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前頁 第3話 エデンの受難 目次
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■始まり
 第二宇宙港管制センター。ドーム構造を持つ円盤状のその施設は、巨大な宇宙港ブロックの上部に建てられている。第二宇宙港を隅々まで掌握し、港を利用する総ての船舶に迅速に指示を送る港の心臓部である。第二宇宙港が第一宇宙港と共にデルタ9の玄関として賑わっていた頃には、常時数百名の職員が勤務していた。
 デルタ9の廃棄が決定されると、住民を他のコロニーへと送り出す事が最後の仕事となった。住民の転出が進むに従い、港の稼働率と共に宇宙港職員の数も減少していった。転出率が六割を越えた頃、港の機能は総て第一宇宙港に集約され、第二宇宙港は永遠にその役目を終えたのだった。
 
 そんな無人のはずの管制センターに、笑い声が溢れていた。数十のコンソールがズラリと並ぶ大管制室の真ん中で、十三名の元第二宇宙港職員がささやかなパーティーを開いていた。
「てっきり、わしらと一緒に行くもんと思ってたが……」
 初老の管制官OBが、少し淋しそうな笑顔を浮かべた。
「ガキの頃の友人がクノッソスで民間船の管理業をやってましてね。仕事を手伝ってくれないかって頼まれたんですよ」
 タレス・アジーヴは、ドリンクのチューブを一口吸い、話を続けた。
「船絡みの仕事の割には、下界の仕事も多いらしいし。娘の相手をする時間も、少しは増やしてやれるでしょう」
 今日は、アジーヴ家の送別会だった。タレス・アジーヴは、デルタ9最後の特務保安局員で、かつては第二宇宙港の保安センターに勤務していた。妻のマリアは港湾運輸局の専属パイロットで、二人はこの第二宇宙港で知り合い、結婚した。
 デルタ9住民の多くは、転居用にあてがわれた新造コロニー『江戸』に移っていった。最後まで残った港湾関係者も、工科高校の移転が完了すれば、デルタ9を退去し、先発メンバーと合流する事になっていた。住民の転居が盛んだった当時ならともかく、最終段階に入ったこの時期に他のコロニーへ移り住むケースは、極めて珍しかった。
「そういえば、チャミファちゃんは?」
 同僚が、マリアにたずねた。
「ああ、下界の児童公園で遊ばせてるわ。ここじゃ面白がらないし、連れてきて迷子にでもなったら、それこそ大変よ」
 マリア・アジーヴは、笑顔で答えた。
「まだ小さいのに、一人で大丈夫かね?」
 すっかり禿げ上がってしまったマリアの元上司が心配そうに尋ねた。
「もちろん、おもりのロボットを付けてますよ。あの子も今年から幼稚園で、遊びたい盛りだから。言ったって聞きやしない」
 彼女は楽しそうに笑った。愛娘のチャミファは、両親が宇宙港に勤務していた関係上、託児所などに預けられて育った。宇宙では同様な境遇の家庭も多く、公共施設は勿論、ボランティアグループ、NPOなど、サポートする環境は非常に充実している。そのおかげで、二人も十分仕事に打ち込む事が出来た。だがそれでも、彼らが心を痛めていた事に変わりはない。二人がどれほど我が子を愛しているかは、周囲の仲間もよく知っていた。
「おっと、いかんいかん。もうすぐ昼だ。続きは町でやるとしよう。チャミファちゃんも、お腹をすかしてるぞ」
 元第二宇宙港管制室長が中締めをした。出席者達は、名残惜しそうに室内を眺めた。
 タレス・アジーヴは、大窓から宇宙を見た。正面には太陽が輝いている。マリア・アジーヴがゆっくりと漂い、近付いてくる。
「アンタ……」
『ああ』
 そう答えて振り返ろうとした刹那、視界に違和感がよぎった。タレスはその方角に意識を集中し、違和感の正体を探した。宇宙を見張る特務保安局員の鋭い目が、星空の一角に微かな揺らぎを捉えた。
「ありゃ……何だ?」
 一瞬、管制室が凍った。
 
 西暦2111年5月16日、午前11時38分。事態は、誰も予想し得なかった方向へと動き始めた。いわゆる『エデンの受難』の始まりである。

 
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