■ 接触
タレス・アジーヴの真剣な表情が、一瞬にして全員に伝染した。
「どうしたの、アンタ?」
マリア・アジーヴは、夫の腕に掴まり顔を近付けると、彼の視線に合わせ同じ方角を見た。
「何か来る……。室長、何かこっちに来る!」
タレスは、それを見失わぬよう凝視し続けながら怒鳴った。管制官の元同僚が、体を飛ばし近付いて来た。
「どこだ? 何も見えないぞ」
管制官も同じ方向に目を走らせた。正面には太陽が眩しく輝いている。タレスは太陽からわずかに外れた方向を指差した。
「あそこだ。太陽から5時方向。近いぞ!」
だが、誰もそれを見つけられない。タレスの実直な性格を熟知している同僚は、早々に目視を切り上げ近くの管制席に滑り込んだ。コンソールの電源を立ち上げ、個人認証を通す。正面にデルタ9管制室のエンブレムが浮かび、続いて太陽を中心に据えた半球状のライブ映像が管制席前面に表示された。同僚は、使い込まれたキーパネルをパーカッション奏者の様に軽快に叩いた。指先に染み付いた記憶が、眠っていた管制席を最短時間で蘇らせる。彼はタレスの指示した方向を詳細にサーチした。だが、レーダーは沈黙を続け、光学解析も反応が無い。
「何も見えないぞ?」
「ああ。見えない仕掛けを持ってる奴だ!」
タレスは横から手を出すと、解像度を上げ解析範囲を誘導した。パネルに微かな反応が引っかかった。それは非常に微弱なノイズで、現れては直ぐに消失する。普通の管制官なら気にもしないレベルのノイズだ。だが、同僚の管制官は、それの特異性を瞬時に理解し直ちに行動に移った。
いつの時代でも、最終的に組織の能力を決定付けるのは人間である。たとえ装備が旧式でも、ベテラン揃いのデルタ9管制局の能力は、他のコロニーを陵駕していた。
管制官はタレスから操作を引き継ぐと、センサーのフィルタ制御機能を呼び出し、解析データのマスク処理を一旦総て落とした。画面が一瞬にして太陽風のノイズに満たされる。管制官は、フィルタをマニュアルで絞り直した。今度は、微弱ながらも消失させる事無くターゲットを捕らえた。
「こりゃぁ船じゃないな。何かが密集してる。五つ、六つ……。慣性飛行で真っ直ぐこっちに向かって来る。ボートかEVUの編隊か……」
「多分な。だが、こんな辺境に足の短いEVUだけ飛び回ってるはずが無い。近くに母船がいるはずだ」
二人は振り返り、現第一宇宙港管制室長を見た。宇宙では、躊躇は即、死につながる。室長は頷くと、通る声で号令を発した。
「各員、持ち場に着け! コンピュータ! 現時刻をもって第二宇宙港稼働制限を解除する。港内主電源接続!」
第二宇宙港の管理コンピュータが、管制室長の権限に従い、港を蘇らせていく。薄暗い管制室内の計器類が次々と輝き始める。パーティーの出席者達は、一瞬にしてモードを切り替え、各々自分に出来る最良の役割を果たすべく、それぞれの持ち場へと散っていった。
「港湾管制システム、起動シークエンス。全センサー、オール・グリーン。メインスクリーン、全天マップ展開」
「港内施設稼働率、7%。なお上昇中」
「第一宇宙港に連絡。航路局に該当する船が無いか照会しろ!」
長い眠りに就いていた第二宇宙港が息を吹き返す。管制官は、ターゲットのトレース・データを、頭上のメイン・スクリーンに映した。別の管制官が、通信を試みる。
「こちらはデルタ9第二宇宙港。接近する機体のパイロット、応答して下さい。こちらはデルタ9第二宇宙港――」
案の定、反応が無い。
「依然、レーダー反応、カムフラージュ共に変化無し。どんな仕掛けか知らないが、あそこまできれいに姿を消せるもんなのか? 発見出来たのは奇跡だな」
管制官の意見はもっともだった。
二十世紀末に誕生した電波吸収技術は今日では完全に成熟した技術となり、あらゆる場所で利用されている。例えば、スペースコロニー外壁もその一つである。コロニーの様な超巨大建造物は、そのままでは電波の反射が大き過ぎ、接近する船舶のレーダーに著しい悪影響を与える。そのため、外壁には無用な反応を起こさぬよう電波吸収処理が施されている。この事は、宇宙船やEVUについても同様である。一方、吸収素材を使う代償として、外壁にはお互いの形状情報を正確に伝える為のレーダーマーカーの設置が義務付けられている。
当然、接近するダレル達の軍用EVUにも、レーダーマーカーは付いている。だが、これら軍用機や一部の改造機には、マーカーの機能を意図的にキャンセル出来る物が存在する。隠密行動をとる彼女たちの機体も、当然マーカーを無効にしている。しかもそれに加え、光学処理カムフラージュまで施しての接近である。至近距離でならともかく、まだ接近途中の彼女達が発見される事など、通常ならまず考えられないはずであった。
航路局の回答がオペレータに返ってきた。
「室長。現時刻にデルタ9近傍を航行中の船は、1隻も登録されていません」
「第一宇宙港より、コール入ります」
室長のそばに、エンデ教官の映像が現れる。
「やあ先生、丁度いい。現在こっちに光学擬装した不審な編隊が接舷速度で接近中だ。学園で該当する機はあるかね?」
「いいえ。今日のフライト予定は1機もありません。こっちのマリーナも使ってませんよ。漂流物の可能性は?」
「こんな漂流物があるものか」
室長は吐き捨てた。エンデは回線を開いたまま、直ちに次の行動に移り、スクリーンから出ていった。
室長の号令が響く。
「とにかく、上陸を阻止するぞ。警備システム、スタンバイ。メインゲート隔壁閉鎖!」
「了解。警備システム、クラスA。ターゲット入力」
「メインゲート・シェル、動力接続。……ちょっと。動きなさいよ、このポンコツ! 駄目だわ! シリンダー圧が上がりゃしない!」
「シェルなど何年も閉じた事が無いからな。とにかく何とか動かしてくれ!」
室長は苦虫を噛み潰した。港が閉鎖されていたといっても、完全に使用不能状態にある訳では無い。緊急時には何時でも動かせるよう最低限の待機状態は保たれている。しかも、メインゲート隔壁に至っては、よほどの事情が無い限り解放状態にしておくのが通例である。
「──現在この港は使用されていない。こちらはデルタ9管制部。繰り返す。直ちに停船せよ!」
管制官達は、接近する不明機に対しあらゆる回線で警告を発した。しかし反応は全く無い。カムフラージュを解く様子も無く、真っ直ぐこちらに向かってくる。接近速度から計算すると、接舷まで10分も無かった。
タレスは、同僚の肩を掴んだ。
「おい、ドローンは使えないか? 時間を稼ぐ」
そう告げて肩を押し、反動で隣のコンソールに取り付いた。管理画面を呼び出すと、待機状態にある港湾作業用無人ボートがリストアップされた。すぐに使える機体が3機ある。タレスは迷わず、全機起動させた。
「ドローン、係留解除!」
|