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 act.14 消滅
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 翌朝、メロディーたちは回廊遺跡を後にすると、バスバルスへと向かった。バスバルスは、このパレル世界で最大の都市である。具合の良いことに、メロディーたちが使おうとしている川も、バスバルスのそばを流れている。大きな橋を渡り、中央通りを西へ向かう。道の両脇には、貿易商や市場がズラリと並ぶ。メロディーは、ケムエル神殿町を遙かにしのぐ賑わいに、何だかウキウキしてきた。
「随分大きな町ね、パパ」
「このパレルで一番大きな町だからね。そうだ。その通りを右へ行ってごらん。いい物を見せてあげよう」
 言われるままにフロートバギーを進めると、すぐに大きな窪地が両側に見えてきた。野球場ほどもあるすり鉢状の土地が幾つも連なっている。それは、巨大な発掘現場だった。底の方には倉庫のような大きな建物が並び、大勢の人々が作業をしている。
「ここは、現存するゲヘナパレ最大の遺跡なんだ。とは言っても、古代都市の跡じゃない。掘り出されているのは、ホタル石やフロートカーなど、我々の生活必需品ばかりだ」
「え? どういうこと?」
 メロディーは斜面の縁にバギーを止めると、発掘現場を見渡しながら不思議そうに聞き返した。
「ここには元々ゲヘナパレ帝国の物資集積場があったんだが、帝国末期に、帝国崩壊を予見した錬金術師たちが、後の時代の人々のためにこれらの物資を備蓄埋蔵しておいたらしいんだ。帝国滅亡後、ここを託された生き残りのゲヘネストがそれを掘り起こし、パレル全土の人々の暮らしを支えたのさ。その結果、ここバスバルスは交易の中心地となり、大きな町が出来たわけだ」
 シド=ジルはバギーを降りると、感慨深げに発掘現場を見渡した。その時、前から近づいてきたフロートカーの車列が突然停止し、中央のフロートカーから女性が飛び出してきた。
「ジル!? ジルじゃないの!」
 サファリジャケットを着たその女性は、満面の笑みを浮かべシド=ジルに抱きついた。
「や、やあ、シャンズ」
 シド=ジルは少し困った笑みを浮かべ、チラッとフレア=キュアを見た。

 メロディーたちは大きなバスバルス市庁舎の貴賓室へと通された。内装は押さえられたデザインで華美というわけではないが、床の絨毯から天井の装飾に至るまで、最高級の造形であることは一目で分かる。広い室内の中央に置かれた豪華なソファーに腰掛けながら、メロディーたちはそわそわしながら待っていた。
「……ねえ、ママ。さっきの人、キュアも知ってるの?」
「いいえ、始めて会う人よ。キュアも全然知らないわ。いったいジルの何なのかしら?」
 メロディーとフレア=キュアは、横目でシド=ジルを見ながらヒソヒソと話をしている。シド=ジルは視線を泳がせながら、ちょっと困った表情でジッと座っていた。彫刻を施した重厚な扉が開き、先ほどの女性が供を連れて現れた。シド=ジルは慌てて立ち上がった。
「待たせたわね、ジル。どうぞリラックスして。わたしとあなたの仲じゃない」
 律とした気品漂う彼女は、三人の前に笑顔で腰掛けた。秘書官が下がった位置に座り、メイドたちがお茶を配り下がると、シド=ジルはお互いを紹介した。
「このふたりは、キュアとメロディー。僕と同じ魔攻衆だ。彼女はバスバルス市長のシャンズ。ここの埋蔵遺跡を任せられたゲヘナパレ錬金術師の末裔で、パレル全土を束ねる由緒正しいゲヘネストだ」
「由緒正しいのはあなたの方でしょ、ジル。あなたこそ、栄えあるゲヘナパレ錬金術師工房長の子孫じゃない」
 メロディーとフレア=キュアは、ふたりの会話をキョトンとしながら聞いていた。
「工房長って、偉いの?」
「さあ……」
 ゲヘナパレ帝国の知識が無いふたりには、ピンとこないのも無理はない。ゲヘナパレ帝国錬金術師工房の長といえば、ゲヘネスト総ての頂点に位置する人物である。
 だが、そんな昔話など相手にもせず、メロディーとフレア=キュアの興味は、目の前に座っているシャンズ個人へと集中していた。栗色の長い髪に、力を帯びた切れ長の瞳。シンプルなデザインの絹のブラウスに包まれた体は、女らしい豊かな曲線美を描いている。年齢はジルと同じぐらいだろうか。市長としての風格を持つ、堂々たる美女である。ジーッと観察しているメロディーとフレア=キュアに気づき、シャンズは思わずクスッと笑った。
