カフーがレバントの暴走を止めた『リリスの変』から、既に5年の歳月が流れていた。ケムエル神殿・玉座の間には、もはやかつての栄光の面影は無く、荒れ果てた戦火の跡を無惨に曝していた。中央にあった玉座は跡形も無く壊れ、頭上を飾っていたマーブ像も、肩から上がボックリと欠け落ちている。円形の壁面を飾る竜神ケムエルのレリーフは、業火に焼かれボロボロに焼け落ち、宝玉で飾られていた内装は、もはや見る影もない。左手のクマーリ門は、入り口の石壁が崩れ、ほころんだ結界から森の不気味な光がチロチロと漏れている。難を逃れた右手のカヤの門の前には、魔攻衆の手によって岩や丸太が積み上げられ、門を厳重に塞いである。
玉座の間の入り口付近には、クマーリ門を監視するためのバリケードが築かれ、常時数名の魔攻衆が、結界からの侵入者を昼夜を問わず見張っていた。クマーリ門の脇には、侵入した聖魔の死骸が無造作に積まれ、流れ出した血や体液が、すえた臭いを漂わせながら、床をドス黒く汚していた。
見張りの魔攻衆たちの顔には、明らかに疲れの色が出ていた。だが、彼らの鋭い眼光は、一瞬たりともクマーリ門から切られることは無かった。クマーリ門の向こうにある時空の狭間の森。そこはもはや、かつての森とはまるで異なるのだ。
「役目大儀。状況は?」
交代要員の魔攻衆を従え、三代目の神殿首座を拝命したばかりのバニラが訪れた。見張りの衆は、最敬礼で新たな指導者を出迎えた。バニラは、優雅な長い巻き毛をなびかせながら、彼らの労をねぎらった。
三代目ケムエル神殿首座バニラ。美少女アイドル魔攻衆ユニット・スイーツナイツの元メンバーだった彼女は、5年の歳月を経て、輝くばかりに華やいだ美女へと成長していた。歳はまだ十代ではあったが、色鮮やかな軽装の甲冑をまとったその姿は、既に堂々たる女王の貫禄を漂わせていた。ナムやココナたちが亡くなった今、バニラの実力は、カフーに次いで魔攻衆のナンバー2である。ヌメヌメ好きは相変わらずであったが、カフーに神殿首座を譲られ、その重責をまっとうしようと彼女なりに努力しているのだった。
「カフーから連絡は?」
「未だに、何も……」
カフーの指命は、容易い物ではない。そうそう消息は知れないことも重々承知している。カフーの実力なら、必ず無事に帰還するはずだ。バニラはカフーを信じつつも、不安を隠しきれずにいた。見張り役は、話題を変えようと、報告を続けた。
「今、森には3隊が哨戒に入ってます。あと、ジルさんとキュアさんが調査に……」
「エッ? キュアが?」
バニラは、憂いに瞳を曇らせながらも、クマーリ門から漏れる森の光を、ジッと見つめた。
崩れかけた結界の向こうに見える聖魔の森。時空の狭間にあるその地は、もはや5年前とは似ても似つかぬ場所になっていた。
かつて、繭使いの時代には、聖魔の森は、ごく普通の樹木に覆われた穏やかな森に過ぎなかった。だが、時空の狭間へ封印され、魔攻衆の時代となった頃には、聖魔も森も、異形の物へと変化していた。そして今、レバントが闇の森に消えてから僅か5年、聖魔の森は、更に荒々しい人外の地へと豹変していた。
カフーがレバントの跡を継ぎ、二代目の神殿首座となって数年の歳月が流れた頃、聖魔の森に新たな変化が始まった。赤子の声のような不気味な拗樹音が森全体に響き渡り、変貌の時を迎えたのだ。時空が激しくうねり、森の地形も生い茂る植物も、一夜にして変わってしまった。住んでいた聖魔たちにも変化が生じ、変異種や新種が次々と誕生した。
新種の聖魔の登場は、魔攻衆に深刻な問題をもたらした。新種の聖魔は在来種に比べ、力も強く、能力も高い。魔攻陣に配置すれば、有力な戦力となることは間違いなかった。だが、肝心の浄化をすることが極めて困難だったのである。
この事はすなわち魔攻衆の弱体化を意味していた。新種聖魔の補充もままならず、劣勢種による布陣での戦いを強いられた魔攻衆は、かつてのように自由に森に分け入ることが難しくなった。そして、そんな魔攻衆に、更に追い打ちを掛ける事態が発生した。メガカルマの登場である。
