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 act.5 パレルの記憶
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 夕食の後片付けを済ますと、シド=ジルは家族をリビングに集めた。
「さてと。これから何をするにも、みんなこの世界のことを知っておく必要があるだろう」
 シド=ジルは、ゆっくりと噛み締めるように語り始めた。
「みんなも知っての通り、パレルには歴史の空白期間、バニシング・ジェネシスが存在する。前パレル歴500年頃からパレル歴1002年以前の千数百年間がそれだ。そして今、僕らはその末期に跳ばされて来たわけだが、この世界には、僕らの時代に伝わっていない別の歴史が存在している。偶然にも、ジルはこの世界の歴史を研究している学者でね。彼の研究によると、この世界には、『創世記』と『ゲヘナパレ正史』という二つの歴史書が存在している。『創世記』は、神話の民ナギ人のギという人物が記した物で、厳密には歴史書とは言えないが、神話の世界からナギ人の解放に至るまでの経過を予言した記録として伝えられている。そして『ゲヘナパレ正史』は、古代超国家ゲヘナパレ帝国の歴史を綴った物で、帝国の建国から滅亡までを記した物だ」
 ゼロもメロディーも、物音ひとつ立てず、真剣な眼差しでシド=ジルの話に耳を傾けている。窓の外には2007年と変わらない月が、静かに浮かんでいる。シド=ジルは、ジルの研究成果にシドの考察を加え、知られざる歴史を語り始めた。

 この世界の歴史は、大きく4つの期間に分けられていた。
 第1期は、エルリムの天地創造からゲヘナパレ建国までの期間にあたる。2007年時点の研究成果では、バニシング・ジェネシスに最も近い遺跡は前パレル歴500年前後とされている。そしてジルの研究資料によると、パレル歴はゲヘナパレ建国を元年として制定された物だという。創世記や民間伝承では、森の神エルリムがこの世界を創り、聖霊たちに生物を創らせたと伝わっており、すなわち、わずか3、400年の期間に世界が出来たことになる。キキナクの証言にもあるように、知恵ある獣・人間は、この数百年の聖霊の時代に生みだされた。だが人間はすぐに理想郷を生み出せたわけではなく、創世記によると三度エルリムの怒りに触れ、滅びの蟲オニブブによって滅ぼされた経験を持つという。
「何だか、随分性急な話だな……」
「神話の世界って、千年とか二千年とか、もっとアバウトなものだと思ってたけど……」
 ゼロとメロディーの素朴な疑問に、シド=ジルが苦笑いをしながら答えた。
「それは僕らがバニシング・ジェネシスの始まる時期を知ってるからだよ。勿論この時代の人々は、エルリムによる創世を、悠久の彼方のことだと思っているさ。このゲヘナパレ前期は、残念ながら具体的な証拠に乏しいんだ。だから、どこまでが史実なのかは、何とも言えない。ただ、キキナクの証言や、今も聖魔の森のどこかにいる森人ヤムの存在、一ヶ月前に再び現れたオニブブなど、ある程度は事実と見て間違いないだろう。そして、次の時代が、ゲヘナパレ帝国の時代だ」