「わたしとジルとの関係が知りたいみたいね。ジルはわたしの初めての男。プロポーズもしたわ」
「ブッ! いや! あれはその!」
 シド=ジルは飲んだお茶を吹き出すと、慌ててその場を取り繕おうとした。その様子にシャンズは吹き出して笑うと、少し寂しそうな笑みを浮かべた。
「でも、ふられちゃったけどね」
 メロディーとフレア=キュアは、驚きながらもシャンズの気持ちを察した。シャンズは一口お茶を飲むと、話を続けた。
「あなたの噂も聞いてたわよ、ジル。キュアさん、おめでたなのね」
「そんな事まで知ってるのかい!?」
「バカね。あなたたちの様子を見れば分かるわよ」
 シャンズは座り直し姿勢を正すと、話題を切り換えた。
「そんな事より、本題に入りましょ。ケムエル神殿の戦況は聞いてるわ。わたしに頼みがあって、ここへ来たんでしょ?」

 メロディーは川沿いにフロートバギーを南下させ、ワールド・エンドまでシャンズ一行を先導した。彼女の協力を得るためにも、真実を見せるべきだと考えたのである。メロディーはシド=ジルの指示でフロートバギーを停止させた。シャンズ他重臣たちを乗せた後続のフロートカーがそれに倣う。
 メロディーはバギーを降りると、ぐるりと辺りを見渡した。澄んだ広い川が、浸食によって作られた低い崖の下を、心地よい水音を立てながら穏やかに流れている。バギーを停めた場所は、膝下ほどの高さの草に覆われた見渡す限りの草原だ。目の前には緩やかな丘が続き、草の風紋が流れている。稜線の向こう側までは分からないが、どう見ても清々しい風景だ。メロディーは気持ちよさそうに伸びをする。青空にはゆっくりと白い雲が流れていた。
 振り返ると、シャンズたちが近づいてきた。シャンズはともかく、重臣たちは恐る恐る近づいてくる。彼らにはワールド・エンドの幻覚が見えているのだろう。メロディーはシド=ジルに質問した。
「ねえ、パ……ジル。みんなにはここがどう見えているの?」
「炎に包まれた砂漠だよ。ここも既に焼けただれた地面になっている」
「焼けただれたって……」
 メロディーは改めて足元を見た。青々とした深い草に覆われ、地面自体が見えない。彼らの見ている幻覚は、触覚さえも打ち消すほどに支配的なのだ。
 シャンズは幻覚の熱気を感じながら、シド=ジルに問いただした。
「こんな所に連れてきて……いったいガガダダとどんな関係があるの?」
 シド=ジルは炎の揺らめく砂の丘の方角を指さして答えた。
「ガガダダは、この遙か向こうに存在する」
 シャンズはシド=ジルの言葉に驚くと、真っ向から否定した。
「バカな! ここは世界の縁、ワールド・エンドよ!?」
「確かに僕たちにとっては、ここは世界の縁だ。だがこれは、エルリムが僕たちを閉じこめておくために作り出した幻覚だったんだよ。僕たちはそれを確認し、そして、この向こうに行く方法にも目処が付いた」
 シャンズの重臣たちが騒然となった。
「これのどこが幻覚だというのです!?」
「これの向こう側だって!?」
「無茶だ! 炎に焼かれてしまう!」
「陸路は行かないわ。いかだを組んで、向こうの川を下るのよ」
 メロディーが平然とした表情で答えた。
「川だって!?」
「あの大穴が見えないのか! 粉々になって奈落の底へと落ちていくぞ!」
「穴? そんなものどこにも無いわよ! 泳ぎたいくらい綺麗な川じゃない」
 シド=ジルは苦笑すると、メロディーの肩を叩いた。
「幾ら口論しても始まらないよ。実際に見せてあげなさい」
 シド=ジルはトランシーバーをメロディーに渡した。
「それは?」
 シャンズが尋ねると、メロディーはピョンとシド=ジルから少し離れ、トランシーバーに向かって話し始めた。
”アーアー、聞こえますか〜? これはトランシーバーというものです。離れたところでも声が聞こえまーす”
 シド=ジルが手にしているもう一台のトランシーバーから、メロディーの声が聞こえてくる。シャンズたちは、始めて見る機械に驚き、不思議そうに見つめた。
「それじゃあ、メロディー。向こうの丘に向かって歩いてくれ」
”オッケー! じゃあ、行ってきまーす!”