5年前、カフーたちは、聖魔より強力な敵、カルマと戦っていた。そして、その森の変貌に伴い、カルマもまた、更に強力な種へと進化したのだ。メガカルマは、力だけでなく、人間に近い知能も持っていた。メガカルマを倒すことは、一流の魔攻衆をしても困難であった。森での優位性を失った魔攻衆は、新たな打開策も見つけられぬまま、苦しい戦いを強いられたのである。
そして、今から約1ヶ月前、ついに恐れていた事態が訪れた。メガカルマによる組織的な大攻勢『ホワイト・ヴァイス』の発動である。
それは、メガカルマ部隊の襲撃から始まった。4つの森に散在していた魔攻衆たちは、各森ほぼ同時に、メガカルマ部隊の襲撃を受けた。偶然その時森に入っていたウーとシナモンの機転により、事態はすぐにケムエル神殿へと伝わった。事態を掌握したカフーたちは、直ちに救援部隊を編成。ナム、ココナ、ショコラ、バニラを各隊長とした主力の4方面部隊と、カフー,ジルを中心とした少数精鋭の遊撃部隊を森へ投入。力で圧倒し、一気に事態を収束させる作戦に出た。だが、それこそがメガカルマの罠だったのだ。
救援部隊が、森の奥深く分け入った頃、手薄となったケムエル神殿に、魔攻衆に化けたメガカルマの突入部隊が侵入し、神殿と結界を破壊し始めたのである。後方支援として待機していたキュアとミントが気付いたときには、玉座の間は既に炎に包まれていた。ふたりの奮闘空しく、クマーリの結界が徐々に効力を失い、ついには、そのほころんだ結界を突き破り、夥しい数の滅びの蟲『オニブブ』が、現世へと飛び出したのだった。オニブブは、そのまま周辺の村を次々と襲い、七つの里に目覚めぬ眠りを撒き散らしていった。
負傷したミントを避難させると、キュアは単身敵中突破を図り、森にいるカフーたちに危機を知らせた。こと此処に至り、メガカルマの罠を知ったカフーたちは、ケムエル神殿の奪還のため、危険を承知で逆走せざるを得なかった。魔攻衆は、傷付いた仲間を連れながら、神殿を目指した。そして、それを待っていたようにメガカルマの総攻撃が、敗走するカフーたちに襲い掛かったのである。カフーは、ジル、キュアと共に先行し、伏兵をなぎ倒しつつ退路を開き、神殿奪還へ急行した。主力部隊もまた、隊長以下精鋭がしんがりを務め、メガカルマの猛攻をしのぎつつ、仲間の脱出を助けたのだった。
カフーたちが神殿に到着し、その奪還に成功したことにより、事態は収束の方向へと向かった。だが、この撤退戦によって、魔攻衆は、その半数が戦死するという壊滅的な打撃を被ってしまったのだった。しんがりを務めたナム、ココナ、シナモン、ショコラは戦死し、ウーも重傷を負ってしまった。まさに、完敗であった。
崩壊寸前まで迫ったクマーリ結界ではあったが、神殿の奪還により、ある程度持ち直すことが出来た。村々を襲ったオニブブも、神殿から遠ざかると共に力尽き、やがて死に絶えていった。
カフーたちは、悲しみに暮れる間もなく、急いで魔攻衆の建て直しに着手した。だが、戦力の半数を失い、クマーリ結界も破損した今、新たなメガカルマの大攻勢を防げるだけの保証はどこにもない。頼みの綱である魔攻陣も、限界が見えている。だがそれでも、ナギ人も繭使いもいない今、森の脅威から人々を守れるのは、もはや魔攻衆しかいないのだ。絶望的な状況の中、生き残った者たちは、懸命に打開策を模索した。
ホワイト・ヴァイスに関する後の分析で、複数の魔攻衆の証言から、白い人型のメガカルマが、指揮を執っていたことが確認された。これまで全く見られなかった組織的な攻撃からも、メガカルマが組織化されていることは明らかだ。
カフーは、森でいったい何が起きているのかを調べるため、単身森深く潜入することを決意した。そして、神殿首座をバニラへと譲り、後背の備えを任せたのである。
ゲヘナパレ帝国の崩壊。繭使いの時代。かつてパレルの人々は、滅びの蟲『オニブブ』に怯えながら暮らしていた。そしてパレル歴999年。人々は再び、オニブブの襲来に恐怖することとなったのだ。
『みんな……がんばるッス』
バニラは、不気味に光るクマーリの結界を見つめながら、悲壮な決意を固めるのだった。
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