 第2期にあたるゲヘナパレの時代は、ゲヘナパレ正史により紡がれている。ゲヘナパレの帝国錬金術師の末裔であるジルは、代々の家宝として正史の写本を受け継いでいた。
 前パレル歴110年頃、後のゲヘナパレ王朝始祖アザンが、その原型たる都市国家を樹立。各都市を次々と傘下に治めていった。そして、四代目グルバの治世に総ての都市を平定、ゲヘナパレ帝国が建国され、パレル歴が制定された。
 ゲヘナパレ帝国の高度な文明は、錬金術師たちによって支えられていた。彼らは聖霊マモンをたぶらかし、高度な知識を引き出し、超文明国家を築き上げた。これにより、聖霊マモンは次第に物欲に溺れていき、ついにはエルリムの罰を受けてしまう。一方、聖霊アモスが人間と交わり、ナギ人の祖先を生んでしまったのも、ゲヘナパレ建国の前後と言われているが、肝心のキキナクの記憶が曖昧なため、定かではない。
 パレル歴250年頃、帝国の文明は、そのピークを迎え、そして、腐敗が始まった。この頃から、帝国市民と異能者ナギ人の関係も、悪化を辿ることになる。そして、パレル歴383年、帝国皇太子メネクと、ナギの少女アルカナの悲恋の死が訪れる。アルカナ伝説の元となる事件である。
 アルカナの悲しみを受け取り、森の神エルリムは森に聖魔を放ち、人間に制裁を加えた。神と人との戦い、聖魔戦争の勃発である。ゲヘナパレ帝国の錬金術師たちは、あらん限りの業を用い、これに応戦した。そして、エルリムの使徒たる聖霊を滅ぼし、一矢を報いた。だが、森の神エルリムは、ついには滅びの蟲オニブブを放ち、ゲヘナパレ帝国を葬り去った。
「え!? 聖霊を倒した?」
 ゼロは思わず聞き返した。今より更に600年も昔、聖霊への対抗手段があったというのだ。
「それがあれば、マテイとかいう聖霊も、倒せるんじゃない?」
 メロディーは思わずフレア=キュアの手を握った。だが、シド=ジルは、目を伏せ、首を横に振った。
「残念だが、その技術は残っていないんだ。ゲヘナパレの遺跡探しはキキナクが中心になって行っているが、肝心の首都ガガダダが発見出来ないんだ。どうやらガガダダは、エルリムの命を受けナギ人が封印したらしい。滅亡の直前、錬金術師たちは最後の力を結集して、聖魔の森をゲヘナの業で封印したそうだ。そしてその中に取り込まれたナギ人の聖地ケムエル神殿では、何故かナギ人たちが、エルリムの御神木の森を、更にカヤの結界とクマーリの結界で封印したんだ。それがエルリムを守るためなのか、人間を守るためなのかはハッキリしていない。だが、その後、繭使いレバントが聖魔の森を時空の狭間へと追いやったことを考えると、後者だったと見た方が自然だろう」

 この繭使いの時代が、第3期となる。ゲヘナパレ帝国崩壊により、文明は一気に後退することとなった。ゲヘナの結界は時折ほころび、人々は点在する小さな村々で、聖魔の襲来に怯えながらひっそりと暮らしていた。そして、錬金術師に代わり人々を守ったのが、繭使いである。繭使いは、ナギの血を引く男子にしか出来なかった。繭使いとなった男は、ナギの女を妻にめとり、妻の浄化した聖魔の繭を武器に、聖魔から村を守り戦った。しかし、人々は、必ずしもナギの血族へのわだかまりを捨て切れたわけではなかった。退廃した帝国とはいえ、聖魔と正面から戦ったゲヘナパレへの人々の信望は厚く、錬金術師の末裔であるゲヘネストは、村々の中核に位置し続けた。そして聖霊の血脈であり、エルリムの従者でもあったナギ人には、数百年を経ても、しこりを残したのである。
 そしてナギ人は、もう一つの悲劇を抱えていた。浄化の呪いである。繭使いの妻となったナギの女は、ナギの聖魔術により、夫が繭に封印した聖魔を浄化し、繭使いのしもべや、金に換え生活の糧とした。だがその時、浄化の呪いを受け、体に醜いアザが出来たという。繭使いが戦えば戦うほど、妻の体は呪いの刻印に蝕まれていく。
 パレル歴700年頃、パレル最強とうたわれたサイラス村の繭使いリケッツは、浄化の呪いに疑問を抱き、聖魔の森へと姿を消した。そして、その息子レバントが、ナギの少女マーブをめとり、サイラス村の繭使いを継いだ。
 若き繭使いレバントは、マーブの献身を受けながらも、ついには父リケッツと共に、ナギ人を呪われた運命から解放した。そして総ての聖魔はクマーリとカヤの結界の向こうへと封印され、森ごと時空の狭間へと流されたのだった。《玉繭物語》

