軌道エレベータ『スポーク2』閉鎖の時から、今日の事態は画策されていたという事ね」
 主席補佐官が、彼女の言葉を引き継いだ。
「今となっては、あのスポーク2ターミナル爆破事件自体、偽装工作であったと見るべきでしょう。一方で、我々を調停の場に引きずり出しコロニー間の意思統一を遅らせ、軍事介入への準備時間を稼いだのです」
 補佐官は、スクリーンの映像を切ると、話を続けた。
「彼らは未だ、我々を対等とみなす事を拒み続けています。ナショナリズムの限界が露呈している今日にあってもなお、彼らがそれを否定し続ける以上、宇宙都市との関係改善は不可能です。彼らが宇宙における影響力回復の為建設したファー・アイランズが、ここまで軍事色の濃い物だったとなると、事態はいよいよ深刻です」
 一同は、主席補佐官の発言に頷いた。
 
 月資源を中心に形成されるコロニー産業において、ファー・アイランズは明らかに立地条件が悪い。この為、景観の問題から開発を見送られたラグランジュ・ポイント1と共に、ファー・アイランズの建設は当初予定されていなかった。それが今から7年前、コロニー整備計画に強引に割り込ませる形で、国連直轄のアイランズ建設が開始された。中でも、宇宙初の本格的軍事拠点であるファー・アイランズ基地は、その構造、陣容を極秘とする為、月のコロニー工廠を使わず総て現地で建設され、その実態は明らかにされていない。
 
「さて、問題はこれからね……。ウィチット・トンコントーン」
 シア総代表は、末席に控える青年を指名した。彼は少しオドオドしながら立ち上がった。
「政策評価局研究員としてのあなたの意見を聞かせてちょうだい」
 シア総代表は、ゆっくり体を起こすと、メンバーに加えて間もない若いブレインの言葉に耳を傾けた。一同の視線が彼に集中する。ウィチットは、唾を飲み込むと、意を決して自分の考えをしゃべり始めた。
「こっ、国連宇宙軍によるリア・アイランズ侵攻、いえ、進駐は……、2時間以内に97%の確率で開始されます」
 ウィチットは自分の役目を果たす為、緊張をねじ伏せながら発言を続けた。
「宇宙であれほどの大部隊を動員した以上、もはや中止はあり得ません。牽制目的にしては派遣コストがかかり過ぎますし、そもそも擬装する必要がありません。経過時間から見て、既に作戦位置への展開は完了している事でしょう。後は、実行あるのみです」
 反論する者はいなかった。彼は話を続けた。
「リア・アイランズ側は、未だに国連宇宙艦隊を捕捉出来ていない模様です。虎の子である彼らの自警艦隊もまた所在不明で、投入の機会をうかがっているものと思われます。反抗はおそらく、国連艦隊が各コロニーへ分散を始めたところで始まるでしょう。それまでのおよそ24時間は大きな衝突も無く推移し、その間約20基のコロニーが制圧されます」
 ウィチットは、自分の分析データをスクリーンに映した。
「想定される戦力比からの計算では、国連宇宙軍がリア・アイランズの約半数を掌握した所で、状況は膠着状態へと陥ります。しかし、正直なところ、ここから先は予測がつきません。戦力から見れば国連軍は圧倒的ですが、それでもリア・アイランズ総てを制圧するには絶対数が足りません。一方、リア・アイランズ側も、宇宙での経験や地の利はあるものの、軍を排除するには戦力不足です」
 彼は、シア総代表の方を向き、話を続けた。
「当然、この事は双方折り込み済みのはずですので、何らかの手段を講じていると見て間違いないでしょう。それに何より、宇宙でこれほど大規模な軍事衝突は前例がありません。どんな不確定因子が出てくるか、見当もつきません」
「戦は時の運という訳ね。市民にもかなりの犠牲が出そうね」
 シア総代表は、タメ息混じりに呟いた。
「最低でも、数百万規模の死傷者が出るでしょう。最悪の場合、数基のコロニー崩壊も覚悟する必要があります」
 今度は、主席補佐官が口を開いた。
「問題は、お互いどういう幕引きを目論んでいるかだと思うが?」
 ウィチットは、小さく頷くと答えた。
「この場合、一次目標は、双方とも明確です。国連軍は、現地の制圧とリア・アイランズ首脳部の解任。リア・アイランズ側は、それを阻止する事。ですが、双方ともこの結末では本質的な解決にはつながりません。そもそも、アイランズ首脳部は市民が選出した者達であり、コロニーもまた未開の地ではありません。いずれが勝利するにせよ、それは新たなうねりへの呼び水となるでしょう」
 シア・リーシュは、再び体を椅子に沈めた。
「十年前……、あのデルタ7の惨劇以来、コロニーの自治権は大きく拡大して来たわ。ことに、我らの悲願だった七人委員会第三議席の確保によって、地球側の絶対的支配は終わりを告げた。世界の中心が宇宙に移りつつある今、地球側にそれを拒否出来るカードは残り少ないという事ね。もっとも、切り札が無いという点では、私たちも同じだけれど……」
 
 シア総代表は、これから採るべき策について思いを巡らした。40万キロ彼方の地球。70万キロ彼方のリア・アイランズ。月の裏側上空、ラグランジュ・ポイント2に新設中のハインド・アイランズは、既にリア・アイランズとの共闘を決め、月評議会は沈黙を守っている。国連とて一枚岩ではないが、今のところ目立った不協和音も無い。宇宙都市の盟主たるフロント・アイランズの動向は、これからの展開に重要な意味を持ってくるだろう。
 そこまで考えたところで、彼女はウィチット・トンコントーンがまだ立っている事に気付いた。
「ありがとう、ウィチット。他に気になる点でも?」
 彼は、少々戸惑った表情を浮かべ、次の点を補足した。
「可能性は低いと思うのですが……。万が一、国連軍が今回の作戦に十分な自信を持って臨んでいる場合、牽制の軍事行動を採ってくる可能性があります。……この我々に対して」

 
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