 メロディーは敬礼すると、火炎の砂漠に向かって、元気に歩き出した。
「危ない! 戻れ!」
「焼け死ぬぞ!」
「ジル! 早くやめさせて!」
 シャンズたちは血相を変えて呼び止めた。メロディーはクルリと振り返ると、ニッコリ笑いながら手を振った。シド=ジルとフレア=キュアのふたりは、平然とメロディーを見送っている。さすがに三度目ともなると、幻覚にも慣れてくる。メロディーは、草に覆われた小高い丘を登り始める。シド=ジルたちの目には、炎が走る砂の丘にしか見えない。炎がメロディーの体に巻き付き、メラメラと燃え上がる。シャンズたちは、その姿を見て動揺している。シド=ジルはトランシーバー越しに、メロディーに尋ねた。メロディーは振り返り、大きく伸びをした。
”清々しい草の香りでいっぱい。風がとっても気持ちいいわよ”
「僕らには、お前が今、炎に焼かれ藻掻き苦しんでいるように見えるよ」
”やだ〜、何それ〜”
 メロディーは更に先に進んだ。シド=ジルたちの目では、メロディーの体が焼け落ち、砂に消えてしまった。
「メロディー。お前の姿が見えなくなったよ。今、どの辺だ?」
”まだ丘を登ってるところよ”
「これは……いったい……」
 シャンズたちは、トランシーバーから聞こえてくる声に驚いている。シド=ジルは、フッと笑うと更に話し掛けた。
「メロディー。何かしゃべりながら丘の上まで歩いてくれ」
”え〜? じゃあ……。1番、メロディー。歌いま〜す”
 メロディーは歌を歌い始めた。
 なぜその歌を選んだのか。メロディーは無意識のうちにそれを歌った。それは、幼い頃フレアが枕元で歌ってくれた子守歌だった。代々フレアの家系にのみ歌い継がれてきた、独特な子守歌だ。

   緑萌ゆる永遠(とわ)の都(みや)
   栄え打つ時の槌(つち)
   黄金(こがね)砂とて
   明日あれパレル遙かに

「何だって、子守歌なんか」
 シド=ジルは、トランシーバーから流れてくる子守歌を聴いて苦笑した。そしてふとフレア=キュアを見て驚いた。フレア=キュアは、目を見開いたまま両腕を抱き、小刻みに体を震わせていた。
「この歌……知ってるわ……」
「そりゃあ、君が歌って聞かせた歌じゃないか」
「違うの! キュアがこの歌を知っているの!」
 シド=ジルは彼女の言葉に驚いた。だが同時に納得もしていた。ジルとキュアが、他人のそら似などではないだろうと、薄々感じていたのだ。シドにしてみれば、ジルとキュアが祖先である事実より、フレアの子守歌がバニシング・ジェネシスと繋がっていた事の方が、むしろショックであった。まさに灯台もと暗しである。シド=ジルはため息を吐いた。だがその時、フレア=キュアの目から、ポロポロと涙が流れ出した。
「いったい、どうしたんだい?」
「……分からない。でも、悲しいの。とても、とても……どうしようもなく悲しいの!」
 かつてカルマであったキュアには、魔攻衆となる以前の記憶は、エルリムによって消されている。だがこの子守歌の記憶は、その空白の記憶の更に奥底から湧き出してくる。いったい何が、なぜ悲しいのか、キュアにも全く分からない。ただただ、圧倒的な悲しみが、フレア=キュアを支配しているのだった。
 そしてふたりは知る由もないが、この子守歌のメロディーは、七聖霊のマハノンが奏で、マテイが謎の涙を流したあの曲と、全く同じだったのである。
 一見、パレルの繁栄を願う歌に聞こえる子守歌。だが、よくよく聞くと、いったい何のことを歌っているのか、曖昧な歌詞になっている。バニシング・ジェネシスから唯一継承されている歌。この時シドはうかつにも、この子守歌の存在を、軽視してしまったのだった。

”ワーッ、すごーい!!”