「ナギの預言者ギの記した創世記には、このナギ人の解放までが記されているが、ジルは生前のレバントから証言録を取っていてね。それにも記録が残っている。エルリムの軛から解放されたナギ人は、安息の地を求め、いずこへと旅立ったそうだ。そして、この戦いによって不死となったレバントは、クマーリとカヤ2つの門の監視者として、妻マーブと共にケムエル神殿に残ったそうだ」
 シド=ジルは喉を潤すため、フレア=キュアが入れてくれたお茶を飲んだ。
「その後しばらくすると、時空の狭間の森に変化が訪れたそうだ。拗樹音が響き、森の地形も聖魔の種類も以前と大きく変わってしまった。レバントはなかなか話してくれなかったが、その後、聖魔が再び人里を襲う事件が起きたようだ。そしてその時、妻のマーブが亡くなったらしい。レバントは悲劇を繰り返さないため、キキナクと相談して魔攻衆を結成した。聖魔を狩り、森の力を削ぐためにね」

 こうして第4の期間、魔攻衆の時代となった。300年近い時が流れ、パレル歴994年、カフーがこの町に訪れ、魔攻衆となった。カフーは、偶然自分に取り憑いてしまったカルマを倒すため、聖魔の森を巡り、オーブを集めた。そして、ようやく封印したカルマを、今度はレバントが利用し、黒繭使いとなって森の破壊とエルリムの殺害を企てたのだ。カフーはエルリムの使徒となりレバントを倒し、彼の暴走を食い止めたのだった。《玉繭物語2》
「当時、カルマは他にも確認されていたが、あのときカフーに取り憑いたカルマは、それらとは明らかに一線を画す、高等なカルマだった。今思えばあれは、精霊のプロトタイプだったのかもしれない」
 シド=ジルは、重苦しく告げた。彼の話はいよいよ終わりを迎えた。
「そして今から3年前、再び森に拗樹音が溢れたんだ。森も聖魔も更に凶暴な物へと豹変し、魔攻衆も苦戦を強いられるようになってしまった。やむを得なかったとはいえ、カフーはエルリムの使徒となりレバントを倒したことに、ひどく苦しむようになった。そして、自虐といえるほどの修行に明け暮れ、レバントに成り代わり、魔攻衆を率いてきたんだ」
「そして今から1ヶ月前、エルリムの使徒である精霊マテイの計略、ホワイト・ヴァイスによって、私たち魔攻衆は、大打撃を被ってしまった……」
 フレア=キュアは、沈痛の面持ちでシド=ジルを見た。
 千年を越える人類とエルリムの確執。その最終局面に、シド一家は巻き込まれたのだ。ゼロは父に一つ確認した。
「父さん。バニシング・ジェネシスの終わりに一番近い記録って、確か……」
「ああ。パレル歴1002年の記録が最も近いものだ。日食を記した記録で、3つの遺跡で確認されている」
「今年が999年だから……じゃあ、遅くとも3年以内には、この変な歴史が終わるのよね……跡形もなく……」
 一家はただならぬ状況に、そのまま言葉を失った。

 その夜は、みんな早めに眠ることにした。今日は余りにも目まぐるしい一日だった。寝室は両親に譲り、ゼロとメロディーは、リビングの片隅に寝ることにした。キャンプ生活に比べれば、家の中で寝られることは、遙かに恵まれたことだ。ふたりは横になると、すぐに深い眠りについた。
 一方、シドとフレアは、まだ眠りについてはいなかった。ベッドの中で、シドは子供たちに聞かれぬよう、静かにフレアに尋ねた。
「ママ……もう一つ、大切なことを話していないね」
「わたしたちの体のことね」
 ふたりには、奇妙な確信があった。自分たちの肉体は、未だにあの遺跡に残されていると。
「夕食の時には詳しく話さなかったけど……リオーブによって接触したこの時代と2007年とは、今、並行して時間が流れているような気がするわ」
「そして僕たちの本当の体は、今もあの場所に残され、同じ時間が流れている……」
 フレアはシドの胸に顔を埋めた。シドは優しく彼女の肩を抱いた。
「帰る方法が見つかったとしても、おそらく僕たちの体は、その時までは保たないだろう。だが、せめて子供たちだけは、2007年に帰してやりたい。……賛成してくれるね」
 フレアは小さく肩を震わせながら、静かに涙を流していた。

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For the best creative work