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 act.1 バニシング・ジェネシス
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”ゼロ、メロディー、ご飯よ!”
「怒鳴らなくたって聞こえるよ、母さん」
 ゼロはトランシーバーから響く母親の声に苦笑すると、調査道具の地形プロッタをしまい、辺りを見渡した。
「ま、こんなとこか」
 ゼロは両親の待つベースキャンプを目指して、樹海の中を飛ぶように軽快に走り始めた。磁石さえも効かないこのエルリム樹海の中で、ゼロはGPSコンパスも使わず、最短距離でベースキャンプへと戻っていった。幼い頃から父シドのフィールドワークに付き合わされてきたゼロとメロディーには、樹海の土地勘がしっかりと体に染み付いていた。周辺に住む村人も気味悪がり、分け入ろうとしないこのエルリム樹海が、ゼロとメロディーには、何故だかとても懐かしい場所に思えるのだった。
「楽勝楽勝。遅いよ、ゼロ」
 一足先にベースキャンプへ戻ったメロディーは、肩で息をしながら得意げにゼロを見た。
「何だよ。お前の方が近かったんだろ?」
 ムッとするゼロに、双子の妹であるメロディーが、自分の地形プロッタを見せながらニヤついている。
「アラ。男なんだから、このぐらいのハンデ、当然でしょ?」
 地形プロッタを握るメロディーの右手の甲には、竜のアザがあった。
「ほら二人とも、ケンカしてないで手伝いなさい!」
「ハーイ」

 一家は、毎年夏になると、この広大なエルリム樹海に長期キャンプを張り、樹海地形の調査を続けていた。父親のシドは地勢考古学を専攻する学者で、この惑星パレル最大の謎『バニシング・ジェネシス』の研究者であった。
 『バニシング・ジェネシス』、すなわち『消失創世』とは、パレルの歴史上に横たわる巨大な空白期間を表す言葉である。今年はパレル歴2007年。世界中の国々が、このパレル歴を共通して使っている。だが、そもそもこのパレル歴が、いったい何を契機に始まった年号なのか、パレルという言葉自体、その語源は何なのか、まったく分かっていなかった。ハッキリしていることは、約千年前から二千数百年前までの期間、すなわち、パレル創世の頃から千年間、この星の歴史がポッカリと抜け落ちているという事実であった。
 パレル人口17億。大都市から小さな村に至るまで、千年より過去に遡ることが出来ない。文献や石碑、建物や民間伝承に至るまで、千年より前を確実に語り継ぐ記録が、一切存在していなかった。あるのは只、千年前からそこに人々の営みがあったという事実だけで、歴史的にはまるで、総ての町や村が突然この世に現れたかのようであった。
 世界中の歴史学者、考古学者が、このパレル最大の謎に挑んできた。数々の説が提唱されてきたが、どの説も決め手に欠け、未だバニシング・ジェネシスの謎は解かれていない。
 シドは、地勢考古学、すなわち地形・立地が都市形勢に及ぼす影響を元に、過去に町が形成し得たであろう場所を分析し、失われた期間に存在した町を探す研究を続けていた。そして、その分析データの中から、ここエルリム樹海の特異性に着目し、ひとりこの地の研究分析に没頭し続けているのであった。千年前の記録をスタート地点にバニシング・ジェネシスを解明する研究者が大半を占める中、シドのように過去の地形からアプローチするやり方は、まるで博打だとして、学会でも冷遇されていた。大学でも変人扱いされ、出世を望むべくもない。だが、妻のフレアと双子の子供たちは、風評に構わず研究に没頭するそんな父親を理解し、尊敬していた。理解者こそ少ないが、シドの一家は、幸福に包まれていた。

 密林の真ん中ともなると、さすがに娯楽も少ない。ゼロは興味もなく、短波ラジオのスイッチを入れた。
[──の衝突により、両連邦の軍事的緊張が拡大するのではと懸念されています。次のニュースです。シドラ海海底を調査しているクイン大学ケズラ教授の研究チームは、海底に直径500キロメートルを越えるクレーターの痕跡を発見しました。調査によると、このクレーターは──]
「ちょっとゼロ。ボリューム下げてよ。気が散るでしょ!」
 数学の宿題をやっていたメロディーが、ゼロに文句を言った。
「何だよ、こんぐらい。どうせ母さんに手伝ってもらうんだろ?」
 母親のフレアは、今でこそ専業主婦をしているが、元々はシドと同じ大学に勤めていた物理学者で、シドと違い、将来を嘱望された才媛だった。彼女の実力なら、高校2年の数学など、料理をしながらでも出来る。
「あなた達、またケンカ?」
 シャワーを浴びてきたフレアが、長く美しい赤毛をタオルで乾かしながら、テントの中に入ってきた。
「ゼロ、あなたもシャワー使いなさい。そうだ。シャワーの出が悪いのよ。また吸水口に葉っぱが詰まったのね。明日掃除してちょうだい」
「ついでにやっとくよ」
 ゼロはラジオのスイッチを切り、ランタンを手に取ると、テントの外へと出ていった。
「夜の川は危ないわよ。明日になさい!」
 ゼロは母親の小言に煙たがるように右手をあげて答えると、河原の方へと歩いていった。上げられたゼロの右手の甲にもまた、メロディーと同じ竜のアザがあった。
 フレアは溜め息をつき、シドの方へと近付いていった。シドは、そんなやり取りなど全く気にせず、子供たちが集めてきた地形データの解析に没頭していた。フレアは、モニターに集中するシドの横顔に、いつもと違う雰囲気を察した。
「何か見つかったの?」
 モニターを覗き込むフレアに気付くと、シドは地形データを指さした。
「これは、今日子供たちが採ってきた東の丘陵地帯のデータだが、このエコー反応を見てごらん。かなり大規模な空洞地帯があるようだ。しかもその空間は、やけに規則的な反応を示している。まるで、通路か何かのようだ」
「あなた、それじゃあ……」
 フレアは嬉しそうに夫を見た。
 シドはただ闇雲にこのエルリム樹海に着目した訳ではなかった。この樹海の周辺にある村々には、樹海を逃れ移り住んだことを臭わせる伝承が、幾つも残されていた。しかも、どの村も共通してこのエルリム樹海に畏敬の念を持ち、禁忌の森として崇拝していた。そして、そんな村のひとつ、ネオサイラスには、かつてこの森の中に戦士たちが暮らす村があり、神との大いなる戦いがあったという民間伝承が伝わっていた。そして、樹海付近のどの村も、千年前から存続しているにも関わらず、村を維持するにはあまりにも立地が悪い土地ばかりであった。そのため千年の間に廃村となった村も多く、残る村も過疎が進み僅かな住民が暮らすばかりである。このような条件の土地は、世界的に見れば必ずしも少ないわけではない。だが、シドは、何故か特にこのエルリム樹海に興味を引かれ、徹底した調査を続けて来たのだった。
 シドは、構造物の存在を臭わせるデータをジッと見つめながら、その場所に運命的な何かを感じていた。
「明日からみんなで、この場所を徹底的に調べよう」

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For the best creative work