 突然メロディーは歌うのをやめ、大声を上げた。トランシーバーの電源が切られ、音声が途絶える。どうやらメロディーは、何かを見つけたようだ。
 子守歌が止んだことで、フレア=キュアの涙もようやく治まった。彼女が平静を取り戻したことにホッとすると、シド=ジルは再びメロディーが消えた場所を見つめた。
「シャンズ。みんな。あそこをよーく見ててごらん」
 シド=ジルが指さす。全員が見守っていると、不意に白い光が煙のように立ちのぼり、メロディーの姿へと変わる。両手いっぱいに花束を抱え、こっちに元気よく走ってくる。シャンズたちは、信じられないという表情で呆然と見つめていた。メロディーはみんなの所へたどり着くと、こぼれるほどの花束をシャンズに渡した。
「あの向こう凄いのよ! 見渡す限りのお花畑。とっても気持ちよかったわ!」
 むせ返るほどの花の香りが、これこそが真実だと告げている。シャンズは穏やかな笑顔で香りを胸いっぱいに吸い込むと、シド=ジルに協力を申し出た。
「船の件は任せて。ゲヘネスト・ネットワークを総動員して、丈夫で扱いやすい物を大至急用意するわ」
 こうしてシド=ジルはシャンズの全面的な協力を得て、コロニー間横断の準備に取りかかった。船が用意されるまでの僅かの間、メロディーは川下りの特訓に励むのだった。

  * * *

 カフーとバニラが率いる精鋭部隊がジャンクションへ向けて出撃した後、ケムエル神殿玉座の間では、老戦士ウーと新米の魔攻衆たちが、クマーリの門からの敵襲に備え陣を張っていた。
「ホワイト・ヴァイスの二の前はご免じゃからな」
 ジャンクションとケムエル神殿を結ぶ各島を中心に、魔攻衆下級戦士の斥候部隊が非常線を張り、メガカルマの急襲に備えている。玉座の間は、その最終防衛地点である。再びここを突破され傷ついたクマーリ門を攻撃されれば、結界の崩壊は避けられないだろう。老戦士ウーに与えられた使命は極めて重い。
「そう堅くなるな。備えはしてある」
 ウーは杖で不自由な足を支えながら、新米魔攻衆の肩を叩き、緊張をほぐして回った。ウーは老練な戦士らしく、不安を招くそぶりは一切見せない。だがもしもメガカルマの襲撃があれば、今の状態では防ぎきるのは難しかろう。ウーは重々それを理解し、胸の奥で覚悟を決めていた。
 ウーたちがジッとクマーリ門を見張っていると、そこへサジバが現れた。黒のローブを軽く羽織ってはいたが、八熱衆のプロテクターをキッチリと着込み、手には大きななたを思わせる肉厚な剣を下げ、明らかに戦闘態勢を整えていた。サジバは無表情のままウーに告げた。
「ウー老師。そのお体では辛かろう。ここは拙者が詰める故、奥にて休まれよ」
「サジバ殿……」
 ウーは、その若く屈強な戦士を見上げ、ニッコリと笑った。サジバは視線を逸らすようにクマーリ門を見た。
「神殿を出るわけにはいかぬが、ここならば差し支えない。拙者も少々退屈していたところだ」
 サジバは肉厚な剣を石畳の床に突き立て、クマーリ門の正面に立った。新米の魔攻衆たちから安堵のため息が漏れた。憑魔陣の使い手であるサジバが玉座の間を守る。これほど心強い援軍はない。魔攻衆たちの士気が上がった。ウーはサジバの横に並び立つと、笑顔で話し掛けた。
「やれやれ。どうやらここは安泰のようじゃな。これからもカフーたちの力になってやってくれ」
「勘違いされるな。此度は気まぐれに過ぎぬ。我らナギは、人と戯れたりはせぬ」
 サジバはクマーリの結界を見つめたまま、愛想無く答えた。
 かつて若いレバントとその父リケッツが聖魔の森を時空の狭間へと封印したとき、エルリムの軛を解かれたナギ人たちは、ケムエル神殿をレバントに預け、終末を迎える安住の地を求め、去っていった。そして彼らはナギの隠れ里を作り、そこで静かに暮らすはずだった。
「もはや微かにしか覚えておらぬが、我はこの目で見たのだ。人間たちによって里が炎に包まれ、多くの同胞たちが殺されていったのを。我も傷つき、炎に焼かれようとしたとき、シ様がお救い下されたのだ。シ様は、僅かに生き残った我らを時の洞(ホラ)へとかくまわれた。そして総ての現況であるエルリムを倒すために憑魔甲を作られ、復活した我らに託されたのだ」
「その力、人に向けようとは思わなんだのか?」
 ウーの問いかけに、サジバはフッと笑みを浮かべた。
「ナギを軽く見られるな。シ様はその力をエルリムへ向けよと仰せられた。エルリムを倒せば、自ずと我らの力は示せよう」
 ウーはサジバの話に奇妙な違和感を覚えた。ナギの隠れ里のありかは、勿論知られていない。だが、それが知られていたとしても、本当に起こりえた悲劇であろうか。ウーは疑念を胸の奥にしまったまま、自分の話を始めた。
「儂は流浪の民の末裔での。祖先は、かつて水の里と呼ばれたゴランという村の民じゃった。繭使いの時代、ゴランの民もまた聖魔の森に怯え、暮らしておったそうじゃ。そしてゴランには、コリスという名のリケッツとごする繭使いが住んでおった」
 コリスは水の里にふさわしく、水属性の聖魔の扱いに長けた繭使いで、通称『青の繭使い』と呼ばれていた。コリスの働きにより、ゴランには聖魔の脅威が及ぶことはなかった。人々はコリスの雄飛をたたえたが、それも長くは続かなかった。聖魔の脅威が薄れた村人たちの目は、やがて彼の妻へと向けられていった。コリスの妻は、ナギ族長ニの長女ラーであった。清楚な気品漂うラーは、村一番の美女であった。だが、コリスが繭使いとして活躍するに従い、彼女の白い肌にも、呪いの刻印が刻まれていった。そしてその美しい顔すら隠さねばならなくなったある日、呪いの刻印のおぞましさを恐れた村人たちは、コリスの留守中にラーを火炙りにしたのである。
 焼け爛れたラーの亡き骸を抱きながら、コリスは村人を呪い、繭使いとナギの宿命を呪った。そしてその夜、コリスはゴランを捨てたのである。青の繭使いがいなくなり、聖魔の森は一気に息を吹き返した。瞬く間にゴランは聖魔の森へと飲み込まれ、ついにはオニブブによって滅び去ってしまった。
 命からがら逃げ落ちた人々は、自らの行為を悔い呪った。そして、ナギと繭使いの犠牲に二度と頼らぬことを誓い、聖魔の驚異に身を曝しながら、安住の地を持たぬ流浪の民となることを選んだのである。
「確かにコリスのことを恨む者もおった。じゃが、儂らゴランの民は、決してナギ人を憎んだりはせん。……カフーもここに来た頃は、繭使いに憧れる少年じゃった。お主の怒りも分かるが、人間にもナギ人の味方が大勢いることは覚えておいてくれ」
 ウーは穏やかにそう告げるのだった。サジバもまた、ケムエル神殿での暮らしの中で、その事を感じ始めていた。
 ふたりは静かに玉座の間を守りながら、カフーやゼロの凱旋を待つのだった。

  * * *

「くそう、なんて数だ!!」
 ジャンクションは、おびただしい数の新種聖魔で溢れていた。ゼロたち突入部隊がそれらを掃討し中央のリオーブの下までたどり着くと、今度は周囲を取り囲むヒメカズラから、次々とメガカルマが現れた。敵の狙いが物量に物を言わせた消耗戦そのものだと気付いたときには、既に遅かった。先鋒を務めたゼロとラダの体力はもはや限界に達し、ふたりの聖魔も疲弊しきっている。カフーとバニラにはまだ若干の余力があったが、それでも状況を打開するにはほど遠かった。撤退をするにも、退路のヒメカズラの前ではミント率いる魔攻衆部隊もメガカルマ部隊の包囲を受け、退路が塞がれてしまった。
「ガハッ!」
 ゼロとラダの憑魔陣が限界に達して弾け、ふたりの体が地面に叩き付けられた。ふたりは血反吐を吐き、立ち上がる事すら出来ない。カフーとバニラはふたりを援護し、助け起こした。
 こうなっては、もはや撤退さえも難しい。カフーたちの所へミントの隊も合流し、生き残った者たちで円陣を作った。カフーが苦悶の表情を浮かべている。
 その時、頭上に、純白に輝くローブをまとった人影が現れた。審判の聖霊マテイである。マテイの下では、メガカルマたちが道を空け、純白の甲冑をまとった聖霊シャマインが現れ、その奥には、純白のドレスをまとったマハノンが、悲しい目をして見守っている。
「聖霊かっ!」
 攻撃がやみ、静寂が訪れる。マテイは空中に立ったままカフーたちを見下ろすと、通る声で話し掛けた。
「魔攻衆の精鋭たちよ。これまでよくぞ戦った。その力、新たな創世の世に生かせぬのが残念だ。もうすぐ我らはパレルの地へと帰る。次の世が平和で豊かな時代となるよう、お前たちも祈ってくれ」
 聖霊マテイが全軍に最後の攻撃を指示する直前、その一瞬の間隙にそれは起きた。ミントが憑魔甲に換装して飛び立ち、単身マテイ目掛けて突っ込んでいったのだ。
「よせ! ミント!!」
 ゼロには何も出来なかった。
「シナモン姉さんの仇!!!」
 剣を構えマテイを襲う。マテイは、顔を向けることさえせず、左腕をミントの方へ向けた。彼の左手が一瞬にして巨大な槍へと変わる。鋭く伸びた切っ先が、ミントの心臓を正確に貫き、風船のように破裂させた。ミントの剣は、マテイにはまるで届いていない。ミントは血を吐きながら気力だけで胸を貫く槍をたぐり寄せ、必死にマテイに迫ろうとした。だが、大槍を掴む両手は血糊でむなしく滑り、もはや1ミリも近づくことは出来なかった。白い大槍から真っ赤な大量の血が雨だれのようにしたたり落ちる。ついにミントは、姉の仇を討てなかった。
「ゼロ……」
 血の涙を流しながらゼロを見ると、ミントは力尽き、串刺しの無惨な姿で死んだ。
「ミントォォォォ!!!」
 ゼロの慟哭が響き渡ったその瞬間、突然ゼロの憑魔甲から漆黒の闇が迸った。風が巻き起こりカフーたちを弾き飛ばす。ゼロの周囲に、憑魔甲にセットされた8体の聖魔総てが、まるでドス黒い亡霊のように出現し、闇に飲み込まれるようにゼロの体へ圧縮される。闇が弾け、そこに黒いシギルを帯びた黒い聖魔獣が出現した。石柱のような腕、分厚い装甲のような甲羅、巨大な翼。どれをとっても、7体の聖魔を憑着した超重装備を更に凌駕している。黒一色に彩られた圧倒的な威容に、周囲にいたカフーたちも言葉を発することさえ出来ない。
「ウオォォォォ!!!」
 獣の雄叫びを上げ聖魔獣が飛び立つ。一瞬にしてマテイの目の前まで詰め寄ると、手にした大剣で襲いかかった。マテイは槍で防ごうとした。だが、串刺しにしたミントの体が邪魔になり、一瞬動きが遅れる。漆黒の大剣が轟音と共にマテイを襲い、槍となった左腕を根元からバッサリと切り落とした。
「グアアッ!!」
 マテイは苦悶の表情を浮かべ、弾けるように落下する。聖魔獣はマテイを追った。悲しみと憎しみに墜ちたゼロは、聖魔獣の核となり、もはや意識すら無い。ゼロから生まれた殺意の衝動だけが、聖魔獣を動かす総てだった。
 大剣が再びマテイを襲う。だがその一瞬、マテイの体を押しのけ、聖霊シャマインが割って入った。切っ先が、マテイをかばうシャマインの腹を貫いた。
「グウッ!!」
 背骨がへし折られ、下肢が力無く垂れ下がる。シャマインは血を吐きながらもゼロをにらみつけ、大剣を握る聖魔獣の腕を鷲掴みにした。硬い甲羅が砕け、シャマインの指がガッチリとめり込む。
「マテイ様、お逃げ下さい! マハノン様、マテイ様を早く!!」
 地面に墜落したマテイに、マハノンが駆け寄る。マテイは血の吹き出る傷口を右手で押さえながら、シャマインを見上げ絶叫した。
「シャマイン!!!」
 シャマインは左腕を巨大なカギ爪に変えると、聖魔獣となったゼロを抱え込むように掴み、万力のように締め付けながら動きを封じた。聖魔獣の甲羅が砕け、カギ爪の歯が音を立ててめり込む。
「貴様のその力、生かしておくわけにはいかん!!」
 シャマインはゼロを抱えたままリオーブの前まで飛翔し、右手をリオーブに向けた。聖魔獣が暴れ、腹に刺さった大剣がはらわたをグチャグチャに掻き回す。シャマインは途切れそうな意識を必死にたぐり寄せながら、右手にパワーを集中させた。眩しい光球が生まれ、うなりを上げる。最後の力を使ってリオーブを破壊し、ゼロを道連れに自爆する気だ。
「シャマイン!!!」
「マテイ、早く!!」
 マハノンは傷ついたマテイを抱え、ヒメカズラに向かって敗走する。メガカルマたちもジャンクションから逃げるため、慌てて走り出した。
「みんな、逃げるんだ!」
 カフーは全員に号令すると、ラダに手を貸しながら退路のヒメカズラへと全員を導いた。ミントの亡骸は地面に横たわったままだ。上空では黒いゼロと白いシャマインが、充満するエネルギーの放電に包まれ、バチバチと音を立てている。
「カフー! ゼロを助けなきゃ!」
「無理だ! 間に合わん!!」
 カフーたちは、逃げまどうメガカルマを押しのけ、退路のヒメカズラへと飛び込んだ。
 シャマインの右手から光球が発射され、エネルギーの充満したリオーブを貫いた。巨大な宝石のようなリオーブが粉々に砕け散り、真っ白な閃光が、ゼロを、シャマインを、ジャンクションの総てを包んでいった。
 大地が激しく鳴動し、雷鳴と共に崩壊する。上下の感覚のない時空の狭間で、ジャンクションを構成していた聖魔の島が粉々に砕け、夥しい数のメガカルマを巻き添えに、陽炎のように消滅していった。憑魔陣第八の封印によって聖魔獣となってしまったゼロは、時空の狭間で消えてしまった